先日書いたように、ラージャ・ヨーガでもクンダリニー・ヨーガでもジュニヤーナ・ヨーガでも、サマディに入り到達する点は「ニルヴィカルパ・サマディ」であって、解脱には段階がない。その点から考えると、麻原さんの最終解脱とはなんだったのかということになる。自らを最も高い解脱に到達した者であると、アピールをするためにつけた用語であったということか?
ここに至って、そもそも、麻原さんは、サマディに入れたのかと言う問題が浮上してくる。シヴァの喜びさんは、二つの点から、全く入れていなかったと主張している。まずその第一点として、解脱に至るためには、そこまで導いてくれる導師が必要であり、特にクンダリニーヨーガは最も激しい面と激しい効果を持つがゆえにキチンとした師弟相承がなければ危険・外道とみなされるのだそうだ。少なくとも5~6代先の師までたどれるくらいに、師の系譜がしっかりしていなくてはならず、さらにその全ての師が解脱していなくてはならないらしい。なんとインドでは、全てのヨーガにおいて、このように師を遡ることが出来なくてはならないのだという。
では、麻原さんはどうであったのだろうか?麻原さんの師は、雨宮第二(ダンテスダイジ)という方である。クンダリニーヨーガの師としたようである。コメント欄に、この方の詳細が載っているサイトのURLを貼っておくのでご覧いただきたい。シヴァの喜びさんに言わせると、この方も解脱していたかどうか、かなり怪しいらしい。
このダンテスダイジの紹介で、麻原さんは、インドのパイロット・ババに修行の手ほどきを受けることになっていた。そこで麻原さんは、インドに出かけパイロットババのもとに行った。しかし、どういうわけか、たった3日で日本に帰ってきてしまったらしい。教団で発行している書籍には、パイロット・ババとの2ショットが何度も載せられたが、あれは、一緒に修行に入る前のひと時に、すかさず撮ったものだそうだ。
これが、1986年5月の事なのだろうか?この後、もう一度麻原さんは7月にインドに行って、そこで最終解脱を果たしたことになっている。
パイロット・ババのもとから3日で帰ってきてしまい、おまけに弟子を取っている麻原さんに激怒したダンデスダイジは、真夜中の3時頃に電話をかけてきて、受話器から離れた周りの人間にも声が聞こえるほどの大声で、麻原さんを怒鳴りつけたそうである。
「3日で逃げ帰ったお前が弟子なんか取ったら魔境・地獄に落ちるぞ!分っているのか!」
シヴァの喜びさんは、後にも先にも泣きそうな麻原さんを初めて見たそうだ。その後、口封じのためか寿司を食べさせられたそうである。
それはさて置き、この時点で麻原さんは、ダンデスダイジに破門をされてしまう。このヨーガはその性格上、修行が進めば進むほど師を必要とするヨーガだそうで、途中で破門された麻原さんが、クンダリニー・ヨーガを最後まで納めることは不可能なのだそうだ。クンダリニー・ヨーガでつまずいてしまった麻原さんは、当然サマディに入れないということになる。教団の書籍では、1986年ヒマラヤで最終解脱を果たしたことになっているが、ヒマラヤのどこで、どのように最終解脱を果たしたのかの詳細な説明は無い。その時の内的な体験に関しては、教団発行の書籍「生死を越える」に載っている。
もう一点は、水中エアタイトサマディに関することである。麻原さんは、「サマディこそ解脱の証明であり、サマディを行ない得る解脱者こそ、真の仏陀である。そしてそれが、信徒ならびに一般の方々をにせ仏陀(にせ解脱者)から守る唯一の方法である。」(マハーヤーナ10号P26抜粋)と言っていた。この動機および見解は、正しいものと考えられる。しかし、実際はどうであったのだろうか。
1988年3月16日に第一回目の水中エアタイト・サマディを行なおうとした。しかし、この時は、水槽からの水漏れが発生し、内側水槽密閉後8時間で中止。その水漏れは、水槽がそのままでは壊れることを教えるための、シヴァ神の示唆であった。シヴァ神が守ってくださったのだということで、シヴァ神を称えてその件は済ましてしまった。
第二回目は、3月21日に再チャレンジしたが、今度はゴムシートの接着部分から有毒ガスが出ているとか、鉄骨の表面のがサビるたびに酸素を消耗するので後世に、正しいデータが残せ無いとかいう理由で、4、5時間で終了した。この時も、シヴァ神のおかげで有毒ガスで死ななくて良かった。シヴァ神の祝福であると喜んでいた。
三度目は、5月17日に行われた。麻原さんとケイマさんが4日半にわたるサマディ実験を行うはずであったが、17日の午前7時から始められた実験は、18日の0時2分であえなく終了してしまった。その間約20時間である。理由は、またまた有毒ガスの発生で生命の危険があるという判断と、理由ははっきりしないが、内部の木材が酸素を消費しており、正確なデータにならないという判断があったかららしい。木材が酸素を消費する?前回は鉄が酸素を消費したそうだが、なんとなく酸素消費の言い訳に聞こえてしまう。
それと、サマディに入っている最中に、麻原さんは、何度も何度もインターホンで外部と連絡を取り続けている。これに関しては、まさにこれこそが、呼吸停止のまま、肉体を動かしたり話したりすることが可能な、ニルヴィカルパ・サマディの証明だったと言っている。本当なんだろうか?
教団発行の「ザ・サマディⅡ」によると、
「ハプニングなどがあり二十時間ほどで中止せざるを得なかったが、『補正されたデータから』麻原尊師の脅威のサマディの成功が証明された。一方、愛弟子マハー・ケイマ正大師も十二時間連続無呼吸を記録。解脱者の証明を果たしている。」
と書かれている。気になるのが、「補正されたデータ」という言葉である。データは記録であるから、補正してはいけないのではないかと思うのは、私だけであろうか?シヴァの喜びさんも、データの改ざんがあったようなことを、ブログで語っておられたようであるが、この辺を詳しく解説していただけるとありがたい。
この実験を真に受ければ、ケイマさんの12時間の連続無呼吸はすごいということになるが、麻原さんのほうは、本当にサマディに入ったのかどうかが非常に怪しい感じがする。どちらにしても、4日半という当初の予定は、全く達成できなかった。そして、なぜかその後は、弟子にアンダーグラウンド・サマディをさせて、自分はサマディ実験から遠ざかってしまった。
「サマディこそ解脱の証明であり、サマディを行ない得る解脱者こそ、真の仏陀である。そしてそれが、信徒ならびに一般の方々をにせ仏陀(にせ解脱者)から守る唯一の方法である。」(マハーヤーナ10号P26抜粋)このように崇高な目標を掲げていた以上、必ず成し遂げなくてはならない実験だったはずである。シヴァ神との約束でもあったはず。なぜ、その後も挑戦を続けなかったのであろうか?
インド政府により公開でサマディを行うことを公認されているのは、ヨグマタ(相川圭子・・日本人の女性が公認されているなんてすごい!)とその兄弟弟子パイロット・ババの2名のみなのだ。それだけ、命の危険性のある高度な瞑想状態ということだろう。パイロット・ババジーはすでに108回以上も公開サマディを行っているそうだ。師匠が100回以上もやっているのに、弟子が3回であきらめてしまってええんかい!と突っ込みを入れたくなるが、自分がサマディには入れないことを、弟子に見せるわけにはいかなかったということだろうか・・。
ここに至って、そもそも、麻原さんは、サマディに入れたのかと言う問題が浮上してくる。シヴァの喜びさんは、二つの点から、全く入れていなかったと主張している。まずその第一点として、解脱に至るためには、そこまで導いてくれる導師が必要であり、特にクンダリニーヨーガは最も激しい面と激しい効果を持つがゆえにキチンとした師弟相承がなければ危険・外道とみなされるのだそうだ。少なくとも5~6代先の師までたどれるくらいに、師の系譜がしっかりしていなくてはならず、さらにその全ての師が解脱していなくてはならないらしい。なんとインドでは、全てのヨーガにおいて、このように師を遡ることが出来なくてはならないのだという。
では、麻原さんはどうであったのだろうか?麻原さんの師は、雨宮第二(ダンテスダイジ)という方である。クンダリニーヨーガの師としたようである。コメント欄に、この方の詳細が載っているサイトのURLを貼っておくのでご覧いただきたい。シヴァの喜びさんに言わせると、この方も解脱していたかどうか、かなり怪しいらしい。
このダンテスダイジの紹介で、麻原さんは、インドのパイロット・ババに修行の手ほどきを受けることになっていた。そこで麻原さんは、インドに出かけパイロットババのもとに行った。しかし、どういうわけか、たった3日で日本に帰ってきてしまったらしい。教団で発行している書籍には、パイロット・ババとの2ショットが何度も載せられたが、あれは、一緒に修行に入る前のひと時に、すかさず撮ったものだそうだ。
これが、1986年5月の事なのだろうか?この後、もう一度麻原さんは7月にインドに行って、そこで最終解脱を果たしたことになっている。
パイロット・ババのもとから3日で帰ってきてしまい、おまけに弟子を取っている麻原さんに激怒したダンデスダイジは、真夜中の3時頃に電話をかけてきて、受話器から離れた周りの人間にも声が聞こえるほどの大声で、麻原さんを怒鳴りつけたそうである。
「3日で逃げ帰ったお前が弟子なんか取ったら魔境・地獄に落ちるぞ!分っているのか!」
シヴァの喜びさんは、後にも先にも泣きそうな麻原さんを初めて見たそうだ。その後、口封じのためか寿司を食べさせられたそうである。
それはさて置き、この時点で麻原さんは、ダンデスダイジに破門をされてしまう。このヨーガはその性格上、修行が進めば進むほど師を必要とするヨーガだそうで、途中で破門された麻原さんが、クンダリニー・ヨーガを最後まで納めることは不可能なのだそうだ。クンダリニー・ヨーガでつまずいてしまった麻原さんは、当然サマディに入れないということになる。教団の書籍では、1986年ヒマラヤで最終解脱を果たしたことになっているが、ヒマラヤのどこで、どのように最終解脱を果たしたのかの詳細な説明は無い。その時の内的な体験に関しては、教団発行の書籍「生死を越える」に載っている。
もう一点は、水中エアタイトサマディに関することである。麻原さんは、「サマディこそ解脱の証明であり、サマディを行ない得る解脱者こそ、真の仏陀である。そしてそれが、信徒ならびに一般の方々をにせ仏陀(にせ解脱者)から守る唯一の方法である。」(マハーヤーナ10号P26抜粋)と言っていた。この動機および見解は、正しいものと考えられる。しかし、実際はどうであったのだろうか。
1988年3月16日に第一回目の水中エアタイト・サマディを行なおうとした。しかし、この時は、水槽からの水漏れが発生し、内側水槽密閉後8時間で中止。その水漏れは、水槽がそのままでは壊れることを教えるための、シヴァ神の示唆であった。シヴァ神が守ってくださったのだということで、シヴァ神を称えてその件は済ましてしまった。
第二回目は、3月21日に再チャレンジしたが、今度はゴムシートの接着部分から有毒ガスが出ているとか、鉄骨の表面のがサビるたびに酸素を消耗するので後世に、正しいデータが残せ無いとかいう理由で、4、5時間で終了した。この時も、シヴァ神のおかげで有毒ガスで死ななくて良かった。シヴァ神の祝福であると喜んでいた。
三度目は、5月17日に行われた。麻原さんとケイマさんが4日半にわたるサマディ実験を行うはずであったが、17日の午前7時から始められた実験は、18日の0時2分であえなく終了してしまった。その間約20時間である。理由は、またまた有毒ガスの発生で生命の危険があるという判断と、理由ははっきりしないが、内部の木材が酸素を消費しており、正確なデータにならないという判断があったかららしい。木材が酸素を消費する?前回は鉄が酸素を消費したそうだが、なんとなく酸素消費の言い訳に聞こえてしまう。
それと、サマディに入っている最中に、麻原さんは、何度も何度もインターホンで外部と連絡を取り続けている。これに関しては、まさにこれこそが、呼吸停止のまま、肉体を動かしたり話したりすることが可能な、ニルヴィカルパ・サマディの証明だったと言っている。本当なんだろうか?
教団発行の「ザ・サマディⅡ」によると、
「ハプニングなどがあり二十時間ほどで中止せざるを得なかったが、『補正されたデータから』麻原尊師の脅威のサマディの成功が証明された。一方、愛弟子マハー・ケイマ正大師も十二時間連続無呼吸を記録。解脱者の証明を果たしている。」
と書かれている。気になるのが、「補正されたデータ」という言葉である。データは記録であるから、補正してはいけないのではないかと思うのは、私だけであろうか?シヴァの喜びさんも、データの改ざんがあったようなことを、ブログで語っておられたようであるが、この辺を詳しく解説していただけるとありがたい。
この実験を真に受ければ、ケイマさんの12時間の連続無呼吸はすごいということになるが、麻原さんのほうは、本当にサマディに入ったのかどうかが非常に怪しい感じがする。どちらにしても、4日半という当初の予定は、全く達成できなかった。そして、なぜかその後は、弟子にアンダーグラウンド・サマディをさせて、自分はサマディ実験から遠ざかってしまった。
「サマディこそ解脱の証明であり、サマディを行ない得る解脱者こそ、真の仏陀である。そしてそれが、信徒ならびに一般の方々をにせ仏陀(にせ解脱者)から守る唯一の方法である。」(マハーヤーナ10号P26抜粋)このように崇高な目標を掲げていた以上、必ず成し遂げなくてはならない実験だったはずである。シヴァ神との約束でもあったはず。なぜ、その後も挑戦を続けなかったのであろうか?
インド政府により公開でサマディを行うことを公認されているのは、ヨグマタ(相川圭子・・日本人の女性が公認されているなんてすごい!)とその兄弟弟子パイロット・ババの2名のみなのだ。それだけ、命の危険性のある高度な瞑想状態ということだろう。パイロット・ババジーはすでに108回以上も公開サマディを行っているそうだ。師匠が100回以上もやっているのに、弟子が3回であきらめてしまってええんかい!と突っ込みを入れたくなるが、自分がサマディには入れないことを、弟子に見せるわけにはいかなかったということだろうか・・。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~scl/medi.htm#ダンテス・ダイジについて
ダライラマの灌頂を受けたのならご存知ですね。
弟子と認められてはじめて弟子です。
で、俺は誰のグルにもなるつもりがないのでw
たんに「ヨーガの技法を間違って覚えているよ」と知らせているだけ。
独覚と言う言葉をご存知でしょうか?
さらに釈迦牟尼は「サハジャの聖者」とされています。
この聖者は「ある日目覚める」とか「最初から目覚めている。が、そのことを忘れていて、ある日思い出す」とされます。
もちろん独りで。
さらに言うと釈迦牟尼はヨーガの観点から言うとラージャヨーガ(禅定の道)とギャーナ・ヨーガ(哲学・思索の道)の完成者であってクンダリニーヨーギーではありません。
それは彼が仏典の中で「私はヴェーダの達人である」と言っていることからも分ります(ヴェーダはラージャヨーガの直感的な叡知とギャーナヨーガの思索によって成り立っています)
ラージャヨーガもギャーナヨーガも最後は孤独を選択するヨーガです。
つまり、グルが手ほどきはするが、最後の最後は一人で挑むヨーガです。
お釈迦様はサマディに入れたかどうかっていう議論になるとすると、サマディの意味というものは単に過程の問題、手段?の問題になり、最終地点にいたるという問題の本質そのものではなくなるのでは?
弟子の定義にもよるでしょうが、テクニックを指導したら広義には弟子です
菊座の写真貼ったカルマか
大乗仏教は声門・独覚(縁覚)は二乗と言って蔑みますが、「辟支仏pratyekabuddha(paccekabuddha)、梵:प्रत्येक बुद्ध)」とも言い、たんに「師なくして独自にさとりを開いた人」のことです。
きちんと「ブッダ」とされています。
つまり、レベルを設けたのは大乗仏教の人たち。
原始仏教ではレベルがありません。
>お釈迦様はサマディに入れたかどうかっていう議論になるとすると、サマディの意味というものは単に過程の問題、手段?の問題になり、最終地点にいたるという問題の本質そのものではなくなるのでは?
滅想定で悟りを開いたとなっています。
最終的には手段も目的もなくなる。のが解脱です。
サマディもまた同じ。
>弟子の定義にもよるでしょうが、テクニックを指導したら広義には弟子です
本質的にはそこに帰依があるかないかの問題だと思います。
テクニックを習ったのはたんにテクニックを習ったというだけです。
そこに「師・弟子」という意味づけをするのは個人の心の問題です。
シヴァの喜びさんにおお尋ねしたいのですが、
ニルヴィカルパ・サマディのこの状態自体は、
ありえることなのでしょうか?
>ケイマさんの12時間の連続無呼吸はすごいということになるが、
このケイマさんの12時間の無呼吸状態は、
実際起こったと考えられますか?
ニルヴィカルパ・サマディのこの状態自体は、
ありえることなのでしょうか?
あり得ません。
この状態の時には動けません。
動きの元になる思考や意思が無くなっていますから。
瞑想とは現実という体験(マーヤー。幻)の追及の放棄です。
なのでその究極状態であるニルヴィカルパ・サマディではおいて現実での活動は、外から見れば完全な停止状態です。
>このケイマさんの12時間の無呼吸状態は、
実際起こったと考えられますか?
あり得ません。
チェンバー自体にからくりがあったようです。
>この状態の時には動けません。
>動きの元になる思考や意思が無くなっていますから。
瞑想とは現実という体験(マーヤー。幻)の追及の放棄です。
>なのでその究極状態であるニルヴィカルパ・サマディではおいて現実での活動は、外から見れば完全な停止状態です。
そうですか・・。
動き回って指示を出していた状態は、
単にいつもの状態であっただけということですね。
>あり得ません。
>チェンバー自体にからくりがあったようです。
麻原さんがサマディに入れなかったのですから、
弟子のケイマさんがサマディに入れるわけないですね。