新・台所太平記 ~桂木 嶺の すこやかな日々~

N響定期会員・桂木嶺の、家族の介護・闘病・就職・独立をめぐる奮戦記を描きます。パーヴォ・ヤルヴィさんへの愛も語ります。

【研究】 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、徹底研究してみました!音楽用語もご紹介します!

2019-02-14 23:27:11 | 音楽評論家としての活動!

きょうは明日のNHK交響楽団とパーヴォのコンサートに備えて、予習もかね、上野の東京文化会館の音楽資料室に行ってまいりました!

実際予習できたのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だけでしたが、楽譜や、過去の名演奏の研究もでき、大変有意義なものとなりました。

ミニ知識は、またどこかで披歴するとして、きょうは備忘録的に、私がわからなかった音楽用語などを列記して、クラシック初心者の方のための、手引きの一助となれば幸いです。

 

〇音楽用語一覧

 

1)  moderato (モデラート): 中くらいの速さで

2)  con passione (コン・パッシオーネ):情熱的に

3)  Un poco piū mosso (ウン・ポコ・ピゥ・モッソ): 少し躍動して

4)  Pesante (ペザンテ):重く

5)  Allegro(アレグロ):速く

6)  Maestoso(マエストーゾ) :荘厳に

7)  Meno mosso(メノ モッソ):今までより遅く

8)  Adagio sostenuto(アダージオ・ソステヌート): ゆるやかに、音の長さを十分保って

9)  Acceler (accelerando アッチェレランド):だんだん速く

10)         Presto (プレスト、) 速く急に

11)         Pi ū vivo :いままでより大きく、活発に

12)         Risoluto (リゾルート):きっぱりと (>ラフマニノフの曲を語る上では欠かせないキーワードだそうです)

 

 

〇そのほかの音楽用語

1)  国民楽派;19世紀中ごろから20世紀にかけて、民族主義的な音楽を作った作曲家の総称。主にロマン派時代の作曲家をさす。

例) ロシア楽派:グリンカ、「五人組」(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキ=コルサコフ) 1850年~70年代にかけて、ロシア民族の伝統と、民衆生活に根差す、音楽をめざした作曲家 

 

  そのほかの国々:ピアソラ、ガーシュイン、コープランド、ハチャトリアン、ヤナーチェク、バルトーク、

コダーイ、シベリウス、ファリャ、グリーグ、ニールセン、スメタナ、ドヴォルザークなど

 

2)  属音(ぞくおん dominant): 音階中、主音に次いで、重要な音のこと。本来は、「支配的な音」という意味。ヨーロッパの長短調における、主音の5度上の音であった。それに対して、5度下の音は、下属音と呼ばれる。

 

3)  テュッティ(tutti):イタリア語表記による音楽用語で、「全部」の意味。演奏しているすべての奏者が、同時に演奏すること。ソロ(solo)の対義語。オルガンでは、フル・オルガンによる演奏のこと。

 

 

4)  調号(ちょうごう、 英:key signature, 独:Tonart-vorzeichning)

五線記譜法で用いる変化記号の一種で、楽曲の調を示す。調子記号と言われる。

例)#、♭、本位記号

 

5)  移調(いちょう、英:transposition 独:Transponierung)

  一つの楽曲を、曲の形式を変えることなく、原調とは、違う調に、音域を移し替える操作のこと。

  例)ハ長調⇒ 原曲長3度上方へ移調すれば、ホ長調に。

 

6)  カデンツ(終止形):

楽曲の終止への過程を形成する、音進行の定型。

機能和声における、和音による終止法には、以下の五類型がある。

①    完全終止 さらに、これを正格(全)終止、変格終止に分類できる。

②   不完全終止

③   半終止

④   偽終止

⑤   フリギア終止

 

7)  三部形式:楽曲構成の、基礎的な形式のひとつ。

A(提示部)-B(対照部)-A(再現部) という形式で、各部分のそれぞれ8小節からなるもの。古典派の作曲家たちによって確立。

 

 

8)  ソナタ形式(sonata form) :もともと、ソナタの第1楽章として発展してきた形式だが、ほかの楽章にも用いられる。

全体は3部分

①   提示部(呈示部)

ある楽曲によって、主題あるいは、それに相当する重要な素材を提示する部分。ソナタ形式で現れる。原則としては、調性や、また性格上も対照的な第1、第2主題の提示がある。

②   展開部  提示部で示された、二つの主題が動機、分割されて、展開される。また、この部分では自由に転調がなされる。楽曲の初めに提示された主題や、重要な楽想のもつ可能性を、種々の角度から引き出し、発展させる部分。ソナタ形式では、提示部の次に位置する。多くの転調がなされる。主題が動機やそれ以下の小さな単位に分割される。または結合されることが多い。フーガでは、主題と応答が各声部に行き渡り、主題が完全に提示される提示部または展開部という。

③   再現部 recapitulation

ソナタ形式において、提示部、展開部に続く第3の主要部分。提示部の主題と素材が、ほぼ忠実に主調で再現される。三部形式、ロンド形式では同じ用語が用いられることもある。

 

番外編 コーダ:楽曲または楽章に終結感をもたらすために置かれた結尾部分。規模は大小様々である。

 

 

     
 9)ストレッタ(stretto):「押し合った」「緊迫した」の意味。

①   フーガでは、ある声部の主題が完結する前に、他の声部が応答して入り、畳みかけるように重なっていく部分及びその手法。

②   加速のテンポで、奏でるオペラのフィナーレの一種。

③   ベートーベンの交響曲第5番以降の器楽の楽章のコーダが、この用法が用いられる。

 

 

このほか、きょうの資料として、参考にしたのは、以下の通りです。

 

1)    映像:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)、

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(演奏)によるレーザーディスク

「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18」

(ドイツ・グラモフォン社より)

 

2)    楽譜: 

「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番」音楽之友社 OGT2145 2010年12月10日初刷

(解説:野中一郎)

 

以上です。

 

2)の、この楽譜をなんとか読みながら、1)のレーザーディスクを見たのですが、実はこの時の録画・録音が、その後の同曲のお手本となっているという印象を強く受けました。

常に規格正しく、楽譜に忠実で、格調高いのです。しいていうなら、ロマンの香りというより、第3楽章の最後を飾る、Piū vivo(今までより活発に)、そして、ラフマニノフの曲を語る上で欠かせない用語、risoluto(リゾルート、きっぱりと)という、威風堂々たる楽想を基軸にもってきているので、非常に壮大なファンタジーになっています。

ピアノ協奏曲の域を超えた、ある種交響曲的な風格を備えた名演となっています。

正直、この録画・録音を超える演奏は、なかなかお目にかかったことがないように思いますが、きっとパーヴォのことなので、成算があると思います。

わざわざロシアの俊英ピアニスト・ガブリリュクさんを連れてきたことからもわかるように、きっとすごい仕掛けが待っているのではないかと、楽譜を読みながら、大変ワクワクしました!

そのくらい、超絶技巧を駆使しますし、演奏者すべてにタフネスさが求められている、傑作中の傑作ですね。

明日、明後日の演奏もしっかり拝聴して、パーヴォの起こす「音楽革命」を体感したいと思います!16日は完売ということですので、明日15日(金)、ぜひ、NHKホールにおこしくださいませ!


【試聴鑑賞】#ハンス・ロット祭り に備えて、交響曲第1番を、音楽資料室にて試聴♪

2019-02-07 21:08:26 | 音楽評論家としての活動!

さぁ、たまにはちゃんと、音楽評論家としての活動もご紹介しましょうね!

きょうは上野の東京文化会館の、音楽資料室に行って、

2月9日(土)の#ハンス・ロット祭り に備えて、こちらのCDを試聴してきました。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AC-%E3%82%BB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/B0002RN9QI

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

演奏:ミュンヘン放送管弦楽団

2003年録音

音楽資料室には、これしかなく、楽譜も見ることができなくてちょっと残念。でも、かなりこれだけでもくわしい解説がでていたので、非常に貴重な資料となりました。

以前私はこちらのパーヴォのCDも持っていたのですが、前の夫に、パーヴォのCDはすべて手放すようにといわれて、泣く泣く手放したのがこちらです。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88-%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA-%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3-%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9/dp/B0070YG076/ref=pd_lpo_sbs_15_t_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=PY114AY1G3R5PHHXX7RR

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

演奏:フランクフルト放送交響楽団

2012年録音

どちらもすばらしい録音だと思いますが、たぶん9日・10日はパーヴォのこちらのCDが販売されると思うので、一応買ってみようと思っています。

試聴した結果、いろいろな感慨をもつことができました。また、NHK交響楽団から、2月号の「フィルハーモニー」がアップされましたので、併せてみなさまの9日・10日の鑑賞の手引きとして、こちらにもアドレスを掲載させていただきます。

なお、Aプログラムの解説は、広瀬大介さん(音楽評論家)です。

file:///C:/Users/User/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/43SNIWVI/phil19Feb.pdf

<ハンス・ロットの交響曲第1番を聴く>

〇第1楽章:壮大かつ華麗なるファンファーレが始まる。随所に、ブルックナー・ブラームス・ワーグナーの影響がみられる。晴れやかな管楽器のメロディーがつづく。大変野心的な作風で、のびやかな個性が初々しく好ましい。しかし、さまざまな識者から「ワーグナー風」と言われたこともあったらしい。しかしながら、この気宇壮大な作風は、なんともすがすがしく、第1主題がダイナミックに演奏され、心地よい。

〇第2楽章:こちらも透明感あふれる美しいメロディー。まさに天上の音楽の名にふさわしい。あちこちに、とてもマーラー的な要素を感じる。8分25秒過ぎに、やはりちょっと変わった、美しいフレーズが流れる。

〇第3楽章:のっけからワーグナーの「ワルキューレ」的な展開になる。通常の交響曲なら、ここで緩徐楽章になるところが、ひたすら壮麗で雄大な音楽が展開する斬新さに驚く。華麗なワルツ風の3拍子が続き、エルガーの「威風堂々」を思わせる壮烈なメロディーが繰り広げられる。正直言って、大変新鮮かつ面白いし、パーヴォや川瀬賢太郎マエストロが夢中になって取り上げようとするのも無理はない!

ここで、ヴァイオリンの優雅なワルツ。すぐに打楽器と管楽器の合奏がある。優美なヴァイオリンの独奏が静かに流れる。若者の、理想に燃える姿が目に浮かぶようである。

6分30秒から7分にかけて、オーケストラが力強い演奏を展開する。スケルツォが壮烈である。徐々に迫力をましていき、フォルテシモとなる。管楽器が華麗に響き渡る。まったく退屈することなく、第3楽章のメインテーマが繰り返されて、終わる。

〇第4楽章:ここでもワルキューレ的な出だしとなる。ここでなぜか、緩徐楽章となる。不思議な転調がつづき、小休止が繰り返される。やや暗鬱な音楽となる。

4分33秒から5分58秒にかけて、壮大なフィナーレへ突入。悠然と大河を行くがごとき風格があるのにも驚かされる。華やかさと哀切さが交互に繰り返され、絶妙なハーモニーが生み出される。

8分25秒から、ブラームス交響曲第1番の第4楽章にそっくりなメロディーが流れる。ここまでリスペクトされたのに、ブラームスがロットの作品を酷評したのは、やはりある意味彼の存在を脅威に感じたためなのか。

16分33秒より、巨大な壁に立ち向かうような大音量が響き渡る。音楽の理想郷を求める、ハンス・ロットの姿が見えるようである。

18分56秒より、第1楽章の第1主題が繰り返される。さらにメロディは雄大なものになっていく。

そして、22分以降、静かに終わり、この華麗なる交響曲は幕を閉じる。深い森に迷い込んだかのような余韻が漂い、感動を呼ぶ。

 

・・・ずっと聴いていて、ハンス・ロットの生涯を解説で読んだのだが、明らかに晩年(といっても、この作品を発表した22歳のころのロットだが)のロットは、いわゆる「統合失調症」を発症していたようである。「極度の被害妄想による幻覚症状」があらわれていたというが、この「交響曲第1番」のとびきりの明るさからは、その暗い影は微塵もみえず、不思議な光を放っている。人間の精神のありようと、芸術とのふしぎな関わり合いを知って、深い感慨にとらわれる私である。

私自身、2002年に、実は統合失調症と診断されていた。(現在は、そううつ病と病名が変更となったが、治療は継続中である。)というわけで、パーヴォが今回、ハンス・ロットの世界観をこうした形で広く世に発表してくれることに、深く感謝している。また、パーヴォが私に対して、音楽療法を試みてくれ、私の症状が飛躍的によくなったことにも、深く感謝したい。

私が発病した当初は、劇評等の原稿を読んでみても、かなり切迫し、追い詰められた精神状態の中で書いていた。当時使われていた語彙も甚だ過剰であり、情緒不安定な様子がみてとれる。

しかし、ハンス・ロットにも、私の発病当時の原稿から見ても読み取れるのは、「絶望にみちた絶唱」ではなく、むしろ「明日への希望に満ちた、音楽や演劇へのあくなき理想の追求」であり、「若者の未来への気負い」である。

ハンス・ロットも発病当初、なにかとんでもない、「突発的なこと」があったのではなかろうか?でなければ、ここまで明るく、音楽の未来像を堂々と語れるだろうか。ロットを酷評したブラームスも、ほかの音楽家たちも、ロットのもつ、突き抜けた明朗さと、すがすがしさに、ある意味驚嘆し、「未知なるもの」への脅威を感じたのではないかと、私は思うのである。

ハンス・ロットの作品の評価がとだえていたのは、彼の抱えていた「病気」へのいまわしい<偏見>が、ロットの評価をゆがめていたのではないかと思えるほどである。

が、9日(土)のパーヴォと、川瀬賢太郎、ふたりの優れたマエストロが競演することで、その長い長い呪縛から解き放たれ、ハンス・ロットの音楽が、正当に評価され、さらに演奏の機会が増えることを切に希望するものである。

 


【ちこちゃんが叱ります!】「名刺を切らしている」というのは広報担当者として失格!

2019-01-26 10:26:28 | 音楽評論家としての活動!

ツイッターを再開しました。そこで、さっそくわたしなりの意見を言わせていただきましたが、ひとつの問題提起としたいと思いますので、ブログにも再掲します。

わたしはいわゆる駆け出しの音楽評論家。歌舞伎の評論家としても、18年のキャリアはまだまだ新人扱いです。

そんな私に、温かい励ましをくださる方もいれば、逆に非常に冷たい対応をとる人もいます。わざと「名刺を切らしたので」というひどい対応をとる人もいます。でも私はそのことも含めて全部覚えています。私に対して、どういう対応をとるかも、その人物への見極めとするつもりです。

「名刺を切らしたので」という広報担当者は、私も広報・宣伝で12年半やりましたのではっきりいいますが、広報失格ですね!それだけで公演のイメージが悪くなることに気づいていない。ひどい人だと、アポイントメントを事前にきちんととったにもかかわらず、わざと仕事を休んで知らん顔をする悪質な広報担当者もいます。呆れます。

新人評論家ですから、「桂木嶺?誰だそいつは?そんな奴、適当にあしらっておけばいい」という考えなのでしょう。でもその広報担当者の対応が間違っていると、やはり観客動員にもすごく影響を及ぼすとつくづく痛感させられます。どんなに演者が頑張っても、スタッフの対応いかんで公演が失敗におわることを、もっと広報担当者の方は知るべきですね。

広報担当者の対応がなっていない公演は、だいたい、お客さまの入りが悪いですね。ですから、逆にいえば、広報担当者がきちんと対応している公演は、全体のチームワークもいいですし、お客様への対応もきちんとしているので、お客様も入りがいいですし、満足度が高いようです。みなさま、どうぞご参考までに。


カラヤン、小澤征爾、パーヴォのブラームス交響曲第2番を聴き比べる!(加筆しています)

2019-01-10 20:05:43 | 音楽評論家としての活動!



今日は一日、東京文化会館の音楽資料室にこもって、明日のコンサートの下調べに明け暮れました!

(※すみません、さきほど、スマホからの投稿だったので、まだ書きたりない部分あり、加筆訂正させていただいています!)

ブラームスの交響曲の第1番と、3番を聴くのですが、その参考資料として、カラヤンのベルリンフィルと、小澤征爾のサイトウキネンオーケストラを聞き比べるという、なんとも贅沢な時間を過ごしました!
どちらも甲乙付けがたいほど素晴らしい出来映えで感動しました!今日のいい資料になりました。

楽譜を見ながら聴くのは、ほぼはじめての作業でした。始めはなにがなんだか、正直わけがわからなかったのですが(スミマセン、お恥ずかしい‥💦)、ブラームスの交響曲第2番を聴くころにはすっかり勘所をつかんで、読み進めることができて大満足!

楽譜を読みながら聴くと、ブラームスの作曲した意図もよくわかりますし、なんといっても設計図なので、全体像がよくみえて、客観的に音楽をとらえることができたのが収穫が大きかったです。

よく私は、以前パーヴォのブラームスの批評を書くときに、「とても官能的である」とか、「とても情熱的である」と、抽象的に書いてしまっていたので、確かに音楽愛好家の方々からすれば、私の批評だと、何がいいたいのかよくわからない、ということがあったかもしれませんね。パーヴォも物足りなかったかもしれません。具体的にどこの楽譜の部分が、どうよかったのかを指摘してあげると、わかりやすかったのかも、と自省しつつ、楽譜を読みました。

第1番は正直かなり複雑な構成でわかりづらいところがありました。でもこれは、ブラームス自身が完成までに非常に長い年月を要したことを考えると、試行錯誤の連続だったのでしょうね。音楽自体はとてもインパクトがありますが、全体の流れは、ちょっとぎこちない印象もうけました。

しかし、第2番、3番と進むにしたがって、ブラームス自身も大変余裕が生まれてきたのか、気負いもなく、さらさらと音符を書き連ねている様子がよくわかりました。

特に、ブラームスの交響曲第4番を聴き、楽譜を見ると、ブラームスの作曲の仕方が、どんどん進化していって、シンプルな音づくりをめざしつつ、大変力強い旋律を生み出していっていることがわかりました。なんといっても、顕著なのは、音符の波形がとても綺麗でわかりやすいんですね。それでどの楽章も実にパーフェクトな旋律とリズムを生み出していて、弾き手にとっても、特に超絶技巧を要するわけでもないのですが、わかりやすいメロディーなので、大変演奏しやすい、という利点も備えているわけです。

というわけで、楽譜を見ながらの音楽鑑賞はたいへん勉強になりました!

鑑賞したのは、それぞれレーザーディスクです。小澤征爾は、フィリップスから出ている、サイトウ・キネン・オーケストラのロンドンツアー(1990年から1992年)。小澤さん自身も大変若く、精力的で、エネルギッシュな指揮をされていて、もっとも脂の乗り切ったころの演奏となっています。

オーケストラも、日本のまさに優れた演奏家たちが集結していて、たとえば、元NHK交響楽団のコンサートマスターである徳永二男さん、盲目のヴァイオリニストとして有名な和波孝善(ほんとうはしめす編がつきます)さん、若き日の諏訪内晶子さん(チャイコフスキー・コンクールで1位をとったばかり。18歳という最年少での出演でした)。チェリストとして有名な堤剛さんなどなどそうそうたるメンバーが参集しています。

ツアー当日までのドキュメントもついていて、これがとても面白かったですね。小澤さんとオーケストラの練習風景を映し出しているのですが、小澤さんは大変民主的な運営をされる方なのです。ジョークもとばし、オーケストラのみんなと、ディスカッションをすすめながら、より優れた音作りを楽しく真摯に作り出すので、練習もとてもみんな楽しそう。和気あいあいとした雰囲気で行われるので、チームワークも抜群なのです。だから、海外のオーケストラにも比肩しても遜色ない、大変すぐれた音色が生み出されるのでした。

※パーヴォもオーケストラの運営に関しては、とても民主的で、オーケストラの自主性を尊重するやり方をとっておられますよね(^_-)-☆そういうところが、小澤さんやパーヴォの指揮が、やはり世界中のオーケストラに受け入れられる要素のひとつだと思いました。よくパーヴォが「僕は決してカリスマではありません。オーケストラのみんなとともに、一人の音楽を愛する仲間なのです」とおっしゃる理由もよくわかりました。

また、このドキュメンタリーはイギリスの放送局・BBCが制作していますが、小澤さんはじめ、オーケストラ(日本人がほとんどですが)がみな英語が大変流暢かつ堪能なことに驚かされます!みなさん、演奏家としても傑出した方々ばかりですが、大変みなさん優秀な方々ばかりなのだなという印象をうけました。世界で活躍される演奏家の方々は、社会人としても超一流なのだと、あらためて深く感じいった次第です。

カラヤンのレーザーディスクは、ソニーレコードから出されたもので、いま、TOHOシネマズなどで上映している、ベルリン・フィルとの映像をレーザーディスク化したものです。収録されているのは、ブラームスの交響曲第1番と2番ですが、どちらも大変すぐれた内容で聴きごたえがあります。1番が1992年、2番が1993年に制作されたものですが、1989年にカラヤンが没していますので、そういう意味では最晩年の演奏を収録したものとなります。

最晩年ということを考えても、大変格調高く、品格あふれるカラヤンの指揮は深く感動を揺り動かします。しかし、ビックリするのは、とにかく映像が、カラヤンのアップが大変多いこと。オーケストラ(ベルリン・フィル)の様子を見たいのですけれど、ちょっとそのあたりがあまりよくわからないのが難点といえば難点でしょうか。でも帝王カラヤンですから、そういう意味でも、まさに真の「カリスマ」だったのでしょうね。

でも、ブラームス交響曲第2番に関して言えば・・・クラシックファンの方の批判をおそれずに言うと、小澤征爾も、カラヤンも、パーヴォにはかなわないですね!

ルクセンブルク、ベルリンと、パーヴォのこのブラームスの交響曲第2番の演奏を、私自身も聴き、CDも買ってずいぶん聴きこんでいますが、この曲に関しては、パーヴォの独壇場だと思います!いま、世界で彼にかなう指揮者はいないのだと思いましたね!(こんどリッカルド・ムーティ―を聴きますので、またどういう印象をもつかわからないですが、いまのところ私はそう確信しています!)

その位、パーヴォのブラームスの交響曲第2番の指揮は、傑出していますし、解釈は本当に斬新ですばらしいですね!何度聞いても鳥肌がたつほど感動しますし、人間の生きざまに対する、パーヴォの限りない優しさと愛情、敬意を感じます。

ブラームスの交響曲第2番は、1877年12月30日(パーヴォのお誕生日と一緒ですね^^)にハンス・リヒター指揮、ウィーン・フィルによって初演されていますが、第1番が大変難産だったのに反して、第2番は曲想がするするとできあがってしまったといいます。ベルチャッハという穏やかな街で、書き上げたので、大変優しさのあふれる、全4楽章すべてが長調でできている、稀有な作品だといえます。

ブラームス自身も非常にこの曲の完成に手ごたえを感じており、友人にあてた手紙の中で「今度の新作は、およそ考えられないほどメランコリックな作品だ。私はこれまでこんなに悲愴な曲を書いたことがない。スコアに黒い枠をつけて出版すべきであろう」と彼一流のジョークを交えて書いています。

そこで、同じベルリン・フィルで、カラヤンのそれと聴き比べてみても、パーヴォの方が音の深みも色気も凄みも全然違うのでびっくりしました!

カラヤンはむしろ堅実、着実、堅牢なつくりの第2番で、ちょっと優美さとはことなる指揮になっていますが、パーヴォの場合は、非常に愛情あふれ、官能的で、音の構成が濃密で、甘やかさとロマンティックな部分が全面に押し出されています。特に冒頭の演奏の違いを比較すると、カラヤンとパーヴォのキャラクターの差がはっきり表れていて面白いですし、20世紀の、カラヤンのクラシック音楽に対する考え方と、21世紀のより人間的な魅力を追求したパーヴォのアプローチの仕方の違いを、それぞれ楽しむことができ、大変貴重な鑑賞の機会となってよかったです。

それにしてもさすがパーヴォです!カラヤン、小澤征爾をむこうにまわして、さらにすぐれた高みに上っているのですもの!ドイツカンマーフィルでも、ベルリンフィルでもそれぞれすばらしい成果を上げたパーヴォなので、ぜひ今度は東京で、NHK交響楽団と演奏してほしいです。(といっていたら、2019年9月から2020年6月までのプログラムが発表になりましたね^^別投稿で触れますね)

やっぱりわたしは、パーヴォを尊敬するし、いつまでもついて行きます!\(^o^)/\(^o^)/ 

私は大変すぐれた指揮者であり、人間であるパーヴォと出会えたのだなと思うと、それだけでも誇らしく、うれしいです!いろいろ苦労は日々あるけれど、パーヴォの優れた人間性と、音楽に出会えた僥倖に、深く感謝したいですし、これからも、パーヴォやほかの指揮者の方との演奏を比較して分析し、パーヴォの音楽の何が魅力の根源にあるのか、よく追求したいですし、終生のテーマとしたい、と心に強く誓いました!

まずはクラシック音楽評論家のタマゴとして、しっかりお勉強できて幸せでした!上野の午後は楽しく過ぎていきました(^^)/!


内定取り消しとなるも・・・音楽評論家として改めて出発へ!

2019-01-09 01:21:09 | 音楽評論家としての活動!

きのうは、内定先企業(実は生命保険の会社でした。誰でも知っている大手の会社です)の研修がありました。しかし、研修は1時間受けましたが、その後の面談で、結局内定は取り消しとなり、4月以降あらためて再度この生保会社からアプローチがあるとともに、当面は音楽評論家としての勉強に専念することになりました。

始めはショックだったのですが、そこの生保の会社の営業部長さんが私にこうおっしゃって、励ましてくださいました。

「かつらぎさん。大変申し訳ありません。僕たちも大変悩んだのですが、やはり熟考の結果、僕はかつらぎさんは、音楽評論家として大成すべきひとであって、生命保険の営業で終わる人ではないと判断しました」。

「もちろんわが社の業務に対する並々ならぬ熱意、意欲はずば抜けていますし、ご経歴もすばらしいです。でも、やっぱりかつらぎさんの今後の可能性を考えた時に、音楽や演劇の評論家として、もっともっと伸びていくべき人であるし、わが社がたまたまお声掛けしたことで、かつらぎさんの人生設計を狂わせてしまってはいけないと考えました。」

「かつらぎさんの現在のご家庭の環境も、さまざまな大変なことがありますよね。かつらぎさんにとって、あまり落ち着かない状況なのも、もうちょっと落ち着かせて、執筆にご専念できる環境を整えてからのほうがいいと思いますし、長い目でみて、そのほうがかつらぎさんのためになるのではないかとおもったのです。」

「それに、ご両親、特にお父様にいろいろな意味でかつらぎさんを理解していただくことが大事だろうと僕らは考えました。この内定を取り消すことで、お父様や前のご主人を憎んだり、嫌いになったりしないでいただきたいのです。あなたのご家族なのですから、大切に考えていただきたいのです。生命保険会社であるわが社は、ご家族の信頼関係があってこそ、私達の生命保険が役に立つと考えています。だからこそ、かつらぎさんのお仕事や情熱を、お父様にもお母様にもちゃんとご理解いただき、応援していただきたいんです」

「僕たちも苦渋の決断でしたが、そうさせてもらおうと考えたので、ご理解いただき、かつらぎさんには、ぜひ音楽評論家として末長く頑張っていただき、ぜひ『桂木嶺』として大成していただきたいと思うのです。なんといっても今までのご経歴、キャリアは輝かしいものなので、自信をもって頑張って生きていっていただきたいんです。ご病気のことなんて、もう忘れていただいていいのです。かつらぎさんはこれ以上卑屈にならず、堂々と評論家として前を向いて生きていかれるべきです。」

始めは大変ショックでした。引っ越しも何もかも、この企業への内定が前提で動いていましたから。でも、考えてみたら、この企業とのお付き合いは、年末に始まったばかり。換言すれば、音楽・演劇評論家としてお墨付きを頂いたようなものですし、この生保会社が非常に私をとりまく現在の環境を心配してくれていることもよくわかりました。

また、特にこの営業部長さんがすばらしいと思うのですが、「ご家族を憎まないでほしい」という言葉に、私はとても自分の心が軽くなるのを感じました。ついつい、利潤で金融関係特に生保は動いているのではないかと思いがちでしたが、ここの会社はまったく考え方が違っていました。

「家族を大切にする」「人生の価値観を大切にする」「生き甲斐を大切にする」会社であり、「人を大切にする」会社なのだとあらためて感じました。

こういう企業との出会いがあって、私はとても救われましたし、営業部長さんは大変お若い方ですが、見識といい、人の人生の観察のするどさといい、本当に瞠目すべき人で、こうした方と知り合えただけでも感謝したいと思いましたので、私も納得して、彼の申し出を受けることにしたのでした。

帰宅してから、父と母に、私の一連の顛末を話しましたら、初めは両親もビックリしていましたが、父が開口一番、こう申しました。

「では音楽と演劇の評論家として、身を粉にしてよく勉強して、しっかりがんばるんだよ。そのための応援だったら、ちゃんとパパもしてあげるから、がんばりなさい。お小遣いだったら、バイトだってパートだっていいから、ちょっとやればいいから、とにかく今は音楽と芝居の勉強をしっかりしなさい。生保会社だってお前の実力を認めてくれたんだから、病気のことなど過去の一切は気にせず、堂々とふるまいなさい。」

続けて父はこう励ましてくれました。「ともちゃん、上野の東京文化会館の音楽資料室も、国立劇場の資料室も、これからはもっとよく通うようにするんだぞ。上野だったら、美術館もあるから、芸術にもっと触れるように。長い人生、まだ引退は早いのだから精いっぱいのことをしなさい。せっかくこの生保会社がチャンスをくれたのだからね。生活はまぁちょっと苦しいが、パパがなんとかいろいろやりくりするから、ともちゃんは心配しなくていいよ」

私はぽろぽろ泣きました。こんなに父が私のほんとにやりたいことを理解してくれているとは思わなかったので、うれしかったのです。

「パーヴォみたいな指揮者の偉い人だって、こうしてせっかくご縁ができたのだから、どんどん音楽のことを質問して、勉強させてもらいなさい。それでパーヴォに連絡をとるのは全然パパは怒らないから」とも言ってくれて!!!

母も、ニコニコしていいました。「チコちゃんが一番好きな道で頑張ってくれるのなら、ママはそれでうれしいから、いろいろ文章をよく考えて、いい評論をかきなさい。パパのことをちゃんと理解してくれれば、ママはそれで充分幸せだから、心配しないでがんばりなさいね」と励ましてくれましたので、あらためて、私は自分がいままでとても自分の人生をとりまく人々に対して狭量だったことや、両親に感謝をしたくなりました。私を生んでくれて、育ててくれてありがたいとおもいました。

私は、あらためて幸せ者だと思いました。好きなことで身を立てられ、両親にも周りにも理解してもらえるというのは、確かにそれだけでもありがたいことですね。

さっそく日本音楽舞踊会議の事務局のTさんに電話をすると、彼は親切におしえてくださいました。投稿については、編集長の方が最終判断をしますが、同会議の主催する公演なら、どんどん記事を書いてもらって投稿するのは大歓迎ということなので、ご厚意に甘える事にしました。

またNHK交響楽団の定期公演もこれから拝聴しますが、これもその都度、ブログにも感想をアップしますが、演奏会評として書き溜めておいて、適宜雑誌社、新聞社に送って読んでいただくことにしました。そうして、どんどん評論の実力を蓄えていくことが先決と考え、両親に話すと、両親は大賛成してくれました。

歌舞伎学会のこともきちんと会費を払って、あらためて投稿を検討しようと思いました。今はとにかく時間に関しては時間長者なので、どんどん投稿と勉強に充ててがんばろうとおもったら、勇気がムクムク湧いてきました!

とにかく、なんでも前向きに考えていくと、いいことばかりですね(^_-)-☆

営業部長(Mさんとおっしゃいます)のご慧眼にあらためて感謝するとともに、あたえられたこのチャンスを精いっぱい生かし、両親のためにも、Mさんのためにも、またパーヴォやみなさんのためにも、粉骨砕身、がんばろうと思います!

よーし、やったるで!ヽ(^o^)丿

気持ちが非常に晴れ晴れした、七草がゆ明けのかつらぎ家でした!

 


【謹賀新年】初めて、音楽評論家としての記事が載りました!「音楽の世界」という雑誌です!ぜひお買い求めくださいませ!

2019-01-01 09:57:46 | 音楽評論家としての活動!

みなさま、新春あけまして、おめでとうございます!!!

旧年中は大変お世話になりました。

今年は心機一転、飛躍の年にしたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

 

さて、さっそく新春第一弾の朗報です!

きのう、賛助会員として所属している、日本音楽舞踊会議から、

季刊「音楽の世界」という雑誌が、我が家に送られてきました!

私の自己紹介文が掲載されています!!!

ほら、こんな具合に写真つきです!!!




ブログに書けるのもうれしいですが、

やはり雑誌、紙媒体に自分の顔写真が載り、原稿も掲載されると

本当に、本当にうれしいです!!!

父も母も、「桂木 嶺」と書かれた掲載誌を読んで、おおはしゃぎ!

朝からビールで新年と記事初掲載のお祝いをしました!

父もすっかりゴキゲンで、「これからたくさんのクラシックファンの方々に、

おまえの批評を読んでいただくのだから、

一生懸命勉強しなくちゃだめだよ」と

すっかり応援モード。

昨日からクラシック番組を録画してくれたり、コンサートに行くのも

OKを出してくれたりと、がらりと流れが変わりました。

親戚一同も大変喜んでくれました。

 

 

このブログをお読みのみなさまも、ぜひこの機会に「音楽の世界」

2019年新春号をご高覧くださり、

クラシック音楽のみなさまと親しんでいただきたいと思います!

※記事の中で訂正箇所もございます。2001年に「二世中村吉右衛門論」を執筆、とありますが、正しくは2016年です。よろしくお願いいたします。お詫びして訂正いたします。

 

さて、こちらが、日本音楽舞踊会議の概要です。

http://www.cmdj1962.net/index.html

扱う書店も、紀伊國屋書店、ジュンク堂など、

全国の大手の書店さんで扱ってくださっています。

一冊800円なのでお求めやすいかと思います。

どうぞよろしくお買い求めくださいますよう、お願い申し上げます!

 

今後は、こちらのコンサートレポートに、記事が掲載できるよう、

一生懸命執筆し、がんばります!

よろしく今後ともご声援くださいませ!