電脳筆写『 心超臨界 』

つぎの目標を設定したり新しい夢を描くのに
年を取りすぎていることなどけっしてない
( C・S・ルイス )

暗く、そして明るい土偶の形象――西尾幹二教授

2016-04-29 | 04-歴史・文化・社会
縄文文化には、わびやさびといった室町以来の日本の伝統文化とみなされる枯淡への傾きとはなにかまったく別の、どろどろした情念的なものがある。そこには深い、暗い、森の奥に宿っている神秘的なもの、冥府的なものがある。地母神(じぼしん)崇拝的な非合理なもの、あるいは異端を偏愛する特殊な神聖意識がある。北方文化に特有の、母なる大地への信仰めいたものがある。いずれも残された土器や土偶の形象が、われわれに送り届けてくれるメッセージである。 . . . 本文を読む

「大政奉還」と受け取られた満州国建国――渡部昇一教授

2016-04-26 | 04-歴史・文化・社会
溥儀が執政として独立国の元首となった時から、日本人全体の態度が変わったと思う。当時の中学を出たくらいの人ならば、誰でも溥儀が清国最後の皇帝であること、また清国宮廷は元来は満州族の宮廷であることを知っていた。したがって、満州独立は一種の大政奉還として受け取られるようになったのである。 . . . 本文を読む

徹底した人間不信――西尾幹二教授

2016-04-25 | 04-歴史・文化・社会
今から約2千2百年前の中国で、滅亡寸前の弱小国・韓の王族として生まれ、乱世に処する国家経営の思想を説いて倦(う)まなかった韓非子は、最後には秦の始皇帝に囚えられ、獄死した。しかし皮肉なことに、彼は始皇帝による中国統一の事業を思想的に支えた存在だと言われる。つまり始皇帝に殺された韓非子の法術は、じつは皇帝の愛読する書でもあったのである。古代中国らしいすさまじい逆説である。 . . . 本文を読む

平成28年(2016)3月 名言との出会い

2016-04-23 | 10-名言との出会い
H28.03.31 自分はついていると考なければならない もし泥沼に落ちたら後ろのポケットを見ること 魚が捕まっているかもしれない ( ダレル・ロイヤル、アメリカン フットボール選手 ) You've got to think lucky. If you fall into a mudhole, check your back pocket - you might have caugh . . . 本文を読む

労働が懲罰に変わるとき――西尾幹二教授

2016-04-20 | 05-真相・背景・経緯
カミュの『シーシュポスの神話』の冒頭シーンは、労働がいかに退屈でもそれだけではまだ懲罰にはならず、労働がその目的と意味とを奪われたときに初めて、労働の退屈さは恐るべき懲罰となることを物語っている。実際、労働するわれわれの毎日の日常生活は、すぐ転がり落ちる岩を再び繰り返し山頂にまで持ち上げるあのシーシュポスの営々たるむなしい努力にも似ている。けれども、……。 . . . 本文を読む

平成28年-Q1 メルマガ『心超臨界』・アーカイブ

2016-04-16 | 12-読書記録
平成28年Q1のメルマガアーカイブです。 . . . 本文を読む

共産主義は「左翼」を利用する――山村明義さん

2016-04-14 | 04-歴史・文化・社会
そして「共産主義者」は、そんな「劣化左翼」たちをとても大事にします。たとえ「マルクス主義者」ではなかろうと、『資本論』を読んでいなかろうと、世の中を騒がす「騒擾犯」や「愉快犯」は、マスコミの注目を集め、最終的には自分たちの実権を「媒体」として広げてくれるからです。 . . . 本文を読む

儒家と法家の相剋する世界――西尾幹二教授

2016-04-13 | 04-歴史・文化・社会
儒家は中国文明の表であり、法家は裏である。儒家は目標であり理想であるのに対して、法家は現実であり事柄の背景である。したがって、日本人は中国の表芸を一所懸命取り入れようとしたが、裏の現実は意識化されない部分であっただけに、見えなかったということではないだろうか。 . . . 本文を読む

奇妙な戒律を守る国「ナパージュ」――百田尚樹さん

2016-04-12 | 04-歴史・文化・社会
安住の地を求めて旅に出たアマガエルのソクラテスとロベルトは、平和で豊かな国「ナパージュ」にたどり着く、そこでは心優しいツチガエルたちが、奇妙な戒律を守り穏やかに暮していた。ある事件が起こるまでは――。 . . . 本文を読む

ベトナム報道の大欠陥――古森義久さん

2016-04-11 | 04-歴史・文化・社会
私が自分自身の体験で朝日新聞の報道がおかしいと初めて深刻に実感したのは、ベトナム戦争についてだった。1972年ごろの話である。もう40年もの歳月が過ぎてしまった。私の朝日新聞への批判は、それほど歴史が長いのである。私がいまこうして朝日新聞への批判を体系的に書いているのも、このベトナムの体験から出発した部分が大きい。朝日新聞の偏向にはっきり気がついたのがベトナムの戦争での自分の痛切な実体験の結果だったのである。 . . . 本文を読む

江戸前とは東京都内湾――藤井克彦さん

2016-04-09 | 05-真相・背景・経緯
私はひょんなことから「江戸前」を定義づける一文を見いだした。それは天保2年に武井周作が書いた『魚鑑』という本だ。この本は魚の百科事典ともいえる本で魚名のいわれ、漢字、魚の特徴、料理法、味、効能などが書かれている。その中に登場する「江戸(都)前」が興味深い。 . . . 本文を読む

なぜ、アメリカとシナの「国益」が一致したか――渡部昇一教授

2016-04-09 | 04-歴史・文化・社会
清朝滅亡(明治45年=1912年2月12日)の前、その政府の外交責任者であった袁世凱は、日露戦争後の日本を抑えるためにはアメリカと手を組むより仕方がないと考え、アメリカとの軍事同盟を画策して、アメリカに海軍基地を提供しようとしたことがあった。この袁世凱が清朝滅亡後の共和国政府の臨時大統領、のちに正式の大統領になったのだから、その外交の基本方針は容易に想像がつく。 . . . 本文を読む

町づくりにおける日中の思想の相違――西尾幹二教授

2016-04-01 | 04-歴史・文化・社会
ご覧のとおり、各坊は正方形である。その各々の坊に、幅約12メートルの3本の小路を入れて16に分け、これを坪といった。坪にも番号を付けた。その付け方は図示したとおりである。碁盤目の市街の地番制はきわめて合理的で、たとえば、薬師寺は、右京六条二坊七坪八坪九坪十坪十五坪十六坪というように表示されるわけである。この都市計画のアイデアそのものが長安からきたことはまぎれもないが、町づくりの基礎をなしたものの考え方には、きわめて大きな相違が見いだされる。 . . . 本文を読む