戦争を知らない世代は、大東亜戦争の責任を問われても迷惑である

2006年08月10日 13時25分31秒 | 政治
 戦後直後の1946年8月7日生まれ、正真正銘の「戦争を知らない世代」には、大東亜戦争(太平洋戦争)の責任について問われても、面食らうだけであり、はなはだ迷惑である。
 小生は、軍港・呉で生まれ、砲台跡や防空壕跡、さらに広島の原爆跡地を見て育ったので、戦争というものの惨劇を想像してきたけれど、「日本人としての戦争責任」を感ずるのは不可能と言ってよい。だから、中国や韓国から何度も「謝罪しろ」と言い続けられると、「馬鹿の一つ覚えのように、まだそんなことを言っている」とうんざりするしかない。ましてや「謝罪」を求められても、先輩たちの罪を詫びる気持ちには到底なれない。
 大東亜戦争の責任は、戦争を起こし、協力し、黙認して、敗戦をもたらした世代と中国など被害を受けた国々の同世代の間で、勝手に処理して欲しい。戦後世代にまで責任を問うのは、犯罪者の家族や遺族にまで責任を追及し続けるのと同じことであり、無意味なことである。ましてや「外交問題」にされても、ピンとこないのである。ちなみに、戦争には、してはならない戦争があれば、民族の興亡を賭けて、戦わなければならない戦争(たとえば、日露戦争、日本海海戦、太平洋戦争など)もある。ただし、戦争するからには、勝たねばならない。
 日本の政治家が、靖国神社のあり方について、いろいろ言ったり提言したりしているのも、解せない。政治家である古賀誠衆議院議員が、遺族会会長を務めて、靖国神社に関して見解を述べていること自体、憲法が禁止している「政教分離の原則」に反しないか。靖国神社にだれが参拝しようとしまいと、「信教の自由」から言えばそれこそ、自由である。靖国神社のことは、靖国神社の好きにしてもらうしかない。もういい加減、中国共産党一党独裁の北京政府の「謀略」から目を覚ませと言いたい。
 北京政府の言っていることが、すべて正しいと感じ、そんなに気になり機嫌を損ねてはならないと思う「中国贔屓」の人は、序に「東シナ海」の「ガス田」についても「好き勝手にしなさい」と言ってあげたらどうか。
 それよりも、いま起きている戦争や紛争に目をつぶったり、黙認したりしないことの方が大事である。同時代に生きる者としては、「現在進行中の戦争」に対して、「反対」の声を上げなければ、「戦争責任」を問われても仕方がないだろう。イスラエルもレバノンも、血を流し合うのは、もうほどほどにしなさい!
コメント (1)
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