有田芳生の『酔醒漫録』

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麻原彰晃=松本智津夫死刑囚の刑の執行について

2015-03-29 07:00:08 | 日記
法務委員会で質問しました。民主党の持ち時間は80分。自民党は短縮して15分。維新をはじめ他党はそれぞれ25分ですから、長丁場の質問でした。テーマは「終わらないオウム事件 ヘイトスピーチの現状」です。地下鉄サリン事件から20年。マスコミでは多くの特集が組まれました。次に大々的に報じられるのは、予想される麻原彰晃=松本智津夫死刑囚の刑の執行時でしょう。死刑執行問題も質問しました。刑事局長は個別問題にはお答えできないと語りました。実は法務当局が刑の執行に強い意志を持っていることは何年も前に確認しています。刑事局長の答弁で注目したのは、一般論として共犯関係にある被告人の裁判が終わらなくても、刑の執行はあるかと聞いたことに、否定しなかったことです。麻原彰晃=松本智津夫死刑囚が、心神喪失状況にあるのではないかとも聞きましたが、そこでも答えはありませんでした。刑事訴訟法の規定で、心神喪失していたなら、刑の執行は行われません。最後の逃走犯となった高橋克也被告の一審は4月に終わります。おそらく無期懲役の判決が出ますから、控訴しても来年いっぱいまでには判決が確定します。松本智津夫死刑囚の刑の執行の条件は、こうして整備されていきます。もしも執行されるなら、精神鑑定を形式的に行い、「正常な判断能力があった」とされることでしょう。刑の執行は「ブラックボックス」のなかで進行するのです。しかし、それでオウム問題は終わりません。いまでもオウム残党組織に新たに信者が入っていく現実があります。その社会的背景を掘り崩していかないと、オウム残党だけでなく、カルト(熱狂集団)に若者が取り込まれていってしまうからです。入信の背景にある家族問題、反抗期の欠如問題、社会性や社会科学的認識が乏しい問題などなど、日本社会が取り組むべき課題は多いのです。地下鉄サリン事件から20年も経過するのに、大事な問題が埋められることなく、すっぽりと空いたままです。教祖の裁判を傍聴した当時の写真と比較して、ときの流れを実感しています。(2105/3/27)

「イデオロギーよりもアイデンティティ」

2015-03-26 07:49:36 | 日記
那覇に着いてそのままキャンプ・シュワブへと向いました。声をかけ、握手を求めてきたのは立命館大学と同志社大学の学生でした。さらに歩いていると「東京から来ました。SASPLに所属しています」と言われました。SASPLとは特定秘密保護法に反対する学生のグループです。ヘイトスピーチに対峙するカウンターとして現場でお会いした学生たちでもあります。翌朝お会いした翁長雄志知事が語った言葉で印象的だったことは「イデオロギーよりアイデンティティー」というものです。思想信条などの違いではなく、沖縄県民としての自己証明の方が大切だということです。もともとは琉球王国という独立国が、薩摩藩によって併合された歴史にまでたどるのでしょう。さらには日本で唯一の地上戦を経験し、いまでも本土の0・4パーセントの土地に76パーセントの基地があるという不平等は、沖縄県民にしか実感としてわからないことです。人種差別撤廃委員会の日本審査でも、差別問題として「琉球・沖縄」問題が勧告されています。そうした状況にわたしたちはどう対処することが求められているのでしょうか。「第二の琉球処分」といわれる沖縄の歴史をもっともっと知ることです。わたしたちが暮す本土のありようを照らし出す「方法としての沖縄」です。(2015/3/24)

翁長雄志知事の「腹八分目の精神」

2015-03-25 07:57:12 | 日記
3月16日の朝。那覇から久米島に向う前に、翁長雄志知事を表敬訪問しました。「いまの仕事の8割ぐらいが基地問題です」ーーこの発言に沖縄の置かれた現状が表現されていました。名護市長選、知事選、さらに衆院選4小選挙区では、すべて辺野古移設反対候補が勝利しました。この沖縄の民意を踏みにじる政府の強行路線がさらに進んだなら、知事はどうするのでしょうか。そう問うたところ、こんな趣旨の言葉が戻ってきました。「日本政府が民主主義を踏みにじることですから、世界中で問題とされるでしょう。中国問題もありますが、いずれアメリカと協力関係になれば、政府の立場はなくなります」。そして知事になってからの気持ちをこう説明しました。「これまで腹八分目、腹六分目でやってきました。だからオール沖縄が成り立ったんです」。知事は安保賛成と言わない、だから共産党も安保反対と言うなと注文したそうです。翁長知事は沖縄自民党の幹事長経験者です。その老練さがこうした手法に現れているように思いました。「腹六分目」とは政府に対する対応だとも読み取れます。首相や官房長官が面会を拒否してきた異常な事態に対して、批判をしなかったのは、ガマンをしてきたからです。政府に沖縄が抵抗しているという構図を作るべきではないと判断したといいます。「痩我慢の精神」(藤田省三)です。知事が近く「最大の決意」をするというのは、こうした流れで判断すれば、「本音」=沖縄の民意を真っ正面から表明することではないでしょうか。知事と会う前夜、ある町議が「沖縄はいまだ植民地状態にある」と言いました。この「植民地」とは、アメリカによるものだけではありません。沖縄ではいまだアメリカと日本の植民地だという認識が強いのです。(2015/3/23)

時間の流れと同時代について

2015-03-10 09:30:08 | 日記
ぼくが生まれた1952年2月20日は、そのわずか20年ほど前の1933年に築地署で作家の小林多喜二が虐殺された日でした。「わずか20年」とはまさに実感です。阪神大震災、そしてぼくの人生を大きく変えた地下鉄サリン事件が起きた1995年から20年になります。あの日の行動はいまでも鮮明に覚えています。夕方には池袋で「カメラマン」という映画を見て、バーのカウンターで知人たちと話をしていました。話題は当然のように地下鉄サリン事件でした。ぼくが「あれはオウム真理教がやったことだ」というと、誰一人として信じる人はいませんでした。その翌日は熊本に出張。強制捜査が3月22日にあるから早く戻れと電話をくれたのは、「朝日ジャーナル」編集長だった伊藤正孝(当時は朝日新聞編集委員)さんでした。強制捜査の報道をテレビで見て東京に戻ると、「NEWS23」への出演が待っていました。いま「報道特集」でキャスターをつとめる金平茂紀さんからの依頼です。筑紫哲也さんから聞かれたのは、オウム真理教という団体についてでした。人生にはくっきりと刻印される特別な日があるのです。ぼくの誕生日から10年前に流行っていた言葉は「欲しがりません勝つまでは」や「非国民」でした。東条英機内閣の時代で、2月23日には「翼賛政治体制協議会」が成立しています。10年の時間とは、社会の実相を根本から転換してしまうのに充分な流れなのです。人間の一生は長くもあり短いものなのでしょう。これまでの20年、これからの20年。いまの危険な政治情況について楽観はできませんが、悲観もしていません。あえていえば「澄んだニヒリズム」(宮崎駿)でしょうか。リアリズムに裏付けられたニヒリズムは、宮崎さんに言わせれば人間を否定するものではありません(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』)。「人生後期の仕事」をもう少し持続するつもりです。誕生日の今日は武田泰淳『滅亡について』を地下鉄での読書にしながら、いくつかの仕事をこなしてすごします。写真は昨夏に訪れたアウシュビッツです。きっと当時も美しい花が咲いていたのです。生活の現場にこそ現実を切り開く光があります。みなさんからのお祝いのことばに心から感謝いたします。(2015/2/20)