中曽根元首相の提言は、「愛国心・国を守る気概教育」という「魂」が欠けていては無意味だ

2005年09月25日 21時22分04秒 | 政治
 政治哲学や国家ビジョン、戦略好きな大勲位・中曽根康弘元首相が、読売新聞25日付朝刊の一面の「地球を読む」欄で、「小泉政権の課題」と題して、「新国家像策定の好機」と提言している。
 1918年5月27日生まれの87歳とは思えない矍鑠とした「万年青年将校ぶり」には、感心させられるやら、勇気づけられるやらで実にうれしい限りである。91歳で亡くなった後藤田正晴元官房長官を凌ぎ、100歳以上まで長生きして欲しいものである。
 だが、小泉首相圧勝の直後における提言は、聞こえはいいが、何とも女女しい感じがしないでもない。
 前回総選挙前、議員バッチをムリやり剥奪され、「これは、政治的テロだよ」と憤懣やるかたなさをあらわにしていたはずである。「泣いた烏がもう笑うた」でもあるまいに、コロリと手のひらを翻して、小泉首相を歯の浮いたような「誉め言葉」を送るのは、「変節漢」も甚だしい。むかしながらの「風見鶏」ぶりだけは、変節していなかっようである。まさに面目躍如である。
 息子の中曽根弘文参院議員(元文相)がグループごと、郵政民営化関連法案の反対票を投じ、小泉首相に衆院解散・総選挙の口実を与えた張本人になり「敗軍の将」として「斬首」を待つ身であることが、それほど心配なのであろうか。
 自民党圧勝がはっきりして、中曽根弘文参院議員は、あっさりと敗北を認め、「民意に従い郵政民営化関連法案に賛成する」と表明し、親鳥を真似て「風見鶏」ぶりを示したのは、殊勝な心掛けではあるけれど、すでにマスコミからは「変節漢」の汚名を被せられてしまっている。
 それにしても、「新国家像策定の好機」とは、ちゃんちゃらおかしい。英国の学者が「英国では、もう百年も前に国家ビジョンを持たない国になっている」と言っていた。要するに、国民を総動員するような「国家目標」など要らないということである。国民一人一人が、各々の価値観を持って自由にのびのびと生き、人生を楽しむのがよいという生き方である。
 それでいて、英国人は、いざというときには、一致団結する民族である。フォークランド島の領有をめぐって英国とアイルランドとの間で紛争が起きたとき、中曽根元殊勝も尊敬していた「鉄の女」こと、サッチャー首相が、島の領有権確保のために戦艦を派遣したとき、英国の船員たちが、自発的に立ち上がり、サッチャー首相に協力し、英国艦船を支援したのを、いまでも忘れられない。
 「新国家像策定」よりも、「愛国心」と「国を守る気概」を国民精神の背骨に叩き込む方が先である。文部科学省は、旧文部省時代から、「愛国心教育」と「国を守る気概教育」に臆病であり、教育基本法の改正問題についても、毅然とした態度を示そうとしていない。これでは、「新国家」もへったくれもない。
 杉村太蔵衆院議員が、「棚ぼた式」に当選したのを素直に喜び、小泉チルドレンであることに感激している姿が、顰蹙を買っているけれど、マユを顰めたり、批判したりしている大人の方が、はるかに悪い。そもそも、ライブドアの堀江貴文社長のような「ゼニゲバ」や杉村太蔵衆院議員らの「ノー天気」な若者たちに、「愛国心」と「国を守る気概」を教えてこなかった文教行政に責任がある。その頂点に立っている文教族のドン・森喜朗前首相の責任は、重大であり、責任は重い。「神の国」発言のような失言に比べれば、素直に感動する姿の方が、はるかに微笑ましい。
 それでも文句が言いたければ、後の松陰、吉田寅次郎が叔父・玉木文之進から教育を受けていたときの光景を想起するがよい。
 真夏のある日、下級武士の貧しい屋敷の狭い部屋で、座学の最中、額から流れる汗を思わず拭ったところ、叔父から思い切り殴り、殴られ、庭にころがり落ちてしまった。殴った理由について、叔父は、
 「お前はいま勉強している。何のためかと言えば、公のためである。それにもかかわらず、お前は、汗を拭った。汗を拭うというのは、私的なことだ。そんな心がけで公のための働けると思うのか。馬鹿者め」
 寅次郎は、素直に叔父の戒めを聞き、勉学の意義を悟り、後に若くして藩校「明倫館」の軍学教授に就任、藩主・毛利敬親公の前で立派に講義するまでになったという。明治維新前夜の話である。
 中曽根元首相は、「教育文化国家への改革を」と提言して、教育改革を小泉首相に託そうとしている。だが、中曽根元首相もかなり人が悪い。中曽根政権時代、「戦後教育の改革」を志し、教育臨時調査会まで設置して、教育改革に意欲を示したものの、文部官僚の激しい抵抗にあい、「換骨奪胎」、ほとんどの提言が骨抜きにされてしまった。その代わりに、文部官僚が与えてくれたのが、「生涯学習」という政策であった。早い話が、中曽根元首相の教育改革は失敗に終わったのである。
 御殿女中と言われる因循姑息な文部官僚は、郵政官僚に輪をかけてタチが悪い。郵政民営化に難渋してきた小泉首相が、残り1年の任期中に、中曽根首相が望むような「教育改革」に取り組めるような時間的な余裕はもはやない。それは、「ポスト小泉」に期待するしかないのである。中曽根元首相は、もっと早くから、小泉首相に協力しておくべきであった。もう遅いのである。いくら繰り言を述べても、単なる戯言にすぎない。
 それにもまして、「教育文化国家への改革を」といくら提言しても、「国家基本問題」の中核である「天皇制」や「「愛国心教育」「国を守る気概教育」を忘れていては、折角の教育改革も画竜点睛を欠く。大事なのは、「魂」である。「大和魂」と言ってもよい。
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