野田佳彦首相が、中国からの理不尽な対日非難に対し、反転攻勢へ、靖国神社の秋の例大祭にも堂々参拝か

2012年10月04日 00時59分55秒 | 政治
◆中国共産党1党独裁の北京政府が、理不尽な「官製反日デモ・暴動」「領海侵犯」「国連での下品な反日演説」などを続けている不穏な情勢下、日本国民の意識が「右旋回」している。このなかで、埼玉新聞が10月3日付け朝刊「3面=第3総合面」で「揺れる日中韓」-「中国の対日非難に攻勢 野田政権が方針転換」という見出しをつけて、以下のように報じた。
 「沖縄県・尖閣諸島の国有化を受け対日非難を強め中国に対し、野田政権が反転攻勢に出た。中国の言動を受け流す従来方針を転換し、国際社会に『中国側の主張には論拠がない』(外務省)と真正面から向き合う戦術を取る。『日本が釣魚島(尖閣の中国名)を盗んだ』とする中国の訴えに各国が耳を傾ければ、日本が厳しい立場に立たされるのは必至。双方の主権とメンツを懸けた争いが火ぶたを切った」
 これまで何かと中国1党独裁の北京政府に気遣い、機嫌を損なわないように下手に出て、「土下座外交」を続けてきた「媚中外交」を止めて、堂々と渡り合おうというものだ。「下手に出れば、調子に乗って、好き勝手なことばかり言って、圧力をかけてくる。もういい加減にしろ」と堪忍袋の緒が切れたのである。
◆確かに、野田佳彦首相は、終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝する意向を示していたが、北京政府や韓国政府からの反発を気遣い、思いとどまった。
 しかし、これだけの配慮をしてきたにもかかわらず、「尖閣諸島国有化閣議決定」(9月11日)の途端、丸で半狂乱になって、「官製の反日デモ・暴動」「領海侵犯」を繰り返しているうえに、今度は、国連総会の場で日本を「ドロボー呼ばわり」するなど、下品な演説をしたのである。
 さらに、日中国交樹立40周年記念式典など数々の祝賀行事をキャンセルしてしまっている。野田佳彦首相の周辺では「そこまでやるか」と怒り心頭である。
 こうなると、野田佳彦政権としても、北京政府に何も遠慮することはない。いちいち気を使って、ヘイコラする必要はもはやなくなった。
◆そこで、野田佳彦首相は、信念に従って、「靖国神社の秋の例大祭」に参拝したらよい。
春秋に執り行われる例大祭は、靖国神社にとって最も重要な祭事である。
 秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間催される。期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行される。
 靖国神社によると「春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。当日祭後は、第二日祭、第三日祭と当日祭同様の祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われます。秋季例大祭の斎行にあたり奉祝行事として献茶式、草鹿式が行われるほか、例大祭期間中、境内では各種奉納芸能、特別献華展、奉納菊花展などが催されます」という。
◆大東亜戦争・太平洋戦争後、靖國神社参拝した歴代首相は、以下の通りである。
東久邇宮稔彦王(1回、1945年8月18日)
幣原喜重郎(2回、1945年10月23日、1945年11月20日)
吉田茂(5回、1951年10月18日、1952年10月17日、1953年4月23日、1953年10月24日、1954年4月24日)
岸信介(2回、1957年4月24日、1958年10月21日)
 池田勇人(5回、1960年10月10日、1961年6月18日、1961年11月15日、1962年11月4日、1963年9月22日)
佐藤栄作(11回、1965年4月21日、1966年4月21日、1967年4月22日、1968年4月23日、1969年4月22日、1969年10月18日、1970年4月22日、1970年10月17日、1971年4月22日、1971年10月19日、1972年4月22日)
田中角栄(5回、1972年7月8日、1973年4月23日、1973年10月18日、1974年4月23日、1974年10月19日)
 三木武夫(3回、1975年4月22日、1975年8月15日、1976年10月18日)
 福田赳夫(4回、1977年4月21日、1978年4月21日、1978年8月15日、1978年10月18日)
 大平正芳(3回、1979年4月21日、1979年10月18日、1980年4月21日)
鈴木善幸(9回、1980年8月15日、 1980年10月18日、 1980年11月21日、 1981年4月21日、 1981年8月15日、 1981年10月17日、 1982年4月21日、 1982年8月15日、 1982年10月18日
 中曽根康弘(10回=公式参拝、1983年4月21日、 1983年8月15日、1983年10月18日、 1984年1月5日、 1984年4月21日、 1984年8月15日、1984年10月18日、 1985年1月21日、1985年4月22日、1985年8月15日)―1986年8月15日の参拝は中止。(中国での製鉄所建設プロジェクト獲得を優先したのが理由)
橋本龍太郎(1回、1996年7月29日)
小泉純一郎(6回、2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日、2005年10月17日、2006年8月15日)
なお、安倍晋三は2007年4月21から23日までの靖国神社で行われた春季例大祭に際して参拝の意向について明言を避けていたけれど、前もって内閣総理大臣名で供え物をしたことを記者会見で明らかにした。
 以後、歴代首相は、靖国神社に参拝していない。

※Yahoo!ニュース個人


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本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
鳩山由紀夫元首相を引き摺り下ろした後、「最低でも県へ」と叫ぶ首相が不在、石破茂幹事長は、普天間飛行場を「鳥取県大山麓に移設先」と叫ぶべきだ

◆〔特別情報①〕
 いまの沖縄県民の不幸は、どこからきているのか。もちろん、それは、日本列島における駐留米軍基地の73%が沖縄に押し付けられているところにあるのは、言うまでもない。だが、この現状を少しでも打破しようとする政治家が、皆無に近いことも、不幸の元凶である。それも沖縄県民が、「最低でも圏外へ」と提唱した鳩山由紀夫元首相のような政治家を寄って、たかって、罵倒し、叩きのめして、その挙句、首相の座から引き摺り下ろす結果を招いていることも、不幸を拡大、再生産して、蓄積させている。

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『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日サンガ刊)

目次

第1章 ブッシュ政権の対中国戦略を担うゴールドマン・サックス社 ③

「BRlCs」が一世を風塵する


 ところで、ポールソンがCEO在任中の二〇〇三年十月、インド人女性社員であるルーパ・プルショサーマン(退社)が、ゴールドマン・サックス社の投資家向けのレポートに掲載された「BRICsとともに見る二〇〇五年への道」(Dreaming with BRICs The Path to 2050)と題する解説記事のなかで初めて「BRICs」という戦略用語を使い、一世を風摩することになる。ルーパ一・プルショサーマンは、解説記事のなかで以下のように指摘していた。

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『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日 共栄書房刊)
『民主党政変 政界大再編』2010年5月6日 ごま書房刊
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『政治家の交渉術』2006年5月刊
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「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」2007年7月刊

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