見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

三味線の美音を浴びる/文楽・和田合戦女舞鶴、他

2024-05-11 22:04:48 | 行ったもの2(講演・公演)

シアター1010 国立劇場令和6年5月文楽公演(2024年5月11日、11:00~)

 急に思い立って、5月文楽公演を見て来た。昨年10月末に国立劇場が休館になってから、東京の文楽公演は、さまざまな劇場を代替に使用している。今季は、昨年12月公演に続いて、シアター1010(せんじゅ)での開催。北千住駅前でとても便利な立地だった。

 1等席にあまりいい座席が残っていなかったので、2等席(2階の最後列)を取ってみた。視界はこんな感じ。文楽の舞台を「見下ろす」のは初体験で、どうなんだろう?と思ったが、音響は問題なかった。舞台の奥まで見えてしまう(舞台下駄を履いた人形遣いの足元とか、腰を下ろして待機している黒子さん)のは、もの珍しくて面白かったが、初心者にはあまりお勧めしない。ただ、舞台の上に表示される字幕が自然と視界に入って見やすいのはよかった。

・Aプロ『寿柱立万歳』

 旅の太夫と才蔵が登場し、数え歌ふうに神名・仏名を並べて、家屋の柱立てを寿ぐ。「豊竹若太夫襲名披露公演にようこそ」というセリフを盛り込んで、公演の幕開きを祝う。

・豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上

 あらためて幕が開くと、金屏風(豊竹座の紋入り)を背負い、緋毛氈の上に、鮮やかな緑の裃を着けた技芸員たちが並ぶ。中央は主役の新若太夫さんだが、文楽の襲名披露では、主役は何も喋らないのだ、と途中で思い出した。向かって左端(下手)に座った呂勢太夫さんが口上を述べ、太夫部の錣太夫さん、三味線の団七さん、人形遣いの勘十郎さんが、それぞれ笑えるエピソードを交えて、祝辞を述べた。2列目に控えていたのは(おそらく)お弟子さんや一門の皆さん。ふと、この場に咲太夫さんの姿がないことに気づいて、悲しくなってしまった。

・『和田合戦女舞鶴(わだかっせんおんなまいづる)・市若初陣の段』

 床は若太夫と清介。主役の板額を勘十郎。物語は鎌倉時代、頼朝・頼家亡きあと、三代将軍実朝と尼公政子が政務を執っていたが、御家人たちの対立が深まっていた。御家人・荏柄平太は実朝の妹・斎姫に横恋慕し、思い通りにならないと姫を殺してしまう。平太の妻と息子・公暁は尼公政子の館に匿われていたが、大江広元は御家人の幼い子供たちを軍勢に仕立てて、政子の館を攻めさせる。板額は政子に仕える女武者だったが、軍勢の中に我が子の市若丸がいるのを見つけて館に招き入れる。ところが、政子の話によれば、公暁は頼家の忘れ形見で、ひそかに平太夫婦に預けて育てさせていたのだった。市若丸は自分が平太の子であると誤解して腹を切り、結果的に公暁の身代わり首となって公暁を救う。

 よくある子供の身代わり譚だが、やっぱりグロテスクだなあ…と思う。もちろん脚本は、主君のための身代わり死を全肯定しているわけではなくて、板額は「でかした」と息子を称賛しつつ「なんの因果で武士(もののふ)の子とは生まれて来たことぞ」と嘆くのだが。こういう演目は、徐々にすたれてもいいんじゃないかと思っている。

・『近頃河原の建引(ちかごろかわらのたてひき)・堀川猿廻しの段/道行涙の編笠』

 「堀川猿廻しの段」は、前を織太夫、藤蔵、清公、切を錣太夫、宗助、寛太郎。前半は織太夫さんの美声を楽しむ。後半は錣太夫さんの声質にぴったりの人情ドラマ。おしゅん、伝兵衛の門出を祝って、猿廻しの与次郎が2匹のサルに演じさせる芸(黒子の人形遣いが両手で表現する)がとても楽しい。サル役の人形遣いはプログラムに名前が載らないのだが、誰なのかなあ。「道行涙の編笠」は34年ぶりの上演で、私は初めて見た。しっとりと哀切な舞踊劇。

 今回、どの演目も三味線が華やかで楽しかった。『和田合戦』は、正直、若太夫さんの語りより、清介さんの三味線の切れ味のほうが強く印象に残っている。「堀川猿廻し」は2組のツレ弾きを楽しめた。

 若太夫さんへご祝儀の飾りつけ。坂東玉三郎さん、詩人の高橋睦郎さん、阪大の仲野徹さんなどの名前を見つけた。

 シアター1010は、客席は飲食禁止だが、ホワイエでは飲食できる。あとゲートの外に売店があってお菓子や飲み物を売っている(本格的なお弁当はなし)。オリジナルカクテル500円をいただいてしまった。ピーチ味かな?シャンパンみたいにさわやかで美味。国立劇場でも幕間に軽いアルコールが飲めるといいのに、とずっと思っていたので、大満足。

 なお、7月の歌舞伎公演、12月の文楽公演は、私の地元・江東区で行われるらしい。今から楽しみである。

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ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOURディレイビューイング

2024-04-16 23:11:39 | 行ったもの2(講演・公演)

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」宮城公演ディレイビューイング(2023年4月13日16:00~、TOHOシネマズ日本橋)

 土曜日、羽生結弦くんの単独公演をディレイビューイングで見てきた。見ていた時間だけ、魂が別世界に跳んでいたような気分で、感想がうまく言葉にならないのだが、書いてみる。

 プロに転向した羽生くんが「プロローグ」「GIFT」という単独公演を成功させてきたことは知っていた。私は、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)をはじめ、彼の出演するアイスショーをずっと見てきたけれど、単独公演は、コア中のコアな羽生ファンのためのものだから、私はいいかな、と言う気持ちで遠慮していた。しかし今回、3度目の単独公演となる「RE_PRAY」ツアーは、そのキービジュアル(羽生くんのモノクロ写真)が好みだったのと、SNSに流れてくる感想(ロバート・キャンベル先生からも!)が只事でない感じだったので、ディレイビューイングのチケットを取ってしまった。ツアー最終(追加)公演の千秋楽である4月9日宮城公演の録画上映である。座席は自動指定だったが、ほぼ中央で、ショートサイドのリンク際みたいな、最高のポジションだった。

 舞台には旧型のテレビを思わせるような枠付きの、大きなスクリーンが設置されている。そこには、ゲームのコントローラーを握った羽生くんの映像が映し出されるかと思えば、ゲームそのものの画面になって、ドット文字のメッセージや、ドット絵のキャラクター(さまざまな衣裳をまとった羽生くん自身)が表示される。ゲームの進行に従って、選択を迫られ、素材を集め、敵を倒し、どんどん強くなっていく主人公。前半は真っ白なフードつきコートで登場した「いつか終わる夢」のあと、「阿修羅ちゃん」「鶏と蛇と豚」「MEGALOVANIA」「破滅への使者」など、強くて悪そうな羽生くんが盛りだくさん。

 椎名林檎の「鶏と蛇と豚」は、仏教の「三毒」を意味する動物で、真っ赤な背景に象徴的な三角形が浮かぶ中、貴婦人のような黒レース衣装の羽生くんが登場する。曲のイントロは般若心経なのである。羽生くん、晴明でなくて空海も演じられるわ、と思ってしまった。

 「MEGALOVANIA」は、無音の中で、スケート靴のブレードを氷に突き立てるような荒々しいステップから始まる。鍛えられた肉体の魅力を引き立てる衣装で、すっかり大人の男性になったなあ、としみじみ思ったのに、休憩後の後半では、再び永遠の少年の顔で登場するので、どうなってるの?と目を剥いた。

 「破滅への使者」は、競技プログラムと同様、6分間練習からスタートする。会場に漂う緊張。見慣れたティッシュケースのプーさんが映るのがうれしい。そしてこのプログラムを完璧にクリアしたにもかかわらず、ゲームから「データをセーブできません」と告げられ、混乱と困惑のうちに前半が終了する。ライブでは休憩30分だったようだが、ディレイビューイングは10分だった。

 後半。主人公は再びゲームの世界へ向かうが、前半とは異なる選択をする。自分のまわりの命を潰さない選択。主人公は深い水の中に落ちていく。「いつか終わる夢:re」「あの夏へ」「天と地のレクイエム」「春よ来い」など清冽なプログラムが続く。最後は「春よ来い」で、私はこのプログラムを見るたびに、世界に春をもたらすための祈りのように感じる。そしてスクリーンのドット文字「RE_PLAY」(再生)が「RE_PRAY」(祈り続ける)に変わって終了。

 まず、ほとんど休憩なし(あっても衣装替えの時間くらい)で、10曲近くを連続で滑り切る体力が化けものだと思った。しかもそれぞれ難易度の高いプログラムを完璧に。

 このあと、Tシャツ姿でマイクを持った羽生くんが、楽しそうにリンクをまわりながらお喋り。あ~これで終わりか~と思ったあとに「SEIMEI」「Let Me Entertain You」「ロンド・カプリチオーソ」「私は最強」と次々繰り出されるアンコール。本人はよほど名残惜しかったのか「終わりたくない」なんて言っていたけど、もう身体を休めなさい、と母親気分でハラハラしていた。

 しかし本当に素晴らしい体験だった。世界中の、フィギュアスケーターだけではなくて、様々な分野のアーティストに見てもらいたいと思う。次回の羽生くん単独公演が発表されたら、おそらく現地チケット争奪戦に参加することになるだろう。

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アイスショー”notte stellata 2024”

2024-03-16 23:50:05 | 行ったもの2(講演・公演)

羽生結弦 notte stellata 2024(2024年3月10日、16:00~)

 先週日曜、羽生結弦さんが座長をつとめるアイスショーnotte stellataを見て来た。2011年3月11日の東日本大震災から12年目になる2023年に彼が立ち上げたアイスショーで、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで3公演が行われる。昨年はチケットの抽選に敗れて行くことができなかったが、今年は千秋楽の日曜のチケットを取ることができ、日帰りで仙台に行ってきた。素晴らしい公演で大満足したのだが、やっぱり(分かっていたけど)ふつうのアイスショーとは少し違って、考えることが多くて、なかなか記事を書くことができなかった。

 日曜の仙台は、青空なのに時々細かい雪が舞っていて、東京よりかなり寒かった。2011年のあの日も、こんなふうに寒かったのかなあ、と初めて思った。今年のゲスト・スケーターは、ハビエル・フェルナンデス、ジェイソン・ブラウン、シェイリーン・ボーン・トゥロック、宮原知子、鈴木明子、田中刑事、無良崇人、本郷理華、フラフープのビオレッタ・アファナシバ。座長の羽生くんが信頼できる仲間を集めた感じで、統一感あるいは結束感があって安心できた。そしてスペシャル・ゲストは大地真央さん。

 2プロ滑るスケーターは、だいたい1演目はしっとりと抒情的な、しかし強い決意や未来への希望を表現するプロを選んでいたように思う。もちろん楽しい曲もあって、田中刑事くんと無良崇人くんのサタデーナイトフィーバーは世代的に懐かしくて嬉しかった。シェイリーンのwaka wakaもダンサブルな曲で、アリーナのお客さんがプーさんのぬいぐるみを膝の上で踊らせていたら、それを抱き取って、一緒に踊ってくれた(ちょうど向かい側でよく見えた)。休憩明けの群舞はBTSのPermission to Danceで、羽生くんは映像で参加。ステージ背景のスクリーンだけではなくて、リンクそのものにも大きな映像を映してしまう演出が面白かった。

 しかし羽生くんのソロ演技が1日に3演目も見られるのは、お得感が半端なかった。冒頭にnotte stellata(白鳥)。前半の最後に大地真央さんとのコラボでカルミナ・ブラーナ。そして後半にダニー・ボーイ。どれも「すごいものを見た」以外に語る言葉がない。特にカルミナ・ブラーナは、ひたすら重たいのかと思ったら、軽やかな天使のように登場し(舞台スクリーンには花畑の映像)一転して、真央さん扮する黒い魔女の支配にもがき苦しみ、最後は浄化されていくのである。どうしても目はリンクの羽生君に釘付けになって、真央さんをあまり見られなかった(照明の関係でも舞台上が見にくかった)のは残念。ダニー・ボーイもそうだが「芸能と鎮魂」について深く深く考えてしまったショーだった。羽生くんはフィナーレの楽しい群舞にも登場。

 全ての演技が終わって、最後にマイクを持った羽生くんがショーが無事に終わったことに感謝を述べ「明日はまた、辛く暗い一日が始まります」みたいなことを言ったとき、会場の一部から無邪気な笑い声が漏れ、羽生くんが少しむきになって「笑いごとじゃないんです。そういうコンセプトのショーなんで」と反論する一幕があった。いや、笑った人の気持ちは分かるのよ。あのときは本当に満たされた気持ちだったので、明日が暗い一日になるなんて想像することができなかった。それは私が、東日本大震災で大事な人やものを失っていないから持てる感想なのだと思う。翌日の新聞やテレビでは、13年経っても癒えない傷を抱えた人たちの存在が控えめに報道されていて、いまさらだが自分の無神経さを恥ずかしく思った。

 仙台では少し時間があったので、伊達家三藩主の霊屋「瑞鳳殿」で羽生結弦選手の衣装をモチーフにした七夕吹流しが再展示されているというのを見に行った。 拝殿の左右の回廊で、静かに風に揺れていた。

 羽生くんの衣裳は、どれも凝ったものが多いが、この瑞鳳殿(寛永年間造、戦災で焼失後、1979年に再建)の装飾も華やかさでは負けていないので嬉しかった。

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ヴェルディ歌劇の愉悦/METライブ・ナブッコ

2024-02-27 22:48:43 | 行ったもの2(講演・公演)

METライブビューイング2023-24『ナブッコ』(新宿ピカデリー)

 先日、東劇にシネマ歌舞伎を見に行ったら、MET(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)ライブビューイングのチラシが置かれていて、そういえば、オペラは(実演も映像も)久しく見ていないなあ、と思った。私の好きなヴェルディ作品、今シーズンは『ナブッコ』がエントリーされていた。写真を見ると演出もよさそうなので、思い切って、見て来た。

 作品のあらすじは大体知っていたけれど、全編通しで視聴するのは、たぶん初めてだったと思う。しかし全く問題はなくて、第1幕から(いや、序曲から)雄弁で美しい旋律をシャワーのような浴びせられ、幸福感に浸った。

 舞台は紀元前6世紀のエルサレム。神殿に集まったヘブライ人たちは、バビロニア国王ナブッコの来襲に怯えている。ヘブライ人たちに人質として囚われているのはナブッコの娘・フェネーナ。エルサレム王の甥・イズマエーレは彼女を庇う。やがてフェネーナの姉・アビガイッレが現れ、イズマエーレに「自分の愛を受け入れれば民衆を助けよう」と取引を提案するが、イズマエーレは拒絶。 エルサレムはナブッコ王のバビロニア軍に制圧される。気性の激しい姉と優しい妹。国の興亡を左右する恋のさやあて。古装ファンタジーの世界みたいだ~と嬉しくなってしまった。

 第2幕。王女アビガイッレは、自分が奴隷女の出自であること、父ナブッコが妹のフェネーナに王位を譲るつもりであることを知り、王位を奪う決意を固める。腹を立てたナブッコは「自分は神だ」と宣言したことで、神の怒りを招き、雷に撃たれる。

 第3幕。力も権威も失ったナブッコは、アビガイッレに命じられるまま、異教徒たちとともにフェネーナも死刑とする文書に押印してしまう。ナブッコの嘆きと後悔。追いつめられたヘブライ人たちが、絶望の底から絞り出し、湧き上がるように歌うのが「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」。いや、これは泣くわ。作品中ではヘブライ人の歌だけれど、今、世界中でふるさとを失った、あるいは失おうとしている全ての人々に届く歌声だと思う。

 第4幕。復活したナブッコは、エホバの神を讃え、ヘブライ人たちを釈放する。アビガイッレは服毒し自殺する。きれいな「勧善懲悪」のハッピーエンドで終わるのは、比較的若書きの作品であるためだろうか。ヴェルディ作品というと、もっと不条理で悲劇的な作劇の印象が強いのだが。

 出演者で印象的だったのは、イズマエーレ役のテノール、ソクジョン・ベク。名前のとおり韓国出身で、これがMETデビューだという。田舎のお兄ちゃんみたいな顔立ちは、役柄によってはマイナスかも、と思ったが、声が素晴らしくよい。タイトル・ロールのナブッコは、ヴェルディらしい陰影に富んだバリトンの役柄で、ジョージ・ギャグニッザは、戦士王の威厳にも満ちていた。しかし、なんといっても素晴らしかったのは、リュドミラ・モナスティルスカのアビガイッレ! 強い意志を感じさせる、華やかさと力強さに痺れた。第2幕と3幕の間に、舞台裏でのインタビュー映像が流れたけど、彼女はウクライナの出身なのね。ちなみにギャグニッザはジョージア(グルジア)出身で、この作品では独裁者が力を失い、悔い改める、現実にもそのような変化が起きるといいですね、みたいなことを淡々と述べていた。ちなみにフェネーナ役のマリア・バラコーワはロシア出身である。

 オケや舞台上のメンバーを見ていると、アジア系やアフリカ系の顔立ちもけっこう混じっていたが、特に違和感はなかった。そんなことはどうでもいいくらい、(音楽)作品の普遍性が強いのだと思う。あと、指揮者のダニエレ・カッレガーリさん、表情豊かでお茶目なのと、途中のインタビューで、楽譜に書かれていることを大切にするとおっしゃっていたのが、気に入ってしまった。また聴きに行きたい。ウェブサイトも見つけた!

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ブロマンス古装劇?/シネマ歌舞伎・アテルイ

2024-02-17 23:30:15 | 行ったもの2(講演・公演)

〇シネマ歌舞伎『歌舞伎NEXT 阿弖流為〈アテルイ〉』(東劇)

 2015年7月に新橋演舞場で上演された作品で、シネマ歌舞伎(映像作品)としての公開は2016年6月だという。ただし、いま調べて思い出したのだが、もとは2002年に劇団☆新感線が上演した舞台劇である。私は題材に興味があって、舞台劇のときも歌舞伎になったときも、見たいと思いながら果たせなかった。シネマ歌舞伎になってからも、上映予定ないかな~と、時々チェックしていたのだが、先日サイトを見たら、久々の上映が2/15(木)で終わっていた。え!?と慌てたが、幸い、東劇では上映延長になっていたので、さっそく見てきた。面白かった!!! 10年越し、いや20年越しの大願成就だが、実は、具体的にどんなストーリーなのかは全く調べていなかったので、新鮮な気持ちで見ることができた。

 京のみやこでは、蝦夷(えみし)を名乗る立烏帽子党が盗賊行為を働き、人々を苦しめていた。そこに現れたのは、本物の立烏帽子党の女首領・鈴鹿。彼らが偽者であることを見破り、問い詰める。彼らは、帝の側近である無碍随鏡の手下だった。彼らチンピラの処分を請け合ったのは、「みやこの虎」を名乗る若きサムライ・坂上田村麻呂。そこに居合わせたのは「北の狼」流れ者の蝦夷のアテルイ。アテルイは、かつて蝦夷の娘・鈴鹿と恋に落ち、山に迷い込んで、アラハバキの神の怒りに触れたため、名前も記憶も失って、みやこに流れついたのだった。しかし鈴鹿と巡り合い、名前と誇りを取り戻したアテルイは、故郷へ戻る決意を固める。

 一方、田村麻呂は征夷大将軍に任ぜられ、叔父の藤原稀継とともに東北へ赴く。温和な人格者に見えた稀継は、ひそかに田村麻呂を殺害し、その弔い合戦と称して全軍の士気を高めようと画策していた。稀継役は『鎌倉殿の13人』で覚えた坂東彌十郎さん。真っ黒い本性を現わしてからがすごくよかった。曹操とか似合いそうだな~。

 田村麻呂は舞台の奥に向かって崖落ち。この作品、まず衣装が全体的に中華ファンタジーふう(冒頭で出て来た立烏帽子党も錦衣衛みたい)である上に、田村麻呂とアテルイの関係が、どう見ても「ブロマンス」なのである。そこに「崖落ち」が来たので、にやにやしてしまった。これは生きているだろうと思ったら、案の定、田村麻呂は、鈴鹿という娘に助けられる。鈴鹿はかつてアラハバキの神の怒りに触れ、アテルイという青年から引き離されて、隠れ里でひっそり暮らしていた。ではあの立烏帽子は? そこに稀継の兵が踏み込み、鈴鹿は殺害される。

 田村麻呂は、蝦夷と帝軍の戦場に戻り、全軍の兵士に稀継の陰謀を暴露し、アテルイに和睦を勧める。正体を現した立烏帽子は、東北の大地の化身であるアラハバキの神で、アテルイに戦いの継続を迫るが、アテルイは和睦を選ぶ。しかし京に戻った稀継と、田村麻呂の姉・御霊御前は、田村麻呂の嘆願を聞き入れず、アテルイを死刑に処する。いったんは処刑場を逃れたアテルイだが、田村麻呂と剣を交え、その刃の下に倒れる。

 アテルイ(染五郎→幸四郎→現・松本白鸚)と田村麻呂(中村勘九郎)が、ともに青年の純粋さを体現していて、とにかくいいのだ。スピーディで切れ味のよい殺陣には惚れ惚れした。先だって、中国の春節晩会をネットで見ていて、こういう総合舞台芸術って、日本では見る機会がないなあと思っていたのだが、いやいや歌舞伎があったのを忘れていた。あと、パンクな髪型で蝦夷と帝軍を右往左往し、軽蔑と笑いを誘いながら、最後は見事な最期を遂げる蛮甲(バンコー、片岡亀蔵)も面白かった。妻のクマ子(クマの着ぐるみ)を演じていたのは誰w

 物語的にスゴイと思ったのは、アテルイが必死に会うことを望んだ帝の玉座がもぬけの空だったこと。御霊御前は平然と、見える人には見えるのです、とうそぶく。ドラマとしての面白さをとことん追求しながら、同時にかなり強烈な政治的メッセージも感じられる。2000年代の初頭だから作れた作品かなあ、とも思ったが、最近の演劇を知らないので間違っているかもしれない。

 あらためて、アテルイ、田村麻呂の伝説を調べていたら、鈴鹿山の女神である鈴鹿御前は、悪路王アテルイの妻とも、坂上田村麻呂の妻とも言われているのだな。鈴鹿山の立烏帽子という盗賊の話は『宝物集』にあり、『保元物語』にも登場する。アラハバキは、記紀神話には登場しない謎の神だという。本作では、大和朝廷と蝦夷を単純な善悪の構図とせず、蝦夷の神・アラハバキも、人間に理不尽を強いる存在として描かれているのもよかった。そういう深みもあるのだが、誰か日本発のブロマンス古装劇としてリメイクしてくれないかな…。

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原作改変の二作品/文楽・平家女護島、伊達娘恋緋鹿子

2024-01-15 21:23:05 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和6年初春文楽公演 第3部(2024年1月6日、17:30~)

 2年ぶりに初春文楽公演を見た。大阪で見る文楽、特に初春公演は格別。いつものお供え餅とにらみ鯛。

 大凧の「辰」の揮毫は、京都・壬生寺の松浦俊昭貫主による。そういえば、12月に同劇場で壬生狂言の公演があったのだ。壬生狂言、見たことがないので一度見たいと思っている。

・『平家女護島(へいけにょごのしま)・鬼界が島の段』

 名作なので何度か見ている。前回は2018年の初春公演で、俊寛僧都は今回と同じ玉男さんだった。前回の記憶は曖昧だが、舞台に登場した俊寛のたたずまいにすぐに引き込まれた。11月の文楽公演のプログラムに玉男さんのインタビューが掲載されていて、聞き手が「近年ますます、初代玉男師匠に似てこられたように感じます」と話を向けていたのを思い出した。端正で静かな威厳を感じさせる雰囲気が、確かに初代の想わせて嬉しかった。床は織太夫と燕三で、私の推しコンビ。

 鬼界が島に流された三人の罪人、俊寛、康頼、成経。高校の古文で習った『平家物語』では、俊寛以外の二人の名前が記された赦免状が届き、残された俊寛は足摺りして悲憤慷慨するという物語だった。文楽では、清盛の赦免状には二人の名前しかないが、重盛の添え状によって、三人とも乗船を許される(さすが、情に厚い小松内大臣)。しかし成経が夫婦の契りを結んだ海女の千鳥は乗船を許されない。千鳥を娘のように慈しみ、自分を父親と思ってほしいと言ってきた俊寛は苦悩する。決定打となるのは、京で自分を待っていると思っていた妻のあづまやが清盛に背いて自害したと知らされたこと。妻のいない京へ帰る意味を失った俊寛は、自分の代わりに千鳥を連れていってほしいと懇願する。使者の瀬尾が拒絶すると、瀬尾を斬り殺し、罪を重ねた自分は京へは帰れないと主張する。そして人々を乗せた船が俊寛ひとりを残して去っていくと「思い切っても凡夫心」で岩に登り、松の木を掴んで立ち尽くす。

 俊寛の行動が、正義感や功名心でなく、若い成経・千鳥夫妻への情愛や、愛妻を亡くした絶望で決まっていくのがとてもおもしろい。江戸時代の人々にとっては、そのほうがリアルで共感を寄せやすかったのだろう。

・『伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)・八百屋内の段/火の見櫓の段』

 この作品は、たとえば甲斐荘楠音が絵に描いていたり、おおむかし(1980年代)薬師丸ひろ子が人形振りでお七を演じるCMがあったり、それなりに有名だと思うのだが、私は一度も上演を見たことがなかった。今回は、どうしてもこの演目が見たくて第3部を選んだ。

 しかしこれも西鶴の『好色五人女』とはずいぶん異なる味付けになっていた。お七は吉祥院の小姓・吉三郎と恋仲だったが、吉三郎の主人・左門之助は殿から預かった「天国(あまくに)之剣」を紛失してしまい、明日の明け方には主従とも切腹を決めていた。お七は借金のかたに親に定められた嫁ぎ先・武兵衛が天国之剣を持っていることを知り、これを盗み出す。心は急くが、すでに町々の木戸は鎖されていた。そこでお七は火の見櫓に登って偽りの鐘を打ち、木戸を開けさせて、吉三郎のもとへ急ぐ。

 偽りの鐘を打てば火炙りになることは承知の上、とお七の一途な心情が描写されているが、「恋人に会いたくて放火を犯してしまう」という、善悪を突き抜けた恋の強烈さはなくなって、恋人とその主君を救う貞女ものになってしまっている。え~舞台正面から這うように櫓に登るお七の振り付け(櫓の裏側から人形を遣う)はとても面白いのに、通俗道徳的な物語はちょっと残念だなあ、と思った。

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浅はかさといじらしさ/文楽・冥途の飛脚

2023-11-27 21:49:01 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和5年11月文楽公演 第3部(2023年11月8日、17:45~)

・近松門左衛門三〇〇回忌『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』

 今秋の大阪公演は行かれないかな、と思っていたのだが、直前に調整をつけて、見に行くことにした。直前でも席が余っていたので心配したが、まあまあ後ろのほうまで埋まっていたように思う。近松門左衛門(1653-1725)三〇〇回忌の今年、春に『曽根崎心中』、秋に『冥途の飛脚』を見ることができて嬉しい。

 私は、学生時代に『曽根崎心中』で文楽の面白さを知ったが、年齢を重ねるにつれ、一番好きなのは『冥途の飛脚』になってきた。忠兵衛は、救いようもなく浅はかなのに、なぜあんなにいじらしいのだろう。忠兵衛を囲む人々は、みな道理をわきまえた大人である。息子の嘘に騙される母親も、忠兵衛の行く末を案じて遊女たちに言いつけに来る八右衛門も、自由のない身の不幸を嘆きつつ、じっと耐える梅川も。けれども、その予定調和の世界を踏み破って、梅川をさらって破滅に突き進んでいくのが忠兵衛である。

 人形は忠兵衛を勘十郎さん。私は2021年2月にも勘十郎さんの忠兵衛を見ていて「封印切の場面では、切るぞ切るぞという気構えが外に現われ過ぎな感じもする」と感想を書いているが、今回は全くそんな雰囲気はなかった。近年の勘十郎さんは、どんな配役でも、すっかり気配を消してしまうようになられた。ちなみに私は、2017年2月に玉男さんでも見ていて、玉男さんの忠兵衛、また見せてくれないかな、と思っている。

 本公演のプログラム冊子「技芸員にきく」は、吉田玉男さんへのインタビューで、聞き手の坂東亜矢子さんが「近年ますます、初代玉男師匠に似てこられたように感じます」と話を向けている。玉男さんが「これから、師匠が遣われた役はもちろん、なさっていない役にも新たに挑戦したいと思っています」と応じていらっしゃるのが興味深い。初代玉男師匠が遣っていない役って、何があるのだろう。

 床は、淡路町が安定の織太夫と燕三。織太夫さんの語りを聞いていると、あまりにも気持ちよくて、自分も声を出したくなってしまう。封印切が千歳太夫と富助。床の脇に控えていた若手の太夫さんは誰だっけな? むかし千歳太夫さんが床の脇に控えていたのを覚えているので、世代が一回りしたことを感じて、しみじみしてしまった。

 国立文楽劇場、飲食について検索すると「劇場内にレストラン、またお弁当の販売は有りません」という古い記事が上がってきてしまうが、お弁当の販売は復活していた。次回は劇場でいただこう。

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アイスショー"Carnival on Ice 2023"

2023-10-09 21:24:34 | 行ったもの2(講演・公演)

Carnival on Ice (カーニバル・オン・アイス)2023(2023年10月7日、18:30~、さいたまスーパーアリーナ)

 今年の三連休は遠出の予定がなかったので、直前に流れてきた広告を見て、衝動的にチケットを取ってしまった。COIは何度か見に来たことがあると思って記録を探ったら、2010年、2011年、2015年に観戦していた。8年ぶりか~さいたまアリーナへのアクセスもすっかり忘れていた。

 出演者は、宇野昌磨、島田高志郎、友野一希、坂本花織、宮原知子、吉田陽菜、りくりゅう(三浦璃来&木原龍一)、吉田唄菜&森田真沙也、イリア・マリニン、ジェイソン・ブラウン、ケヴィン・エイモズ、モリス・クヴィテラシヴィリ、イザボー・レヴィト、マライア・ベル、ルナ・ヘンドリックス、キミー・レポンド、パパシゼ(パパダキス&シズロン)。そして、ちょっと別格な感じのステファン・ランビエル、荒川静香。注目の若手、現役バリバリ、レジェンドがバランスよく揃っていたので、これは見に行って損はないと判断し、その判断は間違っていなかったと思う。

 圧巻だったのは、前半最後のコラボプロ、ステファン、知子ちゃん、静香さんによる「ミス・サイゴン」。2022年のFOI(フレンズ・オン・アイス)で演じたプロの再演だという。噂には聞いていたけど、見ていなかったのでありがとうございます。フィギュアスケートの名プログラムって、伝統芸能みたいに何度でも再演してほしいし、別のスケーターに受け継がれてもいいと思う。はじめはステファンと知子ちゃんが登場。リフトもあり、スピンの共演もあり、アイスダンスみたいだった。それから二人が下がったあと、若草(若竹?)色のコスチュームの荒川静香さんが登場、パッショネイトなソロパート。再び二人が登場し、爆撃音の中、知子ちゃんと静香さんが氷の上に倒れるフィナーレ。だったかな? いろいろなメッセージがストレートに伝わってきて泣けた。

 その知子ちゃん、後半には全身ショッキングピンクのパンツルックで登場し、キュートに踊りまくってくれた。プリンスの「It's About That Walk」という曲だそう。この振り幅、素晴らしい。ステファンの「Simple Song」、パパシゼの長机プロ(今回は机でなく黒い布で覆った長箱)は、今年のFaOIの再演だったが、どちらも好きなプロなので、得をした気分だった。3階席ならではの見応えというか、氷上に身体を倒したステファンの妖艶なこと。現役選手たちの、高難度ジャンプを次々跳びまくるプロももちろん凄いのだが、私の見たいのは、そっちじゃないんだなあ…ということをあらためて感じてしまった。

 なお、ゲストアーティスト(EXILE TAKAHIRO、ハラミちゃん)が突如追加されたり、当日に座席の振替があったり、運営にはやや混乱した印象があった。一方で、コアなスケートファンでない観客を呼び込もうという努力は買う。今回、周りに男性客を複数見かけて新鮮な感じがした。

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初代国立劇場の思い出

2023-09-04 21:27:02 | 行ったもの2(講演・公演)

  半蔵門の国立劇場が、老朽化に伴う建て替え工事のため、2023年10月で「閉場」することになった。いまの劇場は1966年11月に開場したものだという。

 私が初めて国立劇場に入ったのは、高校生のときだ。高校1年生のときに歌舞伎教室で『俊寛』を見て、高校2年生のときに文楽教室で『伊賀越道中双六』を見た。歌舞伎はわりあい面白かったが、文楽は全く面白くなくて、実はずっと演目を忘れていた。馬が出てきた記憶だけはあり、塩原太助ものか?などと思っていたが、文化デジタルライブラリーの「公演記録を調べる」で検索したら、どうやら『伊賀越道中双六』らしい。高校生には地味すぎて退屈だった。

 しかし、大学院生時代に「文楽を見たい」という留学生に付き合って『近江源氏先陣館』を見たら面白くて、文楽ファンになってしまった。以後、ちょっと間遠になった時期もあったけれど、だいたい年1回くらいは文楽を見に通ってきた。舞楽や声明、民俗芸能、わずかながら歌舞伎公演を見たこともあるが、圧倒的に大劇場より小劇場に足を運んだ回数のほうが多い。

 学生時代は平日に来ることができたので、席を選ばなければ当日券で入ることができた。当時は、芝居見物とはそういうものだと思っていた。いま思い出したのだが、一度だけ、劇場に来てみたら満員御礼で呆然としていたら、知らない人に「余っているから」と券を譲ってもらったことがあったように思う。

 国立劇場は2階に大きな食堂があり、3階に喫茶室があって、カレーとスパゲティミートソースとそば・うどんなどが食べられた。確か初期の頃は、国会図書館の喫茶室と同じ業者で「MORE(モア)」という名前だったと思う。私は3階の愛用者で、幕間にずいぶんお世話になった。よく通る声のマスター、どこかでお元気にされているかしら。

 国立劇場へのアクセスは、半蔵門駅を利用することが多かった。なので、国立劇場の正面を見た記憶はほとんどなく、思い浮かぶのは、裏門の風景ばかりである。

 直線だけで構成された無駄のないデザイン、特に校倉造りを模した壁面はとても美しい。建て替えで、これ以上の建物ができるとはとても思えない。どうして、この芸術的な建物を「建て替え」なければならないのか、理解に苦しむところである。やっぱり、ホテルやレストランをつくって収益性を上げるため?

 それから、国立劇場のロビーは、大劇場も小劇場もさまざまな絵画や彫刻作品で飾られている。小劇場は文楽にちなんだ作品が多く、私が好きだったのは森田曠平による『ひらがな盛衰記(笹引の段)』。腰元お筆を遣うのは文雀さん。平成元年(1989)の作である。新しい劇場にも、どうかこれらの作品がきちんと引き継がれますように。

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(たぶん)さよなら初代国立劇場/文楽・寿式三番叟、菅原伝授手習鑑

2023-09-03 11:40:57 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 人形浄瑠璃文楽 令和5年8・9月公演 第2部(2023年9月2日、15:00~)

 建て替えに伴う「初代国立劇場さよなら特別公演」。2022年の9月公演からこのカンムリが付いていたので、慌てて見に行ったら、休館はまだ先と分かって拍子抜けしたが、いよいよ文楽は、今期が本当の「さよなら公演」になるはずである。演目は、第1部と第2部が『菅原』の通し。第3部が人気の『曽根崎心中』。私は『寿式三番叟』のおまけつきの第2部を選んだが、これがとんでもなく贅沢なおまけだった。

・『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』

 私の席は下手の端で、床(ゆか)から遠かったが、開演前、ずらり並んだ三味線の数で、これが「特別公演」であることが感じられた。プログラムの記載に従えば、鶴澤燕三、鶴澤藤蔵、野澤勝平、鶴澤清志郎、野澤錦吾、鶴澤燕二郎、鶴澤清方の7名。太夫さんは、プログラムだと、翁・豊竹咲太夫、千歳・豊竹呂太夫、三番叟・竹本錣太夫と千歳太夫、ほかに豊竹咲寿太夫、竹本聖太夫、竹本文字栄太夫となっているが、実際は、翁・咲太夫、千歳・錣太夫、三番叟・千歳太夫と織太夫だったと記憶する。1つの舞台で、このメンバーの声の聴き比べができるなんて、普通ありえない。すごい! みんな質の異なる美声である。咲太夫さん、舞台と床の間から出ていらしたとき、遠目に分からなかったが、声を聴いたら私の知っている咲太夫さんで安心した。人形は、千歳を桐竹紋臣、荘重な舞を舞う翁を桐竹勘十郎。かなり激しい動き(体力がないとできない)の三番叟を吉田玉勢と吉田蓑紫郎。華やかでめでたくて、楽しかった。

・『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・北嵯峨の段/寺入りの段/寺子屋の段/大内天変の段』

 以前にも書いたことがあるが、私は小学生のとき、家にあった「少年少女世界の名作文学全集」の日本編でこの「寺子屋」の物語を読んだ記憶がある。同じ全集には秋成の「白峯」や「菊花の契」なども入っていて、なんというか名作(古典)というのは、いまの感覚とはずいぶん違うところがあるのだな、というのを子供ながらに学んだ気がする。

 「北嵯峨の段」は、菅丞相の御台所が隠れ住む山里に、時平の家来たちが現れる。八重(桜丸の妻)は奮戦むなしく命を落とし、御台所も絶対絶命と思われたところ、謎の山伏が時平の家来たちを蹴散らし、御台所を連れて去る(全編の筋を知っていると、山伏の正体は松王丸だなと想像がつく)。

 そして武部源蔵夫婦の家を舞台にした「寺入り」「寺子屋」。ものすごい悲劇なんだけど、無邪気な子供たちの様子が緊張の緩和剤になっていて、何度も笑いが起こる。吉田蓑二郎の女房千代は凛として美しかったし、吉田玉助の松王丸は(我が子の最期の様子を聴いたときの動揺と悲しみなど)現代人にもある程度納得できて、感情移入がしやすかった。「寺子屋」の切は呂太夫さん。むやみに声を張るタイプではなく、静かに語り始めるのだが、いつの間にか物語に没入させられる。

 「大内天変の段」はたぶん初めて見た。文楽の狂言にありがちな、最後は無理矢理めでたしめでたしで収めるヤツ。この夏、根津美術館に展示されていた『北野天神縁起絵巻』を思い出した。清涼殿落雷事件に巻き込まれたのは藤原清貫(即死)や平希世(重傷)なのだが、狂言では、死んだのは三善清行(きよつら)になっていて、清行、ちょっと可哀想。時平の両耳から二匹の蛇が現れる場面は、多くの絵巻で描き継がれているが、桜丸夫婦の亡霊ということになるのか。なるほど、なるほど。こういう古い伝説の焼き直し(二次創作)、巧いなあと感心する。

 本公演のプログラム冊子には、山川静夫(元NHKアナウンサー)が「ありがとう、国立小劇場」と題して寄稿し、初代吉田玉男と吉田蓑助の舞台の思い出などが語っている。児玉竜一氏の「初代国立劇場の文楽公演」は「第4回 二十一世紀の文楽」で、私の記憶にも残る新しい話題(テンペストや不破留寿之太夫の新作公演、大阪市の補助金問題、等々)が書かれており、興味深かった。これ、貴重な記録なので、第1回(令和4年12月公演)から全てどこかにアーカイブして、できればオープンアクセスにしてほしいなあ…。

 久しぶりにぎっしり埋まった客席で嬉しかった。まだチケットが取れるなら、ぜひ1人でも多くの方に見てほしい。話題の『文楽名鑑2023』も購入! 忘れるところだったが、隣りの席のお姉さんが幕間に読んでいたので思い出した。

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