有田芳生の『酔醒漫録』

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ポスト金正日体制と拉致問題の今後

2011-12-19 14:29:50 | 参議院

 12月19日(月)北朝鮮の金正日総書記が亡くなった。健康が回復していると専門家たちから聞いていたので驚くばかりだ。歴史はこうしてときにスピードを増して動いていく。報道各社から問い合わせがあるので、ここに拉致問題との関連でメモ的に見解を述べておく。(1)拉致問題解決への道筋は、詳細な事情を知っている金正日総書記の体制のもとで前進を図るべきだった。(2)なぜならば金正日総書記は、小泉訪朝前に実際に拉致を行った組織(縦割り)を集め、拉致の全体像を把握しているからだ。(3)国際情勢の変化のなかで、拉致問題への対応にも若干の合理的変化が見え出していた。(4)それは日本政府の働きかけによるものではなく、北朝鮮当局独自の方針転換によるものである。(5)しかし金正日逝去後の後継体制で、その方針が継承されるかどうかは不確定である。(6)北朝鮮の新体制は金正恩(国防委員会委員長に就任か)のもとで軍と張成沢国防委員会副委員長によって運営されていく可能性が高い。(7)新体制が拉致問題での合理的判断の方向を維持することを強く望む。


市川森一さんの想い出ー果たせなかった大震災の映画化

2011-12-12 09:45:55 | 人物
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12月12日(月)市川森一さんが肺がんで亡くなった。数々の想い出がある。脚本家の世界では数々の成果がありながら、いっさい権威ぶらず、いつも笑顔であることが印象的だった。最後にお会いしたのは7月13日。神保町のワインバー「ヴォン ヴィバン」で開いた「上機嫌クラブ」でのことである。この「クラブ」は私と歌手のクミコさんが酒を飲もうとなり、ならば知人を呼ぼうというところからはじまった。音楽評論家の湯川れい子さん、酒場詩人の吉田類さん、そして市川さんにも声をかけ、「ザ・ワイド」リポーターだった杉本純子さんや私の知人など10人ほどで楽しい時間を過ごした。あの夜も市川さんはご機嫌だった。「あの夜も」というのは、酒場ではいつも楽しかったからだ。ちなみに「上機嫌クラブ」と名付けたのはクミコさんだ。市川さんと出会ったのは「ザ・ワイド」に出演するようになってからだから約17年のおつき合いだった。ご自身の専門分野や周辺のコメントは群を抜いていた。正義感が強く、オウム事件や拉致問題では厳しい論調で語っていた。ただし真っすぐなものだから「危ない」発言に向かうこともしばしば。そんなとき私は市川さんの顔をじっと見つめることにしていた。それに気づくと市川さんはいつも軟着陸。CMになると「アリタちゃんが見つめていたから危ないなと思ったよ。ハッ、ハッ、ハッ」と笑うのだった。市川さんの出演は木曜日。楽しみだったのはプロポリス飴を配ってくれることだった。いつも健康には注意している市川さんだったのだ。10月の「上機嫌クラブ」にお誘いしたが、体調が悪いというので参加されなかった。入院が10月末だから、そのときから自覚されていたのだろうか。7月13日にワイングラスを手にして語っていた夢はかなえられないままに終わってしまった。大震災の映画化だ。宮城県南三陸町の防災無線で最後まで避難を呼びかけて亡くなった遠藤未希さん(24歳)を主人公にした作品だ。「来年は映画を作りたいんですよ。主題歌はクミコさんに歌ってもらおうと思っていてね」。市川さんは遠藤さんが経験した勇気の発露と恐怖との闘いを讃えたかったのだ。市川さんらしいと思う。09年の衆議院選挙に出たときには最終盤で上板橋駅、板橋駅でマイクを持って訴えてくれた。ご自身の作品にも触れてのユニークな応援演説だった。落選したときには湯川れい子さんと激励会を開いてくれた。あのときは和服だった。17年間のおつき合いの印象はいつも明るいということ。長崎でトークショーをごいっしょできるはずだった。それもかなわない。東京では20日に通夜、21日に葬儀だが、16日に長崎で行われる通夜に行くことにした。市川さんの出身地であり、最後まで愛した街だからである。お会いしてホッとする先輩がまた一人いなくなってしまった。


原子力協定についての所感

2011-12-09 15:33:40 | 参議院

 12月9日(金)本会議が終了。179回臨時国会が閉会した。賛成多数で可決した原子力協定についてここに所感を記録しておく。(1)「3・11」以降、世界の原発事情は根本的に変化した。ひとことでいえば「安全神話」の崩壊である。その歴史的事態に直面しながら、新たなる「安全神話」を作り上げるわけにはいかない。(2)世界史の流れは、アメリカをふくめて、結果として原発の廃炉に向っている。日本のすぐれた技術で輸出すべきは、いまや原発プラントではなく、「廃炉」「除染」技術などである。(3)人類は「3・11」の原発震災を通じて新しい文明の構築を求められている。あらゆる生命が安心して暮らしていける地球環境を創造するために私は「現場」の視点から今後も行動していく。


「オフレコ」をどう捉えるべきかーー沖縄前防衛局長問題から

2011-12-02 11:46:21 | 参議院

 12月2日(金)浅草に向かうまでの時間にもうひとつ。前防衛局長の「不適切発言」に関して「オフレコ」をどう考えるのか。昨日の東京新聞「こちら特報部」に私のコメントが紹介された。〈ジャーナリストでもある有田芳生参院議員(民主)は、取材する側とされる側の双方の立場を踏まえ、「オフレコの意味が変わりつつあると思う。高度情報化時代ではオフレコの概念が崩壊し、情報が『だだ漏れ』になる恐れは常にある。発言する側は最初から内容が外に出ると思わなければならない」と語る。有田氏は「一般的にはオフレコ情報に基づき、追加取材で裏付けが取れれば、報道機関の責任で報じていい。ただ、鉢呂吉雄前経済産業相の『放射能つけちゃうぞ』発言のように、真偽があいまいなまま『言った』という情報が独り歩きするのは問題だ」と懸念する。〉コメントは記者の取捨選択によって作られるので、どうしてもその価値観に引きずられたものになりがちだ。そこでここに説明したことを書いておく。まず前提として高度情報社会においては「ダダ漏れ民主主義」という言葉があるように、旧来のオフレコ概念は崩壊してしまっていることを事実として確認しておかなければならない。これまでにも「オフレコ」の約束のもとで、さまざまな「オフレコ破り」があったが、その事態はさらに進行している。オフレコと断っていても記者はICレコーダーを操作し、その記録はメモとして上司たちに共有される。報道されるオフレコもあれば報道されないオフレコもある。私は「1対1」でオフレコとされたことは絶対に報じないし、口にもしない。「墓場まで持っていく」オフレコ発言が私にはいくつもある。取材される議員の立場から言えば「1対1」の信頼関係のなかで、オフレコが破られれば、その相手とは二度と話すことはないだろう。ただし複数の相手に「オフレコ」で語ったことが外に出る可能性は最初から覚悟している。「オフレコ」であるが「オンレコ」の自覚で話している。「オフレコ」発言の二重構造だ。発言の灰色部分というものがあるからだ。たとえば昨年10月に菅直人首相と二人だけで酒を飲んだことがある。3時間の話題の中心は拉致問題である。外には記者がテレビカメラやICコーダーを持った記者が待ちかまえている。どうするか。菅さんと相談して「昔話の雑談にしよう」となった。私は記者にそのとおりにコメントした。しかしいまこう書くのは「時効」だからだ。何を話し合ったのかはいまや別に隠すことではない。しかし当然のことだが昨年は語ることはしなかった。さらに「オフレコ」発言には内容がある。ある事実が語られ、それを報道する価値が相手との信義よりも高いと判断すれば、事実を確認(裏を取って)して報じなければならないときもある。相手との信頼関係よりも社会的利益を優先しなければならないことがあるからだ。それで個人的つながりが切れたとしても仕方あるまい。しかし今回問題になった下品な失言レベルの発言は、オフレコ破りが是か非かというレベルの問題ではない。「琉球新報」が報じてしかるべき内容である。ただし。本当に「犯す」という言葉が使われたのかどうか。鉢呂大臣の「放射能うつしちゃうぞ」発言と同じく、事実かどうかが曖昧なまま大きく報じられることには深い違和感がある。


「片手落ち」は差別用語ではない

2011-12-02 10:46:49 | 参議院

 12月2日(金)本会議終了。午後からは浅草で「足利、太田未解決事件家族会」の宣伝、署名行動に出かける。昨日の法務委員会である委員の質疑のなかで「片手落ち」という表現が使われた。それに対して2人の委員から「差別発言だ」と注意の言葉が飛んだ。私は確信が持てなかったので何も言わなかったが、「そうかな」というわだかまりがあった。委員会が終わったところで『差別語不快語(にんげん出版)を出した小林健治さんに電話をした。事情を伝えたところ小林さんは「何の問題もありません」と断言した。かつて解放同盟で「差別語」問題を担当していた小林さんは、「これまで身障者団体など、被差別団体から抗議があったという話も聞いたことがない」という。「片手落ち」とは「片・手落ち」のことで、ここでいう「手」とは「その手があったか」などと表現する「方法」などをさすという。「そもそも片手がないとは言いますが、それを片手落ちとは言わない」と小林さんは説明した。驚いたことにテレビ界でも誤解があり、「忠臣蔵」で「片手落ち」という脚本をわざわざ「片落ち」と言わせたケースもあるという。マスコミが「片手落ち」を「差別語」と誤解したことが、いまだ誤解のまま残っているのだ。ちなみに『新明解国語辞典』では「〈片は対であるあるものの一方だけの意〉利害などの対立する一方だけに有利になるような判断を下し、他方の立場が全く無視されている様子だ」とある。また日本でもっとも詳細な『日本国語大辞典』でも「処置や配慮だけが一方だけにかたよること。不公平なこと。片手打ち」とあり、幸田露伴や島崎藤村の作品が引用されている。「片手落ち」は差別用語ではないのである。


NHKが報じた北関東連続未解決事件の注目点

2011-12-01 16:36:33 | 参議院

 12月1日(木)朝から法務委員会。明日2日の13時から浅草・雷門周辺で「足利、太田未解決事件家族会」の宣伝、署名行動を行う。29日にはNHKが夕方のニュースで約10分間にわたって「横山ゆかりちゃん事件」と周辺事件を報じた。注目すべき特徴がいくつかある。(1)ゆかりちゃんが行方不明になったパチンコ店で、夏の暑いときに、長袖のニッカポッカ姿で、しかもパチンコをせず店内を物色していた不審人物を目撃した店員がはじめて証言したこと、(2)専門家の分析によれば、その姿は歩き方からしても変装の可能性があること、(3)群馬県警の捜査幹部がインタビューに応じたことなどである。「家族会」が国家公安委員長に面談して以降、警察庁の指揮のもとで、群馬県警、栃木県警が連携を取っている事実もある。来年には足利事件の真犯人をはじめとして連続未解決事件の解明が実現するよう、さらに行動を進めていく。今日からの地下鉄「書斎」の読書は辺見庸さんの詩集『眼の海』と萩原遼・井沢元彦さんの対談『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』。小説やエッセイなどでは表現できない生の深奥に潜む未定形の混とん。それをあえて言葉にするには詩という方法しかないのかもしれない。やむにやまれぬ思いに立脚した言葉と行動によらない言説は、他者に、そして自己にも達することはありえない。したがって語るためには黙するしかない。