オランダ国王・王妃ご夫妻が来日中、「万世一系」論を欧州に知らせたケンペルの著書「日本誌」を思い出す

2014年10月31日 02時54分34秒 | 政治
◆国賓として来日したオランダのウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ王妃ご夫妻を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐会が10月29日夜、皇居・宮殿で開かれた。晩餐会には、療養中の皇太子妃雅子さまも2003年10月のメキシコ大統領夫妻の時以来、11年ぶりに出席され、国民の多くをホッとさせたに違いない。王妃と皇太子妃雅子さまが、オランダのナショナルカラー「オレンジ」の衣装をお召しになっていたのは、「心の結びつき」を感じさせて微笑ましかった。
 日本の皇室の起源は、紀元前660年~500年ごろと言われ、天皇陛下は第125代、世界最古の王朝である。これに対してオランダの現王朝オラニエ=ナッサウ家(女系容認)
の起源は1815年で、古さは世界7位。ウィレム・アレクサンダー国王は第6代である。
 オランダ船デ・リーフデ(博愛)号が1600年、大分県・臼杵湾に漂着した。いまから414年前のことである。1903年に江戸幕府を開き、初代将軍となる徳川家康が、このオランダ船を招き入れ、乗組員のヤン・ヨーステンらに幕府相談役の地位を与え、航海術を学び、西洋諸国に関する情報を集めた。デ・リーフデ(博愛)号は1598年、日本を目指して、出港した。スペイン、ポルトガル、英国など欧州諸国が、金、銀、香辛料などを求めて新大陸を探し続けていた大航海時代であった。幕府は1609年に朱印状を発行し、長崎・平戸にオランダ商館を設置、両国の本格的な通商関係が始まった、とされている。1637年の島原の乱以後、江戸幕府はカソリック系キリスト教を弾圧し、鎖国に踏み切る。しかし、プロテスタント系キリスト教のオランダ人にとって、布教は目的ではなかったため、日本とオランダの交流は、その後も200年以上にわたって続いた。日本は1858年、オランダと修好通商条約を締結している。それから156年になる。
◆オランダと言えば、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(1796年2月17日 ~1866年10月18日)が有名だが、実は、ドイツの医師・博物学者。1826年4月には162回目にあたるオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行、1826年には将軍徳川家斉に謁見した。日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネをもうける。1828年に帰国する際、先発した船が難破し、積荷の多くが海中に流出して一部は日本の浜に流れ着いた。その積荷の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、国外追放処分となる。世にいう「シーボルト事件」である。
 1830年、オランダに帰着し、翌年には蘭領東印度陸軍参謀部付となり、日本関係事務の嘱託となり、オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本』(日本、日本とその隣国及び保護国蝦夷南千島樺太、朝鮮琉球諸島記述記録集)を随時刊行している。
 もう1人、忘れてはならないのが、エンゲルベルト・ケンペル(1651年9月16日~ 1716年11月2日)である。ドイツ北部レムゴー出身の医師・博物学者。欧州で日本を初めて体系的に記述した「日本誌」の原著者として知られている。
 スウェーデン国王カール11世がロシア・ツァーリ国(モスクワ大公国)とペルシアのサファヴィー朝に派遣する使節団に医師兼秘書として随行、ケンペルの地球を半周する大旅行はここに始まる。ケンペルは使節団とイランで20か月を過ごし、さらに見聞を広めてペルシアやオスマン帝国の風俗、行政組織についての記録を残し、最初にペルセポリスの遺跡について記録した欧州人の一人でもある。ケンペルはシャム(タイ)を経由して日本に渡り、1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在。1691年(元禄4年)と1692年(元禄5年)に連続して、江戸参府を経験し将軍・徳川綱吉にも謁見、江戸城で西洋のダンスを披露する。帰国後、「日本誌」を著す情報源となっている。
 1690年(元禄3年)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島に滞在した。1691年(元禄4年)と1692年(元禄5年)に連続して、江戸参府を経験し将軍・徳川綱吉にも謁見した。滞日中、オランダ語通訳・今村源右衛門の協力を得て精力的に資料を収集した。帰国後、著書「日本誌」の草稿である「今日の日本」執筆中の1716年11月2日、死去した。
 ケンペルは著書のなかで、日本には、聖職的皇帝(=天皇)と世俗的皇帝(=将軍)の「二人の支配者」がいると紹介、「宗教的世襲皇帝の王朝は、キリスト以前の六六〇年がその始まりである。…この年からキリスト紀元一六九三年にいたるあいだ、すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝たちがあいついで日本の帝位についた。彼らは、日本人の国のもっとも神聖な創健者である『テンショウダイシン』(天照大神、あまてらすおおみかみ)の一族の最古の分枝であり、彼の最初に生まれた皇子の直系である等々のことを、きわめて誇りに思っている」と書き、エンゲルベルト・ケンペルの「万世一系」論として知られている。また、歴代天皇の名前と略伝を日本語の文献に登場する通りに列記している。なお、ケンペルは、「大日本史」を編纂中であった水戸徳川家当主の徳川光圀とも交流していたという。
【参考引用】読売新聞YOMIURIONLINEが10月29日午後1時13分、「オランダ国王夫妻迎え宮中晩餐会…雅子さま出席」という見出しをつけて、以下のように配信した。
国賓として来日したオランダのウィレム・アレクサンダー国王夫妻を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐会(ばんさんかい)が29日夜、皇居・宮殿で開かれた。国王は、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜となったオランダ人が受けた傷痕は今も残るとする一方、「両国の多くの国民が和解の実現に向け全力を尽くし、新しい信頼関係が生まれました」とあいさつ。晩餐会には、療養中の皇太子妃雅子さまも2003年10月のメキシコ大統領夫妻の時以来、11年ぶりに出席された。晩餐会で天皇陛下は、「長きにわたって培われた両国間の友好関係が、先の戦争によって損なわれたことは誠に不幸なこと」とした上で、「私どもはこれを記憶から消し去ることなく、二国間の親善に更なる心を尽くしていきたい」とスピーチされた。これに対し、国王は「戦争の犠牲者の悲しみは今も続いている」と指摘。日本国民が戦争で受けた苦しみにも触れ、「和解の土台となるのは互いに背負ってきた苦痛を認識すること」と英語でスピーチした。陛下と国王は4世紀にわたる両国の深い交流の歴史にも触れ、笑顔で杯を交わされた。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
世界各国で若者をリクルートし、戦闘員としてイスラム国に送り込んでいる最大のスポンサーの正体判明!

◆〔特別情報①〕
 イラクとシリアで活動するサラフィー・ジハード主義組織「イスラーム国」(2014年6月29日、カリフ制イスラーム国家の樹立を宣言)の兵力が、どんどん膨れ上がってきているという。世界80か国から集まっている戦闘員は、1万5000人の(このうち約6300人はイスラム国の建国を宣言してからの加入者=新規参加者のうち大半はシリア人)と言われているのに対して、米CIAは、2万人から3万1500人に上ると推定している。ところが、ここにきて、世界各国で若者を集めてリクルートし、戦闘員としてイスラム国に送り込んでいる最大のスポンサーの正体判明してきた。一体、何者なのか。また、目的は何なのか。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からのアクセスはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話から有料ブログへのご登録

「板垣英憲情報局」はメルマガ(有料)での配信もしております。
お申し込みはこちら↓


blogosでも配信しております。お申し込みはこちら↓


板垣英憲マスコミ事務所からも配信しております。
お申し込みフォーム

にほんブログ村 政治ブログへ



第35回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成26年11月9日 (日)
「黒田官兵衛と孫子の兵法」
~秦ファミリーの秘密がいま明らかになる


◆新刊のご案内◆

「地球連邦政府樹立へのカウントダウン!
縄文八咫烏直系!
吉備太秦と世界の
ロイヤルファミリーはこう動く」

著者:板垣 英憲
超★はらはらシリーズ044
☆2014年9月下旬発売予定☆
◎ 日本が危機に直面した時、かならず背後から天皇家を支えてきた縄文八咫烏(じょうもんやたがらす)直系の吉備太秦(きびのうずまさ)(=秦ファミリー)がついにその姿を現した!今この世界を道案内するためにー...
詳細はこちら→ヒカルランド

中国4分割と韓国消滅
ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン
金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる
著者:板垣 英憲
超★はらはらシリーズ040
☆絶賛発売中☆

詳細はこちら→ヒカルランド


 こちらも好評発売中 「ロスチャイルドの世界派遣奪還で日本の《政治・経済権力機構》はこうなる」(ヒカルランド刊)
 ■NEW司令系統で読み解くこの国のゆくえ―新帝王に小沢一郎が指名され、旧ロックフェラー派は大粛清、しかし日本は消費増税分の大半を上納しなければならない

詳細はこちら→ヒカルランド

**********板垣英憲『勉強会』の講演録DVD販売********
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会
9月開催の勉強会がDVDになりました。
 「マッキンダーの『地政学』がいま蘇る~プーチン大統領は『ハートランド』を支配し、世界を支配するのか」
その他過去の勉強会もご用意しております。遠方でなかなか参加できない方など、ぜひご利用下さい。
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会

【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】




『スラスラ書ける作文・小論文』(1996年4月20日刊)

目次

3章 文章構成の極意
2 四本の柱か立てば、半ば完成


 課題を見たらすぐ書き始めるようなことはせず、必ずI〇分は「論旨」と「構成」について考案してみる。それにはまず、問題用紙の余白などに「一、二、三、四、」と番号を古く。間隔はなるべく大きくとる。ただし番号は、四つまでである。それ以上は書かない。いや、書いてはならない。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からのアクセスこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

※ご購読期間中は、以下過去の掲載本全てがお読み頂けます。


『目を覚ませ!財界人』(1995年9月25日刊)
『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日(1998年4月5日刊)
『誠』の経営学~『新撰組』の精神と行動の美学をビジネスに生かす
『忠臣蔵』が語る組織の勝つ成果Q&A
『風林火山』兵法に学ぶ経営学~人は石垣、人は城
『未来への挑戦「坂本龍馬」に学ぶ経営学』
『人生の達人~心に残る名言・遺訓・格言』(2000年6月11日刊)
『細川家の大陰謀~六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊(2000年6月11日刊)
『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』(2010年1月20日)
『内務省が復活する日』(1995年10月25日刊)
『情報流出のカラクリと管理術』(2003年3月10日刊)
『利権はこうしてつくられる』(1991年3月25日刊)
「『族』の研究~政・官・財を牛耳る政界実力者集団の群像」(1987年3月9日刊)
『愛する者へ遺した最期のことば』(1995年6月10日刊)
『自民党選挙の秘密』(1987年12月15日刊)
『小中学校の教科書が教えない 日の丸君が代の歴史』(1999年7月8日刊)
『大蔵・日銀と闇将軍~疑惑の全貌を暴く』(1995年5月26日刊)
『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日)
『小沢一郎の時代』(1996年2月6日刊 同文書院刊)
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日)
『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日)
『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日)
『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日)
『民主党政変 政界大再編』(2010年5月6日)
『国際金融資本の罠に嵌った日本』(1999年6月25日刊)
『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』(2006年11月刊)
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」(2007年7月刊)


板垣英憲マスコミ事務所
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする