20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散記事『十倉経団連の「選択的夫婦別姓」は戸籍廃止を目論む中国政府の意向』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
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(「停戦協定」から)はっきりすることは――宋哲元サイドが自分たちの手落ちを認め、日本軍に謝罪し、現地で事件を解決したという事実です。いいかえれば、前述した「盧溝橋事件は日本軍の計画的な軍事行動であり、侵略であった」とする説はまったく成り立たないことになります。
◆盧溝橋事件「停戦協定」の真実
『条約で読む日本の近現代史』
( 藤岡信勝[編著]、祥伝社 (2014/8/2)、p216 )
この盧溝橋事件でいちばん重要なポイントは、こういう銃撃戦が起こったものの、宋哲元の軍隊も日本軍もこの紛争を拡大する意思を持っていなかったことです。日本側は「現地解決・不拡大」という方針をただちに決め、事変解決のために努力しています。
そこで、わずか4日後の7月11日に、宋哲元と日本軍のあいだで「現地停戦協定」が締結されています。
この停戦協定は「松井・秦徳純(しんとくじゅん)停戦協定」と呼ばれています。松井太久郎(まついたくろう)・特務機関長と北京市長の秦徳純のあいだで結ばれたので、このような呼称になっています。肝心な停戦協定の中身ですが、これは以下の3項目に要約することができます。
①第29軍の代表者は、日本軍に対して遺憾の意を表したうえで、責任者を処分し、そして「今後このような事件が起こらないよう防止する」と声明する。
②中国の軍隊が、日本の駐屯地に接近しすぎているから、こういうことが起こるわけだから、盧溝橋周辺からは立ち退き、治安維持は保安隊に任せることにする。
③今回の事件は、藍衣社(らんいしゃ)(蒋介石軍の情報機関)や中国共産党の暗躍と密接な関係があるので、今後はそうした組織の取り締まりに力を入れる。
以上の3項目からはっきりすることは――宋哲元サイドが自分たちの手落ちを認め、日本軍に謝罪し、現地で事件を解決したという事実です。いいかえれば、前述した「盧溝橋事件は日本軍の計画的な軍事行動であり、侵略であった」とする説はまったく成り立たないことになります。
ここでそれを証明するようなエピソードをご紹介しておきましょう。
元杉並区長の山田宏さんは、国会議員に初当選したときは日本新党から立候補していました。その日本新党の議員団が中国を訪問したときのことです。中国側と意見交換をしていると、向こう側のひとりが「盧溝橋事件にはじまる日本の中国侵略はウンヌン……」といって、滔々(とうとう)と日本批判をはじめたそうです。日本新党の議員団はうなだれて、その演説を聞かされていたので、山田さんは手を挙げて次のように反論したといいます。――「日本の侵略というけれど、盧溝橋事件の4日後には停戦協定が結ばれて、中国側は謝罪しているじゃありませんか」と。そして、先の「松井・秦徳純停戦協定」の文面を読み上げたのです。
じつをいえば、この停戦協定の文面は日本の歴史書で紹介されることはほとんどありません。しかし、山田さんは中村粲(なかむらあきら)さんの『大東亜戦争への道』(展転社(てんでんしゃ))という本を読まれて、停戦協定の文面を知っていたので、その場でただちに反論できたのです。そういうエピソードを、山田さんは2012年に亡くなられた中村粲さんの「お別れの会」で披歴なさっていました。
さて、山田さんのこの反論に対して中国側はどんな反応を示したのでしょう? 山田さんに反論してきたかというと、まったくそんなことはなかったそうです。「ハイ、この会議はこれで終了いたします」といって、レセプションの呑み会に切り替わったというのです。盧溝橋事件にかかわる話はそれ以降、いっさい出なかったそうです。
中国というのは、史実を知らない日本人に対しては嘘八百を並べ立て、「日本軍国主義の罪状」を刷り込んでいくけれど、山田さんのような事実を知っている人にはデマは通じないから、「話は打ち切り」ということにしてしまったのです。中国とのあいだの歴史問題、歴史認識はすべてこういうものだということを、私たちは肝に銘じておくべきだと思います。
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(「停戦協定」から)はっきりすることは――宋哲元サイドが自分たちの手落ちを認め、日本軍に謝罪し、現地で事件を解決したという事実です。いいかえれば、前述した「盧溝橋事件は日本軍の計画的な軍事行動であり、侵略であった」とする説はまったく成り立たないことになります。
◆盧溝橋事件「停戦協定」の真実
『条約で読む日本の近現代史』
( 藤岡信勝[編著]、祥伝社 (2014/8/2)、p216 )
この盧溝橋事件でいちばん重要なポイントは、こういう銃撃戦が起こったものの、宋哲元の軍隊も日本軍もこの紛争を拡大する意思を持っていなかったことです。日本側は「現地解決・不拡大」という方針をただちに決め、事変解決のために努力しています。
そこで、わずか4日後の7月11日に、宋哲元と日本軍のあいだで「現地停戦協定」が締結されています。
この停戦協定は「松井・秦徳純(しんとくじゅん)停戦協定」と呼ばれています。松井太久郎(まついたくろう)・特務機関長と北京市長の秦徳純のあいだで結ばれたので、このような呼称になっています。肝心な停戦協定の中身ですが、これは以下の3項目に要約することができます。
①第29軍の代表者は、日本軍に対して遺憾の意を表したうえで、責任者を処分し、そして「今後このような事件が起こらないよう防止する」と声明する。
②中国の軍隊が、日本の駐屯地に接近しすぎているから、こういうことが起こるわけだから、盧溝橋周辺からは立ち退き、治安維持は保安隊に任せることにする。
③今回の事件は、藍衣社(らんいしゃ)(蒋介石軍の情報機関)や中国共産党の暗躍と密接な関係があるので、今後はそうした組織の取り締まりに力を入れる。
以上の3項目からはっきりすることは――宋哲元サイドが自分たちの手落ちを認め、日本軍に謝罪し、現地で事件を解決したという事実です。いいかえれば、前述した「盧溝橋事件は日本軍の計画的な軍事行動であり、侵略であった」とする説はまったく成り立たないことになります。
ここでそれを証明するようなエピソードをご紹介しておきましょう。
元杉並区長の山田宏さんは、国会議員に初当選したときは日本新党から立候補していました。その日本新党の議員団が中国を訪問したときのことです。中国側と意見交換をしていると、向こう側のひとりが「盧溝橋事件にはじまる日本の中国侵略はウンヌン……」といって、滔々(とうとう)と日本批判をはじめたそうです。日本新党の議員団はうなだれて、その演説を聞かされていたので、山田さんは手を挙げて次のように反論したといいます。――「日本の侵略というけれど、盧溝橋事件の4日後には停戦協定が結ばれて、中国側は謝罪しているじゃありませんか」と。そして、先の「松井・秦徳純停戦協定」の文面を読み上げたのです。
じつをいえば、この停戦協定の文面は日本の歴史書で紹介されることはほとんどありません。しかし、山田さんは中村粲(なかむらあきら)さんの『大東亜戦争への道』(展転社(てんでんしゃ))という本を読まれて、停戦協定の文面を知っていたので、その場でただちに反論できたのです。そういうエピソードを、山田さんは2012年に亡くなられた中村粲さんの「お別れの会」で披歴なさっていました。
さて、山田さんのこの反論に対して中国側はどんな反応を示したのでしょう? 山田さんに反論してきたかというと、まったくそんなことはなかったそうです。「ハイ、この会議はこれで終了いたします」といって、レセプションの呑み会に切り替わったというのです。盧溝橋事件にかかわる話はそれ以降、いっさい出なかったそうです。
中国というのは、史実を知らない日本人に対しては嘘八百を並べ立て、「日本軍国主義の罪状」を刷り込んでいくけれど、山田さんのような事実を知っている人にはデマは通じないから、「話は打ち切り」ということにしてしまったのです。中国とのあいだの歴史問題、歴史認識はすべてこういうものだということを、私たちは肝に銘じておくべきだと思います。