有田芳生の『酔醒漫録』

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「有田芳生『37万票』の意味」

2010-07-17 09:44:05 | 参議院選挙

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岩見隆夫さんとは雑誌編集者時代からのつきあい。3年前に落選したときに「これから」を相談したことがあります。今度も「何を読んでおけばいいですか」との問いに、「これはと思う議員と話をすることだ」とのアドバイス。いまのところいないのが残念です。羽仁五郎さんたちのような魅力ある議員がいまは見えないのです。20日に当選証書の授与式があり、いよいよ本格的始動です。


少しだけ当選の実感がわいてきた

2010-07-14 09:56:10 | 参議院選挙

 7月13日(火)所属委員会希望届けを出した。がん治療に有効な重粒子線治療施設を創設することと教育問題にかかわるために「第1種常任委員会」は文教科学委員会、「第2種常任委員会」は予算委員会、特別委員会はもちろん拉致問題委員会を、調査会では少子共生を第1希望にした。その重粒子線治療を先駆的に行ってきた放射線医学総合研究所に連絡。いくつかの問い合わせ。中央選挙管理会から速達で「当選の告知及び当選証書の付与について」という書類が届く。20日午前11時から総務省講堂で付与されるという。はじめは代理人に頼もうと思っていたが、足を運ぶことにした。何でも見ておくべきだと判断したからだ。麹町「みやび」で整体。身体がまだ強ばっているようだ。神保町で東京堂書店、「家康」、「ボン ヴィバン」と挨拶。電車で立ったまま居眠り。もより駅と気がつきあわててホームへ。お気に入りの緑の傘を忘れてしまった!


37万3834人からの期待

2010-07-13 10:12:02 | 参議院選挙

 7月12日(月)比例区で37万3834票を獲得してトップ当選することができた。身辺の変化は外からやってくる。今月末に議員会館に入るが、階数などの希望を提出、所属委員会希望届けも出さなければならない。特別委員会はもちろん拉致問題。ハッピーロードを歩いていても電車に乗っていても多くの人に「おめでとう」と声をかけられる。菅原文太さんから電話。「正論をもって暴れてください」と励まされる。大地屋書店でスラヴォイ・ジジェクの『ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(ちくま新書)を入手。これからはどうしても現実=政策主義に傾くだろうから、理念や文化とのバランスを欠くことがないように意識していく。表参道。本当に久々にジムで泳ぐ。体重を計ると昨年末に比べて5キロ減、選挙前にからは2キロ減っていた。上杉隆さんから「家康で『第1回政策会議を開いている』から」と留守電。神保町「家康」に電話をしたら当選を祝ってくれる大きな拍手が聞こえてきた。映画を見ていた長女と合流して「はら田」で遅い夕食。某商社の方々からもいきなり握手を求められる。古在由重さんから教えられた「着眼大局 着手小局」を肝に銘じる。


参院選挙に当選しての所感メモ

2010-07-12 11:57:33 | 参議院選挙

 7月12日(月)組織なき候補者としての参議院選挙当選は「ひとつの道程」の終りであり、出発点にすぎない。2回の落選(3年前の参院選、昨年の衆院選)時の方が、当然なのだろうが、精神の錘が深く沈潜していく経験だった。いずれ選挙総括を書く。期間中のことを記憶によってメモ風にたどると、オウム事件当時「子どもを誘拐する」とオウム関係者の動きがあったときに学校などと協力して対応をしてくれた警視庁のSTさんや「BC級戦犯」木村久夫さんと交流のあった近藤道生さん(博報堂代表取締役)が逝去されたことに愕然とした。候補者や「ウグイス嬢」の言葉が、他人事ではなく、パターン化していることへの違和感を強く感じたことも大きな印象として残っている。ブログやツイッターで反論できないことをいいことに、ありもしないデマを吹聴した勢力にはあきれもした。選挙に当選しても「お礼」を記すことさえ公選法で禁止されていることには苦笑どころか、世間との著しい乖離だと怒りさえ感じる。これからのスケジュールは月末に議席確定の議会が2日ほど開かれ、9月から臨時国会がはじまるようだ。議員会館への引っ越しなども必要になってくる。「創造と文化」の根拠地にするつもりだ。中村一好さんや米原万理さんなど存命なら大いに喜んでくれた方々の笑顔と声の記憶が心に届いている。


鳩山首相辞任表明から一夜あけて

2010-06-04 10:05:39 | 参議院選挙

100602_224501  6月3日(木)「批判覚悟で街頭へ 民主・参院選予定者 反応に手応え」(「毎日」6月3日夕刊)から。〈比例代表で立候補を予定している民主党の有田芳生氏(58)は午前7時から、地元東京都練馬区の地下鉄駅前でマイクを握った。有田氏は鳩山首相の辞任表明を「遅すぎたぐらいだ」と説明し、頭を下げた。1カ月ほど前から各地の駅頭に立ったが、「民主党はうそつきだ」と言われたりしてきたといい、「今朝はそういうことが全くない」と語った。一方、「鳩山さんにもう少し頑張ってほしかった」という声も。演説を聴いていた地元の会社員(50)は「首相がすぐ辞めてしまうのでは自民党と同じ。衆院選では期待を込めて民主党に投票した。参院選でどうするかは、まだ決めていません」と話していた〉。

 ここに書かれているように、まれにではあるが「うそつき」と叫んだり、親指を下に向けて拒否の意思を表わす人たちがいた。「うそつき」といった捨てゼリフは、まるで唾を吐くようなもの。政権担当政党の責任の重さを感じたものだ。世相が荒れていることを鳩山由紀夫首相などはどこまで実感していただろうか。公用車で移動するのもいいが、街頭に立てば、社会の雰囲気はいやでも伝わってくるのにとも心に思った。鳩山辞任で民主党への支持は一夜にして10ポイントほど上昇した。新内閣誕生でさらに上るだろう。世論とはかくも流動するものだ。ちょっとした出来事をきっかけにいつまた下降するかはわからない。嵐にも消えることないたいまつを燃えたぎらせるには、根を張った行動を続けるしかない。余談だが記事には〈有田氏は鳩山首相の辞任表明を「遅すぎたぐらいだ」と説明し、頭を下げた〉とあるが、頭は下げていない。パターン化された用語法だ。通勤途上にもかかわらず、足をとめて「頑張って」と握手を求めてくる人たちが6人いたことも記録しておく。


小沢一郎から福島瑞穂への電話

2010-05-29 10:57:04 | 参議院選挙

100513_143001  5月28日(金)慌ただしい日々が続いている。「楽観もせず悲観もせず」という心境だが、いまの政治情勢の波をもろにかぶっている一人としては、民主党指導部に「現場感覚」がどこまであるのかとの疑問が強くなっている。たとえば普天間問題。何があっても総理をやめないのが「原則」なら沖縄の基地問題でも「原則」=「県外、国外移転」をあくまでも主張すべきだった。小沢一郎幹事長が更迭された福島瑞穂さんに電話して「あんたたちが言っていることが正しいよ」と語ったという(「毎日」29日)。小沢さんは「沖縄の美しい海を護らなければならない」というのが持論だ。間接的に辺野古移転には反対の立場だろう。首相が総選挙で「最低でも県外」と語ったことは公約だとやんわり批判を語ってきたこととも符合する。昨朝の成増駅駅頭でも私は日米合意および米軍再編計画に基づいて「海外移転」を原則としてアメリカと交渉すべきだと語り続けた。与党国会議員180人もその立場であることをマスコミはどれだけ報じたか。自民党時代の「産報複合体」はいまなお巧妙に世論を形成している。板橋、練馬を歩き、各所で会話をしつつポスターを貼ってもらった。先日は赤塚の商店街で驚いた。昨夏にあったお茶屋、魚屋、豆腐屋、「99円ショップ」が消えていたからだ。氷川町ではついこの間、銭湯が消えた。昨年ポスターを貼ってくれた場所だ。理髪店で店主がぼやいていた。「この50年でいちばんひどいよ。今日は午前中に2人客が来たけれど、たいてい1日に1人」。総菜屋では見込み違いの仕入れをした夫と夫婦げんかになったとも聞いた。雛祭りの売れ行きがよかったので子供の日にも多くの仕入れをしたが、さっぱりだったからだ。どこに行っても景気への不満。自民党政権の負の遺産がいまだ継続している。しかし国民は「民主党政権になってから」と実感する。それは指導者が国民に希望を実感させ得ていないからだ。指導者の資質は原則に基づく決断だ。7月の参院選を前にして民主党参院議員のなかから「これでは闘えない」との声が大きくなりつつある。1人区、2人区で闘う候補者にとっては切実な思いだ。6月政局をめぐって激闘が起きつつある。