有田芳生の『酔醒漫録』

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木村久夫ーー単行本『X』にむけて

2014-05-07 09:29:43 | 単行本『X』
 【高知にある歌人の吉井勇記念館で講演したのは、昨年8月24日でした。そのあとすぐに書いたのが下記の文章です。ここしばらくフェイスブックに記したことに関係があるので、ここに紹介します。】

 鉛筆で紙に書いた文字はどれぐらい消えないんだろうか。心して刻んだ実感ある言葉=思想はどうして時間の堆積とともに失われていくんだろうか。薄くなった書き込みを見てそんな思いがうかびました。だから印刷に残された記録は重要だ。思想と歴史の保存。しかし読まれ、理解され、たんなる知識ではなく、血肉化されなければ、力にはならない。そんなことを思ったのは「BC級戦犯」として28歳で刑死した木村久夫さんの取材をしていたときのことでした。7歳年下の孝子さんの眼前で8時間ほどかけて木村さんの遺書を大判のRHODIAのノートに書き写していたのは2006年4月です。シンガポールのチャンギー刑務所でたまたま入手した田辺元『哲学通論』の余白に木村さんは遺書を書きはじめます。1946年4月22日のことでした。

 木村さんはなぜ「たまたま」この哲学書を手に入れることができたのでしょうか。その後の取材で謎が解けました。これも単行本『X』で明らかにすることです。高知の吉井勇記念館で木村久夫さんの青春について講演したことが刺激となって、久しぶりに取材ノートを読み返してみました。遺書が書かれた『哲学通論』は木村孝子さんの手元にあります。吉井勇記念館には木村さんの蔵書の一部も展示されています。記念館は『哲学通論』の実物を展示したいと申し入れましたが、断られています。マスコミへの不信などさまざまな事情から、本の実物が人の眼にさらされることは、おそらく二度とないでしょう。88歳になった孝子さんだけのものになってしまいました。遺書が書かれた『哲学通論』は兄そのものだからです。『哲学通論』の扉にはこう記されています。

 死ノ数日前偶然に此ノ書を手に入れた。死ぬ迄にもう一度之を読んで死に赴こうと考えた。四年前私の書斎で一読した時の事を思い出し乍ら。コンクリートの寝台の上で遥かな古郷、我が来し方を想ひ乍ら、死の影を浴び乍ら、数日後には断頭台の露と消ゆる身ではあるが、私の熱情は矢張り学の途にあった事を最後にもう一度想ひ出すのである。

 『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)では「四年前」が「四、五年前」、「消ゆる身」が「消える身」になっています。もともと1949年に東大生協から出版されてからずっと同じ記述になっています。これだけではありません。もっと本質的な違いがあることも驚きでした。遺書を刻印された『哲学通論』は、シンガポールからいかにして遺族の元の届いたのか。そもそも遺書は1通だけだったのか。戦犯裁判で木村さんはどのように陰謀に巻き込まれ、死刑判決を下されたのか。それらの謎を解き木村久夫さんの短い生涯とともに記録するのが私の歴史に対する責任だといまも思っています。

 ここに『哲学通論』の扉ページを公開します。鉛筆の筆記はこのように薄くなって行きます。それでも遺書に託された木村久夫さんの気高い思想は印刷物として、いまも、これからも日本社会にその「声」を届けていくのです。その核心が若い日本人への期待とともに、戦争だけは避けなければならないという生命をかけた痛切な願いなのです。昨日公開した木村さんの歌碑には、『哲学通論』に書かれた次のような歌が、本人の筆跡として刻まれています。私たちにはまだ残されている「明日」を、よりよき日本のためにいかしたいものです。

音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日という字を