「天皇」を否定するホリエモンを担ごうとした小泉首相と武部幹事長の「軽挙盲動」を諌める

2005年09月08日 11時41分46秒 | 政治
 ライブドアの堀江貴文社長が、6日、日本外国特派員協会での講演で、大胆にも「天皇不要論」を述べ、「論理、説得力ゼロ」「歴史も政治システムも理解していない無知なティーンエージャーか」と失笑を買ったという。これは、「国家基本問題」にかかわる由々しき問題であり、看過できない。
 ホリエモンは、大統領制度導入論を展開し、「天皇制」に踏み込み、こう述べたという。
 「今の世の中、ネット普及で変化のスピードが速くなっているから、どの組織でもリーダーが強力な権力を持っていないと対応していけないとう思うんです。日本が明治時代に英国の立憲君主制を導入したのは、たまたま天皇がいたからで、国家の経営を考えたからではないじゃないですか」
 「だいたい憲法が『天皇は日本の象徴』というところから始めることに違和感がある。天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし、誰も気にしていないでしょう。歴代の首相や内閣が何も変えようとしないのは多分右翼の人たちが怖いからだと思う」
 これらの発言で、ホリエモンは、いかに日本の「政治権力」の歴史に疎く、政治権力の本質という「政治学」の基本テーマに無知であるかを露呈してしまっている。
 日本の政治権力は、「ゲバルト(暴力)」としての「権力」とこれを正当化する「権威」の二重構造をなしている。この「権威」を象徴しているのが、「主権者」である国民の総意に基づく、「象徴天皇」である。
 1192年の鎌倉幕府「開幕」以来、1868年の明治維新に至るまでの676年間の武家政権(軍事独裁体制)に、正当性を与えていたのは、天皇が下す「征夷大将軍」という役職であった。天皇という「権威」が、「ゲバルト」を持った武家政権に正当性を付与していたのである。だからそこ、第15代将軍・徳川慶喜が、「大政奉還」という政治的行為を行えたのである。
 明治政府は、こうした歴史と伝統を持つ文化的な存在でもあった「天皇」を中心に近代国家づくりを始めたのは、ホリエモンの言うような「たまたま天皇がいたから」では決してない。そもそも、そのころの日本人の意識の中には、「近代国家」の概念すらなかったのである。「国」と言えば、各藩のことであった。
 1945年8月15日に敗戦し、マッカーサー連合国軍最高司令官が1946年2月13日、英文で書かれた憲法草案を日本に手交し、それを急遽翻訳して制定されたのが、日本国憲法であり、この第1章(第1条から第8条まで)に「天皇」が規定されている。
 GHQは、「天皇」が日本国民に敬愛され、日本国において果している「機能」の重要性に気づいていたからこそ、この規定をわざわざ設けて、天皇制を維持させたのであり、日本側から言えば、「国体」が「護持」されたのである。
 太平洋戦争の戦争責任も問わず、「天皇制維持」を図ったのは、GHQであったことを忘れては困る。「戦犯」の認定、「有罪・無罪の判決」は、戦勝国アメリカの掌中にあったのであり、それもすべて匙加減は、アメリカ本国政府の指示の下でGHQが決めたのであった。要するに「勝てば官軍」である。「天皇の戦争責任を問わない」としたアメリカ政府の判断により、昭和天皇陛下が「無罪放免」されたのは、その意味で正しいのである。「正」という文字が「征服者あるいは戦勝国は正義」であるという意味を含んでいることを注視すべきである。
 ちなみに、天皇のような君主を持たないアメリカ人の多くは、今日でも「天皇陛下」を仰ぐことのできる日本を羨ましいと思っている点も見逃すべきではない。
 ホリエモンは「だいたい憲法が『天皇は日本の象徴』というところから始めることに違和感がある。天皇は実際のところ象徴だけ。別に権力があるわけじゃないし」と軽く述べているけれど、「象徴天皇」の政治的意義をまったく理解していない。それどころか、「権力」と「権威」の関係すら知らないという丸で「政治オンチ」であることを天下にさらしてしまっている。馬脚を現したと言ってもよかろう。こればかりではない。ホリエモンは、
 「誰も気にしていないでしょう」
 と言い切っているが、正月に皇居で行われる一般参賀にどれだけ多くの国民が記帳にでかけ、天皇陛下ご一家のお出ましに、日の丸の旗を振り、「天皇陛下バンザーイ」と歓喜の声を上げているかのこの一事を取っただけでも、「誰も気にしていないでしょう」と言えるのか。ホリエモンは、テレビを見ていないのだろうか。ホリエモンは、
 「歴代の首相や内閣が何も変えようとしないのは多分右翼の人たちが怖いからだと思う」
 とトンチンカンな発言をしている。歴代の首相や内閣が「天皇制度」を変えようとしないのは、「右翼の人たちが怖いから」ではない。極めて大事だと思い、「千代に八千代に」、永遠に天皇制を存続させようと考えているからこそ、ホリエモンのような下らない考えすら思いつかないだけなのである。
 むかしから天皇制度を廃止しようと考えているのは、「日本共産党」などそれに近い思想の持主にすぎない。もしかしたら、ホリエモンは、「日本共産党のシンパ」なのであろうか。かかる政治的未成熟な人物とは知らなかった。
 これでは単なる「エコノミック・アニマル」ではないか。仮に万が一、ホリエモンが大臣になるとか、勲章をもらうとかして、天皇陛下に謁見するような場面がきたとき、一体、どうするつもりなのであろうか。一度、聞いてみたい。
 こんないい加減な「エコノミック・アニマル」を自民党公認候補者として郵政民営化反対の亀井静香元建設相の「刺客」として広島6区に送り込もうとした小泉首相や武部幹事長ら自民党執行部の頭の程度が知れる。
 亀井元建設相が、かねてから自民党内で同志を集め、「国家基本問題」である「天皇制」「国歌君が代、国旗日の丸」をはじめ、日本国の精神的支柱の立て直しを国策の根本に据えて、諸政策の立案・実行に取り組んできたこの分野で最も熱心で過激な政治家であることを忘れてはならない。
 小泉首相や武部幹事長ら自民党執行部の「ミーハー的」の政治手法と軽率盲動は、日本の将来を誤らせてしまう危険がある。幸い、ホリエモンが、ライブドアの社長辞任を拒否し、「無所属」で立候補してくれたのは、不幸中の幸いであった。一刻も早く、自民党はホリエモンとの縁を断ち切るべきであろう。
コメント (3)
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