有田芳生の『酔醒漫録』

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小泉=竹中「亡国」劇場の先達たち

2009-01-31 10:15:34 | 人物

 1月30日(金)早朝の訴えは常盤台駅の予定だった。しかし雨が降っている。駅前の構造を思い出せば、中止した方がいいと判断。この空き時間を原稿執筆に充てることにした。年初には完成させているはずだった「週刊朝日」の原稿にようやく取りかかる。テーマは定額給付金と高齢者医療制度。なかなか進まず。大山の事務所に行き、周囲を歩く。横浜に出て神奈川保険医協会が主宰する医療問題学習会に出席。講師は神野直彦・東京大学教授で、テーマは「社会保障と財源論 市場原理から分かち合い原理へ」。1973年にチリのアジェンデ政権がクーデターで倒されたときのエピソードに驚いた。シカゴにいた宇沢弘文さんは、フリードマンの弟子たちといっしょにいたという。ニュースでクーデターの成功を知ったフリードマン「チルドレン」たちは、歓声をあげて喜んだ。やがてピノチェト政権は、何度もフリードマンを招き、市場原理主義による小さな政府のもとで、民営化、規制緩和を行っていく。「新自由主義」は、やがてチリを席巻、国民は塗炭の苦しみに落ち込んでいく。まるで小泉純一郎=竹中平蔵「亡国」劇場の先達を見るようだ。講演が終わったのは午後9時半。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読む必要がありそうだと電車のなかで思う。


〈速報〉統一教会元教区長、海外逃亡か

2009-01-31 01:08:53 | 統一教会

 新潟で昨年11月27日に「北玄」の関係者3人が逮捕された。霊感商法に対する摘発である。この事件にかかわり、統一教会の元教区長S氏の自宅が捜索された。そこで押収されたパソコンには、統一教会の韓国人総会長からの指示文書まで入っていた。新潟県警はさらに捜査を進めるはずだった。ところが教会本部の指示により、S氏は海外に逃亡する動きだと警視庁関係者は語る。霊感商法と統一教会は関係ないと居直っていた根拠は具体的証拠のもとに崩れる可能性がある。微妙な問題なのでまずはここまで記録する。


朝日新聞襲撃「実行犯」の告白を読む

2009-01-30 08:33:22 | 事件

 1月29日(木)定例の役員会を終えて大山の事務所へ。近く貼りだす田中康夫代表とのポスター見本を事務所入り口に掲示。その間もIさん、D君が志村、大原町、前野町を走ってくれる。あちこちでポスターが剥がされていることを発見。そこに再度掲示していただく作業は14か所。近くの喫茶店「ディラン」で珈琲を飲みながら資料を読む。未知のお客さん4人から声をかけられる。事務所に戻り、31日に開催する「有田塾」の準備。遅くに家人と近くの「鏑屋」。他のお客さんと相席で食事。店を出るときにあちこちのテーブルから声がかかり、それぞれにご挨拶。「鳥の眼」で日本を見つめつつも、いまは板橋を「虫の眼」で探索。それでも書いておけなければならないことがある。それは「週刊新潮」に掲載された「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した」という「実名告白手記」についてである。1987年5月3日の事件のことは絶対に忘れることができない。あの事件の直後には「万が一のため」に「朝日ジャーナル」で仕事をしていた私の自宅の所在を記者が確認しておくという出来事まであった。ちょうど霊感商法批判キャンペーンに加わっていたからだ。尾行まで付いていたときだから緊張しつつ仕事をしていたことを思い出す。私にとっても「赤報隊」事件はずっと取材対象でもあった。

 今回の記事で告白した人物についていえば、事件についての「秘密の暴露」が(いまのところは)ない。それどころか私が知る限りでは、事件現場について事実とは異なる証言をこれまで行っていた。たとえば犯行に使った散弾銃は自動式だと語っていたのではないか。それがこんどの告白では「2発撃つと、一旦空薬莢を取りだして新しい弾を込めなければ次を撃てない」と変更している。動機もふくめていくつもの証言変更がある。それをいまここに書くことはしない。これまでにも国松警察庁長官銃撃「実行犯」の告白や坂本弁護士一家殺害事件「実行犯」(オウム信者ではない)の告白などがあった。いずれもきわめて詳細でリアルなものであった。ところが事件現場と細かく照らし合わせると、事実と異なることがわかり、結局はいずれも事件とは無縁であることが判明する。こんどの告白者によれば依頼者は「ある公的な組織に属する人物」だという。その人物がこれからの連載で具体的に!語られるのかどうか。連載は3回だという。この事件を真剣に追ってきたひとりとして「週刊新潮」の今後の展開に期待したい。


「顔つきが変わりましたね」

2009-01-29 09:39:26 | 東京・板橋

 1月27日(水)これまでにない寒風に「まいったな」と内心で思いつつ上板橋駅前でリーフレットを配っているときのこと。ある背の高い男性が声をかけてきた。「顔つきが変わりましたね」。「そうですか」と答えたものの、悪い意味なのかいい意味なのかまったくわからず。「あなたを取材したことがあるんですよ」と口にして改札に向かう階段を上っていった。誰だったんだろう。つかの間の出会い。心温まる出会いもあれば、そうでない出会いもある。ある官庁に勤めているYさんとは3度目の出会い、短い会話に励まされる。「石田屋」の栗入りどら焼き(限定300個。朝9時過ぎにはいつも売り切れ)をようやく手に入れて大山の事務所へ。一休みして仲町。「辻説法」をしながらポスターを貼っていただく。左膝の痛みが続いている。事務所に戻り、2軒隣の「都宮接骨院」。マッサージで左膝をほぐしてもらう。この土地で開業してから20年以上が経つという。再び大山の街路へ。


「社会保障基本法」の制定を

2009-01-28 05:55:25 | 東京・板橋

 1月27日(火)板橋のある地域を歩く。快く引き受けてくれた家庭の壁から1週間にしてポスター2枚が消失。何か不都合でもあったのかとお聞きすれば、いつしか剥がされていたとのこと。路上で高齢女性から声をかけられた。「80歳を超えてこんなことになるなんて、私の人生はめぐり合せが悪い」と嘆かれた。戦争中は女子挺身隊に動員され、いままた生活苦に追い込まれているという。介護保険は1万1000円、後期高齢者医療制度で1万7400円が年金から天引きされる。区役所に行って、「後期高齢者への負担をやめてくれないか」と申し出たところ「国が決めたことですから」の一言。まさに政治災難が戦後日本を支えてきた「高貴高齢者」を襲っている。ある銭湯にポスターを貼っていただく。午前10時から午後3時まではお年寄りのデイサービスに使われている。「さざんかの宿」などのカラオケを楽しむみなさんから呼ばれてご挨拶。若い女性が熱心に仕事に励む姿が印象的だった。「社会保障基本法」を制定することは政治に携わる以上は基本テーマだと認識。社会保障を包括する基本法がないことは日本政治の後進性の現れでもある。


街の小さないい話

2009-01-27 10:40:46 | 東京・板橋

 1月26日(月)上板橋の朝の訴えを終えて大山に戻ってきたときのこと。最終的な治療を受けるため初海整形外科に向かっていた。いつも挨拶をする女性から声をかけられた。「アリタさん、この周辺で話題になっているよ」。何のことかわからないので訊ねると、こういうことであった。書くかどうかを迷ったが、街の小さないい話なので、あえてここに紹介する。これも初海整形外科でのこと。車椅子に乗っていた女性が、降りようとして路上に倒れてしまった。そこにたまたま新党日本「有田号」が通りかかった。すぐに停車。3人のスタッフ全員が車を降り、女性を助けあげたうえで、病院内まで送ったというのだ。他者への奉仕を当り前のこととして行う社会規範。誰もそんな話をしないので、私も知らなかった。それがまたうれしい。板橋本町の富士見地域センター。区の全域から集まってくれた方々の小集会で「新年の思い」を語る。自由な議論の場ゆえにさまざまな本音を聞く。自民党政治への怒りと不満が個人の内面に深く沈殿している。大山の事務所に戻り、ポスターを手に大谷口上町へ。再び事務所。板橋区立学校従業員労働組合の陳情を受ける。配布してくださるリーフレットを支援者が取りに来てくれた。家人、次女と「ちくら」。参議院選挙のときからお世話になってきた店主の鈴木敬さんが新潟で新しい仕事をするので、31日で閉店する。店内には「こんなもの貼るな」と保守系議員から文句を言われたという私のポスターが貼ってある。


光が丘に小馬がいた

2009-01-26 06:09:20 | 東京・板橋

 1月25日(日)090125_14480001 昨日とは一転して暖かな一日。新しく重点地域に設定した地域へ。板橋の祭りでお会いし、私が不在のときに事務所に立ち寄ってくれた方の自宅へ。そこを起点に歩く。インターフォン越しに「間に合っています」と言われたときには苦笑するのみ。表札横にポスターを貼ってくださった方、「うちは公明党ですから」とはっきり伝えてくださる方などなど。通りすがりの光が丘では世界一小さな馬、ポニーがいた。子供や高齢者などのセラピーに活用されているそうだ。幼児がミニチュアホースに乗っているのを見ると「かわいいな」と思いつつ、この子たちの未来やいかにと責任を感じる。夕方に大山へ。事務所周辺を歩き、日大病院入口。かつて約束していた居酒屋へ。食事をして店を出るときに、「あれっ、オウムの人」との声。すべてのお客さんと短い雑談。歩くだけでも約50枚のリーフレットを手渡す日々。このお店も開店してから64年。焼き物のタレも当時からのつぎ足し。大山ではかつて下駄屋もあれば、馬の蹄を売っている店もあったという。


「生き急がなければならない」

2009-01-25 10:14:28 | 東京・板橋

 1月24日(土)小雪のなか、重点地域を歩く。板橋に選挙区が変わったとき、たまたま入り込んだ土地がある。そこで訴えていると店から出てきた人たちがいた。地元の保守系の方々だった。少し話をして意気投合。まだ暑い季節だった。ずっと気になっていたので、久しぶりに訪問、コンビニで弁当を買ってしばし懇談。周辺の町内会役員などを呼んで下さった。その周りにご挨拶。狭い地域に8枚のポスターを貼ることができた。「10枚貼っていいよ」などというお店には遠慮して2枚。「これまではどこも断ってきたのよ」というスーパーでもさらにリーフレットを貼ってくださる。街宣しつつ経めぐる一日。夜になり疲れ切ったところで思い立ち、2009年はじめてのジムへ。電車のなかでは居眠りばかり。1時間本気で身体を動かす。恐る恐る体重計に乗る。3キロは増えているだろうと覚悟していたが、昨年末と変わりなし。ホッとする。池袋「おもろ」も久々。泡盛がこんなに美味しいとは!帰宅すればアメリカ在住の長女から喉にいいお茶が届いていた。さっそくお湯をわかして飲んでみる。山川暁夫さんがしばしば語っていた言葉が実感としてわかるようになったこのごろ。「生き急がなければならない」。


春近し「花月」に咲いた梅一輪

2009-01-24 10:38:57 | 随感

 1月23日(金)090123_16090001 板橋を離れざるをえなかったのは、事務所を維持するためであり、同時に新しいテーマを調査、取材するきっかけになると判断したからであった。しかも吉村昭さんが取材で200回通った長崎でもある。朝、ホテルを出て大浦天主堂へ。さらにオランダ坂にある知人の喫茶店に行ったところ、すでに長崎市に買収され、改装中だった。フランス領事館だったところで営業をしていたから、所有の経緯が不思議だった。それもわからずじまい。ホテルに戻って講演準備。自治労長崎県本部春闘討論集会での講演テーマは「新しい日本は可能だ メディアと政治の現場から見えるもの」。終わってから最終便まで4時間ほどある。丸山町の史跡料亭「花月」で女将の加藤公子さんに館内を案内していただく。いちばん驚いたのは坂本龍馬の直筆手紙(下書き)が展示されていたこと。孫文や頼山陽の額もあった。半藤一利さんの『幕末史』(新潮社)では、坂本龍馬に創造性はなかったと厳しい。たしかに薩長同盟を見出したのは、中岡慎太郎と土方久元であり、龍馬はのちに賛同してきた。とはいえ日本人にとっての龍馬像が揺るぐことはないだろう。頼山陽が3か月滞在した部屋を案内していただけば、そこで吉村昭さんが食事をしたとのこと。おいとましようと玄関先を出たとき「あっ」と声を出してしまった。梅が一輪咲いていたからだ。春近し。まだ時間があるので太田誠彦さんお勧めの「安楽子」へ。何とここにも吉村さんは通っていた。お勘定を済ませて電車通りに向かうと雪が舞ってきた。