織田信長を尊敬しながら小泉首相は軍隊的行動を取り、岡田克也代表は商人根性が抜けなかった

2005年09月15日 13時12分28秒 | 政治
民主党議員総会 岡田代表の辞任承認へ (朝日新聞) - goo ニュース 

 「政治の実施は、国民の意思及び利害の調和点を求め、これを基調としてその運用を律するを常とす。統帥はこれに反し、最高唯一の意思を断乎として万人に強制し、その生命を犠牲とし、敵の機先を制して間髪をいれざる間に勝敗を決せざるべからず。故に、政治組織と統帥組織の主眼の間には本質的差異存在す」
 「統帥は純一にし断乎たる意思を確立し、速やかにこれを軍隊に徹底し、その行動をして戦機に投ぜしめざるべからず。故に、統帥の組織は最も直截、簡明、単純なるを要し、特に政治との交錯は極力これを避くるを要す。寡頭独裁は実に統帥の全組織を貫く生命にして、統帥階梯もまた勉めて少なきを可とす」
 これは、統帥綱領のなかの「統帥組織」の一節である。政治と軍隊との違いを述べている。
 政治が、「利害の調和点」を求めるところに本質があり、軍隊は最終的には、「敵の殲滅」を目指し、「生命」を賭けて行われるところに本質があり、双方に決定的な違いがあることを説いている。 だが、この一節を読みながら、今回の総選挙を振り返ってみると小泉首相の政治手法が、「利害の調和点」を求める「政治」というよりは、「命のやりとり」を行う極めて「軍隊」に近いことに、改めて気づかされる。
 小泉首相が最も尊敬しているのが、「織田信長」であり、「桶狭間」における「奇襲攻撃」が、今回の総選挙に応用されたという分析を聞かされるにつけ、ますますこの感を強くする。
 レーガン米大統領が昭和57年ころから「規制緩和政策」(リレギュレーション)を始めて23年、英国のサッチャー首相が昭和60年に「金融のビッグバン」に着手してから20年を経ている。にもかかわらず、「郵政民営化」すら実現できないできたのが、日本であった。OECDが昭和57年当時、日本政府に対して、「規制緩和」を求めてきたのに対して、大蔵省をはじめ全省庁か、これをことごとく無視してきた。既得権益を守るため、ありとあらゆる屁理屈を駆使して、「改革」を拒否したのであった。このツケが今日に付け回され、ついに小泉首相の手で、「一掃」されようとしている。
 この異常事態をつくり上げた張本人は、「官僚群」であることは言うまでもない。とにかく官僚は、政治家の言うことを聞かない。それどころか、政治家を省庁の「応援団」に成り下げてきたのである。そのうえにあぐらをかいてきた政治家も悪い。
 小泉首相は、「変人」とアダ名されているけれど、「変」なのは「官僚」であり、官僚を統御できず、利権ばかりを追い求めてきた政治家たちである。その代表例が、厚生族・環境族のドンと言われた橋本龍太郎元首相であり、郵政族のドンであった野中広務元官房長官であった。
 「変な存在」が当たり前と思われてきた常識を殲滅するには、その常識からみて「変人」にならざるを得ない。そのためには、平時に行われる「利害の調和点」を求める政治を行っていたのでは、改革はできない。ここは、たとえ批判を被ろうとも、「変な存在」と戦わねばならない。となれば、尋常な手段・方法では、目的を達することはできない。戦争であれば、「軍隊」的な発想で臨むしか有効な手はない。
 小泉首相が、丸で「軍隊」を率いる武将に見え、小泉首相自身が「戦国武将」を自らに当てはめたのも、こう考えれば、十分に理解できる。これに対して、民主党の岡田克也代表は、同じく織田信長を尊敬していても、「楽市・市座」という経済政策に見習おうとしていたにすぎない。これが、「殺されてもいい」と壮絶な決意で臨んだ小泉首相の鬼気迫る気迫に負けた。政治と軍隊の違いを理解していなかった。岡田屋7代目の二男、「商人国家」を目指した通産省に入省した、しょせんは、商売人の子弟に過ぎなかったということか!


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