2016年7月27日 タンジ日報(リンク)
まとめよう。
仁川上陸作戦以降、韓国軍と連合軍の北進にともない、いわゆるパルゲンイに対する懲罰も実行された。その過程で、女性への懲罰は性暴力の形をとった。そうした雰囲気の中で、1951年の夏、戦線が膠着し、「特殊慰安隊」すなわち韓国軍慰安隊が設置されたのだ。陸軍本部が正式に設置したのだが、その動員方法は以前と大差なく、拉致などによる強制動員であり、そこで慰安婦は、反人権的な奴隷状態に直面した。
そして2002年、ある勇気ある研究者によってなされた発表は、結局、いわゆる韓国社会のエリートとされる者たちに無視されたため、2016年の今日に至るまで、本来受けるべき注目を受けていない。
火魔にえぐられた韓半島
抑えても 抑えても 漏れ出てくる 声なき慟哭
ぬぐっても ぬぐっても 流れ出てくる 冷えることのない血
60年、 忘れてもおかしくないのに
声の出せない鳥は 引きちぎられ 傷ついた翼を はばたかせながら、
声の出せない鳥は 胸の中の 記憶を歌う。
韓国戦争当時、人民軍に捕まって軍医官をしたあと、再び韓国軍に連れて行かれ、あやうく慰安婦にさせられそうになった女性の詩だ。詩の中で、彼女は「声の出せない鳥」。60年経っても忘れられない当時の記憶を歌うのだが、その声は、体の中を流れる血のように、自分の肉体に閉じ込められていて、外には出てこない。彼女たちを声の出せない鳥にしたのは、いったい誰なのか。
声の出せない鳥のために
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同じ光景を見てもそれぞれ違うことを考えるのが人間だ
数か月前、あるインターネットサイトで、屠畜されたばかり牛肉が動く様子を見て、理系と文系の学生がそれぞれどのような反応を見せるかが話題になった。理系学生のベストコメントは、「筋肉繊維が刺激を受けて、細胞膜を中心に…」で始まり、「…カルシウムがもともと保存されている部位に吸収されれば、筋繊維は元の状態に弛緩するんだなあ!」で結ばれており、文系学生のベストコメントは、「明らかに死んだ者の肉なのに、痙攣したりして、血の塊になってもなんとか生きようとするとは!」と、肉の、生に対する意志に嫉妬を覚えるという告白をした。このように、同じテーマについて、それぞれの立場、考え方、価値観、当該問題に対する事前知識によって、異なる部分に重点を置いて議論を進めていく。
韓国軍慰安婦問題を通じて、われわれは何を感じたか? あるいは何を語るべきか? この問題に初めて接した人は、おそらく相当のショックを受けただろうし、すぐさま韓国軍慰安婦が持つ意味と広がりを探り始めただろう。ある人は女性問題として考えるだろうし、ある人は戦争の残酷さを思い浮かべたかもしれない。また別の人は、筆者も想像のできないことを考えたかもしれない。今、筆者が韓国軍特殊慰安隊問題について言えるのは、せいぜい3つぐらいだ。
第一に、韓国軍にとって、慰安婦は大したことではなかった
この深刻な事柄を、韓国軍は取るに足らないものと考えていたことは明らかだ。特殊慰安隊の存在が問題になると思っていたなら、公式資料の「後方戦史」にあのようにおおっぴらに、軍慰安婦は戦線で苦労する軍人たちの厚生のための当然の措置だ、と明記しなかっただろうし、詳しい「実績」統計まで載せなかったはずだ。
韓国戦争当時、慰安婦の存在は、当然の措置を超えて「必須的」な要素とまで認識されていた。1952年当時、200~300人規模の軍慰安婦では、戦争を通じて膨れ上がった60万人の軍人の需要を満たすのが難しくなった。さらに、1951年7月に休戦会談が始まり、戦線が小康状態になると、軍人たちの軍規が乱れ始めた。そのような背景から、1952年の年末になって、メディアを通じて慰安所の施設を拡充せよという主張が出始めた。
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「第一線の将兵が休暇で帰郷するとき、疲れた心身を癒し、勝利のために命まで捧げる真の愛国者たちの士気を高めるため、全国各地に暖かい慰安所を早急に設置すべし」(東亜日報、1952年12月30日付、「休暇帰郷将兵に慰安を提供しよう」)
特殊慰安隊が新設されたのは、すでに韓国戦争が終わった後の1953年11月だ。停戦にはなったとはいえ、南韓と北韓は計60万人の大軍を維持していた。休戦当時、大半の部隊を休戦ライン近くに配置し、軍人たちの除隊を遅らせるためには、彼らを宥めなければならなかった。それで大韓民国国軍は、慰安婦制度を維持することにした。1954年3月、特殊慰安隊の解体後は、軍部隊周辺の数多くの軍基地村施設、公・私娼売春業がその役割を代行することになった。特殊慰安隊こうして解体はされたが、ついに解散することはなかった。
しかし、戦争が終わり、特殊慰安隊もなくなり、慰安婦の存在はほとんどの「被慰安者たち」の記憶からも忘れられてしまう。キム・グィオク教授が会った被慰安者たちは、すっかり忘れていたが、日本軍慰安婦問題が世の中を騒がせるようになって初めて、韓国軍慰安婦隊を思い出したのだそうだ。特徴のない思い出が、だんだん色あせていき、ぼんやりと灰色で残っていたものが、突然あるきっかけで元の色を取り戻すように。
韓国軍慰安婦に対する国防部の立場が変わったのは、2002年、漢城大学のキム・グィオク教授と韓国挺身隊研究所のカン・ジョンスク研究員の発表を起点とする。それまでは大したことではないと思っていたり、あるいは忘れていたりしたため、「おおっぴら」だったのに、その後「後方戦史」の閲覧をできないようにしたのは、少なくとも2000年代以降は、韓国戦争のときに軍隊がほしいいままに行ってきたことについて、大したことではないというような態度をとることが、もはや難しくなったということを示していると思われる。しかし、国は依然として謝罪どころか、いかなる措置もとっていない。
第二に、韓国軍慰安婦は日本軍慰安婦の延長戦上にある
キム・フィオは、自分の中隊に「第五種補給品」が割り当てられてきたという話の中で、「過去、日本軍に従軍した経験のある、一部の連隊幹部が、部下の士気高揚のためという発想から、わざわざ巨額の福利厚生費をかけて、ソウルから招聘してきたのだろう」と打ち明けた。実際、解放後に創設された大韓民国陸軍幹部の相当数は、日本軍や満州軍出身者らにより構成されていた。まさに、被支配者でありながら、日本帝国主義の代理戦争人を自称していた者たちだ。
日本軍出身者は、解放直後の大韓民国国軍において、概して高い階級を占めていたことが知られている。解放後、米軍政下で、韓国軍は形式的には米国式に改編されたが、軍部は、親日派が優勢だったため、韓国軍は日帝の軍隊文化や制度を事実上踏襲したのだ。
実際に韓国軍特別慰安隊の設置と運営に責任を持つ陸軍本部厚生監(1951年恤兵監、1954年精兵監に改称)は、みな学徒兵もしくは日本陸士出身だった。中でも特別慰安隊を設置した組織のである恤兵監の前身、厚生監はパク・キョンウォンによって設立された。パク・ギョンウォンは植民地時代の学徒兵として参戦し、解放直前に少尉で除隊、解放後、軍事英語学校を経て中将で予備役に編入した後、朴正煕政権下で4代に渡って内務大臣を含む5回の大臣職を務めた人物。
また、韓国軍特別慰安隊が設置されたと推定される1951年と、慰安施設の実績を統計処理しうる程度に運営されていた時期である1952年に、恤兵監の職を務めたのは、第3代陸軍大佐だったチャン・ソクユン。1892年生まれで、日本の陸士第27期であり、1915年に陸士を卒業した。1928年、昭和天皇即位記念大礼記念章を授与されたことがあり、1938年、満州国境監視隊で大尉として服務した。日帝が敗戦したときは、満州国軍中佐だった。解放後、帰国して軍に入隊、韓国戦争当時、第九予備師団長、教育総監部参謀長を経て、1953年、陸軍大佐で退役した。退役前に、1951年3月1日から1952年6月19日まで、陸軍大佐として陸軍本部恤兵監室の責任者だった人物だ。
結局、日本帝国主義の清算されなかった残滓が、結局この師団を生み出したのだ。
人物の連続性以外にも、この主張を裏付ける根拠になるものはいろいろある。特殊慰安隊設置の目的は、性欲を満たすことのできない軍人たちが鬱病にかかったり、あるいは余計なことをして、戦力に損失を出すことを未然に防止することにあった。男性を、性欲という本能を制御できない存在と見て、「戦争における勝利」という、より大きな目的のために、女性を犠牲にしてもよい対象(第五種補給品)として扱った見方も、日本軍が慰安施設を設置したときと一致する。ただし、日本軍の場合、本当の日本国民ではない、植民地の女性たちを動員し、韓国軍の場合は、パルゲンイ(赤野郎)というレッテルの貼られた、別の意味で本当の国民ではない女性を動員した、という違いがあるにすぎない。
動員の強制性の問題に加え、2週間に一度ずつ軍医官の検診があったという点も、日本軍慰安婦制度の延長線上にあるといえる。強制性病検診制度は、日本の公娼制が持つ主要な特徴の一つだ。つまり、韓国軍の当時の首脳部は、日本のシステムを自ら経験し、性病に対処する方法を既に学習していたのだ。日本帝国主義と同じ方法で、解放された南韓でも、国家が女性の体を管理し、統制することにより、軍人の体を守るという、身体の政治学を活用したのだ。一方、日本の場合は、慰安婦施設運営にあたり、コンドームを配ったことが知られているが、韓国軍には避妊に関する記録がないそうだ。特殊慰安隊の名称も、過去日本軍慰安隊を指す用語である「特殊慰安所」から来たものとみられる。
解放後の韓国では、過去の植民地主義が清算されないまま、近代国家が樹立されるという運命を迎えた。要するに、日帝植民地主義を経験した韓国軍の慰安婦問題は、特別におかしな問題ではなく、未清算の植民地主義の一つだった。そのため韓国軍慰安婦問題は、過去の歴史の清算問題の一部として存在するにすぎず、新たな問題でも、逸脱した問題でもないだろう。もちろん、韓国軍慰安婦問題が最近まで話題にならなかった根底には、日本軍慰安婦問題とともに、韓国の家父長的な性文化を含む、家父長制イデオロギーが働いた。それにもかかわらず、軍慰安婦制度が韓国戦争期に陸軍によって実施されたのは、日帝植民地主義を内在化した満州国軍や日本軍出身の韓国軍幹部がいたために、可能だったことだ。(キム・グィオク、「日本植民主義が韓国戦争期、韓国軍慰安婦制度に及ぼした影響と課題」、社会と歴史103、2014年、pp111-112)
第三に、そのような韓国軍がベトナム戦争で性暴力の主犯になったのは、ある意味で当然だった
韓民族を、白衣を着て平和を愛する人々だとすっかり信じ、誇りに思っていた時期があった。そのときに見たチョ・ソンモの歌「ご存知ですか」(2000年)というミュージックビデオは、だから、非現実的にしか思えなかった。ただ歌の真似をし、ミュージックビデオはドラマチックで面白いと思った。チョン・ジヨン監督の「白い戦争」(1992年)、コン・スチャン監督の「アルポイント」(2004年)、イ・ジュンイク監督の「あなたは遠いところに」(2008年)など、ベトナム戦争に関する作品が次々と生み出される一方で、ドキュメンタリーを通じて、ベトナムにある戦争犠牲者追悼碑、韓国軍に対する憎悪の碑のニュースが続けざまに耳に入ってくるにもかかわらず、子供の頃に刷り込まれたプロパガンダは、頭から離れなかった。むしろ、いいものはいい、韓国万歳だけを叫んで、そんな良い国に住んでいるかっこいい自分のままでいたいという愚かな欲望が、プロパガンダを再生産していた。だから韓国人は、悪い日本のやつらにやられはしたが、平和を愛する人々なのだから、ほかの国に悪いことをするはずがないと思っていたようだ。
しかし、今やベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行は既定の事実となっている。民間人の虐殺だけでなく、ベトナム人女性への性暴力犯罪も頻繁に起こった。ライタイハン、すなわち韓国の軍人と現地のベトナム女性の間に生まれた二世の問題は、解決にはまだほど遠い。それに対し、政府の補償や謝罪が何も行われていないだけでなく、参戦軍人団体の抵抗はいまだに激しい。昨年4月、ベトナムで韓国軍民間人虐殺の被害者が韓国へ来て集会をすると、参戦軍人団体は、実に組織的に激しく妨害した。一方、少し前には、韓国軍が、自分たちと米軍の肉体的快楽のために、ベトナム慰安婦の女性たちによる売春宿を作り、女性たちの数は5千人から3万人に上ると推算される、という主張も出てきた。
日帝の軍隊の文化や制度を実質的に踏襲した韓国軍が、慰安婦制度を受け継いで、むしろ自己流に発展させ運営してきた経験に照らせば、ベトナム戦争で韓国軍が、何でもないかのように、ほしいままに行った大規模性暴力の背景がようやく理解できる。実際、ベトナム戦争に参戦した韓国軍は、再び慰安隊を編成し、ベトナムにまで連れて行こうとしたそうだ。これは米国側が拒絶したということだ。拒絶の理由は、韓国軍が受け取る給料で、十分に女を買うことができるから、というものだったそうだ。
結局、われわれは、日本帝国主義と呼ばれる外部から来た野蛮を投げ返す代わりに、自分たちのものとして吸収してしまった。そのよう内在化された野蛮は、われわれを、われわれがあんなにも非難していたやつらと同じ怪物にしてしまった。この話題によって、われわれの心は軽くなるだろうか?それとも重くなるだろうか? 韓国軍慰安婦とベトナム女性への性暴力の原因を、日本帝国主義に見いだすことができて軽くなるだろうか? あるいは、その日本帝国主義の残滓を清算し、親日派を処断できなかった歴史の過誤に起因する惨状の前で、心がいっそう重くなるだろうか?
実際のところ、現在の、わが韓国社会の雰囲気の中で、韓国軍慰安婦被害者が自ら名乗り出て、政府と軍に謝罪と被害補償を要求することを期待するのは難しいだろう。そうだとしても、今日、韓国に生きる市民には、韓国社会の過去の過ちを認め、反省し、またその力で、さらに前進できるような踏み台を作っていかなければならないという宿題がある。そしてその宿題は、過去の韓国社会の誤りを認識することから出発できるはずだ。もちろん、選択はみなさんに任されている。
(了)
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