有田芳生の『酔醒漫録』

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歩くほどに人との邂逅あり(8)

2007-06-30 08:10:22 | 随感

 6月29日(金)来月の今日が投開票日。時間はすぐに過ぎてゆく。練馬から大山、池袋を街宣。開店したばかりの地酒専門店「升新商店」にビラを持っていく。さらに「おもろ」。ここでも宣伝物を渡して、店主のヒデキさんにお願いする。ここまで来たならと「おそめ」にも宣伝物を置いてもらう。要町の交差点で赤ちゃんを連れた女性が挨拶してきた。お礼をいうと「こどもが1歳になります」という。誰だろうかと思ったら、しばらくしてメールが来た。大手町のジムでお世話になっていたトレーナーのYさんだった。黒髪になり髪形が変わっていたのでわからなかった。巣鴨へ移動して3度目のとげぬき地蔵。持っていたビラが無くなり、スタッフFさんが街宣車から追加ビラを持ってきてくれる。「アリタさん」の声に振り返れば、テレビ朝日リポーターの山形美房さんだ。大山の事務所に顔を出してから、わざわざ来てくれたのであった。国会記者会館で雑用。信号を待っていると、女性がひとりでビラを配っていた。中国残留孤児だという。終戦時5歳のとき8人家族はバラバラに。文化大革命当時にも中国人に守られたことなどを伺う。道路の向かいには「残留孤児」訴訟の支援者たち多数が横断幕などを掲げているのだが、なぜかこの女性はただひとりでいるのだった。眼の澄んだ物静かな姿で、ゆっくりと日本語を語る姿が印象的だった。原告2211人の平均年齢は70歳。最低限度ではなく平均的日本人の生活ができる支援策を求めている。女性は長野県出身と聞いた。全国一の満蒙開拓団(12パーセント)が長野県であった。田中康夫さんは知事時代に「車座集会」で要請を受け、2004年から毎月ひとりあたり3万円の見舞金制度を導入している。政府は「日本に戻ってきてよかった」と思える支援策をただちに実現すべきである。拉致問題と同じく、ここでも時間がない。

 秋葉原から上野。御徒町のアメ横を歩く。ある商店のご主人が「久しぶりです」という。「わかりますか」というのだがさっぱりわからない。「サインをもらいました」というヒントの次に「後に座っていました」と伝えられる。「都はるみさんのコンサートでしょう」と言えば、そのとおりだった。奥様が都はるみさんの大ファンなのだった。そういえば大山に事務所を開いて、田中康夫さんと宣伝をしていたとき、ある商店の女性が「ちょっと待ってください。サインして欲しいので」と言った。2階に行って戻ってきたところ、その手にしていたのは『歌屋 都はるみ』の単行本(講談社)だった。銀座から新橋へ。並木通りでは「やぁー」との声。「週刊朝日」編集長を務めた川村二郎さんだ。力強い握手に励まされる。「瑞花」の従業員にも宣伝物をお渡しする。毎日の新しい出会いとともに、偶然の再会が多いことにびっくりする。新橋で車を降りて東京。のぞみで名古屋。車内では瀬戸内寂聴さんの『秘花』(新潮社)を読む。72歳にして佐渡へ流された世阿弥の波乱の生涯を描く瀬戸内さんの筆致からはエロスが漂ってくる。マリオットアソシアホテルに荷物を置き、「吉鳳」。先日訪れたときには雰囲気が変わったかなと思ってしまった。前回はご主人と女将がいなかったので顔を出してみた。メインカウンターは満席。別室カウンターでご主人を独占して料理を楽しむ。「これぞ吉鳳」と満足。名古屋でもっとも話題になっているミッドランドスクエアでの飲食店の情況や政治に対する率直な感想などを聞く。


「新しい日本宣言。」

2007-06-29 08:19:06 | 随感

 6月28日(木)アメリカにいる長女から電話。夏休みのセミナーが終ったという。平河町の本部で田中康夫さんと年金政策の打ち合わせ。「年金通帳」導入について、さらにわかりやすい言葉を検討。27日に田中さんが記者会見で発表した「新しい日本宣言。」は、憲法9条第1項、第2項の堅持などをふくむ内容となっている。「週刊文春」編集部へ行き、会議中の鈴木洋嗣編集長やデスクたちにご挨拶。午後から新宿で散髪。久々に「ザ・ワイド」を見た。いまや懐しい世界。地下鉄で表参道。ジムで泳ぐ。体重は70キロ。まだ基本的に変わらず。タレントのYさんとばったり。2か月ぶりにジムへ来たという。参議院選挙が終るまでちょうど1か月。長いようで終れば短かったと思うのだろう。車での長時間移動の世界だから、腰への負担などに注意しなければならない。南青山「天青」でマスコミの知人たちと会食。政界重鎮から電話。「大変な選択やなあ」というので、何に注意したらいいかと聞いたところ、どうも事情がおかしい。「亀井と綿貫を使えばええ」というのだ。「新党日本」と「国民新党」を間違えている。まだまだ課題は多いことをここでも実感。ある民主党幹部が「どうしてアリタに声をかけなかったのか」と語ったとある記者に聞いたのも今日のこと。どうも誤解があるようだ。わたしの選択は長野で住民のための施策を果敢に実行した田中康夫さんだからこそタッグを組む決意をした。その判断において政党の枠組みはまったく二次的なものなのだ。帰るころ仲居さんから声をかけられた。香港シャングリラの「なだ万」で働いていたという。そこでテレサ・テンとお母様、そして婚約者が食事をしたときに応対したそうだ。話から判断するとどうやら破談直前の時期である。選挙が終れば、テレサの北京秘密プロジェクトに協力しなければならないことを思い出した。しばらく突っ走ろう。


氷川きよしのすごさを実感

2007-06-28 09:24:56 | 随感

 6月27日(水)汗がしたたり落ちるなかで演説したのは熊谷駅前だった。埼玉新聞の取材あり。力が入ったのは伊勢崎駅で演説を終えて移動しているときのことがあったからだ。歩道でわたしを見た女性がいたので車を止めてビラを持っていった。しばらく話をしていたとき、こう言われた。「いつになえばこうした行動をしてくれるかと思っていたんです」。昨夕の前橋駅前でも涙ぐみながら同じようなことを伝えられていた。東京・巣鴨でもわたしの手を取って涙を流す女性がいた。みんなこの日本ではいけないという思いを語ってくれるのだった。取材陣への対応をふくめ、限られた時間のなかでもできるだけ会話をしていくことは、わたしの基本的スタンスだ。なぜなら一期一会は無条件に貴重だからだ。今朝は前橋にある群馬県庁から街宣を開始。超豪華庁舎に驚く。どうしてこれほどの建物が必要だったのだろうかと疑問がわく。毎日新聞の記者と短い会話。伊勢崎では駅で客待ちのタクシー運転手さんたちと話をする。「暑いですね」と言えば、「暑すぎて電線のスズメが落ちるんです」。ホントかなと思いつつ、あってもおかしくないというほどの暑さなのだ。埼玉に入り本庄早稲田。大学構内の「馬車道」で昼食。そして熊谷。新幹線で大宮へ。湘南新宿ラインで新宿。紀伊国屋書店で新刊を見る。読みたいものは多いがガマン。

070627_10290001  竹村文近さんに鍼を打ってもらう。北区堀船で開院している「秘蔵っ子」の前田久美子さんに「アリタさんのこんな肩ははじめてですよ」言われる。身体がこわばっているようだ。ヒルトンホテルで「週刊女性」のK記者から選挙政策について取材される。タクシーで代々木へ。その途中で新宿コマ劇場の近くを通ったときのこと。路上に女性たちがずらりと並んでいた。その数は数百人。何だろうかと見ていると、Tシャツに「きよし」とプリントしている人がいた。そうか氷川きよしさんのコンサートなんだろうとわかる。車内からわたしを見た女性数人が手を振った。それに応えたところ「キャー」と声を出す。すると爆発があったかのように大きな歓声が起きた。氷川さんがいると間違えたのだ。氷川さんのすごい人気を実感。「馬鹿牛」で食事。満員電車で池袋から平和台。うーん、やはり読もうと思い、書店に行った。瀬戸内寂聴さんの『秘花』(新潮社)を選挙中でも眠る前に読もうと思ったからだ。ところが売り切れ。『小沢昭一座談 ①人類学入門』(昌文社)を買おうとしたが、ある思いがありやめた。帰宅して溜まった郵便物を見ていく。やはり小沢さんからの献本があった。梅酒を飲む。


めぐみさん拉致現場で思う

2007-06-27 08:53:07 | 随感

 6月26日(火)どうしても行かなくてはならないとずっと思っていた。横田めぐみさんが拉致されたと思われる現場である。ホテルを出て寄居中学へ。そこから横田滋さん、早紀江さんが、めぐみさんと暮らしていた自宅まではほんの近く。左へ曲る十字路でめぐみさんは北朝鮮の工作員に拉致されたという。この問題の先駆者である畏友、高世仁さんに電話をしていくつかの質問。海辺へ行き、複雑な気持ちで水平線を眺める。その横田夫妻がはじめてマイクを持ち、たすきをかけて訴えた古町で街頭演説。年金問題とともに拉致問題を語る。足を止めてくれた方々から拍手があった。ホッとするとともに責任感がジワリと浸透してくる。テレビ朝日系列の新潟テレビと新潟日報の取材あり。街宣車で移動しようと思ったところで、「あらアリタさん」の声しばしば。車内に入っては外へ。ビラを渡し、短い雑談。父の「戦友」で書家の横山蒼鳳さんのご自宅へ。ご挨拶をして、宣伝物をお渡しする。選挙戦への頼もしい協力者だ。時間がないので長岡へと急ぐ。長岡駅前で演説。昼食は「越後長岡小嶋屋」。「へぎそば」美味。そもそも「へぎそば」を知ったのは、いまから20年ほど前に統一教会問題で取材に来たときのこと。

070626_11050002  高速で群馬県の高崎へ。駅前で演説。フジテレビと上毛新聞の取材あり。講演や街宣カーとは違う難しさだが、未経験の面白さがある。ある元国会議員に聞いたところ「なれですよ」という。そうだと思う。小雨が降り出したころ、駅前で街宣の声が聞こえてきた。誰が話しているのだろうかと見に行けば、自民党の山本一太さんだった。聴衆は数人。いわゆる政治家の演説だなと聞いていたら、車の上からわたしの姿が眼に入ったようだった。小雨のなかでご挨拶。「自民党か民主党から出るのかと思っていました」と言われる。権威や権力を求める人ならばそうした選択をするのかもしれないが、わたしにはそんな気持ちが微塵もない。「情勢はどうですか」と聞いたら、「いろいろ書かれるので大変です」とのこと。山本さんは、運動靴のラフな服装だった。これまではテレビで何度かご一緒したことがあるが、この次にはどういう形で会うことになるのだろうか。駅前のホテルに宿泊。


「はるみの徒然草紙」

2007-06-26 08:32:36 | 随感

 6月25日(月)都はるみさんのブログ「はるみの徒然草紙」に、わたしがいただいたお守りについての記述があった。いまはジャケットの胸ポケットに入れているが、忘れないためには鞄がいいのかなと思っている。東京プリンスホテルで昼食会。「メディアと人間」について45分ほど語る。大宮駅前で街頭演説。歩道橋の上から、バス乗り場からじっと聞いてくださる方々の姿が視野に入る。二回繰り返したところで歩道橋に上がり、ビラを配る。反応よし。10分、5分程度の内容を工夫しなければならないというのが反省点。

070626_07240001  夕方から新潟に向う。市内に入ると大雨。ホテルに荷物を置いて寿司処「かつみ」。銀座「はら田」の紹介だ。ご主人は40年前に銀座「魚治」の職人だった。130年も続いた「魚治」が閉店し、独立したのが「はら田」だった。「越の寒梅」の焼酎を、やはり「寒梅」の日本酒で割って飲む。焼酎の刺激が緩和されて美味。ホテルに戻り、明日からの予定を検討。雨のやむことを望む。


事務所開きの長い一日

2007-06-25 08:26:58 | 随感

 6月24日(日)サルトルのいう「アンガージュマン」(参加)という言葉を思い出した。流れに巻き込まれたときに参加するかどうか。そうか、いまがそうなのだなと思ったのは、帝国ホテルで行われた銀座「ル・ヴェール」の10周年を祝う会でのことであった。ある大学学長の挨拶でサルトルの言葉が引用されたのだった。流れから逃げるのか、それとも参加するのか。参加して情況を引き受けることで新しい世界が見えてくる。たとえその先に失敗があろうと成功があろうともである。生きている楽しさはそこにある。佐藤謙一さんのお祝い会は盛況。切り絵作家の成田一徹さん、「酒とつまみ」の大竹聡さんなどと美味しい酒を飲む。わたしは余興でアフロヘアをかぶりシルエットクイズに参加。パーティはいつもそうだが、食事はあまりできず。遅くに池袋「華八」。カメラマン矢口が撮影してくれた事務所開きの写真を見る。あわただしい一日だった。大山に着いたのは午前9時半ごろ。「ザ・ワイド」の小林浩司さんたちはすでに到着。フジテレビのスタッフもすぐにやってきた。10時から荒井広幸参議院議員の司会で、まずは田中康夫さんが挨拶。そのあとわたしが語った。激励挨拶は都はるみ事務所の梅原弘尚さん、出版社時代の先輩、五十嵐茂さん、神保町「家康」の黒田巌さん。そのあと田中さんや応援に駆けつけてくれた方々と商店街でビラを配る。わざわざ京都から来てくれたKさん、わたしの実弟や大先輩の前畑博さんご夫妻、オウム真理教家族の会の永岡弘行さん、週刊誌記者のIさん、出版社部長のTさん、Oさんなどなど、本当に頭がさがる思いだ。

Arty063 Arty068_1  自転車に乗っている男性にビラを渡そうとしたら「おもろ」のクマさんだった。事務所に戻ると江森盛夫さんが来てくれていた。「紅子」の姿も。やがて京都の南座でコンサートを行っている都はるみさんからプレゼントが届いた。1963年に上京するとき、お母様の松代さんが作庵町の自宅横にあるお地蔵さんの灰をお守りに入れてはるみさんに渡した。以来いままでどこに行くにもはるみさんはこのお守りを持ち歩いている。それと同じお守りをこんどははるみさんがわたしのために作ってくれた。これほどうれしいことはない。わたしもこのお守りとともにこれからの人生を生きていくだろう。午後からはスポーツ新聞やテレビの取材を受け、時間ができたところで近所の喫茶店。珈琲を飲みながら法定ビラ原稿をひとまず仕上げる。午後5時過ぎ、事務所を出て地下鉄に走り込む。日比谷に向ったつもりだったけれど、読書をしていて気付くと高島平だ。逆方向の電車に乗っていた。あわてて乗り換えて何とか佐藤さんのお祝い会に間に合う。今朝何気なく「報道2001」を見ていたら参議院選挙の特集を報じていた。フリップでわたしの顔写真も紹介してくれていたけれど、所属が何と「日本新党」となっている。すぐにフジテレビに電話。スタッフルームにつないでもらい、訂正を求めた。画面を見ていたら、議論の途中で司会者が苦笑いをしながら訂正。まだまだ認知度に課題があると実感するのであった。


統一教会ダミー組織と北朝鮮

2007-06-24 08:10:26 | カルト

6月23日(土)法定ビラ原稿に呻吟。あと少しだ。午後から都内某所で統一教会に反対する集会で話をする。参議院選挙に出る動機などを語る。元メンバーやご家族がさまざまな形で協力を申し入れてくださる。選挙本番には最大で25万部の法廷ビラを配ることができる。ところがそこには証紙を貼らなくてはならない。少なくとも数万枚はボランティアで貼ってくださるという。まさに理性と結んだ人情の世界だ。40年以上も社会問題となってきた統一教会問題も政治の課題だ。国費でチラシ代が出るとはいえ、配布できないほど印刷してもムダなこと。組織ある政党にとっては問題ないことだが、わたしたちにとっては大変なことなのだ。

T01T02   新宿、四ツ谷、麹町、新橋、銀座、虎ノ門、目白などを街宣。銀座の「はら田」「にしむら」には宣伝物を置いてきた。大山の事務所へ。明日朝の事務所開きの準備をする。ガラス張りだから外から「すべて」が見える。事務所前に立ちどまり中を見つめる人が多い。そこに行ってチラシを渡すことしばしば。ガーナ人のジョニーが営むイタリア料理店で夕食。忘れないうちに記録を公開しておく。統一教会のダミー宗教である天地正教(仏教系)が北朝鮮を訪問したときのものだ。「金日成主席永生祈願祭」(1997年10月1日)と「朝日歴史総懺悔式」(1997年10月1日、人民文化宮殿)である。


都はるみさんからの贈り物

2007-06-23 09:18:19 | 仰天

 6月22日(金)夜遅く携帯電話に留守電が入っていることに気付いた。中村一好さんからだった。昨夜、都はるみさんに代わって話をして、京都の南座公演のため東京を離れるとは聞いていた。もちろん聞かずともコンサートのスケジュールは知っていたのだが。すぐに電話をする。24日朝10時から板橋区・大山に参議院選挙のための事務所を開くにあたって、驚くべきプレゼントが届くという。都はるみという「日本の宝」にとって象徴的な「あるもの」。これほどうれしく励ましになるものはない。朝から選挙戦に入ってから撒く法定ビラの原稿を書く。音楽は都はるみ、テレサ・テン、竹内まりや、デューク・エリントンなどなど。書きつつ「読み手」の立場になっている。久しぶりに「ザ・ワイド」を見る。朝電話をくれたデーブ・スペクターの顔も懐しい。わたしの定席には、やくみつるさんが座っていた。再び原稿を書き、夕方になり外出。電車では鈴木宗男・佐藤優『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム)を読む。

 ジムで1000メートル泳いでから水中歩行30分。体重は70・10。ほぼ変化なし。虎ノ門で降りてホテルオークラ東京。「クリフォード」で草野仁さん主催の食事会。昨年11月に行われたご長男の裕さんとヨーコ?ゼッターランドさんの結婚式で記念ビデオを撮影したスタッフの慰労会だ。終ったところでオーキッドバーへ。日本酒を頼んだディレクターには一合瓶がそのまま出てきてびっくり。わたしはまずワイルドターキー8年のソーダー割りを頼んだ。するとグラスにバーボンを入れて持ってきた女性が無造作にソーダーを入れた。これまた驚く。バーボンにソーダーをそっと注ぎ、心を込めてかき混ぜることによって、味がまったく変わる。そんなことはバーテンダーの基本だと思っていた。水割りもふくめてもちろん作り方はそれぞれなのだけれど、美味しさを追求すれば、ある程度の法則はあるのになあと思うのだった。事務所開きには「ザ・ワイド」からの取材もあると聞き、うれしくなる。帰宅深夜。


「こちら葛飾区亀有公園前派出所」

2007-06-22 09:20:07 | 随感

 6月21日(木)こう書いてきて、曜日感覚がまったくなくなっていることに気付く。自宅に戻ったところで中村一好さんから電話。選挙に関わる近況を報告。都はるみさんにも激励される。このブログを書く後ろから流れてくるのはテレサ・テン。みなさんの優しいこころが疲れをほぐしてくれる。親身になって支えてくれる方々の気持ちを受けとめることで、ああ幸せだなと心底思うのだ。こんな経験ができることだけでも人生上の幸福だ、ストレスもなくいたって健康だからといえば「それではいけない」「やる以上は当選しなければならない」と神保町「家康」の親爺や政治のプロに怒られるのだった。亀有、市川、船橋を街宣して、夕方には平河町の本部に戻る。亀有駅前ではチラシも撒きつつ、商店街を歩いた。

070621_11300001  秋元治さんの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の世界。「両さん」の銅像を見て、「どら焼き」を売っている「葛飾伊勢屋」へ。個人チラシをレジのところなど3か所に貼ってくれた。ここでもまた善意が身にしみる。さて、いかに選挙戦を闘うのか。専門家のアドバイスを聞いて「そうだな」と納得できることがあった。何がアピールや支持につながるかという課題だ。「ザ・ワイド」でコメンテーターを12年務めてきたというだけではない。記者会見からいままで「封印」してきたテーマがあった。どの地域を重点として回るかという課題にもつながる。これまで撒いてきた個人チラシは、ロンドンで急いで書いたものだ。あのときは「なぜ選挙に出る気持ちになったのか」を綴った。しかし、選挙本番で撒くものは、公約をふくめたものに書き換える。


歩くほどに人との邂逅あり(7)

2007-06-21 08:00:28 | 随感

 6月20日(水)朝は大山へ。事務所開きの宣伝をかねて街宣を行う予定だった。ところが駅前には車が入れないことが現場に行ってわかった。そこが田中康夫さんと違うところだ。田中さんは道路地図を事前に研究し、走行中でも膝に地図を置き、適宜判断をしながら、巧みに道路を縫っていくよう指示を出す。しかもマイクで語りながら。大阪では地元のテレビ局さえ驚くほどだった。あまり知られていない裏道さえ知っているのだから恐るべき才能なのだ。それに比べて免許を持っていないだけではなく、方向音痴のわたしなどは、どうしても人任せになってしまう。どこで効果的に宣伝を行うのか。そうした判断ができるようになるのも課題だと自覚する。そんなこんなではじめての経験は難しくも楽しい。車を降りて立っていたら、どうも見たことのある顔がやってきた。驚いた。5月初旬まで「ザ・ワイド」にいて、「有田が行く」のスタッフだった片山亮さんだった。奥様と生れてまだ2か月の紬ちゃんも同行。わざわざ千葉県?松戸から激励に来てくれたのだった。まだ首の座らない赤ちゃんを抱いて記念撮影。この小さな生命が育つこれからの日本が希望のあふれるものならんと本気で思うのだった。事務所の点検を少し行い、氷川台、平和台、光が丘へ。光が丘IMAで商売をしている知人に挨拶、チラシを渡す。成増の商店街を歩き、ここでも知人の店を挨拶をして回る。和光市、富士見市、新座、さいたま市などを街宣、暑い。高速で都内に戻り、水道橋から神保町を通り、麹町へ。文藝春秋に寄って、明日発売となる「週刊文春」をもらう。「新党日本」の本部で宣伝物の打ち合わせ。田中康夫さんやスタッフとともに近所で夕食。

 昨日の日記の不正確さを知人の新聞記者が指摘してくれた。沖縄戦が「唯一の地上戦」という表現だ。引用しよう。「これは正確ではありません。当時の日本本土ということなら、樺太では住民を巻き込んだ戦闘が長期間行われていますし、北千島・占守島でも8月15日より後に激戦がありました。私のところの読者には樺太、千島からの引き揚げ者やその子孫も多く、敗戦企画などでうっかりミスをするとよく突っ込まれます」。そのとおりだ。歴史的事実というレベルの問題でもあるが、認識の課題でいえば「唯一の」という限定のはらむ問題でもある。「唯一の存在」「唯一の党」などなど、そこには誇大主張や主観があふれてしまう場合がある。「絶対」がありえないように「唯一」も条件的なものとして捉えなければならないのだろう。街頭宣伝でもコメント力が必要とされるが、あくまでも自己限定的に抑制しなければならないといつも注意している。この記者が指摘してくれたように、硫黄島もまた東京都であり、そこには硫黄採掘のための住民がいたことも忘れてはならない。「ひめゆり学徒隊」の悲しみをふくむ沖縄戦が終った6月23日がまたやってくる。軍人軍属の死者、約12万人、一般県民の死者、約17万人。