有田芳生の『酔醒漫録』

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統一教会の文鮮明教祖死去にあたって

2012-09-03 08:02:54 | 統一教会

(1)    統一教会(正式名称は世界基督教統一神霊協会)の文鮮明教祖が9月3日に92歳で亡くなった。私は四半世紀を超えて統一教会と闘ってきた。拉致問題解決に取り組むひとりとして、文鮮明氏が朝鮮戦争の動乱をきっかけに北朝鮮から韓国に移動し、そこで宗教団体を設立、反共産主義の立場から行動しつつ、生地(平安北道定州)に郷愁を覚えていたことに、南北朝鮮に生きる人たちの歴史の重みを感じている。

(2)    1954年に韓国で設立された統一教会は「混淫教」の流れをくみ、当初からスキャンダルにまみれていた。教祖の女性問題などが社会問題となったからである。密入国した信者が日本で布教をはじめ教団が設立されたのは1959年。東京都の認証をえて宗教法人となったのは1964年。そのころから強引な布教とマインドコントロールで社会問題となっていく。朝日新聞が「親泣かせの原理運動」と報じたのは1965年7月7日である。


(3)    60年代は親子問題として、70年代は「全国大学連合原理研究会」(大学原研)の活動を通して早稲田大学、青山学院大学など全国の学園問題として、80年代は悪質な霊感商法として社会問題となり、90年代にはタレントなどの合同結婚式参加をきっかけとして霊感商法、珍味売り、花売りなど「すべて」の行動の問題点が社会に明らかとなっていった。その起動力は文鮮明教祖のカリスマ性にあった。日本の信者に大きな傷跡をつけるきっかけは1975年に文鮮明教祖から発せられた送金命令である。統一教会幹部の証言によると、それからの10年間に毎月20億円、合計2000億円が教祖のもとに届けられた。「先祖の因縁」話などを利用した霊感商法など詐欺的行為による。警視庁の厳正捜査により、いまは公然と行うことはできないが、長年にわたって獲得したノウハウがあり、いつ再開するかは予断を許さない。ちなみに被害相談額は2001年までの25年間に1100億円を超えている。

(4)    日本の政治を歪めたのも統一教会である。冷戦時代に韓国に続き日本でも国際勝共連合が結成(1968年)され、最高時には衆議院、参議院で150人を超える「勝共推進議員」が生まれた。統一教会信者は公設、私設秘書としていまでも永田町に送り込まれている。文鮮明教祖が「竹島」に上陸しただけでなく、天皇陛下役の幹部が文氏に拝跪する儀式があることも幹部によって暴露された。いずれ世界が韓国語で統一されるなど基本的に民族宗教といえる側面がある。北朝鮮の平壌にある普通江ホテルの経営、合弁事業の平和自動車の経営や香港を経由しての送金など、「アジアプロジェクト」と呼ばれていた経済行為には今後も注目する必要がある。


(5)    信者たちはいたって真面目な人たちが多い。矛盾あるこの日本社会にあって精神の拠り所に統一教会を求めたのだろう。だが日本が朝鮮半島を植民地支配したことへの贖罪意識や「万物復帰の教え」などを通じて霊感商法などの反社会的行為にかき立てられてきた。自己破産や自殺者も生んだ矛盾を解決しなければならないとの思いを抱く信者も多い。生まれたときから信者として育てられた二世のなかには矛盾を抱える者もいる。「信教の自由」(憲法20条)の視点からも捉えていかなければならない。

(6)    「教祖は一代かぎり」とはカルト理論の基本である。ポスト文鮮明をめぐっては数年前から親子、兄弟間(3男VS4男、7男)の激しい対立が表面化している。教祖の逝去をきっかけに跡目争いはさらに激化していくだろう。なかでも教団の重要な資金源となってきた日本の教会でも対立はさらに深化していくだろう。カリスマ教祖の逝去というこの機会に純粋な宗教団体として生まれ変わることを心から期待したい。そうではなく霊感商法などを再開し、日本社会にさらなる被害をもたらすなら、統一教会に反対する弁護士、ジャーナリスト、父母などの関係者は宗教法人格の剥奪をめざし行動していくだろう。私も国会議員として引き続き統一教会を監視、批判していく。