有田芳生の『酔醒漫録』

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「慢心は悲惨な結果を招く」

2009-09-14 10:47:23 | 酔談
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9月13日(日)090913_15020001 成増から大山へ。大山本町会の祭礼に顔を出す。お神輿の出発を拍手で送り、近所にご挨拶。有楽町から新橋。イワキ眼鏡銀座店で調整。田中康夫代表と新党日本のこれからについて打ち合わせ。単行本『X』の主人公である木村久夫さんについて、高知大学図書館が展示を行うと知らせあり。京都との往復で読んだ『父が子に教える昭和史』(文春新書)のいくつかの項目が思い出された。とくに水木しげるさん(「戦場の兵士」)、藤原正彦さん(「引揚げ」)の体験談が貴重だ。印象に残った分析は「零戦」を取り上げた柳田邦男さん。「慢心は悲惨な結果を招く。転落の芽は成功のうちに胚胎している。その論理を直視する謙虚な目を忘れるなということを、零戦は教えている」。特攻隊が大西瀧治郎中将ではなく「変人参謀」黒島亀人少将の発案だったという森史朗さんの指摘も興味深かった。


ジャズとカクテルの夜はふけて

2008-12-01 06:16:05 | 酔談

 11月30日(日)081130_17180001 路地を歩きつつ、まさに「辻説法」は、心地よい秋晴れの板橋・徳丸町。「あらアリタさん」の声、遠くの窓から手を振ってくれる女性の姿、ポスターを貼ることをお願いしたところ、「農業祭りでお会いしました」と快諾してくれた女性等々。今日もまた新しい出会いと再会あり。テレビでは「有田が行く」という企画で全国を歩いたけれど、いまや「板橋を行く」である。大山の事務所に戻り、遅い昼食。夕方からはハイアットリジェンシー東京でNPO法人CCS(カクテルコミュニケーション ソサエティ)のパーティに出席。スタンダードジャズと12種類のスタンダードカクテルを楽しむ「忘年パーティ」。まずは「モーリバー」の毛利隆雄さんのマティーニ、「ル・ヴェール」の佐藤謙一さんのマンハッタン、さらに「テンダー」の上田和男さんのギムレットを味わう。結局すべてのカクテルを試すことになる。この会に誘われたとき「11月30日」と聞き、無理だろうと思っていた。総選挙の投票日になる可能性があったからだ。人生なんてこんなもの。何が起きるか分からないから面白い。練馬までの地下鉄で辺見庸さんの新刊を読み終える。日本の「世間」が、ハンナ・アーレントやユルゲン・ハーバーマスの「公共圏」とは異質であるという分析がとても興味深かった。


漂白された時代のなかで

2007-04-07 08:25:21 | 酔談

 4月6日(金)帰宅してパソコンを開ければ『酔醒漫録』の矛盾を指摘するメールが入っていた。読み返せば確かにおかしい。そこで文章を直して「改訂版」を公開した。指摘してくれた方にお礼を送ったのだけれど、すでに使用されていないアドレスだった。なぜかな。さあと気合いを入れて日生劇場のパンフレット原稿に取りかかる。都知事選は盛り上がりに欠けるのか、候補者の姿も、支援者の宣伝の声もいちども聞こえてこない。いろいろな論評のなかでも田中康夫さんの『SPA!』(4月10日号)が面白かった。東京生まれは吉田万三候補だけと書いたあと、こんなしゃれた考察があった。

 
因みに、イタリア的風貌?物腰?言説だと好事家の間で密かに評されている吉田氏は、ブチック地区として知られるミラノのモンテナポレオーネ通りと交差するマンゾーニ通りの名称を拝借して、吉田マンゾーニとして売り出したら、“明るい政党”として若者を引き付けたイタリア共産党に肖(あやか)れるかも知れないのにね。とW嬢とは別の客室乗務員の助言。

 さてどうしようかと思っていた。石原慎太郎?制作総指揮の映画を正直な気持ちで評価したことから、いささか力の入った記述になってしまったからだ。コメント欄でもそんな指摘があった。そこでどんな感想があったかをここで紹介しておく。とても興味深く、かつての自分の幻影さえかすかに見えるからだ。いずれも公表を前提に寄せられたものだ。

 なるほどね、よくわかりました。別に吉田万三氏を推しているわけじゃなかったんですね。日本テレビに出続けるためには読売新聞に嫌われるようであってはならず、したがって読売新聞の支持する都知事候補にとって良いことを言わなければならない。この時期にこういうことを書くとは、見事な処世術だと感心しました。『酔醒漫録』 を見るのは今日限りでやめにします。

 戦争映画で感動しました、落涙しばしばでしたの有田スターリン様、オウム事件を起こした首謀者達も何十年後には感動映画のヒロインになっているだろう、風化した張作霖事件、蘆溝橋事件、隠されたノモハン事件、貴方の感動すべき大東亜戦争へ、二つの原爆へ、時代も変われば人の心も変わるだろう、只、私は人が人を殺傷する行為を美化も感動も惨事もする心を親から教育されていない。有田氏も石原同様に高見から人を見下している事に気付か無い愚かさが、モラル欠如人間が多いマスコミ業界の戦士で居られる事に感謝すべきだろう。外は春の兆し散歩にでも出かけソフトな対応でも学ぼうか。


070406_12390001  いろいろな人がいるもんだよなと改めて思うのだった。匿名は美徳かな。小田和正の「個人主義」を聴く。眠い、いい天気でよかった、しかし時間がない。朝起きてそんな思いに駆られながら慌ててブログを書く。午前9時過ぎに家を出た。二女の入学式に出席。会場で新しい学生を見つめながら遠い時代のことを思い出していた。70年代前半。そこにはかろうじて喧騒と混とんがあった。それがいまやたいていの大学で管理が行き届いている。立て看板などもない。ビラといえばサークルの勧誘ばかり。政治色は学長挨拶のなかで触れられた「これでは美しい国などではありません」というフレーズぐらいだ。「政治」の「せ」ほどの言及ではないのだが、日本の大学生が国際的にはいかに恵まれているかを指摘したところなどはさすがだと思うのだった。教師陣には朝日新聞、読売新聞、NHKの出身者などがいた。マスコミを退職して大学に移るコースはもはや少ないのかと思っていたけれど、そうでもないのだろうか。大きな桜の樹の下で記念撮影。子供たちの入学(園)、卒業は、保育園のときから負担を感じない「義務」として出席してきた。こうした節目は何物にも変えられない時間なのだ。そして思うのは、子供たちが希望を持って暮らすことのできる社会を大人は作れていないということ。それでもある軌道に乗れば5年という時間単位でも社会は変わりうる。そう考えれば〈わたしたち〉にはまだ時間はある。駅前の「王将」で家人とビールを飲み、餃子などを食べて二女と別れる。


入谷のおでん屋で旧交を温める

2007-02-01 09:01:32 | 酔談

 1月31日(水)暗くなった入谷の路地を歩いていくとその店はあった。「満寿多」は古い料亭を改造したおでん屋だ。午後7時に店に入る。靴を脱いで上るとカウンターでは足を降ろせるような作りになっている。和室でしばらく待っていた。まずライター仲間の堀ノ内雅一さんがやってきた。『阿部定正伝』(情報センター出版局)が代表作だ。さらに「女性セブン」の田中秀尚さん、「STORY」編集長の山本由樹さん、そして最近では「教育ジャーナリスト」の肩書きで報道される品川裕香さんが到着。みなさんと会うのは数年ぶり。かつていっしょに仕事をした心おけない仲間たちだ。40代女性が読者層の「STORY」は山本さんが編集長になってから部数を6万部ほど伸ばした。品川さんは安倍政権の教育再生会議のメンバー。その話が興味深かった。17人のメンバーのほとんどは黒塗りの乗用車で移動する。ところが品川さんは徒歩で会場に向う。そこで警察官ともめたのだという。「取材陣はあっち」と言われたことが三度もあったそうだ。品川さんは知らないだろうが、銀座に事務所を構え、秘書を雇い、フェラーリに乗っているという噂の「ヤンキー先生」のことを思い出してしまった。『酔醒漫録』4で「すごい教師」と評価したが、4年の時間は人を変えたのだろうか。本当かどうかを確認したいと思っていたがそのままだった。新聞記者やテレビ局記者の無礼は「ひどい」。会議が終ったところでいきなりICレコーダーを突きつけて「今日はどんなことを話したんですか」と聞いてくる。そのとき社名や名前を名乗らない記者がいるという。さらに驚くのは担当記者であるにもかかわらず議事録を読んでいないことが多いという。

 「それは議事録に書いてあります」と言えば「読む時間がありません」と大手新聞記者が言い訳するというのだ。しかもミスリードする。たとえば野依良治座長が「塾は廃止と発言」などと多くの新聞が報じたが、そんな単純な議論ではなかったという。「ゆとり教育」で教科書が変わった。ところが受験体制はまったく変わっていないから、それに対応するために塾が流行る。「私のころは塾がなかった」という話の流れで、塾が必要でないような教育環境を整備しなければならないという趣旨での議論だったのだという。新聞やテレビが議論を単純化して誤った認識を与えているのは、「いじめ」を行った生徒を出席停止にするという問題でも同じだ。アメリカでは「いじめ」を行った生徒はカウンセリングの対象なのだという。それは家庭で虐待が行われている可能性があると判断するからだ。日本ではそこまでの認識がない。出席停止にしたとき、その生徒の教育権をどのように保証するのか。細かい議論は報道の見出しで単純化される。これは教育再生会議だけの問題ではない。「やっぱりわたしは雑誌の世界がいい」という品川さんの気持ちはよくわかる。近くの「本」というワインバーに移動してこんどは田中君の新婚波瀾万丈物語を聞いた。店を出ると深夜。寒さが戻ってくるようだ。


「未熟の晩鐘」を聴く

2006-12-29 08:21:23 | 酔談

 12月28日(木)小椋桂さんのフルオリジナルアルバム「未熟の晩鐘」を聴きながら書いている。タイトルとなった曲をはじめ「もうと言い、まだと思う」「自由と孤独」「落日、燃え」などなど、この世代らしいなと聴き入ってしまう。「命の立ち位置 いつも坂道/もうと思えば 下り坂 まだと思えば 上り坂」。こんな言葉を聴きつつ、もう勢いのよさはいい、1年などは軽々と終っていくものだなどと思う。これまでになかった感情だ。本来こんなものなのだろう。2006年の「ライスワーク」が終った。鍼の打ち納めで竹村文近さんの鍼灸院へ。帰りに新宿を歩きながら過去の風景が鮮明に思い出された。ここはかつてコの字型をしたカウンターだけの店で、中高年の女性だけが働いていた。そう、クサヤを食べたのははじめてだったな。いつも最後に食べていたおにぎりが懐しい。最高齢の女性は70歳を超えていた。まだ20代だったからとても感動したものだ。カウンターの向こうに座る客の顔を観察しながら飲むのが楽しみだった。戦後の闇市時代から不法占拠していた台湾料理屋で食べる炒め物、腸詰め、紹興酒が美味しかった。そんな怪しげな店も多いのがこの街だった。わずか30年前のこと。あの風景が絶えて久しい。規制緩和のアメリカン。外資が流入し、わけもわからずバブルがやってきた。実態経済を差し置いて空虚な世界が膨れ上がり、そのおこぼれが庶民にも落ちてきた。ちょうどフリーランスになったとき、能天気に先のことなど考えずに新宿で飲んでいたころ。午前0時前後にタクシーに乗ろうとしても長蛇の列で、もう一軒行こうという時代があった。深夜まで飲むのは普通のことだったなあ。

061228_18400003  この日本は土着を壊すことでいまの虚飾社会に到っている。人間臭い店を追い出し、大規模店を中心地だけでなく郊外まで建設することで、歴史や風土をぶち壊してきた。市場原理主義のもとで規制緩和が行われると、そこに残るのは原色で彩られた汚い街だけだ。もう戻ることはないのだろう。だからここでとどめなければならないなと本気で思うのだ。新宿の変貌を振り返り、そんなことを感じながら丸の内線に乗った。銀座で降りて山野楽器。小椋さんのアルバムを買う。ふらりと日航ホテル地下の豚しゃぶ店へ。上杉隆さんたちが主催するマスコミ忘年会に出席する。いちおう幹事のなかに名前を連ねているのだが、それは形式。新聞、雑誌、テレビなど、ほぼあらゆるメディアから50人ほどが集まっての楽しい時間だった。午後10時に退席してすぐ近くにある「はら田」へ。静かな空間で焼酎を飲む。常連で同い年のMさんがやってきたので、たわいない、しかし興味ある雑談。いろいろと語った一日だったが、政治の世界では安倍総理の後任は誰かが本気で語られはじめたようだ。来年はじめに会うことになる某政治家などもその気になっているようだ。参議院選挙前の総理交代ということは囁かれてはいてもそこまではないだろう。再登板へと高まる世論を待っている小泉前首相周辺はいるのだろう。ひどい政治になってしまったものだ。


「ニセモノ」を排す

2006-09-08 06:36:01 | 酔談

 9月7日(木)昨日の皇室の慶事。ほとんどテレビ報道は見なかったが、ある番組に出ている医師が「胎児様」などと語っていたことが印象的だった。宮内庁記者会見でも「おぎゃーとおっしゃった」。生れた瞬間から普遍性を担う存在にとって自己認識はいつから芽生えるのだろうか。「ザ?ワイド」が終わりジムでしばし泳ぐ。再び新橋に戻り、共同通信編集委員の岡田充さんと「いけだ」で会食、中国問題についてお話を伺う。テーマは安倍新総理誕生で日中首脳会談はあるのかどうか。11月にハノイで行われるAPEC首脳会議では実現すると岡田さんは見る。果してそれまでの時期に可能かどうか。安倍新政権の外交課題が中国との定期的な首脳会談であることは間違いない。出張の準備もあるので早めに切り上げ、銀座方面に歩いていた。酔いを醒まし「これからのこと」を考えようと「ル・ヴェール」に寄った。まだ客はいないので佐藤謙一さんと雑談。最近は「いつものやつですか」と言われるほどワンパターンの注文。それはバーボンの「ワイルドターキー8年」のソーダ割りだ。ほかのバーよりも美味しいというところから作り方の話題になった。多くのバーではメジャーカップでバーボンを計ってからグラスに注ぐ。シングルは30ミリリットル。佐藤さんは目分量で注ぐ。それを「目切り」というそうだ。帝国ホテルに就職し、バーで修業をはじめたとき、まずは「目切り」の練習をさせられた。手の感覚で30ミリリットルを覚えるのだ。

 ある特定のグラスで練習しているときはいい。問題は種類の違うグラスに注ぐときだ。口の広いグラスになると、どうしても30ミリリットルより多く注いでしまったという。やがてどんなグラスでも同じ量のウイスキーを注ぐことができるようになる。プロとはこういうものだ。いま北海道の増毛で寿司屋を再開した菅原豊さんにもそんな話を聞いたことがある。札幌の有名店を営んでいたときのこと。菅原さんは鮨飯を左手でつかむと秤の上に置いた。何度やってもほぼ同じ重さだったことに驚いたものだ。人間が感覚で獲得する世界が大切なのだろう。テレビでコメントをする仕事も同じことだ。2時間ほどの番組でもコメントする時間はせいぜい多くても5分あるだろうか。それでも語るための「仕込み」には2時間から3時間はかけている。原稿を書くことも同じで、1行を書くために数週間の調査が必要なこともある。どんな職業でも、他人からは決して見えないときのスタンスが大事なのだ。テレビを見ていても「おい、そんな仕事ぶりでいいのかよ」と言いたくなることがある。「ニセモノ」と「ホンモノ」を見抜く眼を養いたいといつも思う。

は椅子


安倍晋三についての対話(1)

2006-09-05 09:10:53 | 酔談

 9月4日(月)安倍晋三官房長官について政治部記者と神保町で話し合った。「あの『美しい国へ』という文春新書は、本当は去年の秋に出る予定だったらしいね。ところが郵政選挙で小泉が圧勝した。小泉イメージが広がっているときに発売しても埋没するからこの7月に延期となった」。まずわたしがこう言った。「そうなんですか。総裁候補に立候補するための政策提言のための本ではないと書いてあったから、おかしいなと思っていたんです」と政治部記者が驚き、こう続けた。「あの本はゴーストライターがいるんでしょ。イギリスを例にした記述が多いから京都大学の中西輝政教授じゃないんですか」。「ぼくもそう思っていたけれどどうもそうじゃないらしい。文藝春秋の知人に聞いたところ、編集者がまとめたのが真相だって。本人は後書きなどで名前を出すのを固辞したというんだ。安倍は戦後の枠組みを壊そうというんだから小泉以上に危険だね。人柄はいいんだけどね」「いやそれはアリタさんがテレビのスタジオで会ったりしたときのことでしょう。相当意地悪だと思いますよ」「何か経験したことはあるの」「批判した記事を書いたことがあるんです。そうしたら秘書から電話がかかってきて本人に代わった。『あの記事は何が書きたいんだ』と高圧的に言うから、取材したことを書いただけですと答えたらガチャンと電話を切られた」「麻布の天麩羅屋で都はるみさんたちと食事をしているとき、安倍夫妻が偶然やって来たけど、印象は良かったけどなあ」「いや、わたしのような経験をした政治部記者は多いですよ」

060904_22450002  「ところで安倍総理で決まりだろうけど、人事はどう動いているの」「ある女性ジャーナリストを内閣広報官をしようと打診したところ断られたらしい。何でも大使だったら引き受けるというんだ」「東大の女性教授を入閣させるという話も流れているけど」「最初は自信にあふれていたけれど、ここ3週間ほどはどうも揺らぎが見える。安倍が自民党職員と話をしているとき、唐突に『町村をどう思う』なんて聞いている。職員に聞くようなことじゃないでしょ」「誰を頼っているんだろう」「中曽根康弘元首相とは最近頻繁に会っている。憲法改正の自民党案を復古調に書き直すというのも、その影響でしょう」「読売グループの渡邊恒雄なんて名前も聞いたけれど」「意外ですがその通りです。安倍に批判的なことを言っていましたからね。総裁選直後に会う予定もできていた。国会のスケジュールで出席は難しそうですけどね」。今後出てくるであろう「弱さ」、夫人にメールで相談するエピソードなども語り合ったのだが、当面の焦点は外交と来年の参議院選挙だ。「11月にハノイで行われるAPECで日韓首脳会談があると報道されたけど、どうなの」「総理になれば日中首脳会談があります。その準備も進んでいる」「そこで小泉との違いを出して、ブームを作る。まずは教育基本法を改正して、憲法改正に進むというスケジュールだろうけど、可能なのかなあ」「ハードルは高いですよ。そこで来年夏の参議院選挙を衆議院選挙との同時選挙にする可能性がある……」。安倍総理が誕生すれば、靖国神社問題は当面は沈静化するだろう。これから経済政策をまとめた著作なども出版される。安倍総理が理想とする「美しい国」とは、戦後の枠組みを解体する復古主義的価値観で覆われる日本なのである。


「24時間テレビ」に出演した

2006-08-27 10:12:42 | 酔談

 8月26日(土)夕方、池袋「おもろ」で泡盛三杯を飲み、リブロで新刊を漁る。購入したのは奥野修司さんの『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)と渡辺京二さんの『神風連とその時代』(洋泉社新書)。本を読むのに車内で眼鏡を外していたが、下車してからもそのまま歩く。浴衣を着た二人の女の子が両親と手をつないでいた。おぼろな視野。こんな時代もあったのだなとふと感傷的になる。遠くからは小学校で行われている夏祭りの音頭が聞こえてきた。夏休み最後の週末。2006年の夏も終る。そろそろ時間だと酔いを醒ますためにシャワーを浴びていざ出陣。日本テレビで明日まで放送される「24時間テレビ」に出演するためである。クリームシチューがフジテレビで仕事をしているため、その時間だけの代役。レーザーラモンHGと立ち話。「RGをよろしくお願いしますよ」と相方を気づかっていた。出演が終わり、銀座まで歩く。空腹を感じていたので「にしむら」に入ろうとしたが、中に人はいるのだが看板が消えていた。まだ開いていた「ル・ヴェール」でビールを飲み、ホッとする。最近は地下鉄のなかで吉村昭さんの『戦艦武蔵ノート』(文春文庫)を熟読している。かつて漫然と読んだときとは異なり、こんどは調査・叙述方法を「盗み取る」ためである。吉村さんがこの仕事に取り組んだのは1965年。戦争が終ってから20年目のことだ。「戦艦武蔵」の生き残った搭乗員はまだ40歳代、建造に関わった多くの人からも聞き取りが可能だった。「あとがき」を数えてみると調査協力者は73人。

060827_00060001  いま取り組んでいる単行本『X』は、戦後60年の時点で調査をしているため、多くの関係者がすでに鬼籍に入ってしまっている。史料の発掘はできても証言を得る難しさがある。それは生存者であってもだ。最近あるジャーナリスト(故人)の取材ノートを見る機会があった。1971年の取材ではわたしの取材対象からも話を聞いている。そこで疑問が生じた。1971年の時点で1946年のある劇的な一日のことを聞いているのだが、そこには新事実が記録されていた。それをご本人に確認したのだが、「そんなことはありません」という。もし事実ならば忘れようがないことだと思うのだが、否定の言葉が戻ってきた。単純に判断すれば、25年後の記憶の方が60年後の記憶よりも正しいはずだ。時間の経過のなかで忘れてしまったのだろうか。しかし、人生において深く大きな精神史的意味を持つ出来事を、細部が違うというのではなく、全否定なのだ。すると当事の証言が、事実ではなかった可能性も出てくる。「口が滑った」ということはありうるからだ。ならば、それから34年後のわたしの取材にも同じように答えただろう。かつて事実でないことを語ったため、それを訂正したということもありえるが、証言者はそんな人格ではない。残った可能性は、取材者が勘違いをして記録してしまったということだが、それもいまやわからない。そこで必要なことは、証言者が語ったことが現実に「ありえた」ことなのかを調べることだ。歴史を確定することは難しいものだ。


高校野球残酷物語とバーボンソーダ

2006-08-26 09:47:36 | 酔談

 8月25日(金)ジムのラウンジで「サイゾー」の取材を受けてから泳ぎ、歩いた。体重に変化なし。東銀座の松竹試写室で「赤い鯨と白い蛇」を見る。愛すべき岩波ホールで公開されるので、嫌味は言いたくないものの率直な感想を一言。テーマ(意図)は理解できるが、枠組みと物語の展開でいくつもの疑問がある。何とも中途半端なのだ。テレサ・テンのドラマ化に関わっていて思うことは、脚本とキャスティングは決定的だ。提出された問題がきちんと説明されていない。そこに不満のある映画だった。そんなことを思いつつ銀座まで歩く。「てつ」のカウンターで店主と雑談。高校野球で早稲田実業が優勝したとき、実は先輩である王貞治さんは、なかなか厳しい感想を語っていた。そう言うと野球好きの店主は言った。「斉藤を持ち上げて美談に仕上げるマスコミは間違いですよ」。まったくその通りなのだ。いまだワイドショーで大きく取り上げられるようだが、もっと大事なことがこの日本にはあるだろう。「週刊文春」が両親にインタビューして「赤点人生」とタイトルに付けたら、多くの抗議電話があったという。「草木もなびく」日本人の精神風土は困ったものだ。斉藤佑樹投手は4連投、69イニング、948球を投げている。「残酷ですよ」とは店主の言葉。これほど投げれば毛細血管は大きく傷ついている。野球選手の将来を思えば、このような軍隊式の高校野球のあり方を考慮しなければならないというのだ。ところがメディアで氾濫するのは、ただただ「斉藤ブーム」を煽るだけ。早実を優勝に導いたのは、斉藤投手だけではあるまいに。ワイドショーならば、こうした機会に斉藤投手とボクシングの亀田の対談でもやってみたらどうか。ゲリラ的意味合いのあるワイドショーが、絶賛、絶賛では翼賛にすぎない。

060825_21480001_1  つまらんなと思いつつバー「ル・ヴェール」。いつものようにワイルドターキー8年のソーダ割りを注文。バーテンダーの佐藤謙一さんにどうして店によって味があまりにも違うのかと訊ねた。2日前は四ツ谷荒木町のバーもどき。カウンターで同じ商品を注文した。バーテンダーはグラスにまずバーボンを注いだ。そこで驚いた。ソーダ水を無造作にドボドボと注ぎ、まるで水割りのようにマドラーで力を入れてかき混ぜたのだ。口にして「まずい!」と思った。昨夜は目白のフォーシーズンズホテルのバー。友人の厳しい身の上話を聞きながら、やはりワイルドターキー8年のソーダ割りを頼んだ。これまた美味しくないのだ。佐藤さんに訊ねたのは、同じバーボンとソーダ水なのに、どうしてこうも味が違うのかという疑問だった。佐藤さんの説明はよくわかる。まずバーボンをグラスに注ぎ、さらに静かにソーダ水を注ぐ。そこでマドラーを静かに1回転半する。見ていてもそれだけなのに、味がまったく違う。美味しいのだ。どうしてですかと聞いたところ佐藤さんは言った。「かき混ぜるとソーダの美味しさが消えてしまうんです」。基本に基づいて丁寧に仕事をする。どんな世界にも必要なことだ。


「亀田パパVSやく」の舞台裏

2006-08-11 08:44:29 | 酔談

 8月10日(木)「ザ・ワイド」が終ったところで夏休みに突入。ジムで泳ぐ。青空を仰ぎつつ外から流れてくる空気の爽快さに心開かれる思いがした。水中で壁に足を付けてふくらはぎあたりの筋肉を何度も伸ばす。これをやると驚くほど足が軽くなるのだ。ミストサウナを出て洗面所に行くと水をしたたらせたままの先客の跡が残っていた。ロッカールームを開けっぱなしの客もいる。いい大人がこれだ。今日の番組で子供たちの食事風景がおかしいという特集を放送したが、その原因は大人にあるのだと、ここでも納得した。だらしない。神保町に出て酒を飲む。話題は亀田興毅がWBAライトフライ級のチャンピオンになったことの余波について。テレビ朝日の「スーパーモーニング」で「亀田パパ」と漫画家のやくみつるさんが対決したことが、いまだ大きな波紋を呼んでいる。「これで終ると思うなよ」と啖呵を切った「亀田パパ」が討論が終ったところでやくさんの居場所を探したという噂も流れた。「やくさんが逃げた」「裏口から帰した」という話も「ありえるかな」と思わせるほど、番組は緊迫していた。実際はどうだったのか。やくさんはガッツ石松さんにサインをもらっていたそうだ。やくさんは、その有名人が表紙になっている昔の雑誌などにサインをしてもらうことを趣味としている。「亀田パパ」はやくさんにこう言ったそうだ。「大人がな、子供の手本にならなあかんのや」。やくさんは「自分が言いたいことじゃないか」と思った。この討論についてテレビ朝日には1200件を超える意見が寄せられたという。その内訳は「亀田父への批判が470件、激励は359件」と報じられた。

 060810_20250001              
 しかし、テレビ朝日のある番組責任者によると「亀田の父はよく教育しているじゃないか」「やくさんのパフォーマンスはやりすぎ」という意見が多かったという。おそらくマスコミには操作された数字が伝えられたのではないかというのだ。わたしは「亀田パパ」の子供に対する「教育」に意見を述べたやくさんの気持ちはよくわかる。それでもサングラスに派手なシャツ姿で「亀田言葉」を使う挑発はどうかなと思った。同じレベルにしか見えなかった。テレビの生態をいささか知っている立場としては、番組プロデューサーが「許可」しているところに作為を感じ、醒めた眼で見ていたからだ。たしかに視聴者にとっては面白い。やくさんに「よくやった」という声がある一方で「やりすぎ」との意見もある。賛否両論。番組制作者としてはそれでいい。いや「それを狙った」のだろう。ちなみに視聴率は6パーセント。前4週平均が5・3パーセントだ。テレビ局で亀田興毅を見たカメラマンの証言がある。スタッフに挨拶をする姿はとても礼儀正しいというのだ。ところがいざテレビカメラが回ると、あの関西弁のぞんざいな態度に変わる。だとすると批判の対象になっている「礼儀知らず」は、「亀田パパ」演出による亀田興毅のパフォーマンスなのだと判断できる。エンタテインメントあるいはショービジネスとしてのボクシングととらえれば、あのような「悪役」(ヒール)は、計算されたものかも知れない。それでも甲論乙駁。わたしには試合が終ったところで泣いている亀田興毅を見て「何だかんだと言ってもまだ19歳なんだな」とホッとした気持ちになったものだ。