有田芳生の『酔醒漫録』

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「できたら講演をやめて欲しい」

2010-01-31 09:03:33 | 立腹

 1月30日(土)文京区民センターで坂上遼さんが出した『消えた警官 ドキュメント菅生事件』(講談社)のシンポジウムに出席。長々と発言するパネラー。言いたいことがあるのは誰でも同じ。発言のバランスが悪く1回しか回ってこなかった。準備がムダに。出席する他者への配慮があるべき。ブログやツイッターを見て来場された方々に声をかけられる。出版労連で打ち上げ。二木啓孝さん、辺真一さんと検察の動きなどについて情報交換。携帯電話の電池が2時間ほどで切れてしまう状態。池袋へ行って修理に出す。「おもろ」で泡盛。31日に東松山で行う講演準備。再び国会議員から嫌がらせとしか思えない電話あり。前回は「できたら講演をやめて欲しい」。言論弾圧だと気づかない鈍感。<o:p></o:p>


ハッピーロード破壊計画を許すな!

2008-09-29 06:05:54 | 立腹

 9月28日(日)080928_15420001 もはや涼しいというよりも肌寒いほど。汗を流しながら駅頭に立っていたのは、ついこの間なのに。板橋区大山のハッピーロードでBS11「にっぽんサイコー!」のロケ。小泉ニセ改革で加速した商店街の破壊。いまでは活発な商店街は日本でわずか1・6パーセント(経済産業省)。ところがハッピーロードは1日に2万8000人が通行する。商店会ができたのは昭和21年。この大山の直径2キロの円内には約10万人が暮らしているという。全国12か所(北海道の小樽や稚内から山口県の萩市など)からオリジナル商品を集めたアンテナショップが出店したのは平成17年10月のこと。商品点数は1200。山形県の無農薬米をその場で精米してもらった。お隣の「松屋甘味処」で販売されている大学芋を買うためにわざわざ足を運ぶ人も多い。アーケードを作り、イベントを行い(年間に50回)、それぞれの商店が創意を発揮しているから、歩いていても楽しい。取材がすべて終わったところで商店街のエコバッグ(1000円)を買って、そこに米と大学芋を入れた。撮影のMさんは昭和を彷彿させる市場の魚屋で刺し身を買っていた。さんまの刺し身は250円。中トロ500円、マグロのブツ300円は、30年値上げしていないという。「この商品での儲けはありません」と専務。心意気がいい。ハッピーロードを壊す動きがある。東京都が進めている都道26号線計画だ。破壊計画を絶対にやめさせなければならない。ふと思い立ち、池袋のコインロッカーに荷物を預けて地下鉄で表参道。夜のジムでようやく泳ぐ。


テロ対策の異常警備はおかしい

2008-06-29 09:37:09 | 立腹

 6月28日(土)第4回の「有田塾」は盛会に終わった。講師の森達也さんは会場に早く来てくれたのでお互いの近況を交わす。森さんにはこれからの執筆計画や昨年の参議院選挙での幻に終わった斎藤貴男さん擁立計画のことなどなどを聞いた。講演の最初はテロ対策のために異常警備が行われていることを自身の職務質問の経験から語った。そのとおりなのだ。長女が帰国して池袋を歩いている昨夜のこと。食事をするのに荷物が重いのでコインロカーに入れようとした。いくつかを探したがすべて閉まっている。駅員に聞いたところテロ対策だという。よく見ればコインロッカーの端っこに小さな紙が貼ってあった。27日から洞爺湖サミットが終わるまで閉鎖するとあった。おそらく日本中のコインロッカーに同じ処置がされているだろう。高齢者などが重い荷物を預けたいということもあるだろう。ところが一律管理の警備が当り前のように行われている。滑稽でもあり、異常でもある。いったいどこで決めたのだろうか。タクシーに乗っても後部座席はシートベルトをすることを求められる。昨年イギリスでシートベルトをするように言われたときは、「こういう国もあるんだな」と思っただけだった。安全のためには確かにそれでいい。ただし、疑問がある。いったい法律改正が、いつ、どのように議論されたのか。それをどれだけの人が知っていただろうか。国民生活に直接かかわる問題がいつの間にか実現している不気味さ。タクシードライバーに聞いても「国会で決めたんでしょ」というだけ。テレビを見ればグルメに旅に、低俗お笑いばっかり。もっと報じるべきことがあるだろう。まさしく「悪魔」ならぬ「善魔」が横行する。練馬の事務所に戻ってスタッフとこれからのことを打ち合わせ。帰宅してパソコンを見れば、ミクシィにMさんからメッセージ。それを読んで驚いた。練馬高野台駅で声をかけた視覚障害者はシンガーソングライターだった。立道聡子さんで26歳。すでにフジテレビの「スーパーニュース」などにも登場しているそうだ。テレビ世界から路上の世界に移動して1年。この出会いの数々がとっても貴重だ。


「とくダネ!」〈独占〉報道の偽造

2008-04-23 09:11:00 | 立腹

 4月22日(火)207 死者がもはや語れないならば、事情を知るものが名誉を護らなければならない。中村一好さんの「自己死」をめぐるテレビや週刊誌報道は、あまりにもひどかった。多くの人が「事実」と思い込むなかで、たかだかブログで発信する影響は、はるかに小さいだろう。それでも書いておかなければならない。フジテレビ「とくダネ!」が報じた「スクープ」は偽造だ。中村さんが亡くなってからはじめての都はるみコンサートは、16日に高松で行われた。その翌朝のテレビ各番組はいっせいにはるみさんの会見を報じた。なかでもフジテレビの「とくダネ!」は「独占……都はるみ内縁夫が自殺前に制作 意味深な遺作」と報じた。それは中村さんがはるみさんのために準備していた新曲のなかのひとつであった。紹介されたのは、ある作詩家に10曲を依頼していたなかの「砂時計」という作品である。それを読めばあたかも「自己死」を暗示するかのような内容に読めなくもない。その内容を紹介した前田忠明氏は、ごていねいにデモCDを手に、そこに都はるみさんの名前(英字表記)とともに「4・4」と書かれていることを示した。この「4・4」とは、中村さんが亡くなった日を指す。まったくの偽造、いや捏造だ。作品をある作詩家に依頼したことは事実だが、中村さんはその内容にいっさいかかわっていない。いずれ完成した作品は、ある人物を通じて中村さんに渡ることになっていた。中村さんは完成した「砂時計」の詩に関係などしていない。その内容を知りもしなかった。さらにいえば何者かは「とくダネ!」で報じるときになって、この作品に意味があることを示すためにあえて「4・4」と書き込んだにちがいない。もちろん中村さんの筆跡でもない。いったい誰がこうしたデマを流すのだろうか。「婦人公論」の原稿は中村さんを追悼するもののため、こうした報道のひどさを指摘することはいっさい行わなかった。機会あればリポーターの取材方法のひどさなども明らかにするかもしれない。新党日本で役員会。新宿の竹村治療院で鍼を打ってもらう。書店で石田伸也さんの『ちあきなおみ 喝采蘇る』(徳間書店)、湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)を入手。家人と紀伊国屋ホールで小沢昭一さんの「唄って語って僕のハーモニカ昭和史」を聴く。「軍国主義の完成形」に生きた小沢さんの追想に涙。終わったところで「スーパー編集者」中川六平さん、文芸評論家の坪内祐三さんと出会う。


38年ぶりに「太陽の塔」を見た

2008-04-19 09:09:47 | 立腹

 4月18日(金)080418_13240001 こんな原稿を書きたくないと思いながら「婦人公論」の原稿を最終的に推敲。イヤでも書かなくてはならないのは、テレビ、週刊誌があまりにも事実を歪めているからだ。嬉々として語るある女性リポーターなどは中村一好さんが制作し、都はるみさんの節目となった「大阪しぐれ」の名前さえ間違えていた。人の死さえも消費されていく。殺到したマスコミからの依頼を断り、「東京新聞」と「婦人公論」に原稿を書いたのは、都合いい部分だけをアリバイ的に使われるのを避けるためでもあった。死者を悼み、その仕事をできるだけ正確に伝えること。はるみさんには「東京新聞」の原稿を事前にお渡ししてあるし、「婦人公論」にお二人のことを書くことも伝えてある。編集者に原稿を送りホッとしていたところ、ある出版社の編集者である古い友人からメールが来た。それを見てびっくり。都はるみさんのインタビューを取ろうとしているらしいが、そっとしておくべきだ、悪い噂が立っているという忠告だった。すぐに電話して事実無根と説明をした。噂を流している者は、「都はるみも困っている」などということまで語っていたようだ。どこからそんな話がでてくるのかと唖然。はるみさんはほとんど誰とも会っていない。もちろん噂を流した人物とも。友人は噂を信じたことを反省していた。勝手な噂は避けられない。問題はそれを信じるかどうか。困ったものだ。はるみさんに付いているYさんに伝えると笑われてしまった。ホテルを出て大阪大学へ。乗り換えの途中で「太陽の塔」が見えた。38年ぶりに見たことになる。大阪大学のコンベンションセンターで行われている全国霊感商法被害弁連第47回集会で「北朝鮮と統一教会」について報告。終えたところで会場を出て新大阪。新幹線のなかで与謝野馨さんのはじめての著作『堂々たる政治』(新潮新書)を読む。


質問に答えられない厚労省役人

2008-04-16 08:54:52 | 立腹

 4月15日(火)080415_23540001 北海道新聞のK記者から電話。東京新聞に掲載された中村一好さんの追悼文を使いたいとのこと。提携紙なのでそんなことが可能なのだという。よろこんで了解。夕方まで「婦人公論」の原稿を書く。有楽町で「漫画実話ナックルズ」のMさんから取材される。批判的批評をとの申し出だが、とても面白かったことを伝える。徳島刑務所での虐待、各新聞社の記者の実態、2万人の風俗嬢が消えている不思議、タミフルを乱発した医院などなど、社会性あふれる内容なのだ。下品な写真を少しでも改善できればもっと読者は増えることだろう。午後7時20分のANA539便で高松。「はや田」で寿司。「凱陣」を飲みながら地元医師から話を聞く。メタボ検診の説明会に来た厚生労働省の担当者は、会場からの質問には答えなかったという。質問があれば紙に書いて提出して、あとからファクスなどで回答するとのこと。後期高齢者医療制度もふくめ、疑問に答えられない制度が、見切り発車で生活を侵食していく。


「週刊新潮」への感謝と疑問

2008-04-10 08:31:39 | 立腹

 4月9日(水)080409_15460001 単行本『X』の主人公、木村久夫さんの90回目の誕生日。定例の訴えは、新宿30分、練馬・中村橋1時間、石神井公園30分。新宿では道路の向こうにジャーナリストの青沼陽一郎さんの姿を発見。お互いに手で合図。「長寿医療制度」などと偽装した「後期高齢者医療制度」のひどさを語るときに立ちどまる人たち多数。中村橋から石神井公園に向かうとき、昨日書店で立ち読みした雑誌「dancyu」の「わざわざ買いたいパン」特集にあった「nuku muku」に立ち寄る。店に入ったところで駅前でリーフレットを受け取ってくれ、ケータイで記念撮影した母娘さんと遭遇。パンは夕方にしてすでに売り切れに近かった。常時50種類が、すでに7種類ぐらい。焼き上がりは午後1時半ぐらいだというから、あっという間に売り切れてしまうようだ。都内へ。神保町で降りて東京堂書店。『歌屋 都はるみ』(文春文庫、絶版)の問い合わせが3件あったという。明日発売になる「週刊新潮」を入手。目次には私の「告発レポート 統一教会『霊感商法』は生きている」というタイトルの横に都はるみさんの記事タイトルが掲載されている。オウム事件が起きてからというもの、問題の続いている統一教会を取り上げる週刊誌はなかなかなかった。「週刊新潮」からの依頼にとても感謝している。ただし、都はるみさんについての記事には疑問山積。まずその説明文を見て唖然。こうある。「『普通のオバサンになりたい』と言わせた男。その密葬現場で、彼女(有田注、はるみさんのこと)は夫人と顔を合わせた」。まずは「古い友人の一人」の「都はるみは、自分の命を、そっくりイッコウさんに預けて、甘えていればよかった」との証言。ここを読んだだけで「古い友人」が、ほとんど何も知らない程度の関係だとわかる。地の文の「都はるみがある日、突如として『普通のオバサンになりたい』と言いだし、84年に芸能界を引退したのだ」という“有名”な台詞も正確ではない。記者会見で芸能記者が言葉にしたのが「普通のオバサン」であって、はるみさんは「そうですね」と対応しただけのこと。もうひとりの証言者は「3月の公演(有田注、新宿コマ劇場での座長公演)を見た舞台プロデューサー」。「今回の公演は、珍しく芝居を取り入れていました。これまで、都はるみが最初から最後まで歌っていたのを、イッコウさんの発案で趣向を変えたのです」。これも間違い。座長公演は何年も前から劇場側から依頼されていたものだ。「この芝居の評判が最悪だった。それで大ゲンカになったといいます」に到っては名誉棄損ものの出鱈目(でたらめ)。そして最後に登場するのが中村さんの「親戚の一人」。「一好が亡くなったことは(中略)東京の会社の男性スタッフから電話をもらって知りました」「東京で密葬が行われ、集まったのは本当に近しい身内と会社の人、20人ほどでした」。いったいどこの「親戚」だろうか。ウソ!電話をしたのは「男性スタッフ」などではないし、密葬に「会社の人」など参列していない。「その密葬現場で、都はるみと中村夫人は、ついに顔を合わせたという」ともある。中見出しは「喪服姿で対峙」。完璧な捏造(ねつぞう)だ。これではいけない。すべての取材をお断りしてきたが中村一好さんを追悼する一文を「東京新聞」に書くことを決めた。


「特高なき時代の特高思想への屈服」

2008-04-01 07:44:13 | 立腹

 3月31日(月)080401_06400001 ガソリンの暫定税率の期限切れで福田首相が記者会見。「政治が本気になれば防ぐことができた」と発言。こうなる可能性は参議院選挙の結果から明らかだった。まるで他人事に驚くばかり。4月1日からリニューアルするホームページについて澤田篤さんと最終的相談。原稿を送信して雑務いくつか。麹町で平山誠総務局長と打ち合わせをして新しい街頭宣伝用テープの録音。東京駅から新大阪。大櫛陽一さんの『メタボの罠』(角川SSC新書)を読み終えて、ピーコさんにいただいた『愛子とピーコの「あの世とこの世」』(文藝春秋)を読む。お二人とも霊魂や「あの世」を信じているのだが、江原啓之さんへの批判は厳しい。佐藤愛子さんが「霊能者は教祖になってはだめなのよ」と言えば、ピーコさんは「むやみやたらにお金っていう人はだめね」と語る。霊魂観は実感としてわからないけれど、佐藤さんやピーコさんの経験からくる実感もまた貴重だ。「この命は自分のために使っちゃいけないんだと思ったの」というピーコさんの発言に共感。新大阪に着いたときに北海道新聞の記者から電話。ドキュメンタリー映画「靖国」が予定されていたすべての映画館から上映を拒否されたという。「これでは弾圧なくして自ら戦前の日本に向うもの」「特高なき時代の特高思想への屈服」とコメント。こうした対応をした映画館の責任者は恥を知れ!。東京では新宿バルト9、銀座シネパトス、渋谷Q-AXcinema、シネマート六本木、大阪ではシネマート心斎橋。これらの映画館には二度と行かない。この忌まわしい動きの背景にどんな圧力があったのか。この空気、雰囲気が気持ち悪い。予兆を感じるからだ。夕食は心斎橋の「わのつぎ」。


「正しい」ことも伝わらない

2008-03-30 09:49:09 | 立腹

 3月29日(土)080329_09540001 朝8時過ぎの千鳥ケ淵。すでに多くの花見客が歩いていた。神田一橋中学で行われた「反貧困フェスタ2008」を取材。BS11で放送される新番組「にっぽんサイコー」(土曜日22時~22時半)の「有田芳生の『ここがおかしい!』」で放送される。代表の宇都宮健児弁護士、事務局長の湯浅誠さんに話を伺う。多重債務者問題から「貧困」問題へと課題が広がった宇都宮さんは、ヨーロッパのように生活保護などの告知を行政がホームレスなどに行う体制が日本にないことを問題にする。湯浅さんは東大で三木清や戸坂潤などを研究していた。「野宿者を支援していたらいつしかこうなっていました」という。「運動家」として珍しいタイプだとすぐわかるのは、まったく抵抗感を感じさせないことだ。当面する目標は首相の施政方針演説に「貧困」問題への取り組みを入れさせること、さらには「貧困対策基本法」を制定させることだという。取材をしていると中年男性が「マスコミの方ですか」と声をかけてきた。「しんぶん赤旗」の名刺を出すので、「新党日本」の名刺を渡す。いくつかの催しを見て歩く。メインの対談を見に行くと椅子に座った講師が、身体を斜め後ろに倒れんばかりに反らし、足を組んで「~じゃない」といった口調で語っていた。イヤな感じだなと思っていたら「あれっ」と気になることが見えた。近くに行って見ればガムをクチャクチャと噛みながら話をしている。唖然とした。こんな傲慢な態度ではたとえ「正しい」ことを語っても相手に届きはしない。私が客席にいればすぐに席を立つ。平山総務局長などと中村橋へ。午後2時から「有田塾」で語る。広島、高知、大阪、さらには東京近郊からも参加者が。地元練馬からも多くの方が集まってくださった。懇親会では声をかけてくれたある女性にはびっくりした。都はるみさんがデビューするとき、最初は芸名を「京はるみ」にするはずだった。ところがすでにSKDに「京はるみ」さんがいることがわかり「都はるみ」としたのだった。その「京はるみ」さんの妹さんが参加してくれていた。第一回目の試みは無事終了。大阪の中学時代の同級生だった南純子さんとその二男夫妻や親しい知人たちと池袋「おもろ」で食事をする。心地よい疲れ。


東京大空襲を忘れるな!

2008-03-11 09:21:25 | 立腹

 3月10日(月)080310_15120002 東京大空襲の日。無差別殺人を行ったアメリカに改めて怒りを感じる。しかも日本人虐殺の責任者であるカーチス・ルメイに、日本政府は1964年に「勲一等旭日大綬章」を与えた。自衛隊への貢献だというから馬鹿げている。自民党の佐藤栄作内閣だったことを記憶しておこう。先日のこと。久しぶりに神保町「家康」に顔を出した。客がいないのであれこれと雑談をしていたところ、店主の黒田巌さんが「東京大空襲は大変だった」とポツンと言った。驚いた。体験者だったのだ。中国から引き揚げてきた黒田さんは、母と妹の3人で東京にいた。焼夷弾が落ちるなかで防空壕に逃げた。その夜の記憶がほとんどないのは、まだ6歳の子どもで眠ってしまったからだという。鮮明な記憶は翌日だ。故郷の山形に戻るため上野まで歩いているときのこと。路上には無数の黒焦げ遺体が並んでいた。それにも慣れてしまったという。「腹が空いて空いて、それが堪らなかった」と当時のことを語ってくれた。1945年2月に近衛文麿が提出した「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」という上奏文を昭和天皇が認めていたら、東京大空襲も沖縄戦も、もちろんヒロシマもナガサキもなかった。昭和天皇の決断は遅すぎたのだ。「解放」誌のエッセイを完成させて編集者に送る。確定申告の打ち合わせで麹町へ。終わったところでデーブ・スペクターの会社へ。スペクター京子さんが「E.T.」のヨーダと写真を撮ればというので、ケータイでパチリ。3週間ぶりにジム。中野サンプラザで行われた「日本の医療を考える市民の会」の講演会に参加。講師は民主党の桜井充参議院議員。懇親会には出ずにサンモール商店街の「らんまん」で酒を飲む。