4月7日から20日までの2週間
お丸山は公開されている。
9時から16時。
これを逃すと
今度はいつ戻ってこられるか・・・それは誰もわからない。
シャトルエレベーターの撤去は決まった。
だが
シャトルエレベーターの場所は
今回、立ち入り禁止のまま。
この公開された場所の
今後の取り扱いは
まだほとんどいないのが現状で
再開発ができない以上
公開は難しくなるのだ。
推測では
サクラの頃だけでもお丸山に・・・という住民の声があったのだと思う。
この時期に限定というのは
それが一番大きいはずだ。
スカイタワーは解体に費用面で問題があり手つかずの状態。
これから入る「老人福祉センター」も
道は解体しかないが
費用が膨大によりそれもすぐには進まない。
このままでは
喜連川は消えてしまうのではないか・・・
お丸山は
もう地元の憩いの場には
戻れないのか・・・

喜連川城温泉。
正式には老人福祉センター。

スカイタワーができるはるか前
昭和58年の完成。

数台のクルマが来場しているが
平日ということもあるのか、思ったより閑散としている。

温泉からのスカイタワー。
しばらくは電波塔として存続するようだが
さくら市に問い合わせしたところ
「危険なため、マスコミを含め一切の立ち入りはできません」とのご回答をいただいた。
スカイタワーを復帰させるために寄付などの運動は
できないものなのだろうか?
「スカイタワーから東京スカイツリーを眺められることになる・・・」
震災前に
そのような期待が込められていた。
喜連川が
大きくPRされる・・・はずだった。。。

給湯タンクの前に「遊歩道入口」の案内。

文学の道・南コース。
いまは立ち入り禁止となって歩けない。
震災前
僕はここを下って
下のお寺さんのところまで往復したことがある。
そういう時に限ってカメラは持っておらず
その記録はない。
ちなみに、今回
この道も
さくら市役所に問い合わせたところ
「危険」を理由に立ち入り許可はもらえなかった。
僕が撮影したい理由はただ一つ
「喜連川を復活させるきっかけをつくりたい」ということだけ。
震災までは歩けた道。
それを
ずっと立ち入り禁止にしておくのはもったいない。
そう思いませんか?
再整備に費用はほとんどかからないはずです。
遊歩道すら歩けない・・・
お丸山は
現在、完全に死んでしまっているのです。
お金はかけたくはないのはわかります。
しかし
少しの工夫で
観光資源に戻ることはあります。
すべてを待っていては
喜連川は
衰退をたどることになるでしょう。
シンボルのお丸山は
喜連川には欠かせないものです。
工事は慎重に進めるのは当然です。
それまで
私たちはじっと待ちます。
が、しかし
慎重しすぎて
すべてを立ち入り禁止にし続けるのは
いかがなものでしょう?

喜連川城温泉・老人福祉センターの「はなれ」
震災の傷跡は生々しく残り
こちらは立ち入りできません。

廃止された東野バスの停留所跡。
震災時はさくら市営バスが乗り入れていた。

もうここにバスはやってきません。

センターの中に入ります。
コインロッカーの跡

3階が公開されているため
階段に進みます。

大野ゴム工業所さまの寄贈のミラー。

2階へ

2階は全面立ち入り禁止のままでした。

3階へすすみます。

3階の吹き抜けから2階をのぞきます。

3階の研修室の跡

この後、展示物は撤去されていました。

観光ガイドさんとしばし意見交換。

3階から南面の眺め



これは2階の立ち入り禁止エリアの見える範囲。
大広間があったようです。

1階の非常階段。

震災直後の貴重な画像が展示されていました。


震災後の台風で
再び崩落。
お丸山の復興工事は
かなり難航したことがわかります。
苦情もあったようですが
私たちは
待つしかないのです。

ポカリスエットの自販機も
使用禁止となっていました。
震災で撤収できず
そのままになっているようです。

定休日の案内。
もう
オープンすることはありませんが。。。

いずれは解体され
この光景は
がらっと変化することでしょう。
僕らがすべきことは
「いま」を切り取ること。
元には戻せないけれども
よき喜連川に
再び逢えること。
次はいつ
ここに戻れるのかはわかりません。
しかし
喜連川にとって
お丸山がシンボルであることは
変わりません。
これからも
僕らは
ここに戻れる日まで
お丸山を見届けてまいりたいと思います。
終り
お丸山は公開されている。
9時から16時。
これを逃すと
今度はいつ戻ってこられるか・・・それは誰もわからない。
シャトルエレベーターの撤去は決まった。
だが
シャトルエレベーターの場所は
今回、立ち入り禁止のまま。
この公開された場所の
今後の取り扱いは
まだほとんどいないのが現状で
再開発ができない以上
公開は難しくなるのだ。
推測では
サクラの頃だけでもお丸山に・・・という住民の声があったのだと思う。
この時期に限定というのは
それが一番大きいはずだ。
スカイタワーは解体に費用面で問題があり手つかずの状態。
これから入る「老人福祉センター」も
道は解体しかないが
費用が膨大によりそれもすぐには進まない。
このままでは
喜連川は消えてしまうのではないか・・・
お丸山は
もう地元の憩いの場には
戻れないのか・・・

喜連川城温泉。
正式には老人福祉センター。

スカイタワーができるはるか前
昭和58年の完成。

数台のクルマが来場しているが
平日ということもあるのか、思ったより閑散としている。

温泉からのスカイタワー。
しばらくは電波塔として存続するようだが
さくら市に問い合わせしたところ
「危険なため、マスコミを含め一切の立ち入りはできません」とのご回答をいただいた。
スカイタワーを復帰させるために寄付などの運動は
できないものなのだろうか?
「スカイタワーから東京スカイツリーを眺められることになる・・・」
震災前に
そのような期待が込められていた。
喜連川が
大きくPRされる・・・はずだった。。。

給湯タンクの前に「遊歩道入口」の案内。

文学の道・南コース。
いまは立ち入り禁止となって歩けない。
震災前
僕はここを下って
下のお寺さんのところまで往復したことがある。
そういう時に限ってカメラは持っておらず
その記録はない。
ちなみに、今回
この道も
さくら市役所に問い合わせたところ
「危険」を理由に立ち入り許可はもらえなかった。
僕が撮影したい理由はただ一つ
「喜連川を復活させるきっかけをつくりたい」ということだけ。
震災までは歩けた道。
それを
ずっと立ち入り禁止にしておくのはもったいない。
そう思いませんか?
再整備に費用はほとんどかからないはずです。
遊歩道すら歩けない・・・
お丸山は
現在、完全に死んでしまっているのです。
お金はかけたくはないのはわかります。
しかし
少しの工夫で
観光資源に戻ることはあります。
すべてを待っていては
喜連川は
衰退をたどることになるでしょう。
シンボルのお丸山は
喜連川には欠かせないものです。
工事は慎重に進めるのは当然です。
それまで
私たちはじっと待ちます。
が、しかし
慎重しすぎて
すべてを立ち入り禁止にし続けるのは
いかがなものでしょう?

喜連川城温泉・老人福祉センターの「はなれ」
震災の傷跡は生々しく残り
こちらは立ち入りできません。

廃止された東野バスの停留所跡。
震災時はさくら市営バスが乗り入れていた。

もうここにバスはやってきません。

センターの中に入ります。
コインロッカーの跡

3階が公開されているため
階段に進みます。

大野ゴム工業所さまの寄贈のミラー。

2階へ

2階は全面立ち入り禁止のままでした。

3階へすすみます。

3階の吹き抜けから2階をのぞきます。

3階の研修室の跡

この後、展示物は撤去されていました。

観光ガイドさんとしばし意見交換。

3階から南面の眺め



これは2階の立ち入り禁止エリアの見える範囲。
大広間があったようです。

1階の非常階段。

震災直後の貴重な画像が展示されていました。


震災後の台風で
再び崩落。
お丸山の復興工事は
かなり難航したことがわかります。
苦情もあったようですが
私たちは
待つしかないのです。

ポカリスエットの自販機も
使用禁止となっていました。
震災で撤収できず
そのままになっているようです。

定休日の案内。
もう
オープンすることはありませんが。。。

いずれは解体され
この光景は
がらっと変化することでしょう。
僕らがすべきことは
「いま」を切り取ること。
元には戻せないけれども
よき喜連川に
再び逢えること。
次はいつ
ここに戻れるのかはわかりません。
しかし
喜連川にとって
お丸山がシンボルであることは
変わりません。
これからも
僕らは
ここに戻れる日まで
お丸山を見届けてまいりたいと思います。
終り
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