有田芳生の『酔醒漫録』

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「明日への遺言」の岡田資中将

2007-10-31 08:28:23 | 映画

 10月30日(火)晴れ。新橋で「明日への遺言」の試写を見る。来年3月1日にロードショーされるこの映画をひとりでも多くの日本人に見てもらいたい。BC級戦犯に問われ、1949年に絞首刑となった岡田資中将を描いた作品だ。原稿の締切りを抱えながら、どうしても見なければならないと思ったのは、進捗はばからない単行本『X』のことがとても気になっていたからだ。机の前の本棚にはテレサ・テンの写真の横に旧制高知高校時代の木村久夫さんの写真が飾ってある。「いまはいいよ」という言葉が聞こえてくるようだ。映画の最初には無差別爆撃を禁止したハーグ国際条約や、それにもかかわらずに実行されたドレスデンや南京などなどへの爆撃による悲惨な映像が淡々と悲しくも流される。幼児を抱えたまま黒焦げになった母親や遺体の山は1945年3月10日深夜にアメリカ軍の無差別爆撃を受けた東京の光景だ。一転して岡田中将を演じる藤田まことが映し出される。戦犯裁判の不条理、それを見守る家族の哀愁と悲しさ。妻を演じた富司純子の表情は黙すことで多くを語っていた。部下の責任を一身に背負い、最後まで毅然と生きた岡田中将の姿は清々しい。

 木村久夫さんの上官はすべての罪を部下に押し付けたのだった。こうした作品はできるならばすべての中学生以上の子供たちに見せるべきだと思う。監督は「雨あがる」「博士の愛した数式」の小泉尭史。午後1時半からのマスコミ試写会とはいえ、観客はあまりにも少なすぎる。わざわざアメリカから主要登場人物が来日しているというのに。関係会社は無理をしてでも動員をすべきだっただろう。上映前に会場で大声で話をしている関係者たちも気になった。一般試写会では見られないモラルなき光景がマスコミ試写ではしばしば見受けられるのはなぜなのだろうか。上映が終わり朝日新聞社へ。「週刊朝日」の編集部で山口一臣編集長などと打ち合わせ。日本橋の丸善、そして高島屋。池袋に出て大山。カメラマン澤田篤さんのスタジオでポスター用のポートレイトを撮影。「ニューヨーク・タイムズ」に多くの人たちの協力で掲載することができた意見広告のデザインをしてくれた田辺至さんも同席。いくつかのアングルから撮るとイメージが変わるから面白い。斬新なポスターがきっとできるだろう。


草野仁対談で亀田問題を語る(予定)

2007-10-30 08:38:08 | 人物

 10月29日(月)快晴で汗ばむほどの一日。午前中に「週刊ポスト」の推敲原稿を編集者にメールで送る。午後から新党日本の東京第一支部。これからの街宣活動などの打ち合わせ。午後2時からボランティアスタッフのMさん、D君が党の車で街宣に出発。私はヘッドオフィスで国会の証人喚問をしばらく見ていた。与党の緩い質問にはまったく期待などしなかった。野党議員になったとき、山田洋行の元専務といっしょに国会議員も会食したかといきなり訊ねた。守屋武昌氏はしぶしぶ「そうした記憶がある」と答えた。当然「誰ですか」と畳みかける。これでよし。そう思ったが質問はそこまで。守屋氏が「相手のこともありますから」と答えたところで次の質問に移ってしまった。何だこれはと呆れてテレビを見るのをやめた。同席した国会議員の名前を言えないにしても質問はできるだろう。いつのことか、何度かそういうことがあったのか、防衛族ではなかったのか、どんな話をしたのか、内容を言えないというのならなぜか……。質問を深めることはいくらでもできたはずだ(あとの野党議員の質問で防衛庁長官経験者だとわかる)。こんなものかと本部を出てデーブ・スペクターの会社に向かう。雑用を済ませ、文藝春秋の前にある紀尾井茶房で読書。ジムで泳ぎ、歩く。いけない。原稿の締切りが二つあった。慌てるものの、締切りを延ばす理由を探していた。亀田ファミリーの問題は、その評価をめぐってテレビなどで引き続き議論百出。TBSがイメージを作り上げてきた亀田兄弟を、こんどは日本テレビが「救いあげる」といった噂話がまことしやかに流れている。近く草野仁さんと対談をすることになった。ワイドショーの功罪の生きたサンプルとしてこの問題を取り上げる。「ザ・ワイド」がもしいま続いていたならば、そこでどんな扱いをしたかなども話題にするつもりだ。「草木もなびく」日本文化の問題がここにあるはずだ。


『憎まれ役』は面白い

2007-10-29 09:31:59 | 読書

 10月28日(日)台風一過の快晴。午後から二女の学園祭へ。舞台でダンスミュージックを踊りながらソロで歌うのを見ていて、幼いころの大人しさとの落差に改めて驚く。何人もの演奏やダンスを見つめつつ「若いっていいな」と実感するのだった。小林よしのりさんの『遅咲きじじい』(小学館)の主人公は62歳の遅咲散太郎。「東大一直線」「おぼっちゃまくん」の高齢社会版ギャグ漫画だ。そこまで戯画化されなくとも、理屈ではなく「若さ」とは美しいものだと遅咲散太郎でなくとも思うのであった。家人と池袋。遅くなったので20代からときどき顔を出す「萬屋松風」で食事をする。奈良県の梅乃宿酒造が出している日本酒で漬けた梅酒「鶯梅」が美味しい。酒飲みの予感としては、いずれ焼酎ブームが梅酒ブームに転換するのではないかと思っている。駅まで歩く途中に昔の映画のポスターがぎっしり貼ってある店があった。今日の電車での読書は服部真澄さんの新連載小説「ポジ・スパイラル」。「小説宝石」を送ってくれたので一気に読んだ。

071028_20150001  テーマは環境問題。官僚の不可解な死と魅惑的で知的な大学助教授の関係。テレビのエンターテインメント番組で活躍するタレントの深く隠された過去の人生。服部ワールドは現代の世界的問題を大きな枠組みとしつつ、おそらく人間の生き方を描いていくのだろう。池袋リブロでふと野中広務さんと野村克也さんの対談『憎まれ役』(文藝春秋)を手にした。ぱらぱらと見ていると野中さんの「負けを覚悟して出馬した衆院選」という見出しのこんな記述が眼に入った。「当時の京都は共産党の全盛期です。補欠の二議席を単純に割っても、自民党と共産党が一議席ずつとる勘定です。対立候補は、自民党が谷垣禎一さん。共産党は有田光雄さん(ジャーナリスト有田芳生さんのお父上)」「いったんは地元のテレビ局で共産党に当選確実の報道がでました」。このシーンを読んでいると1983年の「あの夜」のことがいまでも鮮明に思い出される。そうかあのとき野中さんは58歳だったんだ。24年前も昔のことだ。


不破哲三と志位和夫

2007-10-28 09:41:57 | 政談

 10月27日(土)台風の影響で雨。都内某所。統一教会に反対する父母の集まりで30分ほど時間をもらって報告する。参議院選挙に出る前に支援をお願いしたのもこの会合だった。子供たちが霊感商法で知られる統一教会に入ったことがわかり、その脱会のために全国から定期的に集まっている。いま沖縄で「マザーアース」という印鑑販売会社の店長と店員(いずれも信者)が警察に拘束されている。印鑑を売った客に天運石(大理石の壺)を売りつけたことが特定商取引法違反に問われた。いまでもこのように霊感商法は続いているのだ。今回話をしなければと思ったのは、山崎浩子さん脱会の事実が最近の霊感商法被害弁連の全国集会で歪んで報告されたと聞いたからだ。このスリルに満ちた経過については『脱会』(教育史料出版会)で詳細に書いたが、もちろん明らかにできなかったことも多い。そのひとつが愛知県岡崎市の杉本誠牧師に山崎さんの姉がつながる経過だった。表に出ていない多くの人たちの努力があって山崎浩子さんは脱会できたのであった。全貌を知っている者としては、小さなことでも事実と異なることが広がるのは避けたいと思うのだ。地下鉄丸ノ内線で池袋。車内での読書は「人生はきれいな涙であふれてる」と「普通の人の普通の生き方」を綴る上原隆さんの『胸の中にて鳴る音あり』(文藝春秋)。「人間、みな、ちょぼちょぼやで」という小田実さんの言葉をふと思い出した。

 「おもろ」で常連と雑談。演劇評論家の江森盛夫さんからコピーをいただいた。絓秀実さんが『en TAXI』に書いた「『敗北の文学』の結論」と題した宮本顕治氏への追悼文だ。「赤線を引いたとこを見てよ」と江森さん。そこにはこう書いてあった。「現在、ジャーナリズムで活躍している高野孟、宮崎学、有田芳生らも属していた70年代の『新日和見主義』(新ヒヨ)グループーーそこには、やはり今やジャーナリズムで著名な経済学者やドルージアンも所属していたーーは、ミヤケンに期待して裏切られたグループであったと言って良い」。「これ、違いますよ。宮崎さんも僕も『新日和見主義』(新ヒヨ)グループではありませんから」そう言ったところ「いいじゃない。書かれるうちが華なんだから」と店主のヒデキさん。うーん、そんなものか。ここにある「経済学者」は誰だかわかるが「ドルージアン」(何だこの言葉はと調べてみたらドゥルーズ専門家とでもいうことのようだ)がわからない。いま宮本顕治氏の「本質論」的情勢分析は志位和夫委員長に引き継がれているように見える。国民が政権交代への関心を強めているときに、民主党を自民党と同列に置いて単純に批判しているからだ。それに対して不破哲三氏は中央委員会での公開されていない発言のなかで、いささかニュアンスの違う分析を行っている。不破氏の「ボクは違うな」という声が聞こえるようだ。


亀田興毅謝罪会見の気持ち悪さ(3)

2007-10-27 09:39:55 | 立腹

 10月26日(金)朝からの雨あがる。午後4時半から池袋「おそめ」で取材があった。50歳以上の「枯れ線」(というらしい)男性の生活と思いを一冊の単行本にするという企画だ。20歳代から30歳代の女性読者がターゲットだという。「成熟」か「枯れ」なのか。その微妙な淡いでいまを生きているという自覚がある。撮影とインタビューが終わり、江戸細工のような料理を日本酒で楽しむ。女性インタビュアーのSさんも女性デザイナーのSさんも日本酒や焼酎に詳しいので、いささか驚いた。焼酎の「兼八」や「まんこい」が好きだと私が言えば、その味を知っていたからだ。店主夫妻とも歓談して店を出ると5時間が過ぎていた。亀田興毅会見の話題が広がっている。コメント欄でさまざまな意見が述べられているように、ことほど左様に「ひとつの事実」さえ見解はわかれる。そもそもの出発点は亀田ファミリーとそれを利用したTBSを中心とするマスコミの問題だ。そして内藤大助選手との酷い試合への社会的批判の段階があった。週刊誌も亀田バッシングを強める。やむなく謝罪会見に出た亀田史郎氏の態度への批判が高まり、協会も厳しい態度を迫られた。そして処分発表とともに亀田興毅選手の記者会見。この流れで見れば、亀田史郎氏を頂点とするファミリーの狼藉ぶりが批判を招くのは当然のこと。しかし、20歳の興毅、18歳の大毅といった息子たちは、ボクシング選手である社会的責任は負わざるを得ないにしても、いわば父親に「マインドコントロール」された存在である。原理主義的にいえば、当然最大の責任ある亀田史郎氏が記者会見に出てきて、できるかぎりの事実を明らかにして謝罪をすべきだ。推測するに「打たれ弱い」彼は、会見に出る勇気さえ持ち合わせていないのだろう。そこで興毅が矢面に立つことになった。

071021_15070001  語るべき言葉も少ない彼は、その持てる社会性のなかで精一杯マスコミに答えたはずだ。そこに欺瞞などを感じるならば、それは人間理解の違いとしかいいようがない。あの眼を赤くし、いまにも涙を落とすかといった情況を鼻をぴくつかせることでこらえていた姿に、ウソはないと私は見た。あのぐらいの言葉しか、亀田興毅の辞書にはないのだ。私が関心を持っているのは、そんなことよりも会場で追及するマスコミの態度であった。「もし自分がそこにいるならば」と思いながらしばし画面を見つめていた。インタビューとは変幻自在なものでなければならない。相手との関係において臨機応変に対応すべきものなのだ。私なら最初は準備した厳しい質問を投げかける。ところが演技ではなく、相手が泣き出しそうになったなら、そこで質問に変化球を持ち出す。インタビューとはとことん相手を追い込むのが目的ではなく、相手の胸のなかの湖面に水路を引くことで真相に迫る言葉を引き出すことだからだ。どうしてこういう事態に置かれることになったのか。それを本人が「外側」からではなく「内側」から理解できるようにすることこそ必要なのだ。亀田興毅という将来あるボクサーを育てるのかつぶすのか。潜在的にもそうした立場で聞くかどうかで質問はわかれる。私はあの記者会見の「魔女狩り」的雰囲気にはどうしてもなじめない。この日本はいつから「寛容の精神」や「優しさ」が消失したのだろうか。これまた日本民族の「自己責任」だな。


亀田興毅謝罪会見の気持ち悪さ(2)

2007-10-26 14:31:08 | 立腹

10月26日(金)原稿を書き、疲れたら小説を読んでいた。亀田興毅記者会見の不愉快さは後を引く。同時間帯にNHKでは国会中継。同じ時空間にあってのこの落差。「群衆は、ある種の危機から生まれる」とは今村仁司さんの言葉だ。本当の危機が、どうでもいい「危機」に隠されていく。今村さんの『群衆ーーモンスターの誕生』(ちくま新書)にシラーの警句があった。「だれも、ひとりひとりみると/かなり賢く、ものわかりがよい/だが、一緒になると/すぐ、馬鹿になってしまう」。エキセントリックな異端尋問の「群衆心理」ほど気持ち悪いものはない。藤原新也さんは「敵は本能寺にアリ」というエッセイのなかで「魔女狩りのように亀田憎しの感情」に触れている。さて原稿に戻らなくっちゃ。外にはまだ雨が降っている。


金大中事件と日本人拉致事件の背景

2007-10-26 10:54:59 | 随感

 10月25日(木)秋晴れの一日。夜遅く代々木「馬鹿牛」へ。有線放送で宇崎竜堂さんなどを聴きながら、店主の息子、笑之介と遊ぶ。JR代々木駅のホームでは30歳前半のときそうしたように池袋方面行き後部で電車を待った。今日は新党日本の役員会。田中康夫代表の国会初質問や私の街宣行動などを語り合う。平山誠総務局長と近所の喫茶店で雑談しばし。近くにある文藝春秋へ行き、「週刊文春」の鈴木洋嗣編集長と雑談。「亀田一家崩壊」を特集した前号は完売だった。もちろん亀田問題だけでなく、紀元会事件やTBSの「朝ズバッ!」スタッフの女子アナ盗撮事件などの記事などが関心を呼んだのだろう。単行本の編集部で上原隆さんの『胸の中にて鳴る音あり』を入手。資料室でいくつかの調べもの。時間ができたので知人から勧められたクリニックでプラセンタを注射する。疲労回復にいいという。保険が効くので1回が600円ほど。いまでは飲まない高い健康ドリンクよりもずっと安い。神保町へ。金ペン堂に顔を出して東京堂書店。久しぶりに坪内祐三さんと出会った。佐野衛店長に頼んで近くの取次店へ。辺見庸さんの書き下ろし『たんば色の覚書 私たちの日常』(毎日新聞社)を購入。「あとがきのかわりに」書かれた「痛みについて」は「都内の病院で」とあり気になる。表参道のジムで1時間ほど泳ぎ、歩く。青山一丁目から大江戸線に乗り換えるとき、エレベーターで2人の男子高校生とすれ違った。「あの人テレビに出てるんだよ」「えっ」という会話が聞こえた。驚いたのはそのあとだ。「ほらオウムで出ていたんだよ」というではないか。この世代でどうして……。もしかしたら「ザ・ワイド」が最終週で特集した映像を見たのかも知れない。新宿パークタワーでフォーサイトクラブ・セミナーに出席。講師は産経新聞論説委員で韓国滞在歴27年の黒田勝弘さん。テーマは「韓国大統領選挙のゆくえ 朝鮮半島のゆくえ」。金大中事件と北朝鮮による日本人拉致事件は性格が違うが、いずれも国境感覚がないことを示しており、そこには日本による植民地支配のツケがあるという見方が新鮮だった。


亀田興毅謝罪会見の気持ち悪さ

2007-10-26 09:47:47 | 立腹

 10月26日(金)雨。昨日の日記を推敲して更新しようと準備をしていて、ふとテレビを見た。亀田興毅選手の謝罪記者会見が中継で行われている。背広にネクタイ姿。それほど社会性のない、まだ20歳の青年の気持ちがそこに現れていた。執拗に厳しい質問を繰り返すリポーターに、亀田選手は眼を赤くして精一杯答えようとしていた。ところが「いじめ」のごとく、質問者たちは亀田をネチネチと追いつめていく。スタジオにいるコメンテーターたちの顔が画面に小さく映される。追いつめられる20歳の青年を見て笑顔のコメンテーターもいる。私は不愉快になりテレビを切った。亀田史郎氏のボクシングは破綻した。それは当然だろう。しかし「絶対の正義」の気持ち悪さ。20歳のボクサーを攻撃するというよりも、能力ある若者を破滅に追いやろうとしているとしか見えないからだ。中島みゆきの「Nobody Is Right」の歌詞が心に浮かんできた。「その正しさは気分がいいか/正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」。私は記者会見場に行って、いまそこに立ちすくむしかない亀田興毅を擁護してやりたくなった。


東京都内での街宣スタート

2007-10-25 08:58:34 | 政談

 10月24日(水)「そうか、あれから3か月になるんだな」そう思いながらマイクを手にした。午後から平河町の新党日本のヘッドオフィス。簡単な打ち合わせをして街宣車に乗り込んだ。麹町を経て四ツ谷から新宿へ向かう。消費税増税に反対する私たちの立場と、田中康夫代表が長野県で実現したように借金を減らしながら福祉、教育を充実させることは可能だと訴える。新宿アルタ前を通るとき、若い女性が大きく手を振ってくれた。最初は誰かに向かって合図をしているのかと思ったけれど、スタッフのFさんが私たちに向かってだと教えてくれた。私も手を振ると、横断歩道を渡りながらずっと手を振ってくれる。都庁前から代々木、原宿、渋谷、目黒、世田谷、千代田、品川と走行。タクシー運転手、車内のお客、歩行者などが声援を送ってくれた。先週から私が吹き込んだテープを流しながら都内各地をスタッフが回ってくれている。今日を起点にして街宣車で都内をくまなく走ることにした。「あれっ」と変化を自覚したのは、マイクを媒介にした身体と訴えとの親和性だ。言葉でうまく説明することが難しい。

071024_16360001  品川駅で降りてパシフィックホテル東京で舟木稔さんと会う。築地玉寿司で食事をしながらテレサ・テンに関する打ち合わせ。台湾で行われた基金会の理事会での様子やこれからの中国大陸での催しの事情と現状を聞く。商業ベースでは台湾と中国との間ではいささか緊張があるようだ。たとえば今年の4月に北京で開店した「北京三越」をめぐる問題がある。正式名称は「新光天地」。北京華聯集団と台湾の新光三越百貨店の共同出資だ。その「新光天地」の社長である新光三越の総経理が「国家重大商業機密」を漏洩したとして公安当局に逮捕され、百貨店が乗っ取られた。こうした事情が桂林でのテレサ・テン記念館の正式オープンにも影響を与えている。フジテレビのテレサ特集は、担当者が私の著作を参考にして進めていると舟木さんに語ったそうだ。ちゃんと読んでいてくれれば、歴史の小さな偽造は起らなかったのになと思う。パシフィックホテル東京のセラーバーへ。舟木さんは引退してからの人生を5年計画で過ごしてきたという。大いに参考になる話だった。


春画は日本の文化遺産

2007-10-24 10:07:08 | 酒場

 10月23日(火)今朝見ていた「とくダネ!」で放送されたテレサ・テン特集を見ていて思った疑問は、その直後に書いた通りだ。そのなかで芸能リポーターの前田忠明さんがテレサの葬儀に行ったと語っていたけど、あれ、そうだったかなあと首をかしげたものだった。私はテレサの関係者として葬儀に参列した。当時の日本はオウム報道一色。芸能ものはほとんど報道されない情況にあった。香港のテレビ局の過熱取材を目の当たりにして驚いたが、日本からのテレビ取材はほとんどなかった。日本テレビとフジテレビのクルーがいたことは舟木稔さんからも確認した。そこにはたして前田さんはいただろうか。こんど会う機会があれば聞いてみようと思う。中島みゆきの「I LOVE YOU、答えてくれ」を何度も流しながら新書の原稿執筆と「週刊ポスト」原稿の推敲を行う。午後1時から参議院総務委員会で行われた田中康夫代表の初質問をインターネットで傍聴。地上デジタル放送が行き渡ることで、これまでのアナログ受信機での視聴者が困る事態はないのかと鋭く質問。ところが答弁側は抽象的言葉で努力を語るだけ。もっと時間があればなと思った。そのためにも党勢拡大は至上命題である。

112  夕方まで原稿を書き、日比谷。田中代表との打ち合わせまで時間があったので、帝国ホテルのオールド・インペリアル・バーへ。客は多く、空いているカウンター席に案内されたところ、何と隣には浮世絵春画の画商で知られる角匠さんがいた。ビールを飲みながら北斎や春信の話を聞いた。日本から浮世絵が流出したのは明治時代だったという。春画の価値が明治政府に理解されなかったそうだ。多くはフランスのパリへ流れ、ジャポニズムとして高く評価される。モネの自宅はいたるところに浮世絵が飾ってあったという。フランスから8割がドイツに流れ、そのうちの2割がロンドンへ。いまでは日本の文部科学省も予算を組んで浮世絵などの買い取りを行っているようだが、まだまだ海外に流出したままの作品は多いそうだ。2009年にはロンドンの大英博物館で春画展が開かれる予定と聞いた。午後6時半から田中さんと打ち合わせ。終ってから銀座コリドー街で「週刊新潮」のI記者と企画の打ち合わせ。帰宅して「映画ドラえもん」の『のび太の結婚前夜 おばあちゃんの思い出』(小学館てんとう虫コミックス)を読む、というか見る。いま大人世代にも広がっているアニメだ。たしかに胸にジンとくる。