有田芳生の『酔醒漫録』

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【資料】統一教会ーー国際的に進行する内部対立

2011-11-29 15:28:11 | 統一教会

【世間には直接の関係はないが、霊感商法で知られる統一教会で対立が進行している。ここに紹介するのは文鮮明教祖の三男ー顕進氏のアピールだ。日本は四男ー国進氏が指導しているが、三男を支援する密かな動きもある。信者にも影響を与えている文書は、英語、ハングルでも広がっている。】

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大阪「秋の陣」が問うた政治言語の是非

2011-11-28 10:03:29 | 参議院

 11月28日(月)大阪市、大阪府のダブル選挙で「維新の会」が大勝した。とくに市長選挙では橋下徹前知事と平松邦夫市長との闘いでは、民主党の世論調査では「3ポイントの差」で平松市長が追い上げていると聞いていた。ところが開票と同時に「橋下当確」の報道。出口調査は橋下前知事の圧勝だった。「大阪都構想」「教育基本条例案」など、橋下手法は強引かつ危険な内容をふくんでいる。しかしそれに対抗するスローガンが「独裁」や「ハシズム」でよかったのか。ずっと違和感を感じていた。「民主主義」VS「独裁」を対立軸にすれば、敗北したときにどう説明するのか。大阪市民は実際に「独裁」を選択した。選挙の結果は民意だから、合理的な解釈をするならば大阪市民の認識と行動を批判しなければならなくなる。それができないから「ポピリズム」(大衆迎合)だと橋下手法を批判するか黙するしかなくなる。〈「反ファシズム論」では彼には勝てない〉(「新潮45」)と佐藤優さんが書いたとおりになった。何が「維新の会」の勝因だったのか。言葉(政策、スローガン、演説)という側面から判断すれば、リポートトーク(情報中心)の敗北であり、ラポートトーク(情緒中心)の勝利である。橋下前知事の演説は「このまま日本が、大阪が沈没していいんですか」「変革しなくてもいいという人は平松候補に投票してください」といった内容である。勝谷誠彦さんは「橋下徹が危ないのではない。橋下徹を生み出す民衆が怖いのだ」と喝破した。より強い「変革への意思」イメージを大阪市民は選んだのである。さらにいえば「週刊文春」「週刊新潮」の異常な「出生報道」(暴力団、など)への市民の反発も橋下前知事への追い風になった。「関係あらへん」。ある市民のこの一言は象徴的である。民主党も腰が引けていた。選挙戦中盤までは党を出さない戦略だったが、後半で変更。それでも国会議員の動きは鈍かった。来年にも予想される総選挙をにらめば「維新の会」を「敵」にしたくないからである。時代に寄り添った言葉を身体化(組織化)することがいかに重要であるか。大阪「秋の陣」は政治に鋭く問うている。


談志師匠が語っていた「談志が死んだ」という回文

2011-11-27 10:44:01 | 人物

 11月27日(日)届けられた「AERA」を読む。古典芸能エッセイストの守田梢路さんが「時代と格闘した戦士」と題した立川談志さんの追悼文を書いている。弟子たちもマスコミと同時に逝去を知らされたそうだ。談志さんはシャレで「談志が死んだ」と言っていたことも紹介されている。回文でうしろから読んでも「だんしがしんだ」。昨日はNHK-BSで2時間のドキュメンタリーがあった。談志師匠71歳のときだから、4年前の映像だ。弟子の昇進試験の現場は凄まじい緊張感だった。前座から二段目に昇進したのは5人のうち1人。廃業が1人と厳しい世界を垣間見た。驚いたのはある会場で「富久」を演じているときだ。物語が流れていくなかで「そこで面白い?」とひとこと語る。聴衆はおそらく誰も気づかない。高座を降りた談志さんは不機嫌だ。シンミリした場面でどうして笑えるのかという不満だった。「大衆は」という言葉で不満が語られる。気が塞いでいく素顔いくつもの場面で記録されていた。「ガンバレ!ガンバレ!談志」と口にすることもしばしばだ。このシーンを見ていて井上ひさしさんのことが思い出された。一日に何度も「万事において、ひるむな」とつぶやくことがあると書いていたからだ。「天才」と評価されても老いは襲ってくる。セリフが出ないこともある。それでも聴衆は談志さんの落語を待っている。闘わなければならないと自己を奮起させるしかないのだ。夕方になり大山を歩き、ある新聞社の記者と会い、池袋「おもろ」に顔を出した。談志さんが「小ゑん」のころ小さん師匠に連れられて来たことがあるという。あまりに生意気だったので女将が「もう来なくていいよ」と言うと怒って出ていったという。談志さんらしいエピソードだ。井上ひさしさんも75歳で亡くなった。談志さんの著作もこれから続々と出るだろう。しかし落語家としての肉声が二度と聞けないかと思えば哀しい。1月18日に紀伊国屋ホールで聞いた短い話が最後になってしまった。


05年にも石原都知事に打診した「亀井新党構想」

2011-11-26 13:19:20 | 参議院

 11月26日(土)今朝の新聞各紙は「亀井新党」を報じている。だが私にとっては既視感が強い。小泉解散当時のことだ。自民党から出た議員たちは「国民新党」と「新党日本」を結成する。後者は都市部での受け皿としての位置付けがあった。誰に党首になってもらうか。まず話を持ちかけられたのが石原慎太郎都知事である。断られて次に働きかけたのが田中真紀子議員だ。ここでも断られる。そこで田中康夫長野県知事(当時)に声がかかった。新党代表が決まるまでにはこんな経過があった。日本の現状打開のために「新党」が必要との亀井静香「国民新党」代表の思いは理解できる。しかしその発想が周回遅れのものに見えて仕方がない。しかも石原都知事は「郵政改革法案を諦めること」を条件としている。大阪の橋下前知事も新党参加を否定した。大阪府知事、市長選挙の結果をきっかけに亀井構想はさらに語られるだろう。政界再編は常に語られつつ、いつしか消えていく。実現する課題は黙して準備されるものだ。昨夜は竹村文近さんに鍼を打ってもらってから同世代の議員3人で荒木町。「理想のカウンター」酒場を発見。しかもお勘定をしてもらうと高くないことに驚く。外に出て特徴あるネオンが眼に入った。新宿ゴールデン街によく通っていた30代にある店で出会った女性がひとりで営んでいるショットバーだ。10数年ぶりに入った。カウンターはほぼ満席。いきなり「あまり働きたくないのよね」の言葉。たしか同世代だった。気持ちは半ばわかる。でも議員もフリーランスも働き続けなければならないのだ。おそらく彼女もまた。


亀井静香「新党構想」報道の虚実

2011-11-25 16:59:05 | 参議院

11月25日(金)朝から本会議。昼休みに「STOP! 北朝鮮の人道犯罪」院内集会で「横田めぐみさん生存情報 平壌市民名簿と脱北者証言の評価」について報告。青山斎場で行われた西岡武夫前議長の参議院葬に参列。会館に戻って夕刊を見ると「亀井氏、新党結成の意向」との記事が「読売」に掲載されていた。亀井静香国民新党代表が今日の記者会見で石原慎太郎都知事などとともに新党結成をめざすと語った。今朝の「産経」一面トップ記事(「石原知事を党首」「亀井代表が新党構想」)とほぼ同じ内容だ。亀井代表の国民新党は郵政改革法案を今国会で成立させなければ連立を離脱すると主張している。しかし石原都知事は「新党構想」を進める条件として郵政改革法案を放棄することをあげているようだ。10月24日に都内で行われた民主党の小沢一郎元代表と亀井代表などの会談でも「新党構想」が話し合われたかのように報じられているが、そんな話はほとんどなかったと関係者はいう。亀井代表がこれからも新党の「ラッパ」を吹いていくから報道は盛り上がるだろう。だが「新党構想」の内実はそう単純なものではない。


瀬戸内寂聴ー藤原新也対談で心穏やかに

2011-11-24 18:10:13 | 人物

 11月24日(木)法務委員会で質問。最近はなかなか『酔醒漫録』を書くゆとりがない。しかし「今日は書いておかなければ」と思った。なぜなら昨日参加した藤原新也さんの「書行無常展」で藤原さんと瀬戸内寂聴さんの対談を聞いたからだ。「3・11」や国会(政治)の有り様にギスギスしていた気持ちがスーッと消えていき、穏やかになった。客席から観客(藤原さんの有料ブログ「CATWALK」読者)のお顔を見ていても、みなさん穏やかな笑顔をたたえていた。午後5時からの対談に間に合わせるべく末広町駅で下車。開場前に案内されるとちょうど藤原さんが寂聴さんを案内していた。藤原さんの熱い握手。寂聴さんとの再会。オウム事件当時、「週刊朝日」で対談していただくため、京都にでかけたことも懐かしい。そのときの内容(「私の庵を訪れた『さまよえる信者』」)は『有田芳生の対決!オウム真理教』(朝日新聞社。いまでは古書でしか入手できない)に収録されている。おふたりの対談は藤原さんの写真と書に囲まれた場所ではじまった。この異空間での対話が特別の空気を醸し出していたこともあるだろう。そこに「顔を見ているだけでいいから」と藤原さんが何度も強調した寂聴さんがいる。心穏やかになった理由は、メモしたこんな言葉に込められている。「90歳になったけれど、あきらめない」「言霊(ことだま)って本当にあるのよ。こうなりたいって思うのは絶対に大切」「いつでも楽しいの。なぜなら楽しいことを考えているから」「現地へ行ってそこに立てば大地が語ってくれる」。この最後の言葉は被災地に行くことの大切さを口にしたときのものだ。寂聴さんにすれば被災地の人々は「代受苦」(だいじゅく)と理解すべきだという。私たちの代わりに「苦」を引き受けてくれている。そのためにも現地に行くべきだ。「行って話を聞くだけでも喜んでくれるのよ」。喜ばれた被災地入りだが、原発被害を受けた飯舘村だけは違ったという。「みなさんの顔が厳しかった」という。何かを語る雰囲気ではなかった。そこで寂聴さんはみなさんの身体をマッサージしていった。3時間も黙々と。そのうちに「何か言いたいことがあれば」と水を向けると政治に対する批判を口にするようになった。寂聴さんは気仙沼で「若き日に薔薇(ばら)を摘め」と色紙に書いたそうだ。若い日にはトゲある美しい薔薇をいくつも摘んでいれば、きっとそれが生きてくるというのだ。「若き日に薔薇(ばら)を摘め」。失敗を恐れるなということである。対談が終わり帰っていく聴衆を藤原さんはひとりひとりと握手して送っていた。私には「こんど書を教えなければなりませんね」とひとこと。会場をあとにして昼食をとっていなかったので銀座「ささもと」。いつまでも心穏やかなのであった。いまもなお。「書行無常展」は27日まで。


キム・ウンギョンさん(横田めぐみさんの長女)結婚をめぐる珍論に答える

2011-11-05 10:41:00 | 参議院

 【改訂版】11月5日(土)横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさん。日本ではそう報じられているが、これは偽名だ。めぐみさんに娘がいることが明らかとなり、北朝鮮が記者会見に彼女を登場させたとき、この名前を使っている。元外務省の田中均さんも小泉訪朝の地ならしで北当局と極秘に交渉していたときに、相手が本名かどうかは気にしなかったという。そういう国なのだ。キム・ヘギョンさんの本名は金恩慶(キム・ウンギョン)。この9月に結婚したとの情報を10月30日に横田滋、早紀江さんにお知らせした。ところが11月2日にテレビ朝日がどこかから情報を入手して報じたので、差し支えない範囲でツイッターに書いた。その後もメディアからの問い合わせが続いているので、ここに経緯を記しておく。悪意ある批判を語る者もいるので、それに対する最小限の反論も述べる。まずは「拉致被害者家族のことを何だと思っているのか」という意見。
 
 10月13日昼前。衆議院議員会館の会議室で民主党拉致対策本部の会議が行われた。北朝鮮からの脱北者が横田めぐみさん生存情報を語ったことが韓国から報じられたことに関する会議だった。そこでは外務省による報告も行われた。この集まりに横田夫妻も招かれていた。終了後に立ち話をしたとき、滋さんからこんな話を聞かされた。「中井さん(注、中井洽元拉致担当大臣)からヘギョンちゃん(ご夫妻はいまでもこう呼んでいる)が結婚したという情報があると聞きました」。おそらく前週に韓国を訪問した中井さんがどこかで聞き及んだものと思われる。なぜ横田さんが私にこういう話題を語ったのか。それには理由がある。ある課題をめぐって横田夫妻とは何度も話をしてきた。そのときウンギョンさんがいまどうしているかわからないと聞いた。そこで私は彼女の消息を調べる約束をした。あるルート(朝鮮総連ではない)でウンギョンちゃんの現状が正確にわかったのは2月のこと。

 金恩慶(キム・ウンギョン)
 1987年9月3日生まれ
 09年 金日成総合大学コンピューター科学大学卒業
 現在 国家科学院開発総局研究員
 家族 実父 義母と平壌在住

(注)日朝政府は誕生日を「9月13日」としているが、私が入手した情報では「3日」になっている。

 私はこの情報を横田夫妻にお伝えした。「これまで政府はこうした消息をお伝えしなかったのですか」と訊ねると「まったくありません」という。おそらく被害者家族の関心を満たすきめ細かな情報収集を行っていないのだろう。ご夫妻のウンギョンさんに対する思いは詳しく聞かせていただいた。とくに早紀江さんの「ある願い」は祖母ゆえの、しかし私にとってはとても新鮮で重要なものであった。そして今回の中井情報である。私は情報を確認することにした。詳しいことは明かせないがウンギョンちゃんは9月に結婚していることが知らされた。そこで逡巡した。先日のめぐみさん生存情報についていえば私には疑問があった。間接情報の積み重ねによる曖昧な情報を横田夫妻が知ることで心痛を与えるのではないかと思ったからだ。ましてやそこに北朝鮮当局の意図が隠されている可能性もある。信頼できる「同志」の高世仁さんに相談した。横田夫妻と長年のつき合いのある高世さんは「伝えるべき」との根拠をいくつかあげた。

 札幌から電話をしたのは30日に夕刻。早紀江さんにあらましをお伝えした。お知らせするかどうか迷ったことを正直に伝えると早紀江さんは言った。「(結婚は)ありえるなと思っていました。これからも何でも知らせてください。なるようにしかなりませんから」。「なるようにしかなりませんから」……。会話のなかで早紀江さんはなんどかこの言葉を繰り返した。「怒りを根拠とした達観」。私にはそう思えた。横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者を一刻も早く日本に取り戻さなければならない。そのためには日本政府が本気で戦略的・戦術的に北朝鮮と交渉していくことだ。そのプロセスでは韓国も巻き込んだ情報戦が繰り広げられるだろう。外交とはそういうものだ。

 私はウンギョンさん結婚の情報については横田夫妻とだけ共有するつもりだった。 しかしテレビ朝日が報じ、メディアの取材が横田夫妻に殺到したため、私がお知らせしたことも知られることになった。取材に対して「知らない」とはいえない。そこでツイッターで要旨を書いた。こうした経過を知らずに「北朝鮮の意図に乗るもの」などと語るものがいる。北朝鮮が意図的に情報を流したのではない。確認したことを認めただけのことである。ましてやウンギョンさんの結婚が、どうして日朝交渉を求める北朝鮮の「意図」になるのというのか。「超党派」で計画された訪朝(政府、民主党から反対が出て中止になった)とも私は無関係だ。批判には根拠もなければ説得力もない。何でもかんでも「政治の鋳型」に流し込まなければならない思考パターンでは、現実を冷静に判断することはできない。あえていえばエゴイズム。「絶対正義」の掌の外で起こる小さな動きにもレッテルを貼り、自己のドグマを墨守する自動運動では現実を突破して行く力にはならない。私はこれからも拉致被害者家族および特定失踪者家族に寄り添いながら行動して行く。


横田めぐみさんの娘(キム・ウンギョンさん)の結婚について

2011-11-04 10:04:40 | 参議院

 11月4日(金)横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさん。日本ではそう報じられているが、これは偽名だ。めぐみさんに娘がいることが明らかとなり、北朝鮮が記者会見に彼女を登場させたとき、この名前を使っている。元外務省の田中均さんも小泉訪朝の地ならしで北当局と極秘に交渉していたときに、相手が本名かどうかは気にしなかったという。そういう国なのだ。キム・ヘギョンさんの本名は金恩慶(キム・ウンギョン)。この9月に結婚したとの情報を10月30日に横田滋、早紀江さんにお知らせした。ところが11月2日にテレビ朝日がどこかから情報を入手して報じたので、差し支えない範囲でツイッターに書いた。その後もメディアからの問い合わせが続いているので、ここに経緯を記しておく。
 
 10月13日昼前。衆議院議員会館の会議室で民主党拉致対策本部の会議が行われた。北朝鮮からの脱北者が横田めぐみさん生存情報を語ったことが韓国から報じられたことに関する会議だった。そこでは外務省による報告も行われた。この集まりに横田夫妻も招かれていた。終了後に立ち話をしたとき、滋さんからこんな話を聞かされた。「中井さん(注、中井洽元拉致担当大臣)からヘギョンちゃん(ご夫妻はいまでもこう呼んでいる)が結婚したという情報があると聞きました」。なぜ横田さんが私にこういう話題を語ったのか。それには理由がある。ある課題をめぐって横田夫妻とは何度も話をしてきた。そのときウンギョンさんがいまどうしているかわからないと聞いた。そこで私は彼女の消息を調べる約束をした。あるルート(朝鮮総連ではない)でウンギョンちゃんの現状が正確にわかったのは2月のこと。

 金恩慶(キム・ウンギョン)
 1987年9月3日生まれ
 09年 金日成総合大学コンピューター科学大学卒業
 現在 国家科学院開発総局研究員
 家族 実父 義母と平壌在住

 私はこの情報を横田夫妻にお伝えした。「これまで政府はこうした消息をお伝えしなかったのですか」と訊ねると「まったくありません」という。おそらくこうした課題での情報収集を行っていないのだろう。ご夫妻のウンギョンさんに対する思いは詳しく聞かせていただいた。とくに早紀江さんの願いは祖母ゆえの、しかし私にとってはとても新鮮で重要なものであった。そして今回の中井情報である。私は同じルートで情報を確認することにした。詳しいことは明かせないがウンギョンちゃんは9月に結婚していることが知らされた。そこで逡巡した。先日のめぐみさん生存情報についていえば私には疑問があった。間接情報の積み重ねによる曖昧な情報を横田夫妻が知ることで心痛を与えるのではないかと思ったからだ。そこで信頼できる「同志」の高世仁さんに相談した。横田夫妻と長年のつき合いのある高世さんは「伝えるべき」との根拠をいくつかあげた。

 札幌から電話をしたのは30日に夕刻。早紀江さんにあらましをお伝えした。迷ったことを正直に伝えると早紀江さんは言った。「(結婚は)ありえるなと思っていました。これからも何でも知らせてください。なるようにしかなりませんから」。「なるようにしかなりませんから」……。会話のなかで早紀江さんはなんどかこの言葉を繰り返した。「怒りを根拠とした達観」。私にはそう思えた。横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者を一刻も早く日本に取り戻さなければならない。そのためには日本政府が本気で戦略的・戦術的に北朝鮮と交渉していくことだ。そのプロセスでは韓国も巻き込んだ情報戦が繰り広げられるだろう。私はこれからも拉致被害者家族および特定失踪者家族に寄り添いながら行動して行く。