アラビア語に興味があります。

 イランはペルシア語の国です。トルコはトルコ語で、現代トルコ語はローマ字で表記されます。

新ブログ『アラビア語ニュースの世界』

2005年10月13日 00時53分45秒 | イラク市民レポート
 「イラク市民レポート」やコメント欄にちょくちょくご登場くださるイラク方言講座のセンセーが『アラビア語ニュースの世界』というブログを立ち上げられました。内容は、アラビア語メディアからのニュースのほか、イラク国家情報局のウェブサイト情報、日本語で紹介された中東情報の検証などなどです。

武装するイラクの医師たち

2005年07月07日 23時16分51秒 | イラク市民レポート
 イラク方言講座のセンセーからまたレポートが届きました。「イラクではここ2年の間に約100人の学者が殺害され、以下の記事にもあるように何十人もの医師が殺害されました。誘拐の犠牲者は数知れず。… 知り合いの親戚が誘拐され、多額の身代金を払って解放してもらったけど、恐ろしくなって一家隣国ヨルダンに逃げたという話を聞きました。別の知り合いは、最後に連絡を取ったときは脅迫状が届いたということで、家族が厳戒態勢になっていました...その後は携帯に電話しても繋がらなくなったのが気になります。無事を祈っています。」


車爆発など多くの危険の伴う職業
殺人や誘拐を恐れ武装するイラクの医師たち

敵討ちや誘拐や殺人事件が増加するのに伴って、医師たちの銃砲所得許可手続きの申し込みが急増

ミドルイースト・オンライン http://www.middle-east-online.com/iraq/?id=30741

バグダッド - サラーム・ファラジ

殺人事件や誘拐や車爆発事件が増加するに伴い、イラクの首都では護身のために医師たちが機関銃やピストルで武装し始めた。

イラク衛生省のスポークスマンアラーウィ・アル=ナートク氏に話を聞いた。
「つい最近“学者や医師の誘拐や脅迫などの現象に立ち向かう会”という名の下に委員会を発足させました。この委員会が、数日続いた調査の結果、殺人や誘拐から身を守るため、イラク人医師や学者たちに武器を携帯させることを認める必要があると認めました。」

さらに、衛生省と内務省の間で連携した結果、バグダッド市内40箇所ほどの医療施設やメディカルセンターを専任のパトロール隊に警備してもらえることになったとカーシム・アル=アラーウィ氏はいう。

2003年4月9日のサダム・フセイン政権崩壊で始まったイラクの治安情勢の悪化により、何十人ものイラク人医師や学者が安全を求めて国を去り、湾岸や近隣諸国に行ってしまった。その影響は深刻で、イラク衛生各局や官公庁の機能に支障が出ている他、イラクの大学における深刻な指導教官不足を起こしている。

町のクリニックに行ったとき、クリニックの入り口や建物の玄関を重装備した人たちが警備していても、驚くイラク人はもういない。

多くの医師たちは、クリニックは夜の変わりに昼の間だけ開業し、【訳注:夏の間は、昼間は猛暑となり、あまり人が外出しないのに加えて、仕事で忙しかったりすることもあり、戦争前まではクリニックは病院の外来時間外の夜間に開業するのが一般的だった。大学病院や国営の総合病院の先生も開業していて、入院が必要な場合など、先生の個人のクリニックを受診していると、一般患者として昼間病院を訪れた場合より、好条件の部屋に優先的に入院させてもらえる。このような先生は夜間しか開業していないというような事情もあり、夕方~夜間のクリニックが繁盛していた。】午後6時を過ぎない開業時間を記した張り紙を出している。

アラーウィ氏は、「多くの医師が銃を携帯するため、銃砲所得許可を申請した。」と付け加えたが、「申請者は増加し続けている。」と述べるにとどまり、数字を明らかにすることは断った。

イラク衛生省の廊下には、脅迫される医師の多さを語るかのように、医師の顔に向かってピストルを突きつけるテロリストが描かれたポスターが張られている。

ポスターには、「医師や学者を守ることは、国を守ることの一部です。」と書かれ、国民に貴重な人材を狙うテロリスト達に関する情報提供と治安当局への協力を呼びかけている。

匿名を希望したある医師は、「医師を狙った多くの誘拐事件は、金目当てか患者を救うことの出来なかった医師、特に外科医に対する逆恨みが動機になっている。」と言った。

“学者や医師の誘拐や脅迫などの現象に立ち向かう会”の委員のアーキフ・ハリール医師は、「我々は、大臣室からの直接の指示を受けて動いていて、月2回の定例会議を行っている。全体に二本立てで進めている。一つ目は、内務省で、テロリストを追跡するグループを発足させたり、学者や医師の警備にあたるボディーガードの訓練を行ったり、予算を出してくれている。」
「二つ目は、衛生省で、法務省や高等教育省と協力して、一般のテロの危険性、特に学術関係者に対するテロの危険性を説明する広報キャンペーンなどさまざまなフォローを行っている。」

アーキフ・ハリール医師はこの件に触れて、「過去2年間に、25名くらいの医師が殺され、300名ほどが誘拐された。」という。

「問題は、誘拐にあった人たちは、無事に解放された場合にも、大きな精神的影響を受けていて、国を出ることを決意してしまったりする。」と付け加えた。

もう一人匿名で語ってくれた医師は、「武器を所持できれば、少しは安心できる。」という。

「多くの医師が、患者を装ってクリニックを訪れてきた人たちに殺されている。」と説明する。

この医師は、バグダッド中心のサアドゥーン通りにあるクリニックのデスクの下に隠した機関銃を指差しながら、「いざと言うときには、この卑しい機関銃以外自分を救ってくれるものは何もない。」と強調する。

医療施設も他にもれず、暴動の被害を受けている。主だったものに、昨年起きたバグダッド西部ヤルムーク病院前の車爆発がある。この爆発事故により、多くの医師や病院関係者を含む6名が死亡、87名が負傷した。

イラクの特殊警備会社 6

2005年05月14日 07時05分15秒 | イラク市民レポート
付随的な疑問...

● 爆発物を仕掛けられた車の爆発、無差別に攻撃するロケット弾、銃の乱射や軍の浅薄さにより、過去から現在に至るまで、日々数十いや数千という犠牲者がイラクの路上倒れ、これからも倒れ続けるだろう。一部に、ハッジ・アブダッラやその他の人たちにしても、数十年来イラク国民が払わせられている血の税金の一部に過ぎないではないかという人がいる。
 このような発言には、多くの混同と危険が含まれる。正体不明の犯人の犯行と処理されても、人民は人民の権利を放棄しない。加害者の罪が被害者の流した血で洗い流されることもない!!

● では、ハッジ・アブダッラその他多くの人々は、どちらに向かって権利を主張すればよいのか?と聞いてみたい。

● 外国の特殊警備会社の業務が闇に包まれた状況にある中、誰に異議申し立てを起こせばよいのか?

● 内務省や法務省に代表される政府は、このような質問に答えようとしたか?そもそも答えも持っていないのではないか?

● その他、あれこれあるが、どうやってこの現象を封じ込め、特殊警備会社の危険から人々を守ることができるのか?

● 弁護士アブドル・アディーム・アナード氏は、この現象を封じ込めるために、以下のような仕組みを提案する。
「このような事件を解き明かせば、治安情勢の悪化を背景にしていることに突き当たる。

 しかし、占領軍の軍事活動と占領により誕生した武装勢力とイラクで営業する特殊警備会社の起こす事故を混同しては誤りに陥る。一番目と二番目を規定する法律は異なる。特殊警備会社が起こす事件はイラク民法に従う。特殊警備会社は武装活動を行ってはいるが、イラクで営業する外資系民間企業に過ぎない。何がいいたいかというと、これら警備会社の起こした事件を軍や武装背力が行ったその他の事件と混同すると、国の公共の権利や個人の権利が失われてしまうということだ。」

 よって、被害を受けた国民は、加害側の企業を相手取りイラクの裁判所に損害賠償を求めて告訴する権利があるのだが、ここで問題になるのは、このような事業はまだ国が法律の枠組みに組み込んでいないため、被害者は容疑を誰に向けたらよいのかわからない。」

● アナード氏は続ける、「この怠慢の責任は、私の考えではイラク政府にある。本来ならば、専門の会議所を設けて、国内の全ての警備会社名と国籍、従業員名を登録させる。
それを警備契約のプロセスに組み込むようにして、被害者が警備会社の従業員個人ではなく、責任のある企業に権利を要求できるようにするべきである。」

● さらに、「内務省がこれら企業に帰属するキャラバンの移動記録を報告させるようにすれば、事故が発生した場所と、日時が特定されれば、警備会社名を特定できるようになり、事故を起こした犯人にたどり着くことが可能となる。
我々にこれら権利を保持する権利が与えられているならば、このようにすれば、人々の権利を守ることができよう。」

● 本件は、責任のある各関係方面に問題を提起したので、大筋2点の調査を願う。

第一:これら企業がイラクの国家経済に与えている影響及び、イラク警備会社の設立がどの程度可能かを調査し、今回発見したような無駄遣いから公金を守るためにも、外国企業の存在を禁じる。

第二:先に述べたような事故に巻き込まれてしまった場合にも人々の権利が保障されるよう、警備事業の法的枠組み作りを研究する。 (了)

イラクの特殊警備会社 5

2005年05月14日 07時02分38秒 | イラク市民レポート
正体不明の犯人が起した事件...

● 特殊警備のキャラバンが起こした事件は数えきれないくらいだが、一部だけでも紹介したい。

● アメリーア地区で、特殊警備のキャラバンが通過した際に発砲があった。キャラバンのメンバーは、周囲を無差別に射撃し、二人の死者と4人の負傷者と2件の衝突事故を起こし、立ち去った。事故は2005年2月5日に起きた。発砲元は近くで行われていた結婚式場の祝砲だった。

● 別のキャラバンは、ニュー・バグダッド地区のひどい渋滞で有名な道路を、一般市民の車5台以上に衝突しながら無理やり進んで行った。一部の衝突事故は発砲を伴った。道を空けるよう警告する意味で、無差別に発射されたものだったが、衝突された側の車の被害は大きく、修理に莫大な費用がかかった。

● 特殊警備会社に属する2台のBMWは、ジャドリヤ通りを運転していた老人の心臓発作の原因になった。事故は2005年2月15日に発生した。2台の車が道の真ん中で突如停止したかと思うと、それ以上近づくのを禁止するため、急に空に向けて発砲し始めた。その光景に驚いた老人が発作を起こし、その場で他界した。

● バグダッド-ヒッラ間の幹線道路で起きた、イラク国民の車と特殊警備会社のキャラバンの内の一台との間でひどい衝突事故がおき、運転していたイラク国民とその妻が死亡した。
驚くことに、このキャラバンは、もう一台の事故車を顧みることも無く、自分達キャラバンの事故車を急いで牽引し、去っていった!!

● チュニジア地区では、子供が特殊警備の車にはねられ、道に臥したまま放ったかされた。スレーフ地区で被害にあったもう一人の被害者は、重度の身体障害を負わされた。

● これらの事故は、実際に起きている膨大な数の事件のほんのわずかでしかなく、我々はこの現象を前に今一度よく調査研究する必要がある。

イラクの特殊警備会社 4

2005年05月14日 06時57分11秒 | イラク市民レポート
● この時点で、我々が知っておかなければならないのは、アメリカの経済発表によると、イラク国内の特殊警備会社に働く外国人従業員は1万人と予測されているということだ。

● つまり、概算で、これら警備会社は1ヶ月に3億ドルの収入、つまり年収にして15億ドル【訳注:計算間違い?3億×12=36億ドル】を得ているということだ。平均賃金を月3万ドルと見積もって計算した場合の話なので、平均賃金が予想を超えて5万ドルだった場合、イラク国内の総従業員の賃金はさらに倍増して、月5億ドル、年にして60億ドルになるということだ!!

● 驚異的な数字であるが、ちょっと待った!まだ回答を得ない質問がある。その回答は、必ずや先述した数字をさらに信じがたいものに変えてくれるだろう。例えば:-

● ボディーガード会社の人件費等を差し引いた純利益はいくらなのか?

● 従業員の食費を始め、武器、旅費、滞在費等の経費はいくらになるのか?

● もっと大事な質問は、特殊警備会社の人達を必要とする企業【訳注:復興事業を受注した企業】の利益はいくらなのか?

● もちろんそのような問いに答える数字はイラクのどこの公的事務所にもない。なぜなら、国の“制御外”にあるからだ。この国にはカネの動きを追えるような統一された会計基準も銀行機構もない。国と国民の権利を守るための課税徴税システムもない!!

● しかし我々もいくばくかの情報を入手した。人々はそれを知る権利がある。

● その内のひとつに、二流ハリウッド・スターの警備を行っていたような落ちぶれた警備会社が2003年度の年初から2004年度の半期の間に膨大な売り上げを計上したということだ。米軍の治安活動や軍事活動時期に重ねて、この会社は事業内容を、特殊警備を専門に行う会社から、建設請負、公共向け貿易に加え警備も行う会社というように変えた。事業内容を変えたことに基き、実績の無い新入りの会社の初仕事にして与えられるはずもないような契約が与えられ、たっぷり儲かる取引を次々と成立させていった。

● その会社の名前を今は公表することができないが、2004年度後半に数十億ドルの売り上げを記録し、イラク国民選挙の広告キャンペーンを請負う模範契約を勝ち取った。同時期に、バグダッド県とバビロン県とサマーワ県とナシリア県の清掃キャンペーンも請け負った。

● もう一つ、“ボディーガード会社の内部企業”とも言える会社も設立された。これらの会社は、新価格で人物や企業の警護を行うが、安価なイラク人セキュリティ・スタッフを使う。

● 三つ目の会社では、従業員(ボディーガード)と雇用契約を結ぶ際に、死亡・負傷時の補償権利を放棄するという宣誓書に署名することを条件付けている。だが従業員が負傷または死亡した場合の保険金は、会社が受け取る!【訳注:イラクには社会保障制度はないので、保障権利を放棄したイラク人が亡くなってもどこからも何の金も支払われない!】

イラクの特殊警備会社 3

2005年05月14日 06時56分32秒 | イラク市民レポート
犯人は誰?

● 2003年4月9日ファルドウス広場のサダム像が倒された日に、米軍は無垢な土地を開拓するチャンスを狙う何十もの民間企業を伴って、バグダッド中心部に入ってきた。まもなく混乱が生じ、治安状況は悪化し、外国人を狙った事件が多発するようになった。このため、イラク復興事業関連企業を守るため、新たな“特殊警備会社”という企業を入れる必要が生じた。

● 特殊警備会社は、イラクで働く人材を誘致するため、世界各国に支店を出した。同様の目的で、イラク国内にも事務所を開設した。

● イラクでは軍事作戦が激しさを増し、それに伴い特殊警備会社の仕事も儲けも増えていった。それも普通の経済活動では考えられないような倍増の仕方をしていった。

● ワシントンポストが今年の初旬に掲載した報道によると、イラクの特殊警備会社の売り上げは2004年に1-10倍に増えた。保険会社も同年同様の率で売上げを伸ばし、イラクで活動する企業や従業員に対する保障も1-10倍まで引き上げられた。

● もちろん我々【訳注:ジャーナリスト】もこれら企業の活動部隊にたどり着くことができなかった。これら企業のほとんどは、グリーン・ゾーンの立ち入り禁止区域内にある...このため、彼らから直接彼らの業務に関する情報を得ることが出来なかったのだが、これら企業と接触がある者や、さまざまなソースから得た情報により、以下のような結果にたどり着いた。

● 特殊警備会社の従業員の平均月収は1ヶ月3万ドルで、この中から会社が契約した保険料が差し引かれる。

● 2003年6月から同年1月【訳注:翌年の誤りと思われる】まで、これら警備会社のガードマン達は欧米人ばかりだったが、このような国籍を持つ従業員の職務災害補償や生命保険料が値上がりしたため、2004年初頭から貧しい国々に事務所を開設し、安い賃金で従業員の安全保障規定を定める法律などが無い国々、例えば中南米や一部の貧しいアフリカの国々や東南アジア・ロシアの従業員を誘致するようになった。

● 月給3万ドルというのは、次の2つの要因を考えれば決して高いものではない。

 第一に、欧米系従業員の保険料を除く賃金は、一日5千ドルにも達し、保険料を加算すると、その倍以上になる。
 第二に、人件費に差額が生じても【訳注:欧米系従業員の給与と貧しい国々で雇った従業員の給与差】、イラクという国には、企業を規制する会社経営法も存在しなく、所得税も法人税も課されない。企業は安心してボディーガードのサービス料金を引き上げることができる。そして実際に2004年の一年間にサービス料金は倍増された。

イラクの特殊警備会社 2

2005年05月14日 06時53分06秒 | イラク市民レポート
人【訳注:原文「アッラーの奴隷」】の権利...

 我々と特殊警備会社との物語は、ハッジ・アブダッラ・アル=ラージーで始める。彼の子供達は彼がなぜ死ななければならなかったのか、納得のできる理由を捜し求め続けた。最終的にたどり着いたのは、謎の「特殊警備会社」という名の閉じられた門だった...

● これは“ムハンマド・ナースル”(ドーラの交差点近くのタバコ屋)の証言で、ハッジ・アブダッラ殺害事件の詳細である。
 ムハンマドは語る、「ハッジは歩道に立っていた。皆驚いたのだが、道の混雑を避けるためだと思うが、急に三台の四輪駆動の“シボレー”、色は黒で、窓はスモーク【訳注:車の中が見えないよう張られる目隠し用カーフィルム】、ナンバー・プレートはついていなかった...が、ものすごいスピードで走りながら車道から歩道に乗り上げてきて、ハッジ・アブダッラをはね、血の海に溺れた老人を顧みることも無く走り去った。即死だった。」

● ハッジ・アブダッラの息子は、タバコ屋の証言を手がかりに、警察、米軍司令部と事件の犯人を追い求めた。
 ハッジ・アブダッラの息子は言う、「たくさんの人が、この件はあきらめてアッラーに委ねろ、彼らは米軍の仲間だ。法律もいかなる手段も彼らに勝る力は無いと私に言った。でも私はどうしても真実を知りたかった。そこで、ドーラ地区の米軍責任者という大将に会いに行った。大将が事件発生日時と場所を確認してくれたが、彼の指揮下の人たちはその時間帯にその場所を通過していなかった。そして、彼は私にこの事故を起こしたのは特殊警備会社の人である可能性があるが、それは自分達軍の責任範囲外であると伝えた。」

● そして続ける、「その後、事故を起こした責任のある警備会社名にたどり着こうとしたが、できなかった。グリーン・ゾーンや内務省、さらには外国人が宿泊するホテルにまでも足を運んでいくうちに、イラクには何十もの独立した警備会社があり、これら企業は内務省の監視もどこからの監視も受けておらず、会社に問い合わせることも、法的に裁くことも、罰することもできないことが判った。」

苦い現実...

 ハッジ・アブダッラの事件は決して特異な事件ではない。同様に訴訟を起こそうとしたケースがその他にも何十もあったが、特殊警備会社に属するさまざまな国籍の従業員たちがイラク市民に対して起こした数々の事件は、特定できない犯人を相手取る形となり、闇に葬られていった。【訳注:原文に忠実に訳すると意味がわかりづらいので、ここら辺はかなり意訳。】

イラクの特殊警備会社 1

2005年05月14日 06時49分59秒 | イラク市民レポート
 久し振りに、イラク方言講座のセンセーからレポートが届きました。

「斎藤さんが拘束され、特殊警備会社に注目が集まっているのを機に、廃刊されたアル・ナハダの記事で、以前から訳したいと思いつつ、時間が無く断念した特殊警備会社に関する記事を訳しました。
 読みやすいように多少意訳した部分もあることを予めお断りしておきます。
 犯行声明を出したアンサール・スンナが一方的に悪い凶悪犯罪組織のように報じられ、特殊警備会社が行った悪事は何も報道されないことに矛盾を感じます。」

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アル・ナハダ 2005年2月22日

国産ボディーガード
輸入ボディーガード
特殊警備会社がイラクの国家資金を消耗し、国民を脅かす

外国の警備会社の従業員の給与や保険は、2003年~2005年の間で10倍に増える
by メシュリク・アッバース

 特殊警備という職業は、イラクにとってまったく新しいものである。

 これまで支配政権以外の人間が身辺に警護をつけることは許されていなかった。このため、政権崩壊後イラク全土を襲った混乱の渦により、政治・経済・社会の各界の著名人の警護が必要不可欠になるまで、イラクでは特殊警備会社という概念が発展しなかった。

 2003年、特殊警備を専門とする国際企業というものが初めてイラク国内に入ってくるという経験をした。
そのときから、多くの外国及びアラブ国籍の会社が現れ、イラクで営業するようになった。その一部は、イラク専門に営業するために設立された会社だった。イラク国内でも特殊警備の分野に投資する試みがなされたが、いずれも成功しなかった。

 国内の警備会社の事業は闇に包まれている。加えて、この種の職業に対して、国と国民の権利を守る法的枠組みを作ろうという公の関心も無かった。

 この特殊警備という新しい現象のうち、我々に見えているのは、最新型の車両、装甲車、市民に向けられた銃口、何十もの正体不明の犯人が起こした事件にすぎない!

イラクのアル=ナフダ紙廃刊?

2005年05月04日 21時20分58秒 | イラク市民レポート
 http://www.al-nahdhah.com の النهضة アル=ナフダ新聞のサイトで、今年の4月7日を最後に、記事の更新がありません。これまでいくつか記事を訳して送ってくださったイラク方言講座のセンセーに、何か事情をご存知ないかと伺ったところ、そもそも、あの新聞は、「スンニ派代表アドナーン・パーチャチの党が発行している新聞で、新大統領・副大統領戦に立候補していたのですが、敗れてからパタッと発行が止まっちゃったんですよね」とのこと。
 さらに、その後、ネットで調べて下さり、「新政権で重要なポストを確保できなかったパーチャチは、全てを捨ててイラクを去ったようです」との情報を教えていただきました。また、「新大統領・副大統領にお祝いのメッセージをアル=ナフダの新聞に掲載したことで、もめた」という事情その他、もろもろの原因から、「新聞は閉鎖されることとなったようです」とのことです。さらば、アル=ナフダ。

どうなるイラクの週休二日制?

2005年03月28日 09時26分40秒 | イラク市民レポート
 また、イラク方言講座のセンセーのレポートが続きます。
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 イラクに週休二日制が導入されて2週間になります。

 イラクはつい最近まで金曜日一日だけがお休みでした。
 それは概ねイスラム国全体に共通のことなのですが、去る1月31日の選挙前に治安が悪化したため、急遽官公庁・教育機関ともに木・金がお休みになったことがありました。
 その週休二日制を選挙前の一時的な処置にとどめず、これを機に恒久的に週休二日制を導入することにしたようです。

 さて、恒久的に週休二日制にする場合、木・金を休みにすると、海外の土・日のお休みに続いて、国外とやり取りできる平日が月・火・水の3日に限られてしまいます。現在のイラクではまだ復興が軌道に乗っておらず、海外とのやり取りが社会全般に商業・産業面での影響は大きくないのですが、銀行業務には悪影響があるということで、金・土がお休みになりました。
 これは他のアラブ諸国で先駆けて週休二日制を導入したところの経験を参考にした結果のようなのですが、これがイラク国内では大論争を巻き起こし、抗議が殺到。
 土曜日はユダヤ教の安息日。イスラム国において、なぜユダヤの安息日を休みに指定しなくてはならない?! 同意できないということです。

 旧政権時代、ルサーファのクリスチャンの多い地域では、学校が金曜日と日曜日がお休みというのはありましたが、土曜日というと日本の月曜日という感じで、心理的にも新しい週の始まりという印象の強い日です。Blue Mondayのように、金曜日には「ああ週末も終わりか、明日は土曜日だ...」という感じです。

 土曜日に対して木曜日はもともと半ドンであったことに加えて、シーア派の聖地(ナジャフ/カルバラ)では、木曜日がハドラ(霊廟)礼拝日となっていることから、イラク人にとっては木・金が休みになる事の方が自然で抵抗がありません。
 このため、カルバラは中央政府の方針とは別に、独自に木・金を休みとして、週休二日制を導入しました。

 金・土週休二日制は、バグダッドあたりでも反対意見が強いので、来週中にも木・金お休みに変更になる決定がされるという見通しだと聞いています。

 さて、どうなるイラクの週休二日制!!
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ブログ主の追記:
 エジプトですと、やはり木曜日が半ドン、金曜日が休日、週休2日のところは土曜日も休みで、日曜日は平日でした。私の通っていた大学は、土曜日がお休みでしたが、JICAの方は、土曜日は週明けで、いろいろと忙しいとおっしゃっていました。
 キリスト教徒の先生は、日曜日はお休みしていました。あるいは、日本の新聞社で働いているエジプト人で、金曜日、イスラーム教徒が休んでいるときに出勤してきて、日曜日に代休を取る、などという例もありました。
 同時期、シリアに留学していた知人によると、シリアは金曜日と日曜日がお休みだとのことでした。思わず、土曜日も学校を休みたくなってしまうそうですが、ぐっとこらえて通っていたようです。

イラク鉄道&バグダッド・メトロ計画について その2

2005年03月27日 11時20分52秒 | イラク市民レポート
その1からの続きです・・・・

 これとは別に、いわばバグダッドの山手線建設計画というのもあります。こちらは1982-83に検討され、実施が見送られたものですが、こちらこちらによると、ドバイの企業が500万ドルで企画を落札したとあります。
(こちらは、高額で建設が困難な地下鉄の代替案として、創案されたプロジェクトと記憶しています。)

 この他にも、新イラク政府はモスル~ザホ、ムサイヤブ~カルバラ~ナジャフ~サマワ、バグダッド~クート~アマーラ~バスラ~ウム・カスル、バグダッド~バアクーバ~キルクーク~エルビル~モスールの鉄道プロジェクトを実施する予定のようです。

 イラクはバスラ~バグダッド~モスール~トルコ~オリエント急行に繋がる鉄道の一部で、アガサ・クリスティのオリエント急行殺人事件にも出てきます。

 現在のイラク鉄道は話にならないのですが、バグダッドの中央ターミナル・ビルは風情があります。すっかり古びて、戦争の被害を受けていたとしても、壊さずにぜひ修繕して残してもらいたい歴史的建物です。

 四半世紀程前に夜行列車でバグダッドからモスルまで列車旅行をしたことがありました。
 週末に発ったのですが、新婚旅行に行くカップル達が何組もいて、家族や友人達に見送られていました。
 寝台は、家族単位のコンパートメントに分かれていて、真っ白なシーツも清潔で、とても快適でした。
 窓から荒地を自由に駆け巡るガゼルが見えたり、ハマーム・アリールというイラク唯一の温泉地を通ったときには、車両内に硫黄の匂いが漂ったことなどが懐かしく思い出されます。
 トルコまで行くブルートレインは、モスルから別の汽車に連結されて、旅を続けていました。

 早くあの頃のような旅ができる日が戻ることを願っていますが、イラク復興事業に関わるお金の動きが不透明で、不正の温床になっている事の方が気がかりです。

※本記事の著作権も、やっぱりイラク方言講座のセンセーにあります。

イラク鉄道&バグダッド・メトロ計画について その1

2005年03月27日 11時12分08秒 | イラク市民レポート
 イラク方言講座のセンセーから、続報です。
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 「バグダッドは水浸し」で、メトロ計画は80年代後半に2~3年ほどかけて検討され、外国の企業による設計や地質調査なども行われたけれど、打ち切られたという経緯があったとお知らせしました。

 それは、バグダッドのメトロ計画が80年代に一般に公にされたことや、外国人の立会いのもと、あちこちでポーリング調査が行われているのが見かけられたことがあり、正確なことが確認できる資料がないので、バグダッド市民としては80年代の数年間話題になった話のように記憶していました。

 その話に一部誤りがあったことが、3月27日付のナフダ紙にあった、
「エンジニアで交通省の副大臣のアタ・ナビール・フセイン氏がバグダッドのメトロ計画を来年実施すると確約」
という記事でわかりました。

 この記事では、イラクのメトロ計画は1970年代にスペックや設計案がまとめられ、80年代にスタディが終わったとあります。

 戦争が続いたことにより、見送られたメトロ計画では、東西を結ぶ線と南北を結ぶ二本の線からなり、El-Khalaani広場~アル=サウラ(サドル・シティ)とアーダミーヤ~カッラーダ~ベッヤーア間が結ばれることになる予定だったということです。

 イラク戦争の際には、米国はサダムがこのメトロ計画を隠れ蓑に、試験的に掘られた地下トンネルに大量の大量破壊兵器を隠しているとしていました。

ところが、このサイトにありますように、実際にアメリカの調査隊が入って調べてみたら、地下トンネルも何も無かったことが証明されました。

 イラク戦争では因縁をつけられたメトロ計画ですが、来年実施予定の計画では、過去のスペックを全面的に見直し、他のどこのアラブ国の首都にもないような最新の地下鉄建設をと考えているようです。

なので、バグダッド・メトロ計画は70年代より10年ほどかけて練りに練られた計画で、30年ほども暖められてこられていたものが、新たにスペックを見直し、いよいよ来年にも実施される見通しだというように訂正いたします。

・・・つづく

※本記事の著作権も、やっぱりイラク方言講座のセンセーにあります。

バグダッドは水浸し2

2005年03月16日 12時25分55秒 | イラク市民レポート
バグダッドは水浸しの続きです。
・・・・・・・・・・・・・・・
 バグダッドの下水処理施設は、80年代に丸紅が受注し、日本のフジタ工業が作りました。イラク戦争終結後、フジタがかつて請け負った施設の視察や老朽化した施設の修理・再建をと動いていましたが、入札に向けて準備しているという話を聞いたのが最後で、それっきり途絶えてしました。

 イラク人が今一番必要としていることは、上下水道や電気といったインフラの整備なのですが、肝心の計画省では、例えばメトロ計画の検討で盛り上がっています。巨大プロジェクトで、雇用創出効果が高く、道路の渋滞も改善されるということらしいです。
 そのような効果が期待できることは否定しませんが、メトロ計画はサダムの強い希望で、80年代後半にすでに2~3年ほどかけて検討され、外国の企業による設計や地質調査なども行われたのですが、最終的にはコストに見合わないという結論にたどり着き、打ち切られたという経緯があります。
 バグダッドは地下水が多く、地下鉄建設は困難、特にバグダッドを二分するチグリス川の下を通過させるには高度な技術を要し、莫大なコストがかかると聞きました。運用する上でも、地下水の汲み上げは欠かせないそうです。

 そんな古い贅沢な話を蒸し返すより、もっと現実的な切羽詰まった問題を解決するのが先決だと思うのですが...

 時代とともに、イラク人が頻繁に口にする言葉も変わるのですが、最近よく耳にするのが、
"Khair Inshaa Alla"
(災い転じて)「福となりますように」とアッラーの神に祈るような意味です。
 本当に早くイラクが平和になり、安心して暮らせる国になることを願っています。

※本記事の著作権も、やっぱりイラク方言講座のセンセーにあります。丸写しですから。

【追記】(2005/3/27) 上記メトロ情報について、訂正情報が入りました。

バグダッドは水浸し1

2005年03月16日 12時23分15秒 | イラク市民レポート
 またまた、イラク方言講座のセンセーからのレポートが届きました。バグダッドが洪水状態だそうです。
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 先週水曜・木曜の2日間にバグダッドで大量の雨が降り、ここ数十年来最悪の洪水に見舞われてしまいました。ここ数年、イラクは雨がまったく降らない年もあったほど、干ばつが続き、水不足に悩んできました。恵みの雨と喜んだのもつかの間、今度は土砂降りの雨で、町は水浸し。
 そして、その大雨の洪水騒ぎの真っ只中でさえ、ドーラの交差点で自爆テロがあったというのだから驚きです。

 雨が止んだ今もまだ多くの地域が水に浸ったままで、このまま自然に乾くまで数週間待つしかありません。イラクの下水施設が老朽化していて、メンテナンスが十分でないことが原因なのですが、何もしていなかったわけではなく、バグダッド支局は道路脇の下水溝のつまりを掃除し、下水道を修繕するキャンペーンを実施、無事完了したという発表からわずか3ヶ月しか経っていないのに、写真 (harukoの注:アルナハダ紙からの写真が添えられていたのですが、著作権のことが良くわからないので割愛させていただきました) のようなありさまです。

 洪水により、道路が陥没したり、自動車が故障したり、家屋が浸水したことによる被害に加え、長時間停電が続いているバグダッドでは、急に戻った電気で感電死する事故も少なからず発生してしまいました。

 イラク人は幾多の災難に加え、天災にまでも見舞われ、気の毒です。浸水による被害は家屋や家財道具のようなモノにとどまらず、家の中を片付けている最中に戻った電気で感電死したケースも多かった他、風邪やインフルエンザ、過労やストレスで心臓の発作や脳溢血を起こして病院に運ばれた例も多かったようです。この雨で、バグダッド市内の一部の電話までもが現在も故障しています。

 相変わらずですが、イラク政府は今回の大雨による死者やけが人の数も把握していなければ、被害総額も把握できていません。  ・・・つづく

※本記事の著作権も、やっぱりイラク方言講座のセンセーにあります。丸写しですから。

自爆テロとアル=カーイダの声明

2005年03月03日 20時08分29秒 | イラク市民レポート
 イラク方言講座のセンセーからのメイルを丸写しする企画が続きます。どーぞ♪
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 ヒッラで百人以上の死者を出した自爆テロの事件ですが、ザルカウィが犯行声明を出したというニュースが流れた後、アル=カーイダが犯行声明を否定というニュースもありました。
 “病院とは別の場所、ヒッラ近郊で実行したテロに対して犯行声明を出したが、病院の件はアル=カーイダが実行したものではない。二つの事件の情報が混乱して流されている”、ということです。
 なぜか否定のニュースは日本のマスコミには流れていないように見受けられます。
 本当のところどうなのかよくわかりませんが、イラク市民の反発を恐れたアル=カーイダがイメージアップにやっきになっているようにも受け取れます。
 けれどアラビア語のネット・ニュースにある地元市民へのインタビューでは、「警察や治安部隊や軍隊は何のためにあるんだ!!」「このような事件を阻止できないなら、存在意義がない!!」という声が多いようでした。

 昨日NHKで放送されたニュースでは、あるイラク人男性が「なんで罪もないイラク人を狙うんだ! 米軍たちを狙えばいんだ!」というような過激な発言していたのですが、もちろんテロップは穏健で無難な表現に変えてあり、米軍の批判はカットされていました。

※本記事の著作権も、やっぱりイラク方言講座のセンセーにあります。何しろ丸写しです。

 なお、本文中の「ヒッラで百人以上の死者を出した自爆テロ」とは、イラク中部ヒッラ(バグダッドの南約100キロ)で、2005年2月28日に起こった爆弾テロ。警察官などの職に応募する際必要な、健康診断書を貰うため、医療センターの外で列を作って待っていた人々に、自動車が突っ込み爆発したそうです。警察志願者を狙ったテロ(とはいえ、それ以外の市民も多数巻き添えになった)と考えられていました。