有田芳生の『酔醒漫録』

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大山での快活な一夜

2007-07-31 13:25:25 | 随感

 7月30日(月)開票を待った都市センターホテルを出て麹町へ。朝昼兼用につけ麺を食べる。文藝春秋の近くにある紀尾井茶房で松井清人さんと会う。しばし中断していた単行本『X』について打ち合わせ。汐留の日本テレビへ。久々に「ザ・ワイド」出演。舛添要一さん、原口一博さん、平沢勝栄さんなどと選挙総括。「有田が行く」選挙版はよくできていて、苦笑いするやら涙ぐむやら。番組が終ったところで懐しい面々としばし雑談。表参道のジムへ。1000メートル泳ぎ、水中を歩く。体重を量ると68・05キロ。まあこんなものか。大山の「きざ和」で突然の飲み会。「ザ・ワイド」で密着をしてくれた「コバゾー」こと小林浩司さん、読売テレビの野瀬慎一さん、そして大山事務所の片づけをしてくれていたスタッフ、そして家人、、長男、二女の総勢10人ほどで盛り上がる。気付けば深夜。これからの生活についてはしばらく静かに考えようと思う。わたしたちが東京都で得た得票は、民主党229万6556票(38・88パーセント)、自民党153万9810票(26・06パーセント)、公明党71万8202票(12・16パーセント)、共産党55万4601票(9・39パーセント)に続く27万6339票(4・68パーセント)で、社民党25万6023票(4・33パーセント)、国民新党11万1251票(1・88パーセント)を抜いている。わたしが居住している練馬でも共産党2万8312票(8・66パーセント)に続く1万6978票(5・19パーセント)で、社民党、国民新党よりも多く得票している。誤解を恐れずにいえばあの素人集団でこれだけの得票を得たことに、新しい政治文化への兆しがあるように思える。政治の世界とは面白いもので、さっそく民主党筋から次の衆議院選挙への出馬打診があった。わたしのこれからについては明日から読む藤田省三さんの『異端論断章』(みすず書房)にすでに答えがあるような予感がある。


長い一夜が明けて

2007-07-30 09:34:21 | 随感

 残念な結果となりました。ご支援頂いた多くの方々にお礼を申し上げます。北海道から沖縄まで訴えて来ましたが、そこで直接に聞いてきた政治への期待や不満は、確実にこの身体のなかに染み込んでいます。それを今日からの新しい仕事に生かしていきたいと思っております。わたしたちは本当に小さな集まりでした。それでも177万票ほどを獲得できたことは、そこに希望を見てくださった人々がいたということだと確信しています。わたしに対して投票してくださった159814人の「思い」も深く受けとめたいと思います。いまは恩師、山口正之さんの言葉が励ましとなっています。「敗れることが恥なのではない。敗れるかも知れないことを恐れて闘わないことが恥なのである」。この開票の深夜に小田実さんが亡くなりました。人生において感慨深い一夜でした。今日は午後1時過ぎからテリー伊藤さんのラジオ番組に電話で出演、それから久々に「ザ・ワイド」のスタジオに行きます。わたしの選挙ドキュメントが放送されます。わたしたちの選挙戦を多くの人たちに見ていただきたいと思います。そこに記録されているスタッフや撮影には出てこないボランティアの方々、そして家族に深く感謝します。


選挙が終わりブログを再開!

2007-07-30 00:21:21 | 随感

 7月29日(日)生活の習慣とは大したものだ。今朝もまた早く目覚めてしまった。7時までゆっくりする。9時半に投票所へ。「ザ・ワイド」の取材あり。地下鉄に乗り池袋経由で茗荷谷。電車では吉村昭さん最後の随筆集を読む。単行本の活字が染み込むように新鮮だ。今朝起きたら声がでなくなっていた。茗荷谷クリニックで点滴1時間。喉の炎症を緩和して、体調を整えるためにニンニクを注射。自宅に戻り、記者会見用のジャケットに着替えて新宿へ。散髪をしてから紀尾井町の都市センターホールへ。午後8時から開票を待つ。自民党批判票が民主党に流れている。無党派層はどんな動きを示したのだろうか。選挙については適宜このブログを書いてきたので、近く公表したい。


さあ新しい出発だ!

2007-07-11 23:52:02 | 随感

 7月11日(水)朝から麹町の本部で実務。文藝春秋に顔を出して再び本部で田中康夫さんなどと明日の公示などの打ち合わせ。午後3時半から記者会見。選挙本番のポスターや個人ビラができてきた。新宿で竹村文近さんに鍼を打ってもらい爽快。常盤新平さんにご挨拶。再び本部で遊説スケジュールなどを決めていく。池袋「おもろ」にご挨拶。これからの行動日程は「新党日本」のホームページと、知人のHさんのブログを見ていただきたい。高校時代から敬愛している作家の中里喜昭さんから励ましのメールが来た。ここにその一部を紹介する。

 
参院出馬、ちかごろ胸のすく快挙です。有田さんにしかできない、有田さんらしい行動選択ではないか。もともと政治とは人びとの生きる営みのほぼ全般に相わたる社会行動であり、小さなセクトや狭い利害にとらわれない多くの自由な人間の参加こそ、政治を豊かにするものです。新党日本??けっこうじゃないですか。有田芳生や田中康夫は、党派に緊縛された集団の一部ではなく、それぞれに個性的で自由な人間の連帯と共生を示しています。いつでもどこでも、日本のいまを生きている人間の光った目をしていてほしい。私や友人たちは、こんどの選挙はこれまでになく投票所へ行くのを楽しみにしています。

 中里さん、そして選挙に出ると記者会見してから応援していただいた多くの方々、心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございます。さていよいよ参議院選挙。その思いをここにお知らせいたします。明日の第一声はこのような話をするつもりです。

Aritaa2poster80j テレビのコメンテーターを務めて12年が経過しました。オウム真理教と闘い、拉致問題でも行動してきましたが、この時間のなかでも日本がどんどんおかしくなっていると痛感してきました。ただ発言するだけではなく、いまここで行動しなければならない。そう判断し、田中康夫さんが代表の新党日本から参議院選挙比例代表候補として立候補することにいたしました。

 わたしが政治にかかわろうと最終的に決断したのは、この2年間にわたって取材をしてきた木村久夫さんの存在が大きかったと自覚しています。ほぼ無実にもかかわらず「BC級戦犯」に問われ、シンガポールのチャンギー刑務所で木村さんが絞首刑となったのは1946年5月23日、28歳のときのことでした。獄中にあって田辺元さんの『哲学通論』欄外に遺書を書いた木村さんは、そのなかでこんな思いを吐露しています。
 
 凡てのものを其の根底より再吟味する所に我々の再発展がある。ドグマ的な凡ての思想が地に落ちた今後の日本は幸福である。それを見得ないのは全く残念至極であるが、我にかわる、もっともっと立派な、頭の聡明な人が之を見、且つ指導して行ってくれるであろう。何を言っても日本は根底から変革され構成され直されなければならない。若き学徒の活躍を祈る。(遺書全文より引用)

 わたしは木村久夫さんの同級生や戦友たちから話を聞いてきました。いまや80歳代半ばから後半の年齢になった実際の戦争経験者の方々は、みなさんこのように語っていらっしゃいました。「戦争が終ったとき、この日本は破壊され、何もなかった。それでも新しい日本を建設しようという希望にあふれていた。それから60数年。どうしてこんなひどい日本になってしまったんでしょうか」と。木村さんが生きていれば89歳。きっと同じ思いに駆られていることでしょう。

 いじめ、虐待、家庭内殺人など、いまや人間の根底が問われています。いまこそお年寄りに優しい社会を作り、「日本の未来」であるこどもたちを守らなければなりません。わたしはそのために行動します。もし高いハードルを越えることができたなら、ときどきの政治問題はもちろんのこと、とくに教育問題、カルト問題(オウム真理教亜流や統一教会など)、文化問題(音楽やスポーツ)などに力を注ぎたいと考えています。
 
 議員の質問主意書に対しては内閣の責任で回答をしなければなりません。そしてまた政治の「インサイダー」として、内部で見聞したことをブログやマスコミを通じて公開していきます。いろいろと構想はありますが、まずは選挙戦を気高く闘いぬくつもりです。これからは不可思議な規定によってブログを更新することはできません。わたしたちの行動については新党日本のホームページでごらんください。新しい日本のために。「出発だ、新しい情と響きとへ」(ランボオ「地獄の季節」より)。
     2007年7月11日
                    有田芳生


「解党問題」と憲法9条

2007-07-11 08:24:09 | 政談

 7月10日(火)新党日本の本部で田中康夫さんと記者会見。いくつかの打ち合わせ。銀座へ。ある異業種の集まりでの講演時間を間違えていたことに気付く。時間ができたので教文館。大江健三郎さんの『読む人間』(集英社)、藤原新也さんの『名前のない花』(東京書籍)、黒鉄ヒロシさんの『龍馬を斬る』(小池書院)を買う。選挙が終ってから読むことになるのだろう。そして講演。時間がないといいながら司会が長いおしゃべり。30分の約束が20分に。準備した構成もあったものじゃない。話し終えてそそくさと退散。空腹に「はら田」。今朝の共産党機関紙「赤旗」を見てびっくりした。「参議院選挙 各党の戦略」という記事だ。そこにはこう書かれている。「新党日本は、二人いた現職の参院議員と衆院議員が、田中康夫代表の手法に反発、マニフェストは『国民の審判を受けるに値しない』と『解党宣言』を出して、国会議員がゼロに。比例で二議席をめざしています」。これが全文だ。これだとわたしたちの「マニフェスト」に「国民の審判を受けるに値しない」欠陥があるとしか読めない。問題となった部分は何か。田中さんとわたしの持論は「新しい日本宣言。」にこう記されている。

 “生活の安全保障”という経世済民の気概を抱いた新しいリーダーシップが、今こそ求められています。憲法九条の第一項、第二項を堅持した上で、地震・津波等の天変地異、内戦や飢餓等に直面する地域での救助活動や医療支援、住宅再建へ駆け付ける、富国強兵とは対極の『国際救援隊』を創設し、第三項に明記すべきです。アメリカとアジアの間に位置する太平洋の島国・日本は、こうしたソフトパワーの貢献で世界から信頼を得る国家を目指すべきなのです。

 新党日本の現職二議員は、この政策に反発して「解党宣言」して、離脱していった。「赤旗」記者は、この政策が「国民の審判を受けるに値しない」と本気で思っているのだろうか。わたしたちの政策を知っていてこうしか書かないのならば、こうした対応は党派根性というのだと昔は厳しく教えられていたんだけどなあ。公示第一声の演説内容、NHKの政見放送などの準備をしつつ時間が過ぎていった。このブログを書けるのもあと一日。選挙期間中もゆとりがあれば備忘録として記録していきたいと思っている。もちろん公開は選挙が終ってからになる。繰り返すが、選挙期間中はブログが更新できないとは何ともおかしなことだ。銀座「ル・ヴェール」のMさんが月末で退職するという。それぞれの終焉、それぞれの出発。


横田めぐみさん帰国情報の怪

2007-07-10 09:05:21 | 政談

 7月9日(月)窮地にある安倍政権が、参議院選挙前に横田めぐみさんの帰国を実現すべく、衆議院議員のYさんとHさんが動いているとの情報が統一教会内部から入ってきた。この話を聞いて6月28日のロイター通信の記事を思い出した。それは「金正日総書記が日本人拉致の徹底調査を指示」というものだった。この報道を受けて日本政府が真偽の確認に動いたことは事実だ。政府は参議院選挙投票日前に事態が動くことを期待しているが、そもそもロイター通信報道の根拠が明らかではない。「新党日本」本部で公示後の遊説について田中康夫さん、平山誠総務局長などと打ち合わせ。田中さんとわたしで分担しながら全国47都道府県をすべて回ることになる。時間ができたので表参道のジムで泳ぐ。身体が強ばっているのでスポーツマッサージ。「ふくらはぎが大変ですね」と言われる。体重は70・05。ほぼ変わらず。

070708_18410001  板橋の澤田篤さんのスタジオでこれからの打ち合わせ。都はるみ事務所の中村一好さんに連絡。遅い夕食は大山の「nana-iro」。カウンターにポスターをデザインしてくれた田辺至さんがいた。雑談しばし。おかしいなとわたしが言ったのはブログの更新だ。どうして選挙に立候補したら更新できないのだろうか。そもそもいつの時点でダメなのかもわからない。12日に公示だが、選管で手続きが終るまでは更新していいのだろうか。日記だけではなく、他者が投稿するコメントもダメだという。そもそも候補者が日記を公表してはいけないというのがわからない。どこかに候補者の「監視人」がいて更新されているかどうかを調べるのだろうか。もし割り振られた「担当者」がいるのなら、それはどのように選ばれるのか。さっぱりわからない。時代遅れの選挙制度は、きっと日本の政治の反映なのだろう。


中島みゆきの「一期一会」を聴く

2007-07-09 10:29:49 | 随感

 7月8日(日)昨夜まで使えていたパソコンが不通。ビジネスセンターでつなごうとするができず。リモコンも接触不良で困ったなあと思いつつ全日空ホテルニュースカイを出る。日本のネット環境はまだまだ。午前中はずっと「PARCO」横の下通りで街頭宣伝。ビラ3000枚がはけた。わたしが喋っていれば配るのは3人。選挙本番にはもっと多くいればいいのだが思っただけでは仕方がない。ある組織政党のように道の両脇に1000人もがずらりと並ぶようなすごさというのか、見ようによってはいささか異様さともわたしたちは無縁だ。ブログ原稿を送ろうと昼休憩時間にホテル日航熊本に行く。ところがビジネスセンターがない。ラウンジでサンドイッチを食べる。パソコン問題は解決しなかったけれど、持っていたビラすべてがホテルですべてはけてしまった。辛島公園で街宣する予定だったけれど、政党が集会をしていたのでそのまま通過。降り出した雨のなかを光の森へ。時間切れで空港。午後6時45分のANAで東京。瀬戸内寂聴さんの『秘花』を読む。着陸前に暗い機外をぼんやりと眺めつつ、あふれる思いに自然に涙が滲んできた。澤田篤さんのスタジオに辛子レンコンを置いて帰宅。中島みゆきさんの新しいシングル「一期一会」が送られてきていた。深夜久しぶりに机に座り、みゆき節を聴いてホッと一息。

2007_06_27_1251_wl0m0071jpg 2007_06_27_1251_dsc03751jpg  この1週間の遊説はまさに見知らぬ方々との「一期一会」の旅だった。「週刊新潮」を見れば林操さんが「見ずにすませるワイドショー」にこんな文章を書いているのを発見。「今だって自由になんて語れないよ」というのは、12日の公示からは候補者や政党について自由に語れないということを受けてのこと。その次にこう書かれている。「ワタシの場合、今回は絶対入れない候補が東京の選挙区で1人、絶対入れる候補が比例区で1人決まってて、どっちもTV関係だけど、2人の名前、ここで言っていいのかね」と続く。林さんは「アナ」(アナウンサー)に「それはちょっと……」と語らせている。ところが見出しの横には丸川珠代さんとわたしの写真が並んで掲載されているのだから、一目瞭然。滝本太郎弁護士の応援ともどもありがたいことだ。感謝。時代遅れの公選法の規定で、このブログも12日の公示とともに更新ができなくなる。急ぐことではないのだが、統一教会の合同結婚式が7月5日に行われたことにまつわる写真を公開しておく。「マッチング」といって文鮮明教祖が信者の写真を見て相手を決めていく。その光景だ。


まるで藤圭子のような旅

2007-07-08 22:20:51 | 随感

 7月7日(土)「京都から博多まで」と歌ったのは藤圭子さんだった。こんどの遊説は少し遠く「京都から熊本まで」。ホテルで日本経済新聞を読むと、赤城徳彦農林水産相が実家を事務所として経費を計上していたとスクープ。またもや「政治と金」問題が浮上した。これほど続出する不祥事は本来なら内閣総辞職ものだ。博多「岩田屋」前で街宣。ふと見ると寿司の「うえ田」の女将が聞いてくれていた。大橋駅前、久留米駅前で同じく街宣。「新党日本」のホームページを見たご夫婦が、わざわざ鳥栖市から聞きに来てくれた。組織動員などまったくないわたしたちは、街頭で「辻説法」するしかない。「聞こう」と思った人たちが立ちどまり、終ったところで拍手が起きる。3歳と5歳の姉妹から「頑張ってください」と言われる。こどもたちの未来のことを思う。

070707_11060001  これまででいちばん反応がよかったのは、きっと参議院選挙が近づいただけではなく、政治への不満が高まっているからだろう。「何とかしてください」との切実な声をビラを配るときに毎日聞かされる。その訴えがこの身体のなかに堆積してきたとの自覚がある。高速道路で熊本へ。サービスエリアで買った「おじさん達の青春ポップス」を聴く。南沙織や麻生よう子の歌声が懐しい。熊本の「PARCO」前で街宣。「熊本日々新聞」の春木進さんが来てくれていた。オウム真理教が波野村に進出してきたときから取材をしてきたのが春木さんだった。まさにオウム問題の「老舗」。ホテルに荷物を置いてから春木さんに連れられて「藤の家」。馬刺しと辛子レンコン美味。長い旅もあと一日となった。


新党日本の「解党宣言」について(2)

2007-07-07 08:21:03 | 政談

 7月6日(金)朝8時から広島市の「そごう」前で街頭宣伝。雨という悪条件のもとでもビラを受け取ってくれる方々多数。1時間半ほど喋りっぱなし。マスコミに知らせてあるので急いで下関へ。大丸前には多くの取材陣。きっと「解党」騒ぎの影響なのだろう。マイクを持って話しはじめると道行く人たちが立ちどまって聞いてくれた。話し終えて聴衆の反応に驚き、これか、と思った。都はるみさんから聞いていた野外コンサートのことだ。自然や聴衆などの情況に引きずられていくのだという。世界は違うがそのことをはじめて経験した。小倉では北九州市のブログ読者Yさんがわざわざ雨のなかを支援に訪れてくれた。感謝。ここでは日本テレビ系の福岡放送の取材あり。さらに博多の天神前。大雨のなかを演説。スタッフのIさん、Kさん、D君がびしょ濡れになりながらビラを配布。「ザ・ワイド」の小林浩司さんもまた傘をささずに撮影してくれる。新党日本の「解党」騒ぎでさまざまな論評がなされている。小倉に移動中の車内で留守番電話が4件記録されていることを知った。その最初のものは荒井広幸さんからのものだった。時間は昨日の朝。わたしが荒井さんから求められ、正直な気持ちを述べたメールを党本部に送った直後のものだ。その内容は田中さんと決裂したこと、候補者であるわたしにとても申し訳ないという丁寧なものであった。

 しかし、いまでもわからないのは「解党」という問題だ。たとえば滝実さんのこと。2年前の総選挙で当選した滝さんは小選挙区奈良県第2区で2万9995票で落選。ところが比例近畿ブロックで「新党日本」が42万908票を獲得することで衆議院議員に当選した。ならばいま「解党」を求めることは、ご自身の基盤を崩すことにはならないだろうか。「新党日本」があったからこそ当選できたからだ。人生の大先輩であり、短いおつき合いのなかでも親切に対応してくださった滝さんゆえに、うーん、これでいいのかなと思ってしまうのだ。きっと確信する理念と感情がこんどの行動を促したのではあろうが、いまはまだ妥協する道筋があったはずだ。もちろんわたしは自分の確信を自由に語れることになった。今朝の広島での街頭宣伝でも憲法9条を堅持することの意味を久間「原爆投下」やむなし発言とからめて語ることができたからだ。党に寄せられたご意見やわたしに届くメールや電話でも、荒井さん、滝さんの離脱を歓迎する声ばかりだ。こんどの事態に至る細かい経過はあれども、お互いに偽りなく進むことができるのだから、結果的にはよかったのだと思っている。