◆今年もまた、「12月8日」がめぐってきた。大東亜戦争開戦から70年、終戦後66年となった。私は1946年8月7日、軍都・広島県呉市の旧海軍工廠(戦後、土地、設備は播磨造船所とNBCが引き継ぐ。呉造船所、石川島播磨重工業=現IHI=呉工場を経て現在はアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場)を眼下に望む宮原通り10丁目で生まれた。坪の内小学校→宮原小学校→宮原中学校で学び、出光の巨大タンカー「ユニバース・アポロ号」などの進水式を目の当たりに見てきた。
「戦争を知らない世代」のはしりなので、呉海軍工廠で建造された「大艦巨砲主義の亡霊」とも言うべき世界最大の「戦艦大和」(起工 1937年11月4日、進水1940年8月8日、就役1941年12月16日、1945年4月7日沈没)は、文字通り「伝説の戦艦」である。建造当時、大和建造ドックは、鉄板の建屋で囲まれ、外壁はムシロで被われ、後背の休山、三峰山の中腹からは、ドックを見下ろせないように人間の背丈より高いコンクリートの塀が作られていた。親戚の者が、その隙間などから呉湾をボンヤリ眺めていたところ、憲兵隊に見つかり、「お前はスパイか」と顔を殴られたというむかし話をしていた。
戦艦大和を目撃したのは、建造に携わった関係者、乗組員、疾走中の雄姿を遠くで見た人、沖縄に向けて海上特攻中の大和を撃沈した米海軍将兵くらいで、当時の日本国民の大半は、見ていない。秘密裏に建造されて、極秘裏に水上特攻に出撃して、国民の知らないうちに海の藻屑にされたという悲劇の戦艦である。
伊藤整一第二艦隊司令長官(戦死後大将)、有賀幸作艦長(同中将)以下2740名が戦死、生存者は269名とも276とも言われている。戦死者のなかには、私の母親(1926年3月2日生まれ)の同級生や近所の知り合いなどが、何人か含まれているという。出撃する直前、「海の藻屑になるよのう」と明るく出かけて行ったまま、やっぱり帰ってこなかったという。
いま、戦艦大和の伝説は、JR呉駅南方の海岸近くにある呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」で10分の1のミニチュアを見ながら、詳しく知ることができる。一種の街起しの材料にされているのだが、ここを訪れた客の大半は、呉駅の北側にある繁華街には、足を運ばせることはなく、赤レンガ通りも、寂れる一方という。
◆毎年12月の歴史物の定番は、「忠臣蔵」と「パールハーバー」だ。雑誌「歴史街道」(pHP研究所)の1月号は、「《総力特集》戦艦大和と武蔵―70年前、日本人は『世界1の戦艦』の建造にこの国の命運と誇りを託した」というテーマに取り組んでいる。このなかでは、「必見!完全カラーで蘇る呉の艤装中の大和の雄姿」は、本当に必見の価値がある。
埼玉新聞社「聯合艦隊司令長官 山本五十六」特別試写会事務局が、「1000名招待」のPRをしていた。特別試写会は12月15日、さいたま市文化センター。当るか否かはわからないけれど、早速応募した。映画のサブタイトルに「太平洋戦争70年目の真実」とあるので、これを記念しているらしい。
朝日新聞は12月7日付け朝刊「オピニオン面」(14面)の「社説」で、「真珠湾70年 危機の時代へ3つの教訓」と題して論説、最後に「米歴史家モリソンが「まさにいまも、強大化する中国の意図をどう見据え、米国との関係をどう構築するのかが、この国のこの国の死活的な問題になっている。戦略的な暴行」と叫んだ真珠湾攻撃から70年の日に、改めて3つの教訓を胸に刻む」と結んでいる。
しかし、朝日新聞社説が言う「3つの教訓」には、「ルーズベルトの陰謀」が、未だに解明されておらず、中国や米国から日本に向けて仕掛けられる「国策」、それに基づく「謀略」に対して、これからいかに対処していくべきかの教訓が明示されていない。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
仮釈放された鈴木宗男前衆院議員が、無罪を信じて「再審請求」を検討、「国策捜査」を主導した最高検次長を務めた伊藤鉄男弁護士と全面対決の事態へ
◆〔特別情報①〕
12月6日、栃木県さくら市内の刑務所から仮釈放された新党大地代表の鈴木宗男前衆院議員が、「再審請求を検討する考え」を示しており、最高検次長を退官している伊藤鉄男弁護士(第一東京弁護士会=2011年登録)と全面対決する事態が生まれてきている。
つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
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たくさんのお申込みをいただき、心より感謝申し上げます。勉強会で読者の皆様とお目にかかれることを楽しみにしております。
板垣英憲マスコミ事務所
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「戦争を知らない世代」のはしりなので、呉海軍工廠で建造された「大艦巨砲主義の亡霊」とも言うべき世界最大の「戦艦大和」(起工 1937年11月4日、進水1940年8月8日、就役1941年12月16日、1945年4月7日沈没)は、文字通り「伝説の戦艦」である。建造当時、大和建造ドックは、鉄板の建屋で囲まれ、外壁はムシロで被われ、後背の休山、三峰山の中腹からは、ドックを見下ろせないように人間の背丈より高いコンクリートの塀が作られていた。親戚の者が、その隙間などから呉湾をボンヤリ眺めていたところ、憲兵隊に見つかり、「お前はスパイか」と顔を殴られたというむかし話をしていた。
戦艦大和を目撃したのは、建造に携わった関係者、乗組員、疾走中の雄姿を遠くで見た人、沖縄に向けて海上特攻中の大和を撃沈した米海軍将兵くらいで、当時の日本国民の大半は、見ていない。秘密裏に建造されて、極秘裏に水上特攻に出撃して、国民の知らないうちに海の藻屑にされたという悲劇の戦艦である。
伊藤整一第二艦隊司令長官(戦死後大将)、有賀幸作艦長(同中将)以下2740名が戦死、生存者は269名とも276とも言われている。戦死者のなかには、私の母親(1926年3月2日生まれ)の同級生や近所の知り合いなどが、何人か含まれているという。出撃する直前、「海の藻屑になるよのう」と明るく出かけて行ったまま、やっぱり帰ってこなかったという。
いま、戦艦大和の伝説は、JR呉駅南方の海岸近くにある呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」で10分の1のミニチュアを見ながら、詳しく知ることができる。一種の街起しの材料にされているのだが、ここを訪れた客の大半は、呉駅の北側にある繁華街には、足を運ばせることはなく、赤レンガ通りも、寂れる一方という。
◆毎年12月の歴史物の定番は、「忠臣蔵」と「パールハーバー」だ。雑誌「歴史街道」(pHP研究所)の1月号は、「《総力特集》戦艦大和と武蔵―70年前、日本人は『世界1の戦艦』の建造にこの国の命運と誇りを託した」というテーマに取り組んでいる。このなかでは、「必見!完全カラーで蘇る呉の艤装中の大和の雄姿」は、本当に必見の価値がある。
埼玉新聞社「聯合艦隊司令長官 山本五十六」特別試写会事務局が、「1000名招待」のPRをしていた。特別試写会は12月15日、さいたま市文化センター。当るか否かはわからないけれど、早速応募した。映画のサブタイトルに「太平洋戦争70年目の真実」とあるので、これを記念しているらしい。
朝日新聞は12月7日付け朝刊「オピニオン面」(14面)の「社説」で、「真珠湾70年 危機の時代へ3つの教訓」と題して論説、最後に「米歴史家モリソンが「まさにいまも、強大化する中国の意図をどう見据え、米国との関係をどう構築するのかが、この国のこの国の死活的な問題になっている。戦略的な暴行」と叫んだ真珠湾攻撃から70年の日に、改めて3つの教訓を胸に刻む」と結んでいる。
しかし、朝日新聞社説が言う「3つの教訓」には、「ルーズベルトの陰謀」が、未だに解明されておらず、中国や米国から日本に向けて仕掛けられる「国策」、それに基づく「謀略」に対して、これからいかに対処していくべきかの教訓が明示されていない。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
仮釈放された鈴木宗男前衆院議員が、無罪を信じて「再審請求」を検討、「国策捜査」を主導した最高検次長を務めた伊藤鉄男弁護士と全面対決の事態へ
◆〔特別情報①〕
12月6日、栃木県さくら市内の刑務所から仮釈放された新党大地代表の鈴木宗男前衆院議員が、「再審請求を検討する考え」を示しており、最高検次長を退官している伊藤鉄男弁護士(第一東京弁護士会=2011年登録)と全面対決する事態が生まれてきている。
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