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四柱推命(命理・子平)の成り立ち( 副題 変遷と原点、術数叢書、欽定四庫全書 )

2025-02-16 14:22:27 | 占い

 

 

四柱推命(命理・子平)の成り立ち( 副題 変遷と原点、術数叢書、欽定四庫全書 )

 

最近は、SF小説ものが多いので、本来の占いの分野に立ち返ってみました。

四柱推命(命理・子平)の歴史について、様々な説がありますが、その起源は、中国、戦国時代 頃と推定されます。

また、現在の形に近い四柱推命のはじまりは、西暦1100年代、南宋の徐居易(徐子平)が命学の祖といわれています。

また、一説には、命理の始まりは、戦国時代(紀元前400年~ 200年頃)の蘭台御史(天子の秘書官)の珞琭子であるともいわれます。

その後、1200年代には、徐大升により『淵海子平』という書が著されました。

1368年頃には、明の軍師、政治家の劉基(劉伯温)が『滴天髄』を著しました。

その後、陳素庵(命理約言)、沈孝瞻(子平眞詮)、近世には任鐵樵(滴天髄闡微)、近代には袁樹珊(命理深言)、徐楽吾(子平粋言)(滴天髄微義)と引き継がれております。

「東洋占術の王道」とも言われる四柱推命ですが、その原初の姿から現在に至る種々な研究までは、歴史的な変遷があり、正しく理解するには難解を極めます。

中国におけるもっとも一般的な名称は「子平」です。

「三命」という呼び方もよくします。

天から授けられる三つの運命である「受命」「遭命」「随命」を合わせての名称です。

推命学源典として実在するもっとも古い書籍は、唐代に書かれたとされている『李虚中命書』三巻です。

李虚中の推命学は、現代のように「日干」=「我」と見るのではなく、「年干」=「我」として鑑定した可能性が指摘されています。

四柱推命の大運「順行・逆行」判断基準や、「奇門命理」による十宮配当の方法で継承されています。

李虚中の推命方法を改良し、「生まれ時刻」の干支を加え、日干を我と改めて運命を推理する推命学を打ち立てたのが徐子平です。

『珞琭子三命消息賦』二巻が代表作です。

後に、後進が彼の学説を編纂した『淵海子平』が、広く知られています。

中国・唐代(西暦705~907年)に出現した「李虚中の推命学」=『命書』

中国・宋代(西暦960~1279年)に出現した「徐子平の推命学」=『淵海子平』

中国・明代(西暦1368~1661年)に出現した「劉伯温の推命学」=『滴天髄』

同じ明代の「雷鳴夏の推命学」=『子平管見』

同じ明代の「萬民英の推命学」=『三命通會』

中国・清代(西暦1661~1911年)に出現した「陳素庵の推命学」=『命理約言』

同じ清代の「沈孝瞻の推命学」=『子平真詮』

などが主だった推命学原書として知られています。

年代、代表作、著者について、簡単に記すと、

紀前400年~200年年代、戦国時代、三命消息賦、珞琭子

1100年代、南宋時代、三命消息賦註、徐子平(徐居易)

1200年代、淵海子平、徐大升

1300年代、滴天髄、劉伯温

1500年代、明代、神峯通考・命理正宗、張神峯(張楠)

〃、             三命通會、萬民英(萬育吾)

1600年代、清代、命理約言、陳素庵

1700年代、子平眞詮、沈孝瞻                     

1800年代、滴天髄闡微、任鐵樵

〃、             星平會海全書、星曜系(占星術)と干支系(子平)の占術に関する文献を集成した百科全書、武當山月金山人霞陽水中龍編集

1900年代、清末から、命理探原、袁樹珊

〃、             中華民国、新命理探原、子平粹言、徐樂吾

〃、             古今名人命鑑、造化元鑰評註、滴天髄徴義、原本子平眞詮評註、滴天髓補註、窮通寶鑑、命理一得、命學講義等、韋千里等

 

(見出し、写真は、徐子平、『珞琭子三命消息賦』原典写本。)

(また、下の口絵写真は、李虚中、『命書』原典写本。)

 

 

 

 

 

 

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