アラビア語に興味があります。

 イランはペルシア語の国です。トルコはトルコ語で、現代トルコ語はローマ字で表記されます。

『少女は自転車に乗って』 サウジアラビア映画

2014年02月03日 15時19分14秒 | アラブ文化など
 サウジアラビア人女性監督によるサウジアラビア映画『少女は自転車に乗って』が、岩波ホールで明日まで上映です。東京では、これで終わりのようですが、全国各地で上映されており、「近日公開」の映画館もあるようですね。多くの人に観ていただけたらと思う映画です。

 私は初日の2回目を見ました。携帯電話で撮ったブレブレ写真…。(いつもどおり、クリックで拡大。)


 女性差別の厳しいサウジアラビア。小学生のワジダ(Wadjda وجدة)は、濃い灰色の制服の上に黒服、黒ベールをまとって、女子校に通っています。しかし、制服の下はジーンズとスニーカー。幼馴染のアブドッラー君の乗る自転車が羨ましくてしかたがありません。
「私も自転車が欲しい」
しかし、母親は、女の子が自転車なんてと許してくれません。

 通学途中に目にした緑の自転車。それを積んだトラックを追っていくと、あるお店の店頭に。店の主人が言います。
「800リヤルだ。お前には高い」

 でも、どうしてもその自転車が欲しくなったワジダは、ミサンガを作って友達に売ったり、上級生の女の子のラブレターの配達係を請け負ってお駄賃を貰ったり(これが発覚してまた大変なことになる!)、何とか自転車を買うお金を自力で工面しようとしますが、800リヤルには程遠く…。

 そんなある日、学校で、コーラン暗唱大会が行なわれることになります。優勝すれば賞金が貰えます。自転車を買うことができるのです。問題児だったワジダが、いきなりコーランを猛勉強し始めます。果たして、ワジダは優勝できるのか? 何か、優勝できそう、優勝して賞金を貰って、めでたく自転車を手に入れるのね!と思いながら観ていると、おっと、そうは問屋が卸さない。

 ワジダと一緒に観客もがっかりするのですが、さらにストーリーは展開、ラストシーンは涙腺が緩みます。

 この映画に関しては、町山智浩さんという方が、ラジオで、サウジアラビアや世界の現状も踏まえた、なかなか興味深い解説をしてくださっています。町山さんは、知る人によると、普段は勝手なことばかり仰っているそうですが、この解説はとても好意的です。YouTube で音声が聞けるのですが、著作権の関係などからか、アップされては消え、また別の場所でアップされ、の状態のようです。「町山智浩 少女は自転車に乗って」で検索していただければ、いくつかファイルが出てくるのではと思います。

 また、映画ブロガー杉本穂高さんも "「少女は自転車にのって」レビュー、ステレオタイプの打破の仕方" において、「この映画はむしろ共感を通じて、サウジの人たちも自分たちとそんなに変わらないと思わせてくれる作品です。」と書かれています。町田さんも、同趣旨のことをラジオ解説の中で仰っています。

 サウジアラビア人女性初の映画監督による映画、というのも、この映画の価値あるところ。撮影もすべてサウジアラビア国内で行なわれたとのこと、サウジアラビア人女性の意気込みを感じさせます。全国で、いや、全世界で観られていきますように。

「砂漠を生き抜く ―人間・動物・植物の知恵―」 (国立科学博物館)

2014年02月01日 15時56分47秒 | アラブ文化など
 今日は、都内に出てきて、ちょっと時間ができたので、国立科学博物館で開催されている企画展「砂漠を生き抜く ―人間・動物・植物の知恵―」を見ました。特別展として、ゴビ砂漠の恐竜展も今、やっているのですが、ゴビ砂漠は良いか…と、サハラ砂漠(ほんとは沙漠と書きたいのですが、企画展のタイトルに合わせました)だけにしました。

 国立科学博物館に来るのは、高校時代以来です。階段の吹き抜け部分で、フーコーの振り子の実験もまだ行なわれ続けており、懐かしいです。

 肝心の企画展ですが、砂漠という、本来、人間が暮らすには向かない環境に、人間たちはどのように適応していったのか、そして自然とどう共生しているのかを知ることをとおして、日本で暮らす私たちの生き方をも考え直してみようという、興味深い展示です。具体的には、アルジェリア、スーダン、エジプト、サウジアラビアの4ヶ国が取り上げられています。

 中東・北アフリカ地域には、外国語の勉強という文系の立場からお世話になっていますので、科学博物館という理系の立場からの展示は、いろいろと勉強になりますし、新鮮です。

 展示では、オアシスでの灌漑、ナツメヤシ栽培、マングローブやラクダという塩分に強い生物の利用などなどを紹介するとともに、メスキートという植物の植林による、砂漠開発に関しても言及がありました。メスキートは、そのお豆の栄養価が高く、また、木材もいろいろに利用できますし、何より乾燥に強いので、スーダンなどで植林が行なわれたそうです。しかし、メスキートの植林は、良いことばかりではありませんでした。この外来種は、在来種を押しのけてはびこり、水を吸い、サハラの環境を狂わせていったのです。自然と人間の共生の方法を考えさせられる事例です。

 興味深かったのは、ラクダの海での活躍です。ラクダに乗って人間が海(そこそこ浅いけど)を渡り、漁をしたり、マングローブを刈ったりするそうです。砂の上を歩くイメージばかりのラクダですが、こんなこともあるんですね。

 展示会場では、展示内容をカラー写真で振り返ることのできる、かなり立派なパンフレットが無料でいただけます。かなり得した気分。

 開催期間は平成26年2月9日(日)まで。常設展への入場券で見ることができます。

【追記 2014/02/03】お写真追加。クリックで拡大します。



『もうひとりの息子』を観ました。

2013年11月02日 17時25分29秒 | アラブ文化など
 10月19日(土)、『もうひとりの息子』が封切られました。張り切って、12時からの初回に行ってきました。

 シネスイッチ銀座は、前売り券を買ってあっても、当日、窓口で座席指定を受けなければいけないシステムなので、土曜日だし初日だし混むかと思い、早めに劇場に向かったのですが、窓口前には3人くらいしか人が並んでおらず拍子抜け。ただ、開場後、座席についてみたら、結構、人は入っていて、またびっくり。早めに行ったおかげで、真ん真ん中の I-8 という席が取れた私は幸運でした(とそのときは思った…←伏線)。

 『そして父になる』や『ねじれた絆』と、赤ちゃん取り違えものという意味では同一路線ですが、『もうひとりの息子』では、取り違え発覚が、息子たちが18歳になる直前というところがまったく違います。『そして父になる』では、主に両親の側の葛藤が描かれていましたが、『もうひとりの息子』では当人たちも18年という時間をそれぞれユダヤ人(イスラエル人、ユダヤ教徒)、パレスチナ人という立場で過ごしてきてしまったのです。特に、パレスチナ人として育てられ育ってきたヤシン(ヤースィーン)には兄がいます。弟が実はユダヤ人と知った兄は、それまで喜んで着ていた、弟のフランス土産のTシャツ(サッカーチームのユニフォームを模したもの)を脱ぎ捨て、床に叩きつけます。

 兄の怒りは、並大抵のものではありませんでした。
「お前なんか、弟じゃない!」

 ヤシンは留学先のフランスから一時帰国中で、フランスで大学に行き、医者となってパレスチナに戻り、兄とパレスチナに病院を開くという夢を持っていたのですが…。

 一方、ユダヤ人として育ったヨセフは、ラビに相談します。自分はユダヤ教徒なのかと。ラビは、君はユダヤ人の母親から生まれたのではないから、今のままではユダヤ教徒ではないけれど、君ならトーラ(律法)を受け入れることは簡単だろうし、割礼は済んでいるし、あとは(確か…)ラビたち(4人だったか?)の承認を受ければユダヤ教徒になれると請け負ってくれます。(3番目の条件がうろ覚え。すみません。)とはいえ、自分が生まれながらにしてユダヤ教徒だったわけではないことを知ったヨセフは、悩み苦しみます。

 徴兵を免除になってしまったヨセフ。友人たちは、ヨセフの父親がイスラエル軍の大佐であることから、そのコネで徴兵を免れたのだろうと、笑って考えます。友人に真実を告げることもできず、ヨセフは海岸でアイスクリーム売りのアルバイトをしながら、ミュージシャンになる夢を追います。

 ヤシンの父のコネもあり、イスラエル領に出入りできるようになったヤシンは、ヨセフのアイスクリーム売りを手伝うなどして、友情をはぐくみます。ヨセフが半分こにしてくれた売上金は、自動車修理工をしている父親の月収に相当する額でした。それをヤシンはそっと母のところに持って帰ります。

 最後、映画は、ヤシンとヨセフの固い意思と決意で幕を閉じます。感動のラスト。


 …ただ、ひとこと言わせてもらえれば、息子がフランス留学しているからって、何でパレスチナ人の母親が、いきなり流暢にフランス語が喋れるようになるんだ?????(フランス映画だからっていう事情はあるんだけど。)


 さて。
 当日は抽選で、オリーブ石鹸が当たるという企画がありましたが、どこで抽選をやっているのかなあと思っているうちに映画は終わってしまいました。すると、館内アナウンスが流れ、座席番号 N-7 の方が当選したので、半券を持って受付までいらしてください…ですと。やっぱり私はくじ運わろし。

 実は、くじ運の悪い自覚はあったので、映画開始前に、自分でオリーブ石鹸を買っておきました。ザクロ入りのピンク色のものと、セージ入りの緑色のものと1個ずつ。どちらもビニールの包装の上からでも、オリーブの良い香りがしてきました。あと、きれいなパレスチナ刺繍製品も売られていたのですが、高くてあきらめました。でも、お財布に余裕のある方は是非どうぞ! パレスチナ刺繍は、基本はただのクロスステッチなのですが、色使いがきれいで、本当に美しいです。

『もうひとりの息子』

2013年10月16日 23時04分24秒 | アラブ文化など
 先日、話題の『そして父になる』を観てきました。感動の名作という声が大きくある一方で、モデルとなった方々からはいろいろご感想が出ているようですね。映画の参考文献である奥野修司著『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年』は未読なのですが、この前の金曜日、フジテレビで、「金曜プレステージ 実録ドラマスペシャル『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件 42年の真実』」が放映され、涙腺を緩ませながら視聴しました。最後、取り違えられた娘さんたち2人も幸せになり、また実の両親とやっと普通の親子のように笑って話せるようになっていたのが救いです。

 さて、今週末の10月19日(土)、別の「赤ちゃん取り違え事件」の映画が封切られます。

『もうひとりの息子』 ←公式サイトにリンク

よりによって、イスラエル人(ユダヤ人)の赤ちゃんとパレスチナ人の赤ちゃんを取り違えてしまったことが、それぞれの息子が18歳になったときに発覚したという映画です。

 前売り券を買ったときに、オリーブ・リーフ・ティーがおまけで付いてきました。

 
(クリックで拡大)

もったいながって飲まないでいたら、賞味期限が迫ってきてしまったので、急いで飲んでみました。独特の香りがしますが、クセがなく、美味しいお茶でした。

 先着順のプレゼントのようですが、上映館のシネスイッチ銀座のお知らせサイトではまだ品切れの告知が出ていないので、まだあるのかもしれません。余ったら、上映中に売ってくれると良いなあと思ったりしております。以前、『スタンリーのお弁当箱』(インド映画)を観に行ったとき(この前売り券を買いに行ったついでに観ました)は、木村屋のカレーパンとか、インド式のお弁当箱なんかが売られていたので、今回もそのノリで何か販売してくださらないかなと。

 いろいろタイアップ企画はあるらしいのですが、抽選で、というのが多いのが難。我が家はDNAレベルでくじ運が悪いのです。オリーブ石鹸なんか欲しいんですけどね。

【追記】うわ。見てみたら、1年以上更新していなかったのですね。お久し振りです。ご無沙汰しておりまして、失礼いたしました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

ナギーブ・マフフーズの住所表示プレート

2012年09月11日 16時49分46秒 | アラブ文化など
 カイロ・アメリカン大学のダウンタウン・キャンパス内ブックショップにて、面白いものを見つけました。


  
(いずれもクリックで拡大)


 いずれも、地名を題名にした、ナギーブ・マフフーズ(1911-2004. 1988年にアラブ初のノーベル文学賞受賞。)の小説に基づくお笑い商品です。
 ナギーブ・マフフーズの名前、英訳のタイトル、そして原題(=地名)を並べ、住所表示プレートに仕立て上げられています。
 このうち、いわゆるナギーブ・マフフーズのカイロ三部作は、彼のノーベル文学賞受賞作品である Palace Walk 『バイナル・カスライン』(新完訳版での邦題は『張り出し窓の街』)のみ。ほか2つは、観光客のお土産購入スポットでもある、カイロのイスラーム地区「ハーン・エル=ハリーリ」と、やはりイスラーム地区、フセイン広場近くのアズハル地区の「ミダック小路」です。

 ネタで一枚買っていこうかと思いましたが、一枚200エジプト・ポンド(1ポンドは現在約13円)もするのと、薄い割には金属製で重たいので、購入は断念しました。…いや、これから買いに行こうかなあ。

【2012年10月2日 追記】結局、買いに行きませんでした。買っても飾るところがありませんし。

 なお、類似商品として、タハリールTシャツがあります。タハリール広場の住所表示プレートをプリントしたTシャツです。私の持っているのは灰色の地ですが、上記のプレートを見たとき、店内には白地のバージョンがありました。



タハリールTシャツ(左)および特に関係のない手拭いタオル(右)
(クリックで拡大します。)

ナギーブ・マフフーズのカイロ3部作邦訳

2011年12月04日 22時08分22秒 | アラブ文化など
 アラブ初のノーベル文学賞受賞(1988年)作家である、ナギーブ・マフフーズ。その受賞作が『バイナル・カスライン』で、これは元アラビスト外交官の塙治夫氏により、受賞以前に邦訳され、河出書房新社より、上下2巻で出版されていました。

 このたび、その『バイナル・カスライン』を含む、ナギーブ・マフフーズのカイロ3部作が、同じく塙治夫氏によって、新完訳版としてお目見えします。邦訳タイトルは、それぞれ、

1.バイナル・カスライン → 張り出し窓の街
2.カスルッ・シャウク  → 欲望の裏通り
3.スッカレイヤ     → 夜明け

とのこと。ううむ、「欲望」以外の単語は、原題と関係ないものばかり…。

 『張り出し窓の街』の「張り出し窓」とは、出版元の国書刊行会のサイトによると、「張り出し窓は格子がはめ込まれ、女は中から外をのぞき見ることができるが、外からは見られず、古い社会習慣を代弁するもので、旧市街の民家に多い」ということなので、マシュラベイヤの窓のことでしょう。マシュラベイヤとは、飲む sh-r-b の語根から派生したことばで、独特のその「格子」のこと。格子を通して風が入ってくるので、その風で飲み物の入った壺を冷やすことができるからです。

 なお、エジプト大使館文化・教育・科学局ほかの主催で、「ナギーブ・マフフーズ その魅力のすべて」 という、生誕百年とカイロ三部作刊行記念の講演会も開催されるとのこと。

Sout Al Horeya -- 自由の声 の朗読部分

2011年02月23日 22時02分19秒 | アラブ文化など
 「Sout Al Horeya -- 自由の声」で、「演説」と書いていた部分は、実は、詩人アブドゥルラフマーン・エル=アブヌーディーの「広場」(الميدان エル=ミダーン)という詩の一部でした。zaHitchBlogs by Hashemなどに、アラビア語の文字起こしがされています。

 英語字幕付き動画(1と3で異なる英訳)
 アラビア文字、その発音を示すローマ字転写、英訳 の対応表
 日本語字幕付き動画(アフマド・ファトヒー博士、エジプト人の思い入れたっぷりの和訳)
 Kaoru Yamamoto和訳(歌詞と詩)

أيادي مصرية سمراء ليها في التمييز
ممدودة وسط الزئير بتكسّر البراويز

طلع الشباب البديع قلّبوا خريفها ربيع
وحقّقوا المعجزة صحّوا القتيل من القتل

اقتلني قتلي ما هيعيد دولتك تاني
باكتب بدمي حياة تانية لأوطاني

دمّي ده ولا الربيع الاتنين بلون أخضر
وبابتسم من سعادتي ولا أحزاني


 アブドゥルラフマーン・エル=アブヌーディ عبد الرحمن الأبْنويدي は、エジプト方言による詩を書いている著名な詩人だそうです。アブヌード村という村がケナ県にあり、そこの出身なのだそうです。

和訳を試みました:

エジプトの浅黒い手(複数)――それらには弁別の中に(=弁別された、卓越の)――
吠え声のただなかに伸ばされ、枠組みを壊す

素晴らしい若者たちが現れ、その秋を春にひっくり返した
彼らは奇跡を実現させた 殺された者を死(殺害)から目覚めさせた

私を殺せ 私の殺害が、再びお前の国を返すことはないだろう
私は私の血で、私の祖国(複数)のためのもうひとつの生命を書く

これは私の血か?あるいは春か?双方とも緑色をしている
私は私の幸せゆえにほほ笑んでいるのか?あるいは私の悲しみゆえにか?


 なお、詩の全文は、こちらのテレビ番組で詩人自身が朗読しています。SilkRoad4Arabに全文が文字起こしされています。動画の音声と聞き比べると、細部で微妙に異なる部分もあるようですが、ほぼ同じです。

Sout Al Horeya -- 自由の声

2011年02月16日 20時34分00秒 | アラブ文化など
صوت الحرية

نزلت وقلت، أنا مش راجع
وكتبت بدمّي في كل شارع
سمّعنا اللي ماكانش سامع
واتكسّرت كل الموانع
سلاحنا كان أحلامنا
وبكره واضح قدّامنا
من زمان بنستنّى
بندوّر مش لاقين مكانّا

في كل شارع في بلادي
صوت الحرية بينادي
في كل شارع في بلادي
صوت الحرية بينادي

رفعنا رأسنا في السماء
والجوع مابقاش يهمّنا
أهمّ حاجه حقّنا
ونكتب تاريخنا بدمّنا
لو كنت واحد منّنا
بلاش ترغي وتقولّنا
نمشي ونسيب حلمنا
بطّل تقول كلمة أنا

في كل شارع في بلادي
صوت الحرية بينادي
في كل شارع في بلادي
صوت الحرية بينادي



美しい和訳:「ゲジーラからの眺望

英語字幕付きビデオ
日本語字幕付きビデオ

直訳っぽい和訳:
家を出た。僕は帰って来ないだろうと言った。
自分の血で、あらゆる通りに書いた。
聞いていなかった人に僕たちは聞かせた。
すべての障害物を僕は壊した。
僕たちの武器は、僕たちの夢だった。
そして、明日は僕たちの前に明らかだ。
ずっと前から僕たちは待っている。
僕たちの場所を見つけられずに探し求めている。

※僕の祖国のあらゆる通りに
 自由の声が呼んでいる。
 ※繰り返し

僕たちは首を空に向かって上げた。
空腹は、もはや僕たちと関係がない。
最も重要なものは、僕たちの権利だ。
そして僕たちは、僕たちの血で僕たちの歴史を書こう。
もし君が、僕たちのうちの一人ならば、
僕たちに喋ったり言ったりしないで。
行ってしまおう、そして僕たちの夢を置いていこう、と。
「僕」という単語を言うのをやめて。

 ※繰り返し ※繰り返し
  (演説)
 ※繰り返し ※繰り返し ※繰り返し …

【追記 2011/02/17】歌詞にミスタイプがあったので、確か2ヶ所訂正しました。

【追記 2011/02/25】上で「演説」としたのは、エジプト口語詩の詩人エル=アブヌーディーの詩の一部でした。こちらに英訳や和訳へのリンク、拙訳等、書き込んであります。

セーラー服

2010年08月05日 20時29分28秒 | アラブ文化など
 ちょっと前、ツイッターで話題になっていたのが、サウジアラビアの「セーラー服」だ。

 “サウジアラビアでは女子高生の制服として採用されている。アラビア語でسايلر فوكوと書いて「セーラーフク」と読みそのまま日本語由来の外来語として定着している。”

というウィキペディアの記事からの抜粋が何度もリツイートされた。

 同記事によれば、サウジでは、女性がアバーヤ以外の格好で外出すると刑罰が下るので、セーラー服は学校内でのみ着られており、校外でセーラー服姿の女生徒を見ることはないという。

 しかし、校外でアバーヤを着れば良いというものでもなく、人によってはセーラー服にひどい嫌悪感を感じる人もあり…

 > 2002年3月11日にマッカにあるファイサル女子高等学院が火事になった時に
 > 女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で
 > 火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。
 > この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた勧善懲悪委員会のサッターム
 > 王子は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。

ワニ論法@エジプト

2010年06月27日 23時56分09秒 | アラブ文化など
東京新聞 2010年5月28日
 これはエジプトの伝説に由来する話。ワニに子をさらわれた親が返してくれと頼むと、ワニ曰(いわ)く。「わしが、この子を返すかどうか、当てたら返してやろう」▼しかし、親が「返してくれる」と答えれば、子を食って「はずれだ」と言い、「返す気などない」と答えれば「返す気だったがはずれたから」と言って食うのである。どう答えても、結果は同じ。これを称して<ワニ論法>という

 こんな伝説があることを、先月まで知らなかった。まあ、昔はエジプトにもワニがわんさかいたわけで(ワニ肉の話)、子供がワニに食われることもあっただろうが。


マジンガーZ

2010年04月18日 01時22分34秒 | アラブ文化など
 在エジプト日本大使館の広報誌 اليابان の、2009年 3月号 第3号 のテーマが、We Love Peace نحن نحب السلام だった模様。表紙がなぜか、大使とマジンガーZのツーショット。

 マジンガーZは、マジンジャルの名で、アラブの皆さまに親しまれていますからね。日本のアニメと知らずに見ている方も多いようです。

【追記 2010/04/23】 むじなさまのコメントにより、号表示訂正。まるさまによると、2009年10月半ば、マジンガーZ原作者の永井豪さんがカイロを訪れたとのこと(産経ニュース)。

『ハビビな人々』

2010年02月21日 18時57分45秒 | アラブ文化など
 偶然、本の広告を目にした。

  中山茂大(なかやま しげお)著
  『ハビビ حبيبى な人々――アジア、イスラムの「お金がなくても人生を楽しむ」方法』 文藝春秋社

 ハビビではなくハビービー、さらにアラビア語の最後の文字の下に、点々2つが付けば尚宜しい。

 広告文句は、
「インド、エジプト、イラン、モロッコ、シリア……。
 広~い世界をゆっくり回って見つけた
 ハッピー・ライフの数々!」

 ハビービー(私の恋人m.sg)という表現は、イラン(ペルシア語圏)やインドでも使われているのか。特段買いたいとは思わないが、ご興味のある方はどうぞ。椎名誠氏絶賛だそうだ。

ライラトゥ タッラブ@シリア料理店パルミラ

2009年01月11日 23時28分13秒 | アラブ文化など
 昨年、細密画展を見てきたことを記事にしたが、その翌月、池袋にあるパルミラというシリア料理店で、その細密画と再会した。

 2008.12.21の夜にイベント「ライラトゥ タラッブ」が催され、それに出演なさったウード奏者の常味裕司さんのCDをその場で購入したところ、そのジャケットが西アジア細密画展の先生の作品だったのである。

 
常味さんの直筆サイン♪ ジャケットの細密画
(それぞれクリックで拡大)

【追記 2009/01/12】 ライブは、常味裕司さんのウード、和田啓さんのレック(タンバリンみたいなもの)、西田ひろみさんのバイオリンで合奏、途中、松本さんという方が「アンタ・オムリー (You're my life)」という、ウンム・クルスームの歌を歌って下さった。忘れないようにURLを貼り付け。

常味裕司さん http://www.oud.jp/
和田啓さん、松本さん http://www.beravo.com/
西田ひろみさん http://www.syzygys.jp/

日本モロッコ研究センター

2008年12月01日 17時43分14秒 | アラブ文化など
 日本モロッコ研究センター(Japan Centre for Moroccan Studies, 略称J.C.M.S)が設立されたそうです。その第1回研究会と開所セレモニーが、2008年11月29日に、シェラトン札幌で執り行われたとのこと。

 さっそく、Google や Yahoo! で検索してみたのですが、ウェブサイトは開いていないようです。