有田芳生の『酔醒漫録』

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噂のキャッチボール

2010-07-23 09:15:38 | 政談

 100722_141401 7月22日(木)金賢姫元死刑囚に2000万円から3000万円が支払われると報じたのは「日刊ゲンダイ」だった。その根拠を調べると韓国在住日本人ジャーナリストのようだ。「韓国でそう言われている」というのだ。ところが日本でその噂が報じられると、韓国の「中央日報」が報じた。「日本の日刊ゲンダイによると」と書いて根拠とした。高世仁さんに伝えると北朝鮮問題ではよくあることだという。噂のキャッチボールが「事実」として確定していく。チャーター機も2000万円説から1000万円説もあったが、実際は後者だと朝日新聞は報じた。金賢姫元死刑囚招請の詳細について調査する方法を国会関係者に聞くことにした。それにしても「大山鳴動してネズミ一匹」も出なかった金元死刑囚招請騒ぎ。政府はどんな想定をしていたのだろうか。パフォーマンスと揶揄されても仕方がない。「週刊女性」の取材ではじめて議員会館の自室(416号)に入った。狭い会館が広くなったことへの批判がある。しかし現実は国際標準になったということではないか。これまでの会館には何度も入ったことがあるが、資料であふれ返っている部屋が多かった。仕事場として狭すぎたと思う。しかしこんどの会館で違和感を覚えるのは、机、椅子、ソファー、本棚までが完備されていることだ。衆参すべての部屋が画一化。まるで官給弁当のようだ。トッピングさえできない。最初に持ち込んだのは弘兼憲史さんに描いてもらった似顔絵。自分らしい部屋に改装するつもりだ。表参道のジムで泳ぎ、あれこれと電話連絡。弘兼さんとも久しぶりに会話。


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1 コメント

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 「噂のキャッチボールが宙を飛び交う」ですか。... (五十嵐茂)
2010-07-24 21:29:41
 「噂のキャッチボールが宙を飛び交う」ですか。報道世界で真実を拾うのは、砂の中に金の粒を見つけるに等しい(笑)。と笑ってもいられない事態が週刊誌の世界に起きているようです。

 新聞を開くと下段のスペースに週刊誌今週号の広告が掲載されている。その全4段スペースにここ1年、毎週毎週、これでもかこれでもかという民主政権を難じる特大見出しが踊り続けている。小沢→鳩山→菅とターゲットを変え執拗に続けられたキャンペーン。週刊現代を先頭に、週刊新潮、ポスト、最近は文春なども悪のりしている(検察批判で見識を示した「週刊朝日」などをそれに一括することはできないだろうが)。
 その特大見出しの文言を見るたびにうんざり感が引き起こされる。見る人の心を寒々とさせる広告。その執拗さはそれを続ける者の精神の変調すら予感させる。
 その事態に最近の週刊誌の変貌を示すいくつかの特徴がはっきりと見える。
 それを①“政治的リンチ”に走る編集部の出現、②見出しだけで世論をコントロールしようとする手法の確信犯的採用、③内閣支持率や世論調査、選挙結果に影響を与えようという傲れる増長天狗への踏み出しとして特徴づけてみよう。
1)ターゲットへのバッシングは週刊誌のお家芸であった。しかし、それはいまやバッシングなどというなまやさしい領域を超えて、特定政治家、特定政権を葬り去る政治的リンチ行為とでもいうべき段階に突入した。まさに“週刊言論リンチ”である。
2)もしそれがかのウォーターゲート事件のような、事実と確証とひるまぬ反権力精神に裏付けられた取材であるならキャンペーンは批判されることではないだろう。しかし小沢疑惑と言われるものにたいして、この1年間のキャンペーンで週刊誌が明らかにしたことが何かあるだろうか。笑止千万なのは権力の中枢である特捜検察のシナリオに沿い、出所不明の「関係者による」リーク発言で記事を作り続けたことである。その結果は、札付き極右の「在特会」の申し立てによる検察審査会の議決によって何回事情聴取を繰り返しても罪を問う裁判を起こすに足るものは何も出てこないという真実がますます明らかになってきている。また鳩山迷走キャンペーンはどうか。このなかで一番の問題は、普天間をどうするかという切り口での自らの追求はゼロの、日本全体が抱える難題への接近において、ジャーナリストとしての当事者性のかけらもない、揚げ足取りに過ぎない迷走批判を書き続けた。このどこにジャーナリストの魂が見られるのだろうか。
3)このようなキャンペーンで採用されるのが“特大見出し命”の手法である。見出しだけ見ると、また民主党周辺に何か重大問題が起こったのではないか、と不安を起こさせ人心が攪乱させられる。しかしほとんどの記事は羊頭狗肉、尻切れトンボの肩すかしである。取材を始めた打撃意図が込められるのはもっぱら見出しである。見出しと内容記事のこの二元的乖離こそリンチジャーナリズムの本領である。これってほとんど偽装商品販売ではないかしらん。
 選挙戦が始まった日、蓮舫議員の事務諸費疑惑などと書き立てた週刊現代を店頭で立ち読み(買うことはない)していたら、あるおばさんが私に「また何か起こったのでしょうか」と不安げに問いかけてきた。「全然ガセネタですよ」と笑って教えてあげた。このように見出しだけで、影響を受ける一定の層が存在することを彼らは計算済みなのであろう。編集部のほくそ笑む姿が見える。見出しだけ読む人に向けて最大限影響を与えようとする世論操作への確信犯的見出し作り。まさに情けない“見出しジャーナリズム”(笑)の登場である。
 こんな表現手法も表現の自由で保護される対象なのだろうか。見出しによる人権被害の訴訟と作成者の責任追及はもっと起こされていい。彼らの驕りもいい加減にしてもらいたい。
4)そして彼らが最後に渡ったルビコンは、週刊誌が内閣支持率、世論調査、選挙結果に直接影響を与えようという意図を持ったキャンペーンを偏執狂的に行うようになったことである。世論誘導、操作という危険な領域に彼らは踏み込んでしまった。危うい特定政治勢力との闇の結合はすぐその先にある。
 症候の領域をうろつく一部週刊誌の姿。これへの異議申し立てがいまこそ必要なのではないだろうか。そしてジャーナリズム論としての週刊誌批判(見出し表現のモラルを含めた)が求められているように思える。
 まだこんな週刊誌にカネを払いますか?

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