9月26日(木)昨日は茨城県で民主党・新緑風会の研修が行なわれた。海江田万里代表が30分ほどの講演を行なったが、新聞各紙の報道は小さいか無視のどちらかだ。野党の報道は与党に比べて圧倒的に少なくなる。それは民主党が政権与党のとき、自民党の報道が霞んでいたことと同じである。そんな小さな記事でも重要なことは、政党の再編が容易ではないという発言だ。「杯を浮かべるような小さな水たまりが、大きな流れの川になった」と政権交代を語ったことを報じたのは「朝日」の小さな記事だけだった。懇親会で官邸経験者に松井孝治前議員の発言について聞いてみた。船橋洋一さんは『民主党政権 失敗の検証』のなかで松井さんが「権力に入るということは、昨日までの友が敵になるということなんですかねえ……」と語ったことを紹介した。私にはその意味がわからなかった。ある議員はこういうことだろうと教えてくれた。「年次順を乗り越えたからですよ、きっと」。政治の世界は当選回数が重要な意味を持つ世界だ。松井さんは参議院議員を2期務めて今年引退した。政権交代を実現した2009年に官房副長官に就任したが、その人事に対する党内のやっかみがあったというのが、松井さんと親しい議院の解説だった。私の価値観とはまったく無縁の世界の出来事である。
9月24日(火)「徳州会」による公職選挙法違反容疑事件。東京地検は徳田毅議員の父である虎雄氏への聴取を慎重に検討している。そもそもの発端は2月に起きた「金庫番」との対立だ。週刊誌に毅氏の女性問題が報じられたが、今回の公選法違反問題も、情報源は同じである。東京地検の捜査はさらに進んでいく。
民主党は政権交代の失敗を自ら総括しなければ再生はない。そう思う私にとって何ができるのか。とくに昨年末の総選挙での大敗をきっかけにずっと思案している。新党構想や野党再編などの議論もくすぶるが、それぞれの議員にとっても、もちろん私にとっても出処進退に関わる重要課題である。そんな思いがいつも頭のどこかにある。刺激的な本に出会った。日本再建イニシアティブ(船橋洋一理事長)『民主党政権 失敗の検証』(中公新書)である。赤線を引きながら、書き込みをしながら熟読している。
冒頭には今期の参院選挙で引退した松井孝治さんの衝撃的なコメントが引用されている。「権力に入るということは、昨日までの友が敵になるということなんですかねえ……」。松井さんは鳩山政権で官房副長官として官邸に入った。この発言は政権交代が誕生してわずか数日後のものである。私はこの1行を読んで「党内の出世主義者?あるいは他党の議員のことか」と書き込んだ。具体的なことは書かれていないが、すぐあとに松井さんの発言対象は党内の議員のことを指していたことがわかる。
いったい何があったのか。政権交代の理念、政策、執行過程など総括すべきことは多い。日本政治史のなかで3年3か月の政権交代の意味は重い。感情的に反発するのではなく、事実に基づいて、冷静かつ客観的に振り返ることが必要だ。失敗したとはいえ、戦後日本ではじめて二大政党制の歴史的実験が行われたのであり、それはいまだ終わってはいないからだ。そのプロセスを経ずして大局的な政治への信頼は回復しないだろう。
9月23日(月)22日に新宿で行われた「差別撤廃 東京大行進」。NHK、韓国の複数のテレビ局、新聞各紙は行進の写真入りで報道。産経と読売が無視するのは反原発報道と同じ構図だ。人種差別撤廃条約の国際基準を日本でも具体化するのは、政治の課題だが、メディアをふくむ世論の高まりが重要だ。現場で大行進に参加したひとたちの顔を見ていると、あらゆる世代がいた。これまで差別反対を訴えてきた国会議員複数にも参加を求めたが、返事もなかったことは残念だ。25日にはヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワークが結成される。差別主義者への対抗からさらに積極的に進めるべきは、法的規制の是非である。2020年の東京オリンピックまでに「形」にしなければならない。東京新聞がヘイトスピーチの日本語訳を、これまでの「憎悪表現」から「差別扇動表現」に変更した。そもそも人種差別撤廃条約がこの言葉の基本だから、実体に即した日本語である。ちなみに私は「差別扇動」としている。東京大行進から笹塚ボウルで行われた「吉田類と仲間達」に出席。役割を終えたところで大久保に戻り、大行進の打ち上げに深夜までつき合った。20代から30代の若い世代の力が大行進を支えていたことを知って感動した。
9月20日(金)国会議員になってからネットとの関係で試行錯誤を繰り返してきました。議員の立場とネット との「枠組み」がどうにも定まりませんでした。かつては2000年から10年ほど、ほとんど毎日『酔醒漫録』と題した日記を書いてきました。その日に何を していたのか。さまざまな人との交流や酒場のことなどもふくめて記録をしてきたのです。それは時代のごく一片をある個人の立場から連続して浮き彫りにする 試みでした。おそらく50年後、100年後に一素材として意味があるだろうと自負していました。そんなことよりも書くことが楽しかったというのが本音で す。『酔醒漫録』は私家版1冊、にんげん出版から新装で同じ巻もふくめて4冊が公刊されました。残念ながら10冊分の原稿はあるのですが、どうにも出版事 情が許しませんが、いずれ公刊できればと願っています。
国会に来てからは、ツイッター中心になっていました。わずか140文字ですから詳しい内容は書けません。そ れでもヘイトスピーチ(差別扇動)批判の国会集会参加者を募集するときには、わずか数日で200人を超える人たちが申し込んでくれるなど、ツイッターなら ではの有効性を実感したものでした。それでもだんだんと不満が高まっていました。そこで通常国会最終盤や伊東山中での断食中にはある程度長い文章を書ける フェイスブックを利用したりもしました。「それでも違うな」とどこか心のなかでくすぶり続けていたのです。
国会議員という立場で、ツイッターのような「つぶやき」でもなく、何か書けないか。ずっとそう思っていたと きに注目したのが『デスク日記』でした。共同通信のデスクだった原寿雄さんが小和田二郎のペンネームで書いてきた「現代史の記録」です。政治・経済・社会 から芸能問題まで、ときに内幕をまじえて綴られてきました。時代は1963年から1968年です。いまの本当に危機的な情況をだれかジャーナリストが日々 記録してくれないものか。そんな願望でニュースを見てきました。そして覚悟しました。誰かではなく、自分でやってみようと。あえていえば国会版「現代史の 記録」です。
どこまで書けるのかはわかりません。しかし永田町の空気のなかで時代の課題を文字に刻んでいくことはそれな りの意味はあるでしょう。臨時国会では法務委員会、行政監視委員会、拉致特別委員会、憲法調査会に所属します。国会をふくめた森羅万象を記録したいと思い ます。毎日更新ではありません。最初は文体が定まらないかもわかりません。しかしまずははじめてみることです。挫折しないことが最初の目標です。ご愛読い ただければ幸いです。