有田芳生の『酔醒漫録』

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サザン「30周年」コンサートに思い出すこと

2008-08-25 06:06:41 | 芸能

8月24日(日)080824_20220001 まるで秋雨のような一日。後援会パンフレットに載せる原稿に呻吟。「なぜ新党日本か」は、かつて書いたものに推敲、加筆を加えて完成させた。そこまではよかった。いまの政治、経済、社会状況をふまえた新原稿がなかなか進まない。そのうちにタイムリミット。家人、次女とその友人たちと横浜へ向かう。日産スタジアムでサザンオールスターズのコンサート。熱狂の坩堝なかに入り込み名曲を聴く。サザンの曲が人生の節々の想い出と結びついていることを再確認。「30周年」ということは、上京して働きだした時間とすっぽり重なる。「勝手にシンドバッド」ではじまり、会社を辞めざるをえなかったころの「いとしのエリー」、そしていまは「希望の轍」だ。「30年」なんてあっという間。歴史のなかの個人時間は短いもの。サザンの再結成があるなら、それは数年後の期間限定だろう。そう思わせる雨のコンサートだった。閉幕後に小机駅まで行くのが大変だった。何しろ7万人の大移動だ。渋谷からもより駅に着くとすでに午前零時すぎ。「安楽亭」で遅い食事。次女たちが生れていないころに活躍していたサザン。その曲に想い出を持つ新しい世代。創造的活動とはすごいものだ。


イッセー尾形と篠原ともえに爆笑

2008-08-24 09:37:05 | 芸能

 8月23日(土)「あらアリタさん」と自転車をとめた見知らぬ女性2人が声をかけてきた。「光が丘にお住まいでしょ」と言うので「いえ、いまはここをまっすぐ行って」といった会話からはじまった。いつものようにリーフレットを渡してからしばし四方山話。こうして練馬を歩く日々。小雨に濡れて肌寒い。時間が来たので新宿。ハイアットリージェンシー東京で取材。貴重な成果あり。新宿駅ビルのなかの書店に行こうと思ったが、なくなっていた。三越のなかにあるジュンク堂へ。津村節子さんの『ふたり旅』(岩波書店)を入手。吉村昭さんとの出会いから別れまでを描いた作品だ。新刊コーナーに行くと日垣隆さんの『ラクをしないと成果は出ない』(大和書房)の帯が「10万部突破」というものに変わっていた。そういえば森達也さんからは『メメント』(実業之日本社)が送られてきた。知人たちの着実な成果を喜びつつ、単行本『X』の行く末をふと思う。原宿で家人と待ち合わせてクレストホール。イッセー尾形さんと篠原ともえさんの「2人芝居」を観る。爆笑しばしば。「2人芝居」と謳いながら実際は6人というのも笑える。流れは決まっていてもおそらくアドリブが多いのだろう。イッセー尾形さんの発声法に「辻説法」にも通じる世界を発見。


「夢から醒めた夢」の現実

2008-08-20 05:38:33 | 芸能

 8月19日(火)練馬で訴えて事務所へ。中野、杉並、新宿と街宣して平河町の本部で実務いくつか。文藝春秋に立ち寄ってから浜松町。劇団四季のミュージカル「夢から醒めた夢」を見る。明るい夢のなかの切実な「現実」。世界は人間本位に変わらなければならない。そのためにも新しい日本が必要だ。いまどんな選択が求められているのか。舞台を見つめながらしばしば浮かぶのは生々しい現実のことであった。


今村昌平の「果しなき欲望」は傑作だ

2008-06-22 09:19:10 | 芸能

 6月20日(土)大阪松竹座で座長公演を続けている都はるみさんに電報を打つ。名古屋、東京、そして大阪での公演が26日で終わる。中村一好さんが監修した最後の作品。最近ふと中村さんのことを思い出すことが多い。ネットで活躍している知人たちの「日記」を見ていると元気だなとつくずく思う。茂木健一郎さんや日垣隆さんなどなど、ほとんど年齢は40代半ばから後半。そういう年ごろなのだ。何しろ勢いがある。そんな時代はあったかなと自分の後ろ姿をふと見たくなるが、振り返らないことだ。連載を休載していただくお願いをしていた。その原稿をいっきょに書き上げた。もちろん第一稿。勢いで書いているから本音もある。これからブラッシュアップして完成稿を送るのだが、その「勢い」原稿の最後をこう書いた。「この一点(注、後期高齢者保健制度を作るとき、自民党とともに国会で強行採決をしたこと)で公明党は厳しく批判されなければならない。私が知っている創価学会員は、この日本社会で日夜一生懸命に働いている。その人たちの夢や希望を閉塞させる公明党はもはや結党の精神を見失ったといわなければならないだろう。この日本の政治を抜本的に変革しなければならない。私はその目標を持ってしばらくは政治に携わるつもりだ。やる以上まずは最小限の目的を形にしなければならない。参議院選挙のときには『当選すればそれでよし。ダメならばそれでも人生はある』と考えていた。甘かったと認識している。いまは違う。もはや私という小さな存在にも日本にも時間がない。まずは土俵に乗ることからはじまる。そのための闘いを最優先してしばらくは暮らしていきたい。本誌での連載を再び休載としていただく理由である」。ここから推敲していかに完成させようか。政治記者から情報あり。自民党が小選挙区の独自調査をしたという。東京の結果が面白い。ただし正直な感情からいえば各種調査などただの「参考程度」にしか思えない。人気投票じゃあるまいし。ただただ地道な活動しか信じるものなどない。池袋「おもろ」で常連と泡盛を飲む。「昨日の朝、光が丘にいた?」「築地でアリタさんの声を聞いたよ」との声などあり。そうだよな、もう10か月になる街頭での訴えなのだから。帰宅して今村昌平監督の「果しなき欲望」をDVDで見る。傑作だ。1958年の東京。29歳の小沢昭一さんのハンサム。渡辺美佐子さんの妖艶。日本映画のすばらしい時代だ。酔いの心に中島みゆきの歌声が染み渡る。


「異国の丘」に思う

2008-06-07 09:02:21 | 芸能

 6月6日(金)朝7時から午後3時まで練馬区を中心に街頭での訴え。まずは豊島園駅。2時間話し続け、9時過ぎに練馬駅前の「カフェド巴里」で朝食。そのまま駅前で訴え、さらに中村橋駅、石神井公園、大泉学園、練馬高野台、光が丘へ。「今日の出会い」は、20年ほど前に池袋で酒を飲んで以来のAさん、東大教授だったHさんの妹さん、ブログ読者、芸能界に一時期いて「ザ・ワイド」をよく見てくれていたMさんなどなど。光が丘では「昔よく娘さんと歩いていましたね」などと言われる。定点的に回っているからだろう。「この間も聞きました」という方もいれば、「さっき練馬駅前でやってましたね」と石神井公園で声をかけられたり。上京して1年にして練馬に転居して30年。こうして歩き、走っていると、この土地がさらに愛おしくなってくる。平河町のヘッドオフィスで実務。ジムで泳ぐ。汗ばんでいた身体にシャワーと水が心地よい。浜松町で家人と待ち合わせて四季劇場「秋」。「昭和の歴史3部作」の「異国の丘」を観る。シベリア抑留問題を日中和平工作に動いた近衛文隆を主人公に描いた秀作。蒋介石政権高官の娘との恋物語もよく描けているが、何よりもシベリアで抑留された60万人の人びとの過酷な運命が悲しく届く。「異国の丘」という曲はなぜか子どものころから覚えている。しかしシベリアで抑留された日本人たちによって歌われていたことなどは知らなかった。こうした作品を若い世代に普及できたなら、歴史観はもっと違ったものになることだろう。かつて小学生のときに校庭を使って映画が上映されていた。文化助成を行って映画、演劇、音楽をもっと広げていくことはできないのだろうか。


『私の家は山の向こう』の韓国語版が出る

2008-05-21 08:29:27 | 芸能

 5月20日(火)練馬在住で市川房枝記念会理事長の本尾良さんと会って、もろもろの相談事。新宿の「トロワバグ」で読書。銀座の「伊東屋」に行くとマルマンのスケッチブック「図案シリーズ」50周年の限定モデルを売っていた。取材用にA5版のノートを3冊購入。デザインがよく切り取りミシン目があるから便利だ。5階のカウンターで支払いをしているといきなり「アリリン!」と言われた。未知の女性だった。この「アリリン」とは日本テレビアナウンサーの笛吹雅子さんが言い出したこと。もう13年も前のことだ。「はるみちゃんは元気?」などとも言うので、きっと都はるみファンなのだろう。新党日本のリーフレットをお渡しする。不思議なもので、この1日はしばしば声をかけられ、そのたびにリーフレットをお渡したので、総計約20枚。丸ノ内線で池袋。板橋にある澤田篤さんのスタジオで撮影各種。大山を歩き「ちくら」で食事。テレサ・テンを描いた『私の家は山の向こう』が韓国で発売されることになった。中国語版が台湾で出たが、こんどはハングルになる。


テレサ・テンに浸った一日

2008-05-11 12:15:41 | 芸能

 5月10日(土)代々木上原にある古賀政男音楽博物館にあるけやきホールで「アジアの歌姫 テレサ・テンの素顔」と題して講演。舟木稔さんと選曲した12曲を流しながら解説を加えるという試みだ。会場には九州、大阪、仙台からの方々もふくめて満席で補助椅子が出るほどだった。なかには小学生のお子さんを連れたお母さんの姿もあった。テレサ・テンへの思いはいまだ続いている。まず中国語で歌う「時の流れに身をまかせ」の映像を流した。古賀政男さんを記念するミュージアムはさすがに音響がいい。「つぐない」「愛人」などの曲とテレサの気持ちを紹介しつつ、中国と台湾との関係もバランスよく説明を加えていくことに配慮。テレサの曲が終わるたびに会場から拍手が起きる。集った多くのファンにとってはテレサのコンサートなのだ。李白の詩などを朗読するテレサの肉声は、先日の「おもいッきりイイテレビ」でも紹介したのは一部だけだったから、まさに世界初公開。講演準備をしているときに、せっかくだからとお土産をお渡しすることに決めた。それはテレサが大陸の人たちに向けて書いた直筆のメッセージとサインだ。時期は1985年。中国大陸で歌うことを夢見つつあったときのもので、ある人物を通して密かに北京に持ち込まれた。客席の熱気に促され4時終演の予定が20分延びてしまった。もっと映像を増やして毎年開催していくことを考えようと思う。これからはテレサ・テン基金会とこれまで以上にかかわっていくつもりなので、近く舟木さんと来年以降の催し物を計画していく。池袋「おもろ」で常連と雑談。練馬区でのある取り組みについて相談。


「イッセー尾形のこれからの生活」

2008-05-02 10:06:23 | 芸能

 5月1日(木)新党日本の役員会。午後からの政策会議までの間に近所の喫茶店でキューバの珈琲を飲む。マスターに聞けば、ブルーマウンテンが優等生のような珈琲なら、キューバの豆はバランスがよくてパンチがあるという。まるでチェ・ゲバラのようだなと勝手に想像する。雑用を種々こなして原宿のクエストホールで「イッセー尾形のこれからの生活」の「新ネタ公演」を見る。森田オフィスの森田清子さんによれば、「さっきまで言葉を合わせていました」という。初日は大変なのだ。楽しみにして会場に入った。ところがである。前に座ったのがデッカイ男性。舞台の中央で演ずるイッセー尾形さんがほとんど見えない。昨夜の紀伊国屋ホールもそうだが、椅子の並べ方が前後で交互になっていない(左右に並ぶ椅子の間に後席を置けば、その空間で無理なく舞台を見ることができる)からだ。新しい劇場などではそうした配慮がなされていることが多いけれど、古い劇場はそうなっていない場合がほとんど。そんなわけで楽しみは半減以下。「完璧で無いものの代表」(森田さんの評価)というのは、イッセー尾形さんの思いでもある。帰宅すると7日に発売される「婦人公論」が届いていた。「最愛のパートナーを亡くした都はるみさんへ」を読んでいくつかの不満があるのは、推敲を重ねる時間がなかったからだ。言葉の重複と説明不足。いつか『歌屋 都はるみ』決定版を書くときに加筆するつもりだ。


小沢昭一が伝える「昭和のこころ」

2008-05-01 08:21:16 | 芸能

 4月30日(水)街頭での訴えは、練馬駅、中村橋駅、富士見台駅、練馬高野台駅、光が丘。新宿に出て「カフェラミル」で読書。紀伊国屋ホールで楽日を迎えた小沢昭一さんの公演へ。初日のチケットを購入したところ、追って御招待いただいたのが、この最終日であった。ある知人から「これで公演は終わりみたいだよ」と聞いていた。小沢さんもいよいよ80歳。最後ならもう一度記憶に入れておこうと思って舞台に集中した。やはり後半が圧巻。流行歌手だった美ち奴さんが「軍国の母」を歌ったことを紹介したあたりからだ。小沢さんが悲しそうな顔をして歌うのを初日に聞いた。やはりそうだった。歌う小沢さんは鼻をすすり、顔は歪んでいた。海軍兵学校にいたときの敗戦。広島を通り東京まで戻ってくるまでのことは、まるで追体験できるかのようにイメージが浮かんでくる。実体験を根拠とする「語り」の力だ。最後に小沢さんは大好きなハーモニカを絶対に離さないと語り、同じように平和を守ると力を込めた。戦後のことはまた伝えたいと締めくくったのでホッとする。引退ではないと宣言したからだ。小沢さんが伝えるという「昭和のこころ」とは、豊かな文化であり、平和の実現だ。戦争経験者として、いまが「新しい戦前」のような気がしてならないという。国会議員にすでに戦場経験者はいない。知に走るだけではない実感としての言葉が求められている。池袋「おもろ」で「すぬい」を注文。食欲なし。ストーブをたいている岩手・旧沢内村から暑いほどの東京へ。身体がついていけないようだ。駅を降りて都はるみさんに電話。


都はるみに会ってきた

2008-04-17 07:37:44 | 芸能

 4月16日(水)080416_16460001 寿司「はや田」の店主、早田城嗣さんの案内で「手打十段 うどんバカ一代」へ。早田さんが高松市内でいちばんのお薦め。朝6時から午後6時までの営業だ。ホテルに戻ってチェックアウトを延長して原稿を書く。午後2時。雨のなかを県民ホールへ。中村一好さんが亡くなってはじめての都はるみさんコンサート。関係者に購入をお願いしていた席に座っていささか困った。舞台から見て右手、前から4列目の端だ。これでは舞台から顔が見えてしまう。はるみさんは「知っている人の顔が見えると歌いにくいのよ」と語っていたことがある。なるべく小さくなっていようと思う。会場は2001人の席が満席。石川敏男さんなど、顔見知りのテレビリポーターたちもいた。開演を告げる鐘がまるで中村さんへの弔鐘のように聞こえる。舞台に現れたはるみさんの身体がひとまわり小さくなっていたので驚く。最初は「アンコ椿は恋の花」。歌い終えたところで「悲しいことばかり続きました」と涙ながらに語り、「歌を歌っていくしかありません。申しわけありません。涙は家に置いてきました」と細い言葉で結んだ。とはいえ「浮草ぐらし」で涙ぐみ、「抱きしめて」で第1部を締めた。第2部からは気分を変えたのだろう。いつもの明るい雰囲気に戻ったものの、第3部の「小樽運河」などで表情が変わっていた。会場のどれだけのファンが気付いただろうか。中村さんとの想い出の曲である「大阪しぐれ」を歌う直前には両こぶしを上から下に叩きつけるように力を入れた。そして「夫婦坂」では歌いながら鼻をすする音が何度も聞こえた。中村さんとの生活のために「引退」するとき、紅白歌合戦で歌った作品だ。「私の取り柄は元気です」と語り、いつものように「好きになった人」で幕が降りた。マスコミの囲み取材があるというので楽屋へ。待っていると関係者から声をかけられはるみさんの控室へ。しばらく話をした。会見は10分ほど。消え入るような小さな声。こんなときに聞かなくてもいい失礼な質問もあってあきれる。これからの支援をどうすればいいかを考えつつ帰京。