有田芳生の『酔醒漫録』

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郷原信郎の「小沢問題」見解は必読

2009-03-31 10:13:20 | 東京・板橋

 3月30日(月)昼間は春の陽気だが、早朝の風は冬そのもの。寒さに耐えながら上板橋駅北口に立つ。「いつも見てますよ」とテレビの残像はいまでも多い。ある男性の「あっ、二木さんだっ!」には苦笑。元日刊ゲンダイの二木啓孝さんと間違えられたのだ。大山の事務所に戻り、初海整形外科。左膝の水は5cc。院長曰く「もう少しです」。昨夜のウメさんの通夜。候補予定者は公選法により選挙区では香典も祝儀も出してはならない。はじめての経験だった。受け付けで説明すると「みなさんから香典は辞退しております」とのこと。ホッとする。「政治とカネ」の問題はこのように厳格に規定されている。ある地方で自民党大臣と競っている民主党候補者に電話をした。小沢問題は影響があるという。理屈ではないというのだ。検察のリーク情報が世論を形成している深刻な問題だ。「無理が通れば道理が引っ込む」日本社会をどこまで成熟させることができるのか。いまが正念場。郷原信郎さん(元東京地検検事)の論考(「週刊朝日」4月10日号)は必読だ。

 郷原さんは検察が「事件の中身はもちろん、前提となる法解釈や違反の悪質性、政治資金規正法の罰則適用についての基本的な考え方など、重大な疑念についてまったく説明しませんでした」とする。これでは政治資金規正法の罰則適用のハードルが下がり、検察の恣意的捜査で、どんな政治家でも処罰できると指摘。特捜部出身の堀田力さんによる「検察に説明責任はない。政治資金規正法は汚職と同様、政治がカネの力でゆがめられることのないように、という国民の悲願に答える法律だ」とする意見(「朝日」3月20日)は「根本的に間違っている」と断定。「政治資金規正法は、政治家の政治活動がどのような政治資金によって行われているのかを透明化し正しい方向に導くための法律」だからこそ、「規制」ではなく「規正」と名付けられている。汚職と政治資金規正法違反とは同列ではないのだ。郷原さんは「そもそも小沢氏の会計処理は本当に政治資金規正法違反なのか」との根本的疑問の解明へと進む。ぜひ多くの方に読んでいただきたい。


釈尊の「後有を受けず」

2009-03-30 06:08:23 | 東京・板橋

 3月29日(日)090329_14270001 マンションの総会に出て自室に戻ったときだった。大山の金さんから「花見で食事をしませんか」という誘いがあった。板橋の加賀公園へ。民団(在日本大韓民国民団)板橋支部の方々と車座になって懇談。いま北朝鮮籍、韓国籍の方々のなかで、毎年1万人が日本に帰化していると聞いて驚いた。こうした趨勢は変わらないだろう。自宅に戻り、常盤台へ。選挙への協力をお願いしていた萱場ウメさんの通夜に出席。93歳の誕生日を迎えたばかりだった。6日前にお会いしたときは「畠山みどりさんの食事会に行くんだ」とお元気だったのに、その4日後に亡くなった。人間の生命は突然に幕を降ろすことがある。釈尊の「後有(ごう)を受けず」という言葉が脳裏に浮かぶ。アフターライフがないのだから、いまを「すべて」と前へと進むのみ。


「戦争だけは絶対にいけません」

2009-03-29 16:21:35 | 人物

 3月28日(土)東京會舘で森光子さんにお話を伺った。何しろ芸能生活をはじめたのが15歳。5月9日で89歳だから、74年の芸歴だ。数限りない取材を受けてきた方に、同じような質問をしても仕方ない。都はるみさんから「歌屋」という言葉を引きだしたときのように、問いかけに工夫をしたい。準備のポイントをそこに置いた。インタビューが終わってどっと疲れが出てきた。東宝の担当者から「よかったですよ。これまでにない内容がありましたから」という感想をいただく。私がいちばん印象に残ったのは「戦争だけは絶対にいけません」というところだった。南方慰問に行かされた森さんは、爆撃を受け、九死に一生を得る。はじめて出したレコードも検閲で発売禁止だ。そうした経験をした森さんの人生は、あまり知られていないのではないか。森さんが自ら身体を動かして教えてくれたスクワットを生活習慣にしようと思う。地下鉄で池袋。大山へと向かう。


魯迅の「半夏小集」を読む

2009-03-28 09:52:36 | 東京・板橋

 3月27日(金)西台から高島平団地へ。夕方になりホッと一息の「あおい珈琲店」。森光子さんについての膨大な資料を読む。民主党関係の集会で講演。テーマは「歴史の転換点に立ってーー板橋から日本を変えるために」。現在が資本主義の歴史のなかでも異常な事態にあること、したがって新しい「国家観」が求められていることを説明し、最後に小沢一郎代表問題にも触れた。検察の情報リークと世論形成の問題点に触れ、歴史を「一歩でも前進させるために」どうしても政権交代が必要であると訴えれば、大きな拍手が起きた。本質的問題は歴史認識なのだ。言葉を代えれば日本人の成熟度が問われている。懇親会にしばらく参加して「もうひとつ」の集会へ。ここではポスターを貼らせてくれなかった会社役員が恐縮の面持ち。「表向きの立場がありまして」とのこと。まさに「しがらみ」の世界だ。それが崩れつつある。移動の電車で魯迅を読む。

〈まことに「毒なきは丈夫にあらず」だ。しかしこれを筆墨に借るは小毒のみ。最高の軽蔑は無言だ。しかも眼の玉さえ動かさずに。〉これは魯迅の「半夏小集」(『魯迅評論集』、岩波文庫)のなかの文章だ。このブログをはじめてから400万アクセスを超えているが、ホームページ時代から何度かこの言葉を引用してきた。当時は心構えとしてこの文章を理解しようとしていた。「そうありたい」と願っていたのだろう。なかなか魯迅が指摘するような心境には達していなかった。いまでは違う。まさに「眼の玉さえ」動かさない「最高の軽蔑」の意味が、教訓としてではなく、実感できる。「壁」とは、それを超えたときに気付くもの。言葉とは究極において「理解するもの」ではなく「精神の在り処」として存在するものだ。


森光子さんに会う

2009-03-27 10:46:19 | 人物

3月26日(木)090326_15110001 オウム事件当時のこと。警察庁幹部と情報交換をしていたとき、国松孝次長官銃撃事件について聞いた。その幹部は「120パーセントオウムです」とある信者の名前をあげて断言した。しかし捜査は混迷をきわめ、時効1年を前にして迷宮入りかと思わざるをえない情況にあった。ところが先日ある捜査幹部から意外な話を聞かされた。当時オウム「防衛省」にいた幹部信者の名前を口にしたからだ。事件現場の植え込みに落ちていた韓国硬貨から「建設省」信者のミトコンドリアDNAが警視庁の鑑定で検出されたと「読売新聞」は報じた。記事には「この植え込みの近くに銃撃した実行犯が潜んでいたとみられ」とある。私は犯行が信者によるものであったとしても、韓国硬貨に残された皮脂DNAの信者が実行犯だとは判断しない。

 平河町のヘッドオフィスで実務。文藝春秋に立ち寄ってから芝公園の「ザ・プリンス パークタワー東京」へ。森光子さんが1961年から主演を務める「放浪記」上演2000回を記念する制作発表記者会見に出席。「婦人公論」から森さんへのインタビューを依頼されたのは数日前。「囲み」会見で驚いたのは、テレビ局の取材で芸能リポーターがひとりもいなかったこと。こんなところにも経費節減の影響が見られる。久々に出会った山本陽子さん、有森也実さんにご挨拶。別室に移動して森さんと私が語っているところを撮影。5月9日で89歳になる小さな身体からはオーラが漂っていた。正式のインタビューは28日に行う。5月9日に2000回を迎える「放浪記」は、5月5日から29日まで帝国劇場で上演される。


個性豊かに育つ子供たちをと思う朝

2009-03-26 09:24:17 | 東京・板橋

 3月25日(水)東武練馬駅は板橋区のなかでも成増に次いで1日の乗降客が多く、約5万6000人。まさに怒濤のようにやってくるみなさんに声をかけつつリーフレットを配布。春休みに入ったため、子供連れのお母さんの姿が多かった。ある女子は大きな荷物を持っていた。お母さんによれば、音楽コンクールのためドイツに向かうのだという。それぞれが才能を咲かせる条件を保障する日本をと思う。6時50分から開始して、あっという間に9時を過ぎていた。大山の事務所に戻り、「あおい珈琲店」でフレンチブレンドで身体を温める。事務所で実務を終えて商店街へ。大阪の朝日放送からT記者とカメラマン、アシスタントが事務所来訪。取材は定額給付金と意見広告運動について。収録内容は27日の「ニュースゆう+」(午後4時50分から6時54分)のなかで報じられる。


「二人のイチロー」

2009-03-25 06:01:59 | 人物

 3月24日(火)新しいスタイル=方法で板橋のある土地を巡った。左膝の回復のための苦肉の策。それがまた新しい発見多々。キムチを売っている店で会話をしていたときのこと。若い男性が声をあげた。携帯のワンセグでWBC決勝戦を見ていたのだった。そのときに女性が叫んだ。「すぐに消しなさい」。日本優勝の瞬間だった。そしてこう言った。「イチローは打てなかったのに、肝心なときに打つんだから」。立場変われば風景も感情も違う。ある公園横のお宅にポスターを貼っていただいていたときのこと。子供たちが鬼ごっこをしていた。聞けば明日から春休みだという。「おじさん、いっしょにやろうよ」というので、しばらく遊ぶ。みんな小学校4年生。「先生はいくつなの」と聞けば「40過ぎているよ、おじさんは」というので答えたら「わーっ」と驚いていた。9歳と10歳にはどう見えているのだろうか。「缶けり」や「ハンカチ落とし」は知っているが、ほとんどやったことがないという。感性を育てる遊びはもはや流行らないのだろう。夜の大山。ハッピーロードを歩けば、顔見知りになった方々としばしば出会う。草野仁さんから電話。いろいろな問題について意見交換。民主党の小沢一郎代表が続投記者会見。夜のニュースでは「二人のイチロー」が主役だった。


「14年」を思う

2009-03-24 10:58:42 | 思索

 3月23日(月)090323_12460001 朝は東武練馬駅南口。事務所に戻り初海整形外科。左膝の水は10cc。先週よりも増えていた。体重を減らすこと、運動をするように再び勧められる。池袋経由で板橋へ。駅のキオスクが無人になり、本までが自動販売機で売られていることに、いささか呆れてしまう。成増で紹介していただいた地元の「有力者」を訪問。さらに人間関係が広がっていく。人の「思い」を知らされる日々。ふと思う。地下鉄サリン事件から14年。その当時をいまでも鮮明に覚えている。ならば「いま」から14年先をと思えば、いささかゾッとする。それではと、生まれる14年前まで辿れば、1938年。日本では国家総動員法が公布され、「愛国行進曲」が流行、フランスでは人民戦線が崩壊し、ドイツのヒトラーはズデーテン地方を併合するミュンヘン協定に調印している。そうなのだ。「14年」という時間は、日本と世界の情況を一変させるのに十分な時間なのだ。新たな「14年」を意気高く進もう。


井上ひさし「ムサシ」の生命讃歌

2009-03-23 06:05:34 | 東京・板橋

 3月21日(土)終日板橋。小豆沢2丁目を歩く。意外な、しかしうれしい出会いばかり。痛む左膝を気にしながらも、歩けば「海路の日よりあり」といった感想。「待てば海路の日和あり」とは「待っていれば、海の静かないい日和がやってくる」という意味。逡巡や迷いがあれども「現場主義」こそ生命だと実感。行動のなかで活路は開けてくる。夜は「魂の洗濯」で埼玉の与野本町へ。「彩の国さいたま芸術劇場」で井上ひさし書き下ろし、蜷川幸雄演出の「ムサシ」を観る。ひさしさんの奥様、井上ユリさんから「面白いですよ~」と聞いていたから。藤原竜也の宮本武蔵、小栗旬の佐々木小次郎もいいが、白石加代子さんの凄まじいほどの存在感に感嘆。それは演技する白石さんの身体の位置に想像のなかで自分を置いてみればよくわかる。井上ひさしさんの原点に戻ったような内容は、生命の絶対的価値への讃歌である。ラストシーンに涙腺緩む。

 3月22日(日)31日発売の「週刊朝日」のための原稿(高齢者医療への提言と「政治哲学の貧困」)を仕上げ、「週刊新潮」へのコメント(城山三郎さんの夫婦観)を修正。成増で支持者たちと懇談。旧来型保守系の方々が多いことに、微妙な変化を感じる。ありがたいアドバイスの数々。まだまだ課題は多い。地元に戻り、マンション旧理事会家族の懇親会。ここでもさまざまな感想を聞かされる。また新しい1週間がはじまった。