天皇陛下は「私人」として靖国神社の祭事を司り、政府は「非宗教のメモリアル」を設置を

2006年08月14日 16時41分44秒 | 靖国問題
 靖国神社問題は、報道機関が恒例行事のように取り上げ、唯物史観の中国共産党一党独裁・北京政府や韓国左派政権寄りの報道を相も変わらず展開している。終戦記念日が終われば、何事もなかったように一時的忘却状態になるに決まっているので、考えるのも馬鹿馬鹿しいのだが、馬鹿になって考えて見ることにしよう。
 歴史の原点に立って、1868年の明治維新から、近代国家を目指して「西洋かぶれ」して新しい国家づくりを始めたころに立ち帰ったみれば、靖国神社問題は、極めてシンプルかつ明快に解消できる。                             まず、第15代将軍・徳川慶喜公「大政奉還」により、明治大帝による親政がスタートした。つまり、時代が逆行して、1333年の後醍醐天皇の「新政」、もっと古くは、1192年の鎌倉幕府開幕以前の「天皇」が直接政治を行う体制に戻ったときから、日本の政治は、大きな矛盾を抱えることになったことを忘れてはならないだろう。「脱亜入欧」を指向し、欧米流の近代国家を目指したにもかかわらず、時代錯誤から「大日本帝国」づくりが始められたからである。
 これは、「国家意識」も「国民意識」も持たなかった日本国民を一つにまとめ、中央集権的な統一国家をつくるうえで、やむを得ないことであった。
 近代国家を急いでつくるための「便法」として、「明治天皇」が利用され、統一国家の体裁を整えようとした。国民意識を持った国民は、皆無と言ってよく、取敢えず、天皇に仕える「臣民」をつくった。自由と民主主義を原則とする国家の国民とは似て非なる者がつくられた言ってもよい。
 靖国神社は、この体制の下で、明治2年に「東京招魂社」としてつくられたのであり、「神事」を司る天皇を頂点に仰ぐ、「祭政一致」「政教一致」の政治体制が築かれたのは、いわば当然でもあった。
 もともと、薩摩・長州を主力とする「官軍」の戦死者の霊を祀るところから始まったのが、間違いであった。孝明天皇から錦の御旗を授けられた会津藩や新撰組などが、もともとの「官軍」であったにも関わらず、宮廷クーデターにより得た新たな錦の御旗を掲げて、「官軍」を名乗り、会津藩や新撰組などを「賊軍」として扱ったからである。対外的には、会津藩や新撰組なども日本を夷狄から守るために戦った面があり、「賊軍」のレッテルを貼って、排除すべきではなかった。靖国神社には、もともと一方に偏った面があったのである。
 大東亜戦争に敗戦後、日本国憲法が制定されて、靖国神社が、「政治」から切り離されたときから、政府は、「新しい施設」をつくるべきだった。
 このとき、大東亜戦争の戦死者は、「天皇陛下バンサーイ」と叫んで戦死したのであるから、靖国神社に祀られるのは、当然であった。また、厚生省が、旧陸海軍に代わって、戦死者を特定するために協力する必要から、国家機関が一宗教団体のために関与するのはやむを得なかったと言わざるを得ない。
 さて、ここからが大事である。靖国神社の祭祀や儀式は、神事を司る最高位にある天皇が、「私人」として自ら率先して行うべきであった。これは、天皇陛下が神事に関与できるのは、「私人」としてである。つまり、皇室の奥で行われている「秘事」としての「神事」と同様に、天皇陛下の名において戦死させられた軍人、軍属の霊を天皇陛下自らが慰めるのは、いわば義務と言えるのである。
 一方、政府は、日本国憲法に適合する「メモリアル」をつくるべきであった。この場合、憲法の規定上、「非宗教の施設」とならざるを得ない。フランスが凱旋門に設けている記念碑と同様の施設である。東京駅の丸の内側にある凱旋門あたりが適地であろう。これは「宗教」ではなく、あくまでも人間の「理性」に基づく非宗教施設である。「無宗教」ではない。個々人が「信仰心」を持って、拝むことまでは拒まない。
 日本は、正式な軍隊を持つことを禁止されているのであるから、いまのところ、「戦死者」が出ることは、あり得ない。自衛官や警察官、消防士など「公務遂行中」に「公務死」した人たちの魂を祀り、業績を永遠に湛えるための施設である。
 ここにおいて、日本は初めて、近代国家となり、国民は、まともな国民になることができる。靖国神社の呪いから解放されない限り「臣民」のままである。
 従って、新しい施設に、靖国神社で祀られている戦死者が祀られることはない。天皇が靖国神社で私的に主催する「例大祭」などの祭事に、総理大臣や官房長官らが、「私的」に参拝するのは、自由である。「A級戦犯」云々についても、靖国神社の宗教活動の範囲内にあることであるから、「合祀」しようと「分祀」しようとだれも干渉はできない。いわんや、中国や韓国など外国には、「私的」な存在である靖国神社にだれが祀られていようと、いちゃもんをつける権利はない。
 こうした「立て分け」をしっかり行ってこなかったツケが、戦後61年を経て、回ってきている。政府も国民も怠慢だったと言わざるを得ない。
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