新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【review】A dark emotion and a famous world full of introspective worldview

2019-02-20 03:17:31 | コンサートレポート!

For the author who knows Adachi Mari truly personally, it was the result of this time "B → C Bach to Contemporary from Adachi Mari Viola Concert" which is very unexpected feeling.

Adachi 's truth of the real face is a very refreshing and cheerful, refreshing person.

In August last year, her real face and performance at the Pärnu Music Festival in Estonia made the impression even more pleasing.

However, once on the stage, from the performance, a dark emotion, an indescribable passion, and a worldview with introspectional character often revealed, reviving with her vivid individuality.

Their appearance remarkably appears in the first two songs of Pelio (1925-2003)"Sequenza IV".

While occasionally cutting the strings in a lively performance, using the transcendental technique without difficulty, this extraordinary large instrument presents various possibilities of Viola.

Furthermore, searching for the spread of music is the masterpiece"prism spectra (2009)"by the 3rd song contemporary musician Dai Fujikura. (1977 ~).

Adachi is attempting to reproduce the phrase for a modern chaotic society by fusing Viola and electronics (Kazuya Miyashita) here.

In a sense, in a bustle that resembles noise in a sense, it is often played furiously as a dissonance.

However, as the sparkling fireworks come to light, the end of the story abounds abruptly.

Although it is a very experimental work, I would like to mention it as a joyful article that captures such passion as Adachi secretly hides it.

 

After breaks, the hardships and epic works continue.

The fact that I made the best use of Adachi's individuality is actually"Fratores (1973/2003)"ofEstonian's master, Alfa Pelt (from 1935).

It is a masterpiece that makes you feel the soft light and the color of the sun as though it reminds me of the calm ocean of Pärnu Estonia.

It is highly introspective, and matching with the piano (Shota Nakano) will be remembered as a very splendid performance.

Currently, Estonia is attracting attention as a musical music state, but people have lived in a fair and flexible manner in the suppressed situation under the tyranny of the former Soviet Union.

Admired passion in it, boldly at the same time, boldly, Adachi's viola and Nakano's piano have drawn out and succeeded successfully.

The masterpieces were thefour music fromthe"Ruja ritual" Tazuni Tazuni "ofthe new, Bando(1991 ~), which was admittedby Adachi herself, became world premiere, and was played last.

It is a work with a very ambitious motif and let us hypothesize to the music of the ritual of the Ruja tribe, but with the premonition of the collapse of the world order and the diversity of religious perspectives of the 21st century society, the limit of the economy in the capitalist society, Buddha's devastation of people, and hope for the future entrusted to the end, Bando is a masterpiece making Bando's personality whilst not excessively deficient.

Especially, the director that Adachi of the beginning appeared disturbed with the hair is quite dramatic as if it represents a frenzy in front of the group of the "Sumidagawa" of Kabuki dance, various warfare, raging contemporary society Among them, it is brilliantly depicting the sadness and painful anger of men whose names have also been devastated.

I would like to look forward to including future collaboration with Adachi and Bando as a memorable big piece that extended the possibility of modern music one more.

 

After the show, I was able to convey the excitement of this evening to Mr. Shinichiro Ikebe, the representative composer of Japan who longing for a long time since my school days, and I was deeply moved.

I was touched by Mr. Ikebe, who is a warm and truly fascinating person, and I listened to my poor impressions, and encouraged warm encouragement to walk the way to music criticism, it was a memorable night.

The night of Hatsudai was illuminated beautifully in the full moon of the spring, as if to bless the future of the young talent of the classical music world.

 (at the Tokyo Opera City recital hall on February 19, 2019)

 


【公演評】仄暗い情念と、内省的な世界観に満ちた名演~安達真理のヴィオラコンサートを聴く~

2019-02-20 02:09:49 | コンサートレポート!

安達真理を個人的に知る筆者にとっては、非常に望外の想いのする、今回の「B→C バッハからコンテンポラリーへ 安達真理ヴィオラコンサート」の成果であった。素顔の安達真理は、非常に明朗快活で屈託なく、さわやかな人物である。昨年8月、エストニアのパルヌ音楽祭でふれた彼女の素顔と演奏は、その印象をいっそうつよくしたものである。

しかし、ひとたび舞台にたつと、その演奏からは、仄暗い情念と、抑えきれない激情、そして、しばし内省的な性格をおびた世界観が現出し、彼女の鮮烈な個性となって蘇る

その個性が顕著に現れるのが、前半2曲目のペリオ(1925年~2003年)作曲「セクエンツァⅣ」である。はげしい演奏に弦をときおり切らせつつも、超絶技巧を難なく駆使して、このおそるべき大器はヴィオラのもつさまざまな可能性を提示してみせる。

さらに、音楽の広がりを模索するのが、3曲目の現代音楽家・藤倉大(1977年~)による大作「prism spectra(2009)」である。安達はここでヴィオラとエレクトロニクス(宮下和也)の融合による、現代の混沌とした社会への、警句の再現を試みている。それはある意味騒音にも似た喧騒の中で、しばし激烈に不協和音ともいうべき中で奏でられる。が、やがて線香花火がちりゆくように、唐突に物語の終焉を迎えるのである。非常に実験的な作品ではあるが、安達がひそかに忍ばせる、のたうち回るような情念をとらえた佳品として、記しておきたい。

休憩後は力作、大作がつづく。安達の個性をもっともよく生かしていたのは、実はエストニアが生んだ巨匠、アルフォ・ペルト(1935年~)の「フラトレス(1973/2003)」である。エストニアのパルヌのおだやかな海を思わせるがごとき、柔らかな光と太陽の色を感じさせる名演である。非常に内省的であり、ピアノ(中野翔太)とのマッチングもきわめて流麗な演奏として記憶に残るものとなろう。エストニアは現在でこそ、おだやかな音楽国家として注目を集めるが、旧ソ連の圧政下における抑圧された情勢の中で、ひとびとは逞しくしなやかに生きてきた。その内にひめた情熱を、つつましくも時に大胆に、安達のヴィオラと、中野のピアノが見事に描き出し、成功している。

圧巻だったのは、安達自身が委嘱、世界初演となり、最後に演奏された、新鋭・坂東祐大(1991年~)の「ルジャ族の儀礼 ”タズニ・タズニ”より4つの音楽」である。きわめて野心的なモティーフをもつ作品であり、ルジャ族の儀礼の音楽に仮託させつつ、世界秩序の崩壊の予感と、21世紀社会がもつ、宗教観の多様性、資本主義社会における経済の限界、人々の精神の荒廃、そして最後に託された未来への希望を、坂東が過不足なく、安達の個性もいかしつつ作り上げている傑作である。

特に、冒頭の安達が髪を振り乱して登場する演出は、歌舞伎舞踊の「隅田川」の班女の前の狂乱を表しているかのごとく、きわめて演劇的であり、さまざまな戦禍、苛烈な現代社会の中で、精神を狂わされた名もなき人々のかなしみと痛切な怒りを描出して見事である。現代音楽の可能性をまたひとつ広げた、記念すべき大作として、今後の安達と坂東のコラボレーションも含めて楽しみにしたい。

終演後、長年学生時代から憧れの存在であった、日本を代表する作曲家・池辺晋一郎氏に、この夜の興奮を伝えることができ、感激もひとしおであった。温厚篤実な池辺氏の素顔にも触れられ、また、私のつたない感想も聴いていただき、音楽評論への道を歩むことも温かく励ましていただいた、まさに思い出に残る一夜となった。

初台の夜は、春の満月の中、美しく照らし出され、クラシック音楽界の若き才能の未来を祝福するかのように暮れていったのである。

(了・2019年2月19日、 東京オペラシティ リサイタルホールにて)


【徹底比較研究!】ムーティとパーヴォ、ブラ―ムス交響曲第2番はどっちがスゴイ?!

2019-01-31 09:12:07 | コンサートレポート!

母がいつも私のブログの最初の読者になってくれていて、ほんとにありがたく思っています。

今朝、ブログをいつものように見せましたら、母が「ほかの人は、チコちゃんが聴いた演奏を、どう書いているの?それもくらべて読んでみたいわ」と言い出したので、まぁ、とあるブロガーさんの、きのうのムーティ&シカゴ響の感想ブログを読ませてあげました。

母「ねぇ、このVc,Hr, Kl・・・・っていったい何の記号?読んでて意味がさっぱりわからないのだけど」

わたし「これはね、楽譜に出てくる用語で、チェロ、ホルン、クラリネット・・という意味よ。このブロガーさんは、きっと音大出なのか、楽器を演奏したことがある人なので、こういう書き方になるのでしょうね」

母「でも、これじゃ楽譜を読める人にはいいかもしれないけど、わたしみたいに、音楽ほとんどよく知らない人間には、何が何だかさっぱりわからない感想だわ。読みにくいなぁ」

わたし「私も最初、この人がなにを書いているのか、さっぱりわからなくて、上野の音楽資料室に通って、楽譜をみて覚えたのよ」

母「チコちゃんは、いま時間があるからそれができるけど、たいていの人はそんなことに時間をさけないし、忙しくてよめないわ。チコちゃんの書き方のほうがずっと親切だし、指揮者のひとやオーケストラの人の様子、会場の様子がよくわかって、実際にコンサートに行った気分になるわ」

わたし「ありがとう(^_-)-☆ 一応わたしとしては、このブログは、クラシックファンの方も見に来てるけど、映画ファン、歌舞伎ファン、クラシック関係者、歌舞伎関係者、東宝関係者、そのほかなんとなく【チコちゃんはいまどうしてるかな?】というチコちゃんウォッチャー、そして、パーヴォのファンの人たちが来てると思ってるから、クラシックのことがわからなくても幅広い層に楽しめるようになるべく書いてるよ(^_-)-☆」

母「うん、私もチコちゃんはそういう方向で書いていったほうがいいと思う。がんばれ、チコちゃん!(^_-)-☆」

母には、本当に感謝というほかありません。その母がブログを読んで、「ねぇチコちゃん、きのうのムーティさんのブラームスの2番、パーヴォの同じ曲とくらべてどう違うの?よくわからないからブログで紹介してくれる?」といいだしたので、さっそく母の疑問(そしてみなさまの疑問)に応えるべく、この両者を【徹底比較】したいと思います!

 

【徹底研究!】ムーティとパーヴォ、

ふたつの「ブラームス交響曲第2番」!!

 

きのうも申し上げましたように、ムーティさんとシカゴ響のコンサートでの、ブラームス交響曲第2番は素晴らしい出来ではあったのですが、やはり、パーヴォとベルリン・フィル(ドイツ・カンマーフィルブレーメンとはまたかなり違っていました)が圧倒的に傑出した出来栄えで、まさに歴史に残る名演となりましたので、この演奏の徹底比較をしてみたいと思います。パーヴォのこの曲に対する解釈がいかに優れていて素晴らしいか、あらためてみなさまにご理解を頂きたいと思います。

もちろん、この曲自体が大変な名曲ではあるので、もちろん「誰がやっても名演」にはなるのだとおもいますが、パーヴォの研ぎ澄まされた瑞々しい感性が、この曲に新しい生命を吹き込んだことはまちがいなく、まさにパーヴォは21世紀の新たなる巨匠として、新時代を切り開いたというべき思いを、きのうのムーティの演奏を聴きながら、感慨深く感じていました。

まずはムーティのブラームス 交響曲第2番の機能の感想を。こちらは、若かりし日ころのムーティの名盤です。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC2%E7%95%AA%E3%80%81%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%A5%9D%E5%85%B8%E5%BA%8F%E6%9B%B2-%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3-%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89/dp/B00TG0BSQK

 

ムーティは、第1番のときの威風堂々たる姿から一転して、躍動的で、ひたすら「明るくたのしく元気よく」この第2番を指揮していたように思います。ムーティとシカゴ響の演奏は、とても明るいタッチなので、たのしく聴けるのですが、第1楽章で、チェロやヴィオラが甘くささやく場面では、サラリと流してしまうなど、ちょっと詰めの甘さがめだっていたように思います。

そのさらりと流してしまうあたりが、ちょっと緩急にとぼしく、やや一本調子に聞こえてしまったのが、残念と言えば、残念でありました。あと、第4楽章でちょっとホルン?が音が外れていたのが残念。

でも総合力でいえば、国内外でもすばらしい成果というべき演奏でしたし、記念すべき演奏のひとつに数えられると思います。

で、こちらは、パーヴォとドイツカンマーフィルブレーメンによる、「ブラームス 交響曲第2番」のCDです。もうすっかりこのブログの読者のみなさんにはおなじみですね。

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パーヴォの指揮の見事さは、このCDにも随所にでていますが、ベルリン・フィルで昨年の10月18日・19日・20日の演奏では畢生の傑作ともいうべき演奏を披露しました!

わけてもすばらしいのは、第1楽章のチェロの導入部の情感の深さ!ゆったりと、大河が流れるがごとき、スケールの大きさを感じさせるとともに、大変甘やかな魅力を、パーヴォがベルリン・フィルから引き出したのは立派というほかありません。

ヴァイオリンの美しさも圧倒的で、この繊細な表現を引き出したのは、まさにパーヴォの独壇場であります。じっくりと丹念に愛する人を愛撫するがごとく、やさしく甘やかに演奏をさせるパーヴォの指揮の卓抜した魅力は、まさにこの曲にたいする概念やいままでの評価を塗りかえる画期的なものだといえます。

第2楽章、第3楽章は、ムーティが「剛」なら、パーヴォはまさに「柔」の魅力。どこか蠱惑的で、悪魔的な魅力をも放つ、パーヴォの指揮でした。ムーティは荘重に、ブラームスのこの曲をとらえていますが、パーヴォはもっと人間臭い魅力をこの曲の中に見出しており、愛情と熱情とむせかえるほどの高雅で凄艶な魅力をベルリン・フィルから引き出すのに、成功しています。

これは、たとえば、ほかの指揮者、カラヤンや小澤の演奏でもまったく見られなかったことで、彼らが剛速球でブラームスをとらえているのに対し、パーヴォはもっともっと官能的な魔性をブラームスの同曲の中に見出しているように、感じられるのです。

第4楽章は、それまでの穏やかな日々から一転、激烈な愛情のほとばしりを爆発させるパーヴォとベルリン・フィルでした!よりロマンティックに、より堂々たる人生讃歌として、人間の叡智と愛情が生む奇蹟を、パーヴォはこの第4楽章で高らかに謳い上げ、音楽へのあくなき情熱と愛情を宣言したのでした!

そして熱情的なクライマックスへ!やがてボルテージは最高潮に。鮮烈なエクスタシーが私を、そして超満員の聴衆に襲い掛かり、パーヴォがまるで全員を押し倒すかのように愛の絶頂を迎え、大団円となりました。

ですから、特にその魅力が発揮されたのは、10月19日の演奏でしたが、パーヴォの激しい音楽への愛に圧倒されて、ベルリンっ子たちがみなパーヴォの指揮に熱狂したのは、無理もありませんでした!

これからもブラームス交響曲第2番は、世界各地で愛され、演奏されると思いますが、この「ロマンティックな狂熱的な愛情」をどこまで演奏の中にほとばしらせることができるか、というのが、今後の演奏のカギになると思います。

また、パーヴォの評価としてはこれまでは「健康的で筋肉質な、エッジの効いたパーヴォ節」という識者の方の意見が多かったですが、私はこれは決してパーヴォを語るうえで、正当な評価だとは賛同しません。

もっとパーヴォの存在、音楽性が、クラシック音楽界に与えた強烈なインパクトや、その濃密な官能性、スター性、神秘性、人生へのあくなき崇拝の念と人間賛歌を、国内外の批評家はもっと評価すべきだと思います。

 

パーヴォの21世紀の新しいクラシック指揮者としての可能性を、もっともっと、追求してほしいですし、まったく新しい、現代のカリスマとして、クラシック界に君臨してほしいと願うばかりであります。

以上、ブラームス交響曲第2番に見る、ムーティとパーヴォの徹底比較と、

「21世紀の指揮者・パーヴォ・ヤルヴィ私論」でした!

 

PS.・・・やっぱり、音楽評論活動、再開させようかしらん・・・。

 

 


【公演レポート】まさにクラシック界の巨人!リッカルド・ムーティ、威風堂々のブラームス交響曲第1番!

2019-01-31 08:13:41 | コンサートレポート!

きのうは、まさに待望だった、リッカルド・ムーティさん指揮、シカゴ交響楽団のコンサートにいってまいりました!東京・上野の東京文化会館でしたが、高額チケットにもかかわらず、場内は超満員!大入りのポスターも出るほどの賑わいです!

先述しましたが、やはりチケット代が高額ということもあり、来ているお客様もずいぶん品のいい方々ばかりで、その点安心して聴くことができました。鑑賞マナーもきちんとされていましたし、ブラボーの声のかけ方もきちんとされている方々ばかりでよかったですね(^_-)-☆

サスペンダーおじさんこと、Mさんもお見えでしたが、彼もちゃんとジャケットを着て、マエストロ・ムーティに敬意を表していました。(演奏中は脱いでいました)Mさんは真剣にムーティさんの指揮とオーケストラの演奏に耳を傾けていて、私は彼の態度に深い感銘をうけました。最近ときどき彼とお話させていただく機会があり、彼のクラシックの造詣の深さや、真摯な姿勢にふかく共鳴しています。非常に勉強になる、クラシックファンとしての大先輩ですね!

終演後はサイン会もあり、こちらのCDに、マエストロ・ムーティのサインをいただくことができました!大人気で長蛇の列ができましたが、サイン会用にきちんとチケットを配っていたので、混乱もなく、並ぶことができて、スタッフの方のご配慮に感謝します。

なお、サイン会の対象となるCD売り場は、かなり混雑しましたので、明日以降の公演では、早めに購入されることをおすすめします。現金・クレジットカードいずれも大丈夫ですが、カードはちょっと読み取りに時間がかかるので、現金(大体3200円から4000円くらいが相場です。一部2万円を超す商品もあります)を用意していったほうがいいと思います。

で、こちらが、マエストロ・ムーティのサインです。笑顔でやさしく対応してくださいました(^_-)-☆

私が、公演にすっかり感動したので「あなたはクラシック界の偉大なる巨人ですね!」と英語で申し上げたら、ムーティさんは、満面の笑みで、「グラーツェ!」といってくださり、がっちり握手をしてくださいました。大きな立派な手でした!


こちらが公演ポスター。ファンの方のために、1部1000円で発売されていますので、記念にどうぞ♪


 

さて、肝心の演目は、ブラームス交響曲の第1番と第2番です!

正直いいますと、第2番に関しては、もうこれはわたしが昨年10月にベルリンで聴いた、パーヴォとベルリン・フィルの演奏がすばらしかった!これは仕方ないかも・・・。パーヴォはこの曲に関しては、世界一だと思いますし、これを超える演奏はもう当面でてこないんじゃないかと思います。もちろん、ちょっと比較しないほうがいいと思いますけれども。でも、第2番もすばらしかったです。

※いかにパーヴォとベルリン・フィルの演奏がすごかったかについては、この次の項にて徹底研究してみたいと思います。またこちらのレポート記事もご参照ください。

https://blog.goo.ne.jp/chikonagata1126/e/ae0e320296d65bb269d1e724434918fb

そして、第1番のムーティ&シカゴ響については、まさに歴史的な名演ともいうべき、パーフェクトな演奏を披露されました!

まず、ムーティさんの登場からして、威風堂々としており、世界最高のマエストロとしての風格に満ち、見る者を圧倒します。背筋がビックリするほど、ピン!と伸びており(こんなに背筋ののびた人をみるのは、高倉健さん以来です!)、終始きびきびとした動きの、若々しいマエストロ・ムーティです。

第1楽章は、壮麗な第1主題から入ります。まずなんといっても、その音の深みとすごみに圧倒されます!悲劇的かつ悲愴美に満ちた旋律で、哀愁をそそります。オーボエやファゴットが哀切きわまりなく響き渡ります。

ムーティさんは、決して、媚びることなく、毅然として、背筋をピン!とのばし、カリスマ的な魅力を発揮します。威厳にあふれ、父権的な力強さを終始感じさせる、堂々たる指揮でした。

彼の指揮を見ていておもったことは、実はすぐれた交響曲の演奏というのは、オーケストラの個々の音が目立って聞こえることではなく、全体の流れがスムースに奏でられ、かつ、マエストロ(指揮者)の個性が際立ってみえる演奏ではないかと思いました。マエストロの一挙手一投足に注目が集まる演奏ほど、実は、集中力の高い演奏なのではないかと、あらためて、ムーティさんの指揮から学ばせていただきました。

まさに<巨人・ムーティ>がゆく、という言葉がぴったりの、重低音が鳴り響きます。

第2楽章は、ひたすらに美しい冒頭部分にうっとり。しずかな湖の湖畔を思わせる響きがさえわたります。なんといってもここは、オーボエが素晴らしく、クラリネットも見事です。優しさにあふれ、天上の音楽とはまさにこのことと思います。

カラヤンもここは圧倒的な美しさでしたが、繊細な美しさという点では、ムーティさんのほうが勝るといってもいいでしょう。

第3楽章はクラリネットの優しい独奏から。統一感があり、均整のとれた演奏に感服する私です。パーヴォだと、かなり躍動する指揮になるのですが、ムーティさんのように、あえてじっと抑制気味にここは踏みとどまってこらえると、彼の指揮も一層音の深みがますのではないかと感じた次第です。ムーティさんの場合、緩急の付け方が抜群にすばらしく、悠然と時の流れを感じさせる、スケールの大きな演奏となりました。

第4楽章は、ひたすら流されるのではなく、地に足の着いた堅実な演奏となりました。フルートが美しく、調和のとれたハーモニーで魅了します。そして、もっとも有名なフレーズ「ソード―シドーラーソードーレミレミードレーレー(音符が違っていたらごめんなさい。こういうメロディーですよね)」のあたりから、一気に劇的クライマックスにオーケストラの緊迫度が高まり、見事です。弦楽器が堂々と演奏しており、管楽器がこれに続き、しっかりと音を組み立てていきます。

そして、メインテーマが高らかに鳴り響く、オーケストラの一体感。圧倒的です!

時に優しく、時に力強く、ムーティさんの指揮は降り降ろされます。人生の数々の困難にも打ち勝ってきたブラームスの人生そのものが投影されているかのようです。この流麗なフレーズをおもいつくために、20年余の歳月と人生をかけてきたのだとおもうと、彼のとてつもない努力と神に感謝したくなります。

そして、いよいよクライマックス!全身全霊をもって、ムーティさんがストイックに、熱く指揮をし、そのしなやかさと強靭さに圧倒される思いの、超満員の東京文化会館です!

タクトが振り下ろされた時、怒涛のごとき、嵐のような拍手と歓声、ブラボーの声がこだまし、上野の杜は大いに揺れ動きました!

まさにパーフェクト、奇蹟の名演でした!


圧倒的な拍手と歓声に迎えられて、マエストロ・ムーティが、一転して、躍動した魅力をみせるのが、こちらのアンコール、ブラームスのハンガリー舞曲第1番でした!ときに甘く、ときにしなやかに、プリズムのような魅力をみせるムーティさん、なんと指揮台の上でジャンピングする元気のよさ!聴衆はもちろん大喜び!

とびっきりの笑顔でフィニッシュを決めてくださったマエストロ・ムーティに、心からの拍手を敬意を贈ります!

本日31日も、公演があるそうですので、ぜひこの機会にマエストロ・ムーティの魅力に触れてみてください!

 

ブラーヴォ!

マエストロ・ムーティ!!!

 


【公演レポート】大野和士マエストロ、華麗に舞う!都響の第872回定期演奏会Aシリーズに行ってきました!

2019-01-17 03:30:12 | コンサートレポート!

(スミマセン、こちらも加筆訂正をしましたので、ご高覧ください)

きのうは既報通り、東京文化会館の、東京都交響楽団(以下「都響」と書きます)の、第872回定期演奏会Aシリーズに行ってくることができました!大変すばらしい公演になりましたので、さっそくレポートさせていただきます!

19時開演ということで、17時45分から当日券の発売が始まりました。

都響さんのすばらしいところは、チケット担当のスタッフの方が、当日券に並んでいる方のために、いろいろ細かいケアをしてくれることですね。

実は、私自身、障害者手帳をもっていますが、並んでいる私たちに「シルバー割引や学生割引、ハンディキャップ割引がありますよ(^_-)-☆」とお声掛けくださって、割引のサービスを親切に教えてくださったので、大変助かりました。並んでいる間のことだったので、スムースに当日券売りも対応していただき、大変助かりました。

ちなみに、シルバー割引だと当日券は30%割引、ハンディキャップ割引だとなんと50%引き。お小遣いをやりくりしながらコンサートに通う私としては大変助かるサービスなので、ぜひ、いろいろなコンサートでも採用していただきたいですね!

 


さて、注目の公演が始まりました!

大野和士マエストロは、若いながらも文化功労者として高く評価されており、端正なルックスながら、大変エネルギッシュかつ優雅に登場。まさに日本の指揮者の第一人者としての貫禄を漂わせていました。

個人的なつながりでいいますと、私の立教大学時代の恩師・北岡伸一先生(元東大名誉教授、国連次席大使、現・JICA理事長でいらっしゃいます)と大野マエストロが、友人関係だということは聞き及んでおりまして、思わぬ狭きご縁に、今宵の縁のふかさを感じた次第でした。

はじめはブゾーニの「喜劇序曲」作品38。

大変はなやかな曲想で始まり、弦楽器が高らかに主題を演奏します。力強い大野マエストロの指揮に魅了されっぱなしです。どことなくハレルヤコーラスに近いものがあり、シンバルがクライマックスでダイナミックに鳴り響き、大団円となりました。終始大野マエストロはにこやかで、都響の演奏も非常に品格溢れるものとなりました。

つづいては、マーラーの「少年の不思議な角笛」より。

ここでは、さまざまな歌曲集がつづられていきます。テノールは、世界各地でめざましい活躍を続ける、イアン・ボストリッジさん。彼のテノールが大変リリカルで美しく抒情性にあふれていたので、このマーラーの歌曲集に新たな光が当てられ、演奏は成功しました。背がすらりと高く、細身でとてもダンディなので、日本でも人気が爆発しそう。N響などでもぜひ登場していただきたい逸材です。

「ラインの伝説」はホルンにつづいて、フルート、オーボエが演奏されます。どことなく、同じマーラーの「大地の歌」の印象が重なるような雄大さを感じさせる曲想です。ヴァイオリン(矢部達哉さん)とフルートが独奏し、優美さを醸し出しました。

「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」は、どこどなく不穏なうごきをたたえます。

「死んだ鼓手」は、不安さを奏でるマーチを小太鼓が見事に表現しています。壮烈さもあり、悲しみも横溢しています。

「少年鼓手」では、次第に暗鬱な戦況を小太鼓(女性)が示していきます。テノールのイアンが悲痛な叫びを残します。

「美しいトランペットの鳴り渡るところ」では、美しい天上の音楽が流れていくものの、鼓手がひとり倒れてしまい、かなしげに幕となり余韻を残しました。

マーラーの中でも、のちの交響曲に大きな影響をあたえたもので、これに注目した都響のセンスのよさが覗えました。

最後はおまちかね、プロコフィエフの交響曲第6番 変ホ短調 

作品111です。

まずはダイナミックに弦楽器が謳いあげるように奏でます。チューバとヴィオラの独奏となり、チェロと続く弦楽器が主題を重々しく演奏します。

当初は不安さと暗鬱さをたたえた曲想になるかと思われましたが、大野マエストロは、音の緩急とバランスをよく考えて、強弱のメリハリをはっきりつけたので、とても華やかな印象を与えることとなりました。

プロコフィエフ(旧ロシアの寒村・ソンツオフカに1891年4月11日に生まれました)の、後年の傑作である交響曲第6番ですが、私は最初きいたとき、ずいぶん難解で不協和音の続く曲という印象を受けていたのです。しかしながら、大野マエストロの解釈がとても見事で、哀愁がただよいつつも、人間の生きざまの可能性のすばらしさを謳い上げる、名演となりました。ピアノ、ティンパニーが力強く演奏し、曲をいっそう盛り上げます。

ちょっと欲をいえば、ホルンが都響は総じて弱いかな、という印象でした。でもホルンはオーケストラの楽器の中でももっとも演奏が難しいものなので、ここは練習を重ねてがんばって克服してほしいですね!ホルンさえ完璧なら、都響は、向かうところ敵なしでしょう!

大野マエストロは力づよく指揮を繰り広げ、混迷のロシア、旧ソビエト連邦の大地を連想させていきます。トランペットとオーボエが抒情性豊かに演奏し、ヴァイオリンがそれぞれあとに続きます。

終章は、リズミカルな動きの中に明るく展開されます。クラリネットが飄逸に、またファゴットが淡く続きます。フルートとオーボエが主題を奏でます。管楽器の快進撃は続き、トロンボーンが高らかに鳴り響きます。あふれんばかりの生命力を、ヴァイオリンが表現して見事です!

大野マエストロは、宇宙を司る自然の摂理を、このプロコフィエフの交響曲の中で表現し、大きな感動を呼びました。勇壮なテーマはつづき、ヴァイオリンが流麗な響きを聴かせてくれます。

最後は圧倒的なクライマックスの中、一斉にオーケストラが団結します。ヴィオラ、チェロがうなり、高みに上っていくさまは圧巻です!

マエストロが指揮棒を下すと、東京文化会館は嵐のような「ブラボー!」が響き渡り、おもわず私も声をかけてしまいました。

でも、大野マエストロは笑顔でしっかりこちらを向いてくださって、とても嬉しかったですね!

会場では、Facebookでお世話になった年上のお友達のおじさま、そして、パーヴォやほかの指揮者の方のサイン会で会うことの多いお友達ともお会いできて、和気藹々の中でリラックスして過ごすことができました。この場をお借りして、感謝申し上げます。

都響の広報ご担当者の方にもお目にかかりましたが、大変礼儀正しい方で、とても安心していろいろお話できたので、嬉しく思っております。

上野の森で、うれしい興奮が、夜のしじまに消えていきました!

またぜひ都響も応援していきたいですね!\(^o^)/


【公演会レポート】飯守泰次郎マエストロ、渾身、名演のブラームスチクルス!東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期演奏会が大成功です!

2019-01-12 05:41:45 | コンサートレポート!

きのうは、既報通り、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の第321回定期演奏会に行ってまいりました!ご覧の通り、東京オペラシティでは、桂冠指揮者である、飯守泰次郎マエストロの特大ポスターを掲示して、大いに盛り上げており、クラシック愛好家のみなさんとともに、おだやかに新春を寿ぎました!

お正月気分もいやがうえにも盛り上がり、華やいだ雰囲気につつまれる会場でした。

 

最初に広報ご担当者の方とお会いし、(大変おせわになりました!)始めましてのご挨拶をしました。いろいろとご親切に、クラシックコンサートや東京シティ・フィルについての解説をしていただいて、助かりました。音楽評論家デビュー戦としては、なかなかすてきなデビューを飾れたように思います!幸せです!

18時半からは、シティ・フィルの弦楽器メンバーのみなさん(第1ヴァイオリン 古賀恵さん、第2ヴァイオリン 照沼愛子さん、ヴィオラ 佐藤良輔さん、チェロ 畑野誠司さん)による、たのしい、プレ・コンサートがオペラシティのロビー・ホワイエにてはじまりました。

まず、チェロの畑野さんが、「きょうは本公演で重めのブラームスを演奏しますので、こちらでは軽めのたのしい曲を演奏したいと思います。お楽しみください!」とにこやかにご挨拶。ロビーは大変ごった返し、みな和気あいあいとした雰囲気で、聴くことができました。

曲目は、写真にもありますように、シュランメル作曲の「ウィーンはウィーン」と、シジンスキー作曲の「ウィーンわが夢の街」の2曲。前者はラデツキー行進曲とともに人気のある曲で、後者はもうすっかり有名な曲ですね。とても軽やかにすてきな雰囲気の中で演奏され、満場の拍手を浴びました。

畑野さんは大変うれしそうに、「ありがとうございます!本公演もがんばりますのでぜひお楽しみください」とご挨拶。いやがうえにも盛り上がります。舞台袖に引っ込む際に、ちょっとお話できたのですが、大変真摯な方で感心しました。これからも大いに伸びていきそうな方ですね!

さて、おまたせしました。いよいよ、本公演のはじまりはじまり!

開演ベルとともに、東京シティ・フィルのみなさんが登場し、大きな拍手に迎えられて、桂冠指揮者にして文化功労者の、飯守泰次郎マエストロが登場されました!飯守マエストロは、大変品格あふれる紳士といった感じの方で、とても好感がもてましたし、オーケストラや聴衆のみなさんから大変尊敬されていることがわかりました。

オーケストラの配置は、いつもパーヴォの対向配置を見慣れていると、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが上手にいるのが新鮮ですが、これが普通の配置なのですね。いろいろ勉強になることばかり。

1曲目は、「ブラームスの交響曲第3番 ヘ長調 作品90」です。

☆第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ(イタリア語で「輝きをもって速く」の意味)。4分の6拍子。ヘ長調。ソナタ形式。

まず、大変重厚かつ壮麗な第1主題が提示されます。フルートとオーボエがやさしく奏で、非常に均整の取れた演奏という印象を受けました。サイトウ・キネン・オーケストラのDVDや、ドイツ・カンマーフィルブレーメンのCDと聴き比べても、まったく遜色ない、格調高い演奏で感激しました!

そして、中盤は大河のようなうねり、悠久の時を感じさせるような指揮で、飯守マエストロはブラームスを謳い上げます。

これは、ブラームスが、人生で大変影響を受けた女性にしてシューマンの妻であるクララの息子・フェリックスの死に遭遇し、また、旧友ヨアヒムとも決別と交友を繰り返しており、失意の底にある時期に作曲されたものなので、余計に人生の光と希望がこの第1楽章の中に込められているのでした。

転調して、管楽器、特にオーボエが、大変リリシズム (抒情性)あふれる演奏を披露し、それに深く感動しつつ、幕となります。活躍します。クライマックスに、第1主題がふたたび提示されます。パーヴォのCDではここの第1主題を高らかに謳い上げますが、飯守マエストロは激烈にこの第1主題を指揮されました。フルートがやさしく奏でられ、ふたたび第1主題になり、幕となります。

☆第2楽章 アンダンテ(歩く速さで。イタリア語で「アンダーレ」に由来します)。4分の4拍子。ハ長調。3部形式(全体が3つの部分から成っている楽曲の形式のこと)。

管楽器が冒頭やさしく奏でられます。チェロ、コントラバスが深く強く追ってそのあとを演奏し、フルートがそれに続き、華やかな曲想となります。オーボエが大変すばらしい演奏を披露してくれました。端正なヴァイオリンで、まさにロマンをたたえた名演です。非常に深遠な広がりをしめすブラームスと飯守マエストロの境地を感じさせて見事でした。

☆第3楽章 ポコ・アレグレット(やや歩く速度で)。8分の3拍子。ハ短調。

もっとも哀切きわまりない主題が繰り返される。ヨーロッパの暗鬱な空を思い起こさせるような悲しさがただよいます。ブラームスの悲嘆がここに凝縮させているようです。パーヴォのCDもここのかなしみを全面に押し出す形になっています。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがいっそうかなしみを増長させます。しかし、転調して、飯守マエストロは、愛とかなしみと希望を謳い上げました。

この主題が繰り返されますが、まるでドナウ河の流れのようです。「ゆく河の流れは絶えずして」という方丈記の一節が思い起こされるような、人生の深遠な生きざまを、飯守マエストロとオーケストラがさまざまな角度から描出し、深い感動に導きます。

☆第4楽章  アレグロ(速く)。2分の2拍子。ヘ短調のちにハ短調。ソナタ形式(楽曲の形式の一つ で、構成は基本的に、序奏・提示部・展開部・再現部・結尾部からなり、二つの主題が提示部・再現部に現れる。)。

たたみかけるようなヴァイオリンの響きに続いて、フルート、オーボエ、ファゴットがそのあとを追います。そしてティンパニーが力強く続きます。ここで一気に曲が盛り上がり、大変壮大な演奏となります。高らかに人生讃歌を謳い上げる飯守マエストロ。そして、人生のさまざまな困難に打ち勝つ力を表現しています。雷鳴のようでもあり、「運命の連鎖」というベートーヴェンのブラームスへの影響も、ここに見ることができます。ティンパニーがその運命の審判を下すかのように、連打されます。

ここハ長調へ転調。曲はさらに華やぎをまし、豪壮な演奏となります。劇的興奮は頂点に達し、まさに飯守マエストロが見事な指揮を披露されました。

人生の希望と輝きが高らかに宣言され、絶望と歓喜が混然一体と化し、第3楽章の主題がふたたびここで提示され、大団円となりました!

大興奮のるつぼに包まれる、東京オペラシティ。友人の指揮者であるMさんが「飯守マエストロのブラームスは度肝を抜かれますよ」とコンサート会場でおっしゃってくださいましたが、まさに、魂を揺さぶられてしまって、私はすっかり放心状態です・・・。

休憩ののち、続いて、「ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 作品68」の演奏です!

☆第1楽章 ウン・ポコ・ソステヌート(少し音の長さを十分保って)―アレグロ ハ短調 8分の6拍子。導入部をもつソナタ形式。

強烈かつ鮮烈な印象を放つ冒頭部分の演奏に始まり、ティンパニーが重々しく叫びます。飯守マエストロは堂々としており、すっかりブラームスの世界を熟知し暗譜して、すっかりその世界の中に浸りこんでいるかのようです。第3番もすばらしいですが、明らかに第1番は傑出した演奏になる予感が!

悲痛極まりないメロディーは、作曲の完成まで21年の歳月を要したブラームスの魂の叫びのようでしたし、まさに至高ともいうべき演奏で、渾身の名演をみせる飯守マエストロに、胸が熱くなりました。ブラームスの波乱の人生が、この第1番に凝縮されたような、そんな感慨にとらわれました! 

☆第2楽章 アンダンテ・ソステヌート。ホ長調。4分の3拍子。3部形式。

緩徐楽章。ロマンあふれる名演が続きます。のびやかにブラームスの世界を奏でるオーケストラのみなさん、それぞれが輝いて美しいです。特に、コンサートマスターの粟津惇さんの独奏が見事で、大変すぐれた出来栄えとなりました。

☆第3楽章 ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツォーソ(優雅に)。変イ長調。4分の2拍子。3部形式。

牧歌的な調べが冒頭奏でられます。フルートが大変美しく、3連符の後のクライマックスが見事です。弦楽器の荘重さがただただ素晴らしいです。

☆第4楽章 アダージョ(ゆるやかに) ハ短調。のちにアレグロ・ノン・トロッポ・マ・コンブリオ。 ハ長調。4分の4拍子。導入部をもつソナタ形式。

第1楽章の「原罪」を思わせる重厚な調べ。人間の、不穏な嵐に立ち向かう力強さと勇気を雄々しく描いています。ティンパニーがここでも大活躍し、トロンボーンが格調高く鳴り響きます。「運命」の予兆がそこかしこに点在しており、べートーヴェンの影響が、ブラームスにここでも深くあることを示しています。

そしてあまりにも有名なメインテーマが勇壮に演奏されます。魂の救済とブラームスの熱い思いが、飯守マエストロによって見事に引きだされていることに、熱い感動を覚える私でした。まさに、「人生の絶望から歓喜」を高らかに謳い上げる東京シティ・フィルに、ふかく共感していました。力強く、見事なファンファーレを、オーケストラが一体となって演奏し、華麗なる大団円となりました。

まさに、ブラームスの人生と、飯守マエストロの輝かしい音楽人生、ふたりの偉大な音楽人の運命が交錯して、今宵のすばらしい奇蹟に結びついているのでした。ティンパニーはさらにさえわたり、人間の業や「原罪」を感じさせるものとなりました。そびえたつ巌のような、この交響曲第1番を、オール日本人のオーケストラが威風堂々と演奏している様子に、わたしは目も眩むような感動を覚えました。

東京シティ・フィルのみなさんも、実に誠実かつ真摯な演奏で感動を呼びましたし、スタッフのみなさんもすがすがしい方々ばかり。女性が活躍しているのも頼もしいですね!今後もいい形で応援していきたいです!

すばらしい、まさに圧巻の、初台の夜でした!