千島土地 アーカイブ・ブログ

1912年に設立された千島土地㈱に眠る、大阪の土地開発や船場商人にまつわる多彩な資料を整理、随時公開します。

甲東園と芝川家14 甲東園一団地工事写真【昭和30年代後半】

2024-03-21 14:25:41 | 芝川家の土地開発
昭和30年代には、経営地の残りのエリア・天神山地域(上甲東園4丁目・県立西宮高校の東側、門戸天神社、神呪厳島神社周辺)の整備に着手します。しかし、前半は用地買収や神社の移転等の交渉が難航し、後半になってようやく事業に進捗が見られるようになります。




事業前(昭和36年5月:上)と整地後(昭和37年4月:下)
(上:千島土地所蔵資料P63_003_051、下:P63_003_052)

 
工事前の中谷地区(左:P63_001_072、右:P63_001_096)

 
整地工事中の様子(左:P63_001_079、右:P63_001_080)


同上(P63_001_098)
奥の建物は甲東小学校、左奥の並木は武庫川の並木とある

続いても整地前後の様子
 
(左:P63_001_091、右:P63_001_093)




(上:P63_001_032、下:P63_001_033)


北開地の整備前の様子(P63_001_060)
左上に見えるのは聖和女子短期大学(現・聖和短期大学)


2つの神社周辺の整備も進められます。

厳島神社旧階段(P63_001_047)
 
整備中の様子(左:P63_001_107、右:P63_003_009)


天神社旧階段(P63_001_031)

 
天神社下の道路分岐点 整備前後(左:P63_001_090、右:P63_001_092)


また一団地の経営地外ですが、この時期に工事未着手であった阪急電鉄沿い(踏切西側)の整備も行われましたので、最後にご紹介します。



(上:P63_001_024、下:P63_001_001)


甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
甲東園と芝川邸10 戦後の甲東園
甲東園と芝川家11 甲東園一団地住宅経営事業
甲東園と芝川家12 甲東園一団地工事写真【昭和27~29年頃】
甲東園と芝川家13 甲東園一団地工事写真【昭和29~31年頃】


※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。

甲東園と芝川家13 甲東園一団地工事写真【昭和29~31年頃】

2024-03-18 13:40:23 | 芝川家の土地開発
工事進捗の参考資料はこちら。

年度別整地工事(千島土地所蔵資料K02_054_008_001)
昭和29年(ピンク)、昭和30年(水色)、昭和31年(グリーン)の順に工事が進みます。


土地分譲並びに建物出来高図(K02_054_008_002)

この時期には住宅地らしいまちなみが整い、現在に通じる甲東園の風景が見られるようになっていきました。



まずは工事のbefore(上)、after(下)から(P63_002_081:昭和29年、P63_002_087:昭和30年)

道路整備やそれに伴う植樹も進みます。

(P63_002_084:昭和30年、以下同)


バス道(P63_002_075)


学園花通り(P63_002_125)


甲東園延命地蔵(P63_002_144)


(P63_002_149)

建物の建設も進み、住宅地らしくなってきました。

(P63_008_002:昭和30年)


(P63_008_016:昭和31年)


(P63_008_021:昭和31年)


(P63_006_154)

 
 
(上左:P63_002_092、上右:P63_002_090、下左:P63_002_093、下右:P63_002_095)

一方でまだこのような風景も。

轍の上を歩くご婦人方(P63_008_065)

更に、この頃に行われた大規模な造成工事の様子も残されています。

ワイルド!!(P63_008_073)


(P63_008_075)


(P63_008_099)


(P63_008_100)


(P63_008_101)


(P63_008_102)


(P63_008_104)

以上、一気にご紹介しました。

次回はいよいよ事業終盤、昭和30年代後半の様子をご紹介する予定です。


甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
甲東園と芝川邸10 戦後の甲東園
甲東園と芝川家11 甲東園一団地住宅経営事業
甲東園と芝川家12 甲東園一団地工事写真【昭和27~29年頃】


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甲東園と芝川家12 甲東園一団地工事写真【昭和27~29年頃】

2024-03-18 13:38:39 | 芝川家の土地開発
先の記事でご紹介した「甲東園一団地住宅経営事業」については、750枚を超える工事写真が残っています(重複分を含む)。
ここからは順次、写真を通して工事の進捗をご紹介したいと思います。

下記の地図から、大体どの時期にどの場所で工事が行われていたかを知ることができるので、こちらも参考にしながら見ていきましょう。


年度別整地工事(千島土地所蔵資料K02_054_008_001)


土地分譲並びに建物出来高図(K02_054_008_002)

工事着手届が提出され(6月)、いよいよ工事が始まった昭和27年。最初に工事が行われたのは、くすのき通りの北側、「年度別整地工事図」の黄色い部分で、以下昭和28年(オレンジ)、昭和29年(ピンク)と工事が進んでいきます。

この時期の写真からは、事業着手前の甲東園の様子を知ることができます。

(P63_005_001)


(P63_005_006)


(P63_007_054)


(P63_007_059)


奥に見えるのは梅の木々でしょうか(P63_007_055)


キャベツ畑越しの風景(P63_005_040:昭和27年)

道路工事の様子です。

(P63_005_026:昭和27年)


工事には牛さんも大活躍!(P63_007_006)


(P63_005_027:昭和27年)



こちらは工事before(上)、after(下)の様子
(P63_005_015:昭和27年3月、P63_005_032:昭和27年5月)

住宅の建設も進んでいます。

こちらは全て同じタイプの建物のようです(P63_005_111:昭和28年)。


(P63_007_081:昭和28年)


少しずつ整備され、住宅街らしい景色になってきました(P63_002_035:昭和29年)。

次回は昭和30年以降の様子をご紹介していく予定です。


甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
甲東園と芝川邸10 戦後の甲東園
甲東園と芝川家11 甲東園一団地住宅経営事業


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甲東園と芝川家11 甲東園一団地住宅経営事業

2023-09-22 14:21:35 | 芝川家の土地開発
甲東園での大規模なカトリック系の教育施設建設は実現しませんでしたが、西宮市都市計画事業として「甲東園一団地住宅経営事業」の実施が検討されます。

対象地は甲東園駅の西側に広がる一帯で、その大半を所有する芝川家が設立した百又株式会社が事業にあたることになりました。


対象地位置図(千島土地所蔵資料K02_036)

この事業は、戦後の住宅不足解消のため、まとまった規模の住宅地開発を企図していた兵庫県(*1)や西宮市(*2)の計画にも一致し、全面的な協力を得て進められることになります。

昭和25年、百又㈱は西宮市都市計画事業甲東園一団地の住宅経営特許を申請しました。当時の都市計画法(旧法)には、都市計画事業は原則として行政庁が執行するもので、主務大臣が特別の必要があると認めた時に限り、行政庁以外の者の執行が許されると定められていたため(*3)、百又㈱が一団地の住宅経営事業を行うためには特許申請を行う必要があったのです。




特許申請(昭和25年8月:千島土地所蔵資料K02_156)
事業面積は50ha(*4)、予定戸数526戸で、各敷地面積は基本的に100坪以上とするとあります。事業は、予算2億6千万円、昭和29年度までの5年をかけて実施する計画でした。


経営地計画図(千島土地所蔵資料K02_036)

昭和25年11月29日に甲東園一団地住宅経営事業の特許が得られ、いよいよ事業にとりかかることになります。

 
建設大臣の特許(千島土地所蔵資料A00015_002)


特許が許可されたことを知らせる電報(千島土地所蔵資料K02_036)
「29ヒキヨカサレタケンセツセウ(29日許可された建設省)」

昭和25から26年度にかけては、土地の調査や測量、農地の用途変更などの下準備が行われ、昭和27年6月にいよいよ工事着工届が提出されました。


工事着工届(千島土地所蔵資料K02_037_013)



事業の進捗状況は、各年度の事業報告書で知ることができます。

工事は北側(仁川側)から順次実施されましたが、農地の用途変更や資金調達、天候不順などで進捗に遅れが生じ、当初事業完了予定だった昭和29年度までに完了した工事は全体の70%に留まったため、昭和30年3月に1度目の執行期間延長(3年の延長)が申請されます。


整地工事の進捗状況(千島土地所蔵資料K02_054)
昭和31年度の事業報告書添付資料。整地工事の進捗状況が年度別に色分けされており、どのように工事が進んだのかを知ることができます。

ところが、その後の天神山地域での工事において、他人地の買収や神社(門戸天神社、神呪厳島神社)の移転、宅地造成残土の取り扱いに手間取ります。延長の3年間での工事進捗はわずか3%で、昭和33年3月には第2回の執行期間延長が申請されました。

延長後、神社の移転交渉は打ち切られることとなり、残土も一部を地域外に搬出する処理方針が定まりましたが、神社境内の整理方針や残土搬出計画がなかなかまとまらないうえ、土地買収の遅れもあり、工事進捗はわずか2%。昭和36年10月に3回目の執行期間延長が申請(11月にも追加申請)されます。

昭和36年度には厳島神社周辺の造成工事がようやく完了し、その後、ガス、水道等インフラ敷設を進め、逐次宅地分譲が行われました。昭和37年度には3,300㎡の中谷公園もほぼ完成し、昭和38年度には緑地、公園の管理が西宮市に引き継がれました。(K02_046_002)

こうして昭和39年6月、ようやく事業が完了し、竣工届が提出されます。

 


竣工届と竣工図(千島土地所蔵資料K02_058_003)
百又㈱の総施工面積は36ha、共同住宅21棟、一般住宅400戸が建設され、執行済みの事業費(96%)は約3億9千万円に上りました。


*1)「県において住宅建設の議があり、一団地住宅経営の指示ありたるをもって此の地域一帯を管理する百又㈱に特許されることを条件として(中略)15万坪を住宅化することに対し協力することに同意した」(「一団地住宅経営に至る迄の土地の現況及経過」:千島土地所蔵資料K02_052)

*2)「(甲東園一団地の住宅経営事業について)その規模といい、その計画といい、全く本市(西宮市)の考案に合致するものであり、本市は之に対して全幅の賛意を表して止まない。(中略)市の財政並びに事業運営上より考慮して直接本市が事業には当たらないが、側面的にはあらゆる援助を惜しまない(以下略)」(昭和25年8月26日「西計第102-1 西宮都市計画事業一団地の住宅経営特許申請について」:千島土地所蔵資料K02_156)

*3)都市計画法(旧法)第5条:都市計画事業は勅令の定むる所に依り行政庁之を執行す 主務大臣特別の必要ありと認むるときは勅令の定る所に依り行政庁に非さる者をして其の出願に依り都市計画の一部を執行せしむることを得

*4)開発前の50ha(約15万坪)の内訳は、宅地が15,000坪(地域内所在38戸)、山林が52,000坪(うち18,000坪は松樹が密集した緑地帯、残り34,000坪は立木が戦時中海軍用材として伐採され現在は原野)農地が59,000坪(カトリック系教育施設用地として売却するも計画が中止され、現在は休閑地利用で耕作中)学校敷地20,000坪(甲陵中学校、県立西宮高校)、神社敷地4,000坪とある。(千島土地所蔵資料K02_052)


甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
甲東園と芝川邸10 戦後の甲東園


※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。




甲東園と芝川家10 戦後の甲東園

2023-07-12 14:13:36 | 芝川家の土地開発
風光明媚で、阪急の開通により交通の便も良くなった甲東園は、戦前より土地の利用を促進するよう各方面から働きかけがあったといわれます。(*)周辺では相次いで住宅地開発が行われましたが、甲東園は開発されることがないまま、終戦を迎えました。

戦後、芝川家は甲東園をはじめ、西宮(鷲林寺(じゅうりんじ)・柏堂(かやんどう))に所有する土地の多くを売却します。きっかけは、京都の聖トマス学院 V.M.プリオット神父がこの土地を気に入り、青年の修養地として一帯の土地購入を希望したことでした。


証(千島土地所蔵資料K03_495)
昭和22年5月13日にV.M.プリオット神父と芝川又四郎(*2)の間で交わされた土地、建物の買収が成立したことを証明する証書。カトリック系の教育施設建設が目的と記されています。

ところがプリオット神父が米国に帰国することとなり、計画は天主公教大阪教区に委嘱されます。こうして昭和22年5月22日に天主公教大阪教区主管者・田口芳五郎神父と又四郎の間で土地の売買契約が交わされました。


土地売買に関する契約書(千島土地所蔵資料K02_158)
実測面積約22万坪の土地を約1300万円で買い受けるとあります。なお同日に交わされた覚書にて、代金は日米講和条約締結後に米ドルで支払うこととされました。

ところが、米国の承認がなかなか得られず、計画は資金難から暗礁に乗り上げます。鷲林寺のシトー会修道院などカトリック関連の一部施設の建設は行われましたが、当初構想された教育施設(幼稚園から小、中、専門部、大学部までのアメリカンカレッジ構想)の建設は一向に進みませんでした。

そんな中、敷地一部を市立甲東中学校(現・甲陵中学校)、市立山手高校(現・兵庫県立西宮高校)の移転用地としたい旨、西宮市教育委員会から要望があり、約2万坪が売却されることになります。


契約書(千島土地所蔵資料K03_495)
昭和24年8月15日、西宮市教育委員会と田口神父の間で交わされた土地売買の契約書
翌昭和25年には、甲陵中学校、西宮高校が相次いで甲東園に移転しました。

その後も活用の目途が立たない残りの土地は、一時農地買収計画に組み入れられます。地主達の訴願が認められ(昭和25年6月)、農地買収されることはありませんでしたが、これらの土地を巡っては様々な思惑が入り乱れ、「アメリカ学園問題」として西宮市議会を巻き込んでの騒ぎとなりました。

 
当時の新聞記事(千島土地所蔵資料K02_191)

一方で、戦後の住宅不足を解消するため、昭和24年9月に芝川家が設立した百又株式会社の下で、宅地開発(一団地住宅経営事業)の計画が進められます。

昭和25年1月には、一部土地の管理が天主公教から百又㈱に委託され、更に翌月には、農地に関係ない(農地買収の対象とならない)土地の処分が百又㈱に任されました。


昭和25年1月 土地管理委託書(千島土地所蔵資料K02_036_005)


昭和25年2月 土地処分委託書(千島土地所蔵資料K02_036_004)

そして8月には百又㈱が建設省に一団地経営特許を申請、11月に特許を取得し、いよいよ事業が動き始めます。


住宅経営計画書に添付された計画図(千島土地所蔵資料K02_036)
関西学院と甲陵中学校、西宮高校の間の敷地に「アメリカ学園」の記載があります。

昭和26年5月には、兵庫県と天主公教の間で往復書簡が交わされ、天主公教側から学園用地を一団地住宅経営事業計画に加えることに異議ない旨の回答を得ました。

学園用地約23,000坪は、兵庫県の施工による県営住宅建設用地として、昭和28年1月に天主公教から兵庫県に売却されました。昭和35年4月に作成された天主公教との土地売却精算書によると、天主公教の学園用地は兵庫県、県立西宮高校(*3)、そして百又㈱に売却されることで決着がついたことがわかります。(参考:千島土地所蔵資料K02_158)


*)参考:千島土地所蔵資料K02_052

*2)甲東園を拓いた芝川家5代目当主・芝川又右衛門の息子で、芝川家6代目当主。又右衛門は太平洋戦争開始前の昭和13年に甲東園で死去。当時、又四郎は神戸市御影郡家に自宅があったが、空襲で焼失し、終戦後は甲東園に住むようになった。

*3)県立西宮高校の校地拡張のため、昭和28年3月にも百又㈱が所有地の一部を売却した(参考:千島土地所蔵資料K02_158)


甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園


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