4月29日(日)小沢一郎元代表は無罪判決に対して控訴期日の5月10日に記者会見を行うようだ。指定弁護士が協議を行うのは5月2日。刑事弁護のベテランだけに、無理な控訴はしないと期待したい。昨日のツイッターにはこう書いた。〈小沢裁判の控訴期限は5月10日。指定弁護士の大室俊三弁護士は「高裁で判決を覆すことは容易ではない。被告人の立場を継続させることになるので慎重に判断する」と語る。この意見をあと2人が共有すれば無罪判決は確定する。3人の協議は5月2日。政局にも影響する無理スジの控訴は行うべきでない。〉無罪判決の翌日の毎日新聞夕刊に私のコメントが掲載された。記者とのやり取りの中で、字数の制限もあり削除した内容は以下の部分である。「元検察官の法廷証言でも明らかになったように、『小沢つぶし』が目的の捜査だった」「しかし、小沢氏は政策を政局に使うような人ではない。人間的に深みがあり、日本の政治家では大局をつかめる希有な人物だ」「小沢氏は代表選に出るべきだ。首相は若い人に任せ、党首として小沢氏は副首相などのポストで閣内に入るのでもいい。大局を見ながら力を発揮してほしい」。
4月29日(日)統一教会と裁判を通じて闘ってきた郷路征記弁護士が「北海道新聞」の「ひと」欄で紹介された。郷路さんには『統一協会 マインド・コントロールのすべて』(1993年、教育史料出版会)の著作もある。1980年代後半から全国に広がった霊感商法との闘いは、「信仰の自由」を侵食する統一教会の勧誘の問題点を明るみにだすものでもあった。合同結婚式報道が霊感商法の違法性報道と結びついたことが統一教会の暗部を照らしていった。その背景にはテレビマンの誇りがあった。生放送で霊感商法の現場を再現した日本テレビなど、その最高峰である。ところが当時も教団に寄りそう報道を行うところもあった。TBSのある番組である。ディレクターの個人的資質・判断による番組編成に危ういものを感じたものだ。その再現が先日放送された「報道特集」だ。批判精神の希薄さが、結果的に統一教会を勢いづかせている。アメリカの統一教会では「大勝利」とのメールが飛び交い、イギリスでも同じような番組を放送させる働きかけが行われている。日本の統一教会は、財政的基盤であり、北朝鮮への送金の中継基地にもなっている。捜査当局の監視対象になっている根拠である。統一教会との闘いの歴史を崩していく報道には厳しい対応が必要である。
4月27日(金)小沢一郎元代表に無罪判決がくだった。その直後からいくつかのツィートを行ったので、ここにまとめて紹介し、3月22日に法務委員会で質問した記録も公開する。テーマは〈歴史的危機にある検察の構造的問題点 ?「小沢一郎裁判」にもふれてー〉である。そこでは第5東京検察審査会の疑惑、田代政弘検事の偽造「捜査報告書」の問題点を小川敏夫法務大臣に問うた。
〈小沢一郎元代表の無罪判決は民主主義精神の歴史的勝利だ。これは新たな闘いの「はじまり」である。検事による偽造報告書に対する第3者による検証、検察審 査会制度の透明化、メディア報道の自己批判、政権交代の立役者を守ることをしなかった党の執行部の深い反省などなどを実現しなければならない。〉
〈小沢一郎元代表無罪で政治は一挙に流動化していく。政権交代の理念と政策を基準に2年半を真剣に、深刻に総括しなければならない。誰が新しい日本を創造し ようとしたのか。誰がそれを阻んできたのか。09年の熱気はこの国を変えたいという国民の強い意志であった。あの熱気をもういちど実現しよう。〉
〈小沢一郎さんに聞いたことがある。「マスコミ報道は目にするんですか」。「いや、見ないね。不愉快になるだけだから」。3年にわたり偏見と政治的思惑に基 づき、一方向で続けられてきた報道はいかに自己検証を行うのか。多くの国民が印象操作に影響されてきた。メディアも深刻な課題を突きつけられた。〉
〈小沢無罪報道の一般的特徴は、東京地検による捏造をふくむ意図的「捜査報告書」についてほとんど触れないことだ。ラーゲリ証言では最後に残る人間的感情は 憎しみだという。この日本でも「理性なき合理化」(エルンスト・ブロッホ)が横行している。それに影響される言辞には哀しみを覚えるだけである。〉
〈「明治時代」とは維新から日露戦争までで、それからは変質したと思想史家の藤田省三さん。「立国の時代」だ。共通の時代精神は列強からの独立である。当面 の課題の「一時的当面性」を明らかにしたのは福沢諭吉だ。「立国は私なり、公に非ざるなり」。いま。政権交代からの変質を食いとめる局面だ。〉
4月23日(月)小沢一郎議員を強制起訴した東京第5検察審査会。その内実が「闇」のなかにあることを、私も法務委員会で2回質問した。しかし当局の答弁は「カエルの面にションベン」「糠に釘」の官僚的なものに終始するばかりだった。検察が「その気」になれば文書を偽造し、有罪に導くことができるなら、それは司法の犯罪であるとともに、私たち国民にとっての凶器でもある。ことは一議員の問題ではない。「週刊朝日」で今西憲之さんがスクープしたように「小沢一郎を陥れた検察の『謀略』」(5月4日、11日号)は明るみに出されなければならない。そのために衆参議員が両院議長にあてて法務委員会の秘密会を開くよう申し入れた。私も午後2時から平田健二議長への申し入れに同行した。参加議員は森ゆう子、米長晴信、姫井由美子、佐藤公治、田城郁の各氏。議長は法務委員会の議運に申し入れがあったことを伝えると約束してくれた。以下に申し入れ書を公開する。
4月22日(日)ツイッターでは「つぶやいて」きたが、ようやくブログを書くことができる。金曜日夜にTBSの「報道特集」(土曜放送)で統一教会を取りあげると知らせがあった。しかし残念ながら仕事が立て込んでおり視聴できる環境ではなかった。あとで見て驚いた。放送内容は統一教会に無批判で、あえていえば宣伝番組にも見えた。社会的に明らかに問題がある団体について扱うときには、必ずバランスを取るために批判者にも取材を行う。それはテレビだけでなく、メディアの基本だ。某幹部からは広報局の信者への告知メールもいただいた。それを資料として保存しておく。ここにあるように「教会幹部の主張や、私たちの活動内容が視聴者に届くもの」となったのだ。「報道特集」は文鮮明教祖の4男から取材するならば、烈しく対立している3男からも話を聞かなければならなかった。それとも続編が準備されているのだろうか。その取材が為されなければ完璧な宣伝番組である。担当したA氏はかつて統一教会に厳しい対応をしていた。このままならば、当時私たちに取材したのも、そのときどきの方便だったということになる。価値判断なき「報道」は「中立」を装った屈服である。そこで勢いついたのだろう。私が入手したメールをツイッターで公開したところ、著作権があるから削除せよと広報局の2人が居丈高に要求してきた。そんな屁理屈が通用するなら、メディアなど存在しえない。形式論理かつ粘着質に文句を言っている姿に、霊感商法など「法人としてはやっていない」という逃げ口上を繰り返してきた組織体質を見た人は多い。
「教会員の皆様へ
聖恩感謝申し上げます。
本日、21日午後5時半からのTBS「報道特集」で、統一教会関係の特集番組が約30分放送されます。
番組は、北朝鮮と太いパイプを持つ統一教会という観点で、TBSはこれまで3月24日の祝福式、國進氏インタビュー、平和自動車のパク社長インタビューをはじめ、リトルエンジェルスの練習風景、ヨンピョンリゾート、佐賀の日韓トンネル現場などを撮影してきました。
これまでの「元信者の告発、反対派の証言、隠し撮り」一辺倒の番組編成と違い、正面から取材申し込みをして、当法人でも先方と話し合いながら協力をしてきたものです。
とはいえ、教会寄りの番組となるかは不明です。
ただ、既存の報道と違い、ある程度は教会幹部の主張や、私たちの活動内容が視聴者に届くものと理解しております。
さらに、メディア渉外を進めながら、公正な報道の実現に努力していきます。
本部広報局」
文國進理事長退陣とパークワン問題解決要求集会宣言
我々は、文國進理事長退陣とパークワン問題解決要求集会を期して、次のように決議し宣言する。
世間でいわゆる「統一教王子の乱」と呼ばれる教会内紛は、過去数年間、悪化の一途を辿り、これ以上傍観できない状況に置かれている。食口らの信仰が揺らぐことは勿論、あらゆる法的訴訟と消耗戦で、毎年数百億ウォン以上の教会献金が浪費されている。神様の摂理は失踪し、長い間、千辛万苦の末に築いた統一教会と真の父母様の位相までもが一瞬の間に崩れてしまった。
これまで、良心的な統一家祝福家庭は、さまざまな方法で覚醒を促し教会指導部が問題解決のために努力してくれるように何度も要求してきたが、このような考えと正しい行動をむしろ教会に対する背信とみなし、彼らに対する深刻な人格殺人までほしいままにしてきた。
このままでは滅びるしかない統一教会の問題を我々はこれ以上座視できないし、み旨を共にする統一教会祝福家庭と連携して失墜した真の父母様の権威と統一教会の位相を回復し、今日の
4月14日(土)今日はこれから仙台へ向かう。必要があってパソコンである資料を探していたら、参議院議員になって半年目に後援会員にお送りした文書が出てきた。読み返してみて「気持ちにあまり変わりはないな」と思うと同時にさら に切迫した気持ちも重なっているようにも感じている。かといって日々の行動では深刻になるのではなく、あくまでも楽観的に進んでいくつもりだ。ここにご紹介する。
永田町版「痩我慢の説」
2011年1月17日 有田芳生
(1)参議院議員になって半年。いまの思いは「時間がないぞ」というもので す。たとえば北朝鮮による拉致問題。菅直人首相に何度か提言をし、一方で横田滋・早紀江さんたちと接触を続けています。しかしことはなかなか進みません。 6年の任期などすぐに終わってしまう感覚です。両院議員総会ではパフォーマンスで発言をする議員がいましたが、そんな姿勢はすぐにわかってしまいます。党大会でも同じこと。目立つ行動をした議員をテレビや新聞の取材者がニヤニヤしながら話を聞いているような情況では単なるエピソードで終わってしまいます。 どうやら「小沢」VS「反小沢」という構図も崩れてきたように思われます。もはやこれまで多くの議員がとってきた「寄らば大樹」の対応も政治的力にはなりにくい局面に入ったようです。政治が変化しつつあるのです。
(2)しかしいまのどんよりした永田町では、このままでは10年単位で変わっ ていかざるをえないでしょう。では何をすればいいのか。自分の課題を進めていくことだと思っています。詳しいことは黙さなければなりませんが、拉致問題ではもう少し踏み込んだ行動をしなければなりません。いずれやってくるはずの予算委員会での質問は、11月から準備をしています。テーマは「生命を守る政治」。現地を歩いた成果に立って、聞く者が物語のようにわかりやすい内容にしたいと準備をしています。たとえば、がん治療に有効な重粒子線治療施設の全国展開と技術・人材の輸出です。何度も書いてきましたが、国会活動の基本は「調査なくして発言権なし」です。
(3)あれこれの議員の姿を見ていて思うことは、福沢諭吉が書いた「痩我慢の説」をいまに活かさなければならないということです。「立国は私なり、公に非ざるなり」。「人間というもっとも基本的な価値の次元に立って考えれば、国家などは、第二義的な意味しかもたない、過渡的な存在にすぎない」(萩原延濤。藤田省三との共著「痩我慢の精神」より)。民主党内のあれこれの動向に囚われることなく、自分に課した時代の課題を実行していきます。テレビなどの取材があるわけではない地道な活動。ここに近況などをお送りするのは、そうした意図からです。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。最後にみなさまの健康と御健勝をお祈りいたします。