有田芳生の『酔醒漫録』

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山拓V安倍の茶番劇はもういい

2008-06-30 05:32:34 | 政談

 6月29日(日)雨の日曜日。中島みゆき、小椋佳を聴きながら、「週刊読書人」に掲載される服部真澄さんとの対談原稿に手を入れる。練馬まで歩いていくつかの商店街にご挨拶。「あら、テレビで見なくなったと思っていたら事務所を開いたんですってねぇ」といった声いくつか。商店街は噂社会なのだ。新宿で雑用。三越のジョアンでパンを買って池袋。平和台に向かうも電車はまた遅れる。副都心線ができてからというもの、乗った電車がなぜか必ず遅延なのだ。小竹向原で二つの路線が合流するからだろう。これまでは急行も準急もなかったから、麹町、有楽町に向かうときに人身事故以外はほとんど遅れがなかった。もっともローマなどで2時間も列車が遅れても意に介さない国民性に比べれば、日本人は時間にきっちりしすぎているところがある。まさに民族性だ。パンクチャルであることは悪いことではない。恐れるのはいつかこれでは事故が起きないかという問題だ。先日も小竹向原の前で電車が停車。その横を急行が通っていった。コンピューター管理だと聞いたが、どうも不安が募る。多田富雄さんと石牟礼道子さんの対談を読んでいて、想念は北朝鮮問題に向かった。水俣で人間を破壊したチッソの企業責任はもちろんのこと、国や県の責任も問われた大問題は、いまだ解決していない。その有り様を美しくも哀しい筆致で綴る石牟礼さんの書簡にこんな表現があった。「経済の高度成長を国策とするなら、ワリを食うものをあらかじめ決めておきたいという発想があるのではないか」。この「経済の高度成長」を「日朝国交回復」に代えるなら、「ワリを食う」のは拉致被害者とその奪還を切望する家族である。もちろん政府や政治家は北朝鮮との外交交渉をすることによって拉致問題を解決しなければならない。しかし拉致問題の全面的解決は金正日体制が崩壊しないかぎり実現などしない。したがって被害者家族や支援者のなかに「金正日政権打倒」を主張するのは当然のことである。ハンナ・アーレントの「全体主義」理論からいっても、北朝鮮民衆や拉致被害者の立場に立てば、「打倒」をスローガンとすることは断じて正しい。しかし、政治家がそれをいうのが間違いであるのは、17世紀のウェストファリア条約を持ち出すまでもない。民族自決の原則からいって「革命の輸出」ができないのと同じことである。北朝鮮問題をめぐってはかくのごとく二重構造がある。そこに政治家の思惑が入ってくるから余計にややこしくなっている。山崎拓議員と安倍晋三議員の対立も、利権VS観念の世界。威勢のいい台詞を語るだけで何らの成果もあげずにプッツン退場した無責任な安倍ちゃんには、もはや拉致問題など語って欲しくはない。政府がおかしいのはこれから全国で開かれる拉致問題の集会で「打倒」を主張する専門家を排除していることだ。拉致問題は全国の心ある人たちが多くは支えてきた。そこに政府があとから入ってくることで言論が制限される。政府は地方で行われる集会にかかわるべきではない。私は日朝国交回復交渉を進めるなかで拉致問題解決の道を摸索することが現実的な路線だと思っている。


「有田塾」募集中

2008-06-29 10:59:02 | お知らせ

【第6回有田塾】

 【講師】
加藤タキ さん(コーディネーター)。 Photo_2
 【テーマ】「自分らしく輝いて生きる」

 【日時】8月30日(土)午後2時から4時
 【場所】練馬区役所本館20階「交流会場」
    (西武池袋線練馬駅下車、南口から7分)
     電話 03-3993ー1101
 【参加費】1000円(資料代をふくむ)
      当日御持参下さい。


 

 加藤さんは国際感覚と主婦感覚を合わせ持つ女性として好奇心旺盛にさまざまな問題に取り組んでいます。
 著作には「加藤シヅエ104歳の人生」加藤シヅエと共著(
2002年、大和書房)、「加藤シヅエ凛として生きる」加藤シヅエと共著(2002年、大和書房)、「素敵な女性になる!」(2005年、大和書房)などがあります。

 お申し込みはメールで新党日本東京都第一支部まで。定員60人。先着順。
 

 第1回 有田芳生(3月29日、終了)、第2回 南美希子さん(4月26日、終了)、第3回 服部真澄さん(5月24日、終了)、第4回 森達也さん(6月28日、終了)、第5回 森まゆみさん(7月26日、終了)。


テロ対策の異常警備はおかしい

2008-06-29 09:37:09 | 立腹

 6月28日(土)第4回の「有田塾」は盛会に終わった。講師の森達也さんは会場に早く来てくれたのでお互いの近況を交わす。森さんにはこれからの執筆計画や昨年の参議院選挙での幻に終わった斎藤貴男さん擁立計画のことなどなどを聞いた。講演の最初はテロ対策のために異常警備が行われていることを自身の職務質問の経験から語った。そのとおりなのだ。長女が帰国して池袋を歩いている昨夜のこと。食事をするのに荷物が重いのでコインロカーに入れようとした。いくつかを探したがすべて閉まっている。駅員に聞いたところテロ対策だという。よく見ればコインロッカーの端っこに小さな紙が貼ってあった。27日から洞爺湖サミットが終わるまで閉鎖するとあった。おそらく日本中のコインロッカーに同じ処置がされているだろう。高齢者などが重い荷物を預けたいということもあるだろう。ところが一律管理の警備が当り前のように行われている。滑稽でもあり、異常でもある。いったいどこで決めたのだろうか。タクシーに乗っても後部座席はシートベルトをすることを求められる。昨年イギリスでシートベルトをするように言われたときは、「こういう国もあるんだな」と思っただけだった。安全のためには確かにそれでいい。ただし、疑問がある。いったい法律改正が、いつ、どのように議論されたのか。それをどれだけの人が知っていただろうか。国民生活に直接かかわる問題がいつの間にか実現している不気味さ。タクシードライバーに聞いても「国会で決めたんでしょ」というだけ。テレビを見ればグルメに旅に、低俗お笑いばっかり。もっと報じるべきことがあるだろう。まさしく「悪魔」ならぬ「善魔」が横行する。練馬の事務所に戻ってスタッフとこれからのことを打ち合わせ。帰宅してパソコンを見れば、ミクシィにMさんからメッセージ。それを読んで驚いた。練馬高野台駅で声をかけた視覚障害者はシンガーソングライターだった。立道聡子さんで26歳。すでにフジテレビの「スーパーニュース」などにも登場しているそうだ。テレビ世界から路上の世界に移動して1年。この出会いの数々がとっても貴重だ。


諌早干拓事業についての画期的判決

2008-06-28 09:11:21 | 政談

 6月27日(金)練馬高野台駅で訴えているときのこと。朝の駅頭に立っていると、どこでも視覚障害者を必ず見かける。今朝はすぐ横を若い女性の視覚障害者が1歳ぐらいの赤ちゃんをおんぶして歩いていた。白杖で歩行ブロックを探しているのだが、右か左かを迷っていたので、声をかけた。タクシー乗り場に行きたいという。そこまで案内して、再びマイクで話をする。タクシーが来たところで再び介助。歩行環境にはまだまだ問題が多い。音声や触覚による移動環境が充分には整備されていない。位置確認ができるソフトの開発は急務だ。練馬駅前、中村橋駅前での長い「辻説法」では話の構成をこれまでとは変えたみた。すると聴衆の反応が明らかに違う。伝える事実は同じなのだが、論理構成を組み替えるだけで、届く力が変化する。立ちどまる人数で判断すればそう思わざるをえない。言葉というものは組み合わせによってエネルギーが増幅するようだ。しばらくはこの基本パターンを続けてみることにした。今日の締めくくりは宮沢賢治を引用して、古い政治家には日本を変えることなどできないことを語る。池袋で家人、二女と待ち合わせて成田空港。アメリカに留学している長女が1年半ぶりに一時帰国する。空港に着くと利用便は予定時刻より30早く到着していた。やがて到着ゲートから出てきたので空港内の喫茶店でおしゃべり。再び池袋へ。長男に電話をすると仕事が終わらないという。仕方なく4人で食事。服部真澄さんから「世の中は捨てたものじゃない」とメール。諌早干拓事業について佐賀地裁が排水門を5年間開門せよと命じたからだ。服部さんの新作『ポジ・スパイラル』は、まさに諌早湾の調整池を海に開くというもの。小説の構想力が現実に先んじた。巨大公共事業が農業と漁業の被害をどれほど大きくしているか。政府は控訴をすべきではない。


歴史は「最も残忍な女神」なのか

2008-06-27 06:24:42 | 随感

 6月26日(木)役員会を終えてタクシーで新宿へ。運転手さんが「お久しぶりです」というので、前にも乗ったことがあるのかと思ったらそうではなかった。「ザ・ワイド」をよく見ていたというのだった。そういえば番組が終わってからもう9か月にもなる。新宿御苑にある小林クリニック。看護士さんが注射をするときに「あれっ」。普通は針を刺すと「(血管に)引っ張られる」のにそれがないという。「脱水ですよ」と言われた。日に焼けた顔がカサカサ。特製の化粧水をつけてもらうとヒリヒリする。新橋でゆっくりして銀座まで歩いて教文館。明治の華族制度の研究者でもある文藝春秋の浅見雅男さんと出会った。石牟礼道子さんと多田富雄さんの往復書簡集『言魂』(藤原書店)を入手。壹眞珈琲店で読書。多田さんの「受苦について」、石牟礼さんの「なふ、われは生き人か、死に人か」まで読んで、どうして「苦海」が「浄土」なのかが少しだけわかった。「苦海」に生きることを受容することではじめて見えてくる世界がある。石牟礼さんや多田さんにとっては、それが「浄土」だったという。受容することは仏教的な理解でもあるのだろう。浜松町で家人と待ち合わせて劇団四季の「思い出を売る男」を観る。戦後すぐの日本が舞台。創設メンバーの日下武史さんの演技がすごい。「演じている」のではない自然さがあるからだ。「辻説法」への大きなヒントを与えられた。銀座4丁目を歩いていると、街頭の大型テレビに横田早紀江さんの顔が映っていた。アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除のニュース。日本政府の無策を取り残して歴史は回る。「歴史はあらゆる女神の中でも恐らく最も残忍な女神であろう」というエンゲルスの言葉を思い出した。松本サリン事件からも14年になる。


園遊会に招かれていたテレサ・テン

2008-06-26 08:04:23 | 人物

 6月25日(水)早朝から夕方までの「辻説法」は富士見台駅から。8時をすぎたころ自転車で女性がやってきた。「息子がメールで教えてくれたんです」という。メールの便利さはこういうところもある。「おはよう」の声に振り向けば、連続3回してお会いしている男性だった。練馬高野台では父親に連れられた3歳女児に握手を求められる。「ガンバってねぇ~」にホッとする。驚いたのは光が丘。秋葉原事件など、日本社会の現状と打開策を語っていたとき、背広を着た高齢男性がじっと聞いてくれていた。終わったところでご挨拶に行ったところ泣きだしてしまったのだ。「ガンバってください」と言うとすぐに立ち去ってしまった。生命の絶対的価値を中島みゆきさんの「永久欠番」などを引用しながら語っていたから、きっと何かの言葉と共振したのだろう。つらい想い出を呼び覚ましてしまったのなら申し訳ない。ジムに行って泳ぐ。渋谷から品川。舟木稔さんと待ち合わせて食事。『私の家は山の向こう』の韓国語版について打ち合わせ。さらにテレサ・テンのイベントを来年はどうするかを相談。立体映像のメモリアルコンサートをマカオで開催する計画はまだ生きている。それを日本全国で行うこともひとつ。テレサが園遊会に招かれていたことをはじめて知った。「時の流れに身をまかせ」などがヒットした全盛期のころ。香港にいたテレサは招待を最初から断っていた。中国の桂林に完成したテレサ公園のオープンもまだ少し時間がかかりそう。


「どうして人を殺してはいけないのか」

2008-06-25 06:33:49 | お知らせ

後期高齢者医療制度のルポや秋葉原事件でのコメントが次のように掲載されました。「週刊朝日」の新聞広告では、弘兼憲史さんの書いてくれた似顔絵が登場。ほかの方々の顔が写真なので、新鮮な印象がありました。

「週刊朝日」 2008/7/4号(2008/6/24発売)
有田芳生が行く!徹底検証 後期高齢者医療制度と“闘う”
医療費自己負担「ゼロ」の村 前編

「週刊女性 」2008/7/8号(2008/6/24発売)
「どうして人を殺してはいけないのか」


幸田シャーミン「パワーハラ」と闘う

2008-06-25 05:59:45 | 人物

 6月24日(火)080624_12430001 広島から東広島へ。安浦の「グリーンピアせとうち」。広大な敷地にある施設はまさに無駄遣いの象徴のような威容。在日韓国婦人会の研修会で講演。前の講演者は野村沙知代さん。久々にお会いする。サッチー騒動の異様さは、いま振り返っても複雑な思いあり。野村さんが逮捕されてからというもの、友人、知人たちは潮が引くように去っていったらしい。広島から羽田。ホテルニューオータニのガーデンコート。湯川れい子さんに声をかけられて、食事をしながら幸田シャーミンさんの話を聞く。幸田さんが国連広報センターの所長に就任したのは2年ほど前。たまたまある会社が倒産したことをきっかけに不正経理が発覚。それを調査しようとしたところ上司からパワーハラスメントを受けて、最終的には問題を明かとするために退職した。その事情については『文藝春秋』7月号の手記に詳しい。問題の構造はどうやら前々から存在していたようだ。それが明らかとなることを恐れた「勢力」が問題の隠ぺいを計ったのではないか。ある女性ジャーナリストなどは「7人の職場さえ把握できない」幸田さんの人心把握力を指摘しているようだが、そういう水準の問題ではない。会合は日本ユニセフ協会の会長に就任した赤松良子さん、細川佳代子さん、大河原愛子さん、木全ミツさん、今野由梨さん、水野葉子さんと女性ばかり。女性8人のなかに男性ひとり。何だか時代の趨勢が反映しているかのようにも思えたのは、みなさんとてもお元気だからだ。


雨の松江駅の寂しくも意気高き想い出

2008-06-24 08:10:06 | 随感

6月23日(月)080623_18590001 沖縄「慰霊の日」。早朝の「辻説法」は中村橋2時間。ひょっとしたらいるんじゃないかとわざわざ聞きに来てくださる方あり、ありがたい。いったん自宅に戻って本部で実務。羽田から広島。お好み村の「水軍」。中国新聞の畑矢健治さんと会った。昨年の参議院選挙のとき、松江駅で訴えた。小雨が降っていて聴衆はただ一人。それが当時の松江支局長だった畑矢さん。世代も同じ。今夜いただいた写真は貴重だ。誰も聴衆はいない。そこで訴える有田芳生の後ろ姿。これが現実だ。しかし、ここからはじまった。


佐藤立志氏逝去

2008-06-23 10:46:28 | 人物

 テレビでご一緒したこともある佐藤立志さんが亡くなった。同世代ゆえの深い悲しみがある。キャバクラが好きだった佐藤さん。子どもさんを亡くしたつらさを胸に秘めつつ、粘っこい取材を行っていた保険ジャーナリスト。生還すると書いた日記がまた哀しい。

2008/06/22 (日)
 佐藤立志氏逝去

6月19日午前9時27分、保険評論家の佐藤立志さんが東京都内の病院でお亡くなりになりました。55歳。葬儀は近親者で行われました。
常に軸足を弱者においた報道姿勢には定評があり、各マスコミ媒体でもご活躍されました。
6月20日付の同日記は、危篤状態に陥る前に佐藤さんが書き残したメモです。遺品のなかから見つかり、ご遺族の方から託され更新しました。
弱者救済??保険評論家、いち個人として、この信念を貫かれた佐藤さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌。(友人一同)