2011年7月31日
伊良部秀輝さん死亡、自殺と断定・・・過去1年ほどは精神科に通院・・・薬物(抗うつ剤など)検査も実施
http://blog.goo.ne.jp/alcoholismgoo/e/f849ce0ab0c4862691ec941f734725a7
「うつ状態で、精神安定剤を服用か」の報道が事実だとすると精神安定剤のせいで自殺した可能性もでてきます。
うつ状態の人が医師から処方される精神安定剤は覚醒剤と同じようなもので覚醒作用があるので慢性的な寝不足になるし体も脳も疲労でボロボロになります。
これにアルコールを飲んでたらどうしようもない。
下記、1番上の記事「うつ状態で、精神安定剤を服用していたのではないか」。
下記、上から2番目の記事「焼酎を『狂い水じゃぁ』といってガブ飲み」。
下記、上から3番目の記事「先発投手が登板前に数錠飲んでいた興奮剤を大量に摂取し、精神が制御できないことも。全身に入れ墨をほどこし、ロッカールームのチームメートを仰天させたこともあった」。
下記、上から4番目の記事「先発する前の日は緊張して眠れないと言っていた。それで酒を飲むんだって」。
下記、上から5番目の記事「(伊良部さんは)事業などで人にだまされ」。
長期間、アルコール(体を弛緩させる作用)と精神安定剤(体を興奮させる作用)をやってたのかもしれない。
伊良部秀輝さん、または逸脱に隠された繊細
2011年07月29日 11:55
起き抜けに知った「伊良部さん死す」のニュースには驚いた。
42歳。年上の工藤公康(48)、山本昌広(46=中日)はまだ現役投手。
「同い年事典」(黒川祥子、新潮選書)によると、同じ1969年生まれのスポーツ選手には、元横綱のプロレスラー曙やJRAジョッキー武豊のように現在も第一線で活躍する者がいれば、フィギュアの伊藤みどりさん、スキーの荻原健司氏、スケートの黒岩敏幸氏という五輪メダリストも名を連ねる。
あの橋下徹大阪府知事もこの年生まれ。伊良部さん逝去は、まったく早いとしか言いようがない。
暮らしていた米ロサンゼルスの日系ビジネス関係者に日本時間29日朝に電話すると、まだ知らなかったり、一報に接したばかり、といった反応だった。
引退後はうどん店経営に乗り出し、一時期は成功したものの、やがてうまくいかなくなり撤退。
自宅のあるランチョ・パロス・バーデスは高級住宅地として知られるが、本人は地元の“セレブ”というわけでもなく、表舞台に登場することもなかった。
「ロスの日本人社会はいま、バラバラなんです。日系人も1世の人は生きていれば100歳以上だし、もう3世でも年をとっている時代。こちらにいる日本人といっても、日本人商工会のような団体にでも入っている人のことでもなければ、情報が伝わってこない。売れない芸能人が増えている。野球選手では、長谷川さん(滋利投手=元エンゼルス、マリナーズ=42)が今度、講演に来ると聞いたけれど…」(ロス在住者)
ロスでは“ひっそり”と生活していた感のある伊良部さんだが、さすがにヤンキースで活躍した剛腕とあって、米メディアなどはその死に大きく反応した。
ロス在住のスポーツ報道関係者いわく「朝日新聞のニュースを転載しているサイトがあったり、メジャーリーグ(MLB)のサイトもやっている」。
MLBの公式サイトを見たら、すさまじい反響。
現地時間28日のニュース一覧で、寄せられたコメントは200件に迫り、この日トップ級の数だった。
この関係者によると、伊良部さんの近況については「うつ状態で、精神安定剤を服用していたのではないか」と話していたメディア関係者もいるという。本紙記事も「カネ、仕事の葛藤」などに触れている。
思うに、数々の問題行動とは裏腹に繊細な人だったのではないか。
これまた本紙に、投球練習中にカメラマンに向けて故意にボールを投げた時の写真が掲載されている。
ほかにも、報道陣を「田んぼに群がるイナゴ」に例える発言が物議をかもすなど、トラブルに事欠かなかった。
筆者の印象ではあるが、メディアとのあつれきが生じるスポーツ選手の多くは、内面に個人的な葛藤を抱えているように思える。
テニスのクルム伊達、サッカー中田英寿氏、イチロー、野茂英雄氏…。
イチローや野茂氏についてはまったく知らないが、伊達も中田氏も最初から報道陣と距離を置いていたわけではない。
報道量が増え、自身のキャリアが積み重なるにしたがって対応が変わっていく。
おそらく、その心中には“あるべきメディア像”みたいなイメージがあり、それにそぐわない取材に対しては拒絶反応が生じるのだろう。
中田氏もペルージャ入り当時は“暴言”が取りざたされたが、伊良部さんの言動も、そうした流れに位置づけられる。
数々の逸脱は繊細さの裏返し――。
という気がしてならない。
http://www.tokyo-sports.co.jp/writer.php?itemid=14857
2011.07.29
プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースで投手として活躍した伊良部秀輝さんが、米ロサンゼルス近郊の自宅で
死去していたことが28日、分かった。
42歳だった。首をつっていたことから、ロサンゼルス郡保安官事務所は自殺とみている。
持ち前の剛球で日米通算106勝をあげる一方で、私生活では暴行、飲酒運転など破天荒な行動で話題を提供してきた伊良部さん。
家族との別居、事業でのトラブル、燃え尽き症候群など、多くの悩みが浮かび上がってきた。
現地の情報を総合すると、伊良部さんの遺体は現地時間27日朝、ロサンゼルス郊外の自宅で発見された。
伊良部さんは草野球チームに所属しており、当日も野球をする予定だったが、姿を見せず、連絡もとれなかったことで心配したチームメートが
自宅を訪ねたところ、伊良部さんとみられる男性が首をつっていた。
すぐに救急車を呼んだが、すでに死亡していたという。
その後、ロサンゼルス郡保安官事務所が自宅を調べ、遺体を確認。
29日に遺体を解剖して死因を特定するが、状況から自殺とみている。
日本人選手最速158キロのストレートを武器に日米で通算106勝をあげ、マウンド上でのふてぶてしいまでの態度が
トレードマークでもあった伊良部さんの死。
現役引退後は、米国でうどん店を経営するなど一時は実業家に転身したものの、現在は無職で子供たちに野球を教えていたという。
友人らによると最近は「鬱病の気があったようだ」という声もある中、周辺の証言から「家族との別居」「事業のトラブル」「燃え尽き症候群」というキーワードが浮かび上がってきた。
伊良部さんが遺体で見つかった自宅には、友人やプロ野球阪神の有志からの献花がささげられ、訪れた人々は手を合わせて別れを告げた。
隣に住む米国人女性は、伊良部さんについて「とてもいい隣人で、奇妙な行動などはなかった」としたものの、「1カ月ぐらい前、落ち込んだ様子で歩く姿を見かけた。最後に本人を見たのは先週の金曜。それ以来、見かけなかったのでおかしいと思っていた。一緒に住んでいた家族は5月ぐらいから姿を見せなくなっていた」と話した。
伊良部さんは、ヤンキース移籍直前の1997年に5歳年下の京淑(きょんす)さんと結婚。
ロサンゼルス郊外のパルロス・デルベスという高級住宅街のプール付きの豪邸に2人の娘と暮らしていた。
しかし、5月から6月にかけて、理由は不明だが、夫人が2人の娘を連れて家を出たころから、様子がおかしくなったという。
さらに友人の日本人男性は、「事業などで人にだまされ、心のよりどころだった家族とも少し前に別居した。知らせを聞いた時、自殺だろうと思った」と涙を浮かべた。
伊良部さんは、阪神引退後の2005年から、ロサンゼルス郊外で「SUPER UDON」といううどん店を経営していた。
開店当初は、日本人客を中心ににぎわっていたものの、07年に閉店。
伊良部さんは、土地のリースの契約が切れたことを理由にしていたが、うどん店経営などをめぐってトラブルに巻き込まれていたようだ。
今年5月、ロサンゼルスで2日間にわたって伊良部さんにインタビューしたノンフィクションライター、田崎健太さんは伊良部さん死亡の一報を耳にした時点で「いやな予感がした」と話す。
取材中の伊良部さんは「とにかく元気がない、覇気がないという印象だった」という。
「大リーグで投げるという夢を果たして、暮らしていくお金にも困っていないが、燃え尽き症候群というか。本当に好きだった野球がケガでできなくなり、『何に対してもやる気が出ない』『次の将来が見えない』と何度も言っていた」野球指導者への興味についてただすと、伊良部さんは「イメージが悪いから。日本の野球界で僕を使うところはないですよ」と答えつつも、「英語も話せないし、日本に帰りたい。家族はこっちがいいと言っているけど…」と望郷の念を募らせていたという。
伊良部さんは、米国永住のため、1年ほど前までグリーンカード(米市民権)を得るための講習会にも通っていた。
しかし、英語が話せないということが大きな壁となった上に、事業でトラブル。
将来の目標がはっきり見えてこない中、家族とも別居。
しかも重度の右手首の腱鞘炎で好きな野球も満足にできない…。
現役時代からグラウンド外でも話題を振りまいてきた。
特に飲酒にまつわるトラブルが多く、引退後の08年8月には、大阪市北区のバーでカードの支払いをめぐって男性店長に暴行し、大阪府警に現行犯逮捕(その後不起訴処分)。
昨年5月にも、ロサンゼルス近郊で酒気帯び運転をして逮捕されている。
阪神時代に通っていた大阪・北新地のクラブママは、伊良部さんの素顔を明かす。
「焼酎を『狂い水じゃぁ』といってガブ飲みしては、高校の校歌を歌っていましたね。ホステスさんに自分のことを一生懸命しゃべって、『おれは背広の懐のところに散弾銃を入れている。いつでも撃てるんや』と強がってました」。
そんな“悪童”も最近は悩みが尽きなかったようだ。
まさに光と影のコントラストが際だっていた伊良部さんの42年間の人生。
個性あふれる剛球投手は、最期まで波乱に満ちていた。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110729/bbl1107291235006-n1.htm
伊良部氏波乱の“ジェットコースター人生”
2011.07.29
158キロの剛球、メジャーリーグのヤンキースで日本選手初のチャンピオンリング獲得…。42歳でこの世を去った伊良部秀輝さん。
死去の一報は瞬く間に世界を駆け巡り、ともに歩み、戦った球界関係者も衝撃を隠さない。
持ち前の剛球のように一気に駆け抜けた人生だった。
伊良部さんは兵庫県尼崎市出身。高校は尽誠学園(香川)に進み、86年、87年に夏の甲子園に出場した。
88年、ドラフト1位でロッテに入団。
150キロ台後半の速球を武器に先発投手として定着した。
93年5月、西武・清原和博との対決で当時日本最速となる球速158キロをマークし、その名が野球ファン以外にも浸透。
清原との力勝負は「平成の名勝負」とも呼ばれた。
96年には2年連続となる最優秀防御率、3年連続の2桁勝利を達成し、球界を代表する投手となった。
だが、そこは勝ち気な剛腕投手。
96年オフ、フロントとの確執などから突如、FA権のないままメジャー移籍を直訴し、パドレスを巻き込んだ三角トレードの末、97年5月、あこがれのヤンキース入りを果たした。
同球団オーナーのジョージ・スタインブレナー氏は当時、「和製・ノーラン・ライアン」と絶賛。
98年には13勝を挙げてチームの世界一に貢献し、日本人選手として初のチャンピオンリングを獲得した。
その一方で、成績が落ちるとオーナーから「太ったヒキガエル」と酷評され、観客から大ブーイングを受けた際にスタンドへ
向けてツバを吐くなど、米メディアには負の面が多く注目された。
ポサダ捕手のリードを批判し、温厚なトーリ監督を激怒させたこともある。
あるメジャー関係者は「先発投手が登板前に数錠飲んでいた興奮剤を大量に摂取し、精神が制御できないことも。全身に入れ墨をほどこし、ロッカールームのチームメートを仰天させたこともあった」と証言した。
6年間プレーしたメジャー生活を経て、03年に阪神で国内復帰を果たしたが、04年オフに戦力外となり、現役引退。
再びセ・パ両リーグへの復帰も描いていたようだが、残念ながら、かなえることはできなくなった。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110729/bbl1107291236007-n1.htm
剛球投手として活躍した伊良部秀輝氏の死去に29日、阪神時代のチームメートらが死を惜しんだ。
兵庫県西宮市の鳴尾浜球場では、伊良部氏とともに2003年の阪神のリーグ優勝に貢献したメンバーが驚きの表情を見せた。
藪恵壹2軍投手コーチは「びっくりした。原因は分からないようだが、本当に残念の一言。超一流。本当に素晴らしい投手だった」と話し、八木裕2軍打撃コーチは「すごく繊細なところがあった」と振り返った。
米大リーグ、ロイヤルズなどでプレーし、関西独立リーグの神戸で投手兼任として活躍するマック鈴木監督も、ショックを隠せなかった。
大リーグ時代は、よく食事をともにした仲。
「先発する前の日は緊張して眠れないと言っていた。それで酒を飲むんだって」と豪快なイメージの裏に隠された繊細な一面が思い出されるという。
「何でなんですかね」と話した。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110729/mlb11072912090010-n1.htm
伊良部秀輝さんが遺体で見つかったロサンゼルス近郊の自宅には28日、友人やプロ野球阪神の有志からの献花がささげられ、
訪れた人々は手を合わせて別れを告げた。
隣に住む米国人女性は「きのうの夕方、(伊良部さんの)複数の友人がやってきて『家の中を調べたいから警察に連絡してほしい』と言うので、私が電話した」と振り返った。警察の捜査や遺体の搬出は、前日の暗くなる前に行われたという。
この女性は伊良部さんについて「とてもいい隣人で、奇妙な行動などはなかった」と話した。
最近の様子に関しては「1カ月ぐらい前、落ち込んだ様子で歩く姿を見かけた。最後に本人を見たのは先週の金曜。
それ以来、見かけなかったのでおかしいと思っていた。一緒に住んでいた家族は5月ぐらいから姿を見せなくなっていた」と言う。
友人の日本人男性は「(伊良部さんは)事業などで人にだまされ、心のよりどころだった家族とも少し前に別居した。
知らせを聞いた時、自殺だろうと思った」と涙を浮かべ、声を震わせた。
(ロサンゼルス時事)。
(2011/07/29-10:57)
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011072900333
伊良部秀輝さん死亡、自殺と断定・・・過去1年ほどは精神科に通院・・・薬物(抗うつ剤など)検査も実施
http://blog.goo.ne.jp/alcoholismgoo/e/f849ce0ab0c4862691ec941f734725a7
「うつ状態で、精神安定剤を服用か」の報道が事実だとすると精神安定剤のせいで自殺した可能性もでてきます。
うつ状態の人が医師から処方される精神安定剤は覚醒剤と同じようなもので覚醒作用があるので慢性的な寝不足になるし体も脳も疲労でボロボロになります。
これにアルコールを飲んでたらどうしようもない。
下記、1番上の記事「うつ状態で、精神安定剤を服用していたのではないか」。
下記、上から2番目の記事「焼酎を『狂い水じゃぁ』といってガブ飲み」。
下記、上から3番目の記事「先発投手が登板前に数錠飲んでいた興奮剤を大量に摂取し、精神が制御できないことも。全身に入れ墨をほどこし、ロッカールームのチームメートを仰天させたこともあった」。
下記、上から4番目の記事「先発する前の日は緊張して眠れないと言っていた。それで酒を飲むんだって」。
下記、上から5番目の記事「(伊良部さんは)事業などで人にだまされ」。
長期間、アルコール(体を弛緩させる作用)と精神安定剤(体を興奮させる作用)をやってたのかもしれない。
伊良部秀輝さん、または逸脱に隠された繊細
2011年07月29日 11:55
起き抜けに知った「伊良部さん死す」のニュースには驚いた。
42歳。年上の工藤公康(48)、山本昌広(46=中日)はまだ現役投手。
「同い年事典」(黒川祥子、新潮選書)によると、同じ1969年生まれのスポーツ選手には、元横綱のプロレスラー曙やJRAジョッキー武豊のように現在も第一線で活躍する者がいれば、フィギュアの伊藤みどりさん、スキーの荻原健司氏、スケートの黒岩敏幸氏という五輪メダリストも名を連ねる。
あの橋下徹大阪府知事もこの年生まれ。伊良部さん逝去は、まったく早いとしか言いようがない。
暮らしていた米ロサンゼルスの日系ビジネス関係者に日本時間29日朝に電話すると、まだ知らなかったり、一報に接したばかり、といった反応だった。
引退後はうどん店経営に乗り出し、一時期は成功したものの、やがてうまくいかなくなり撤退。
自宅のあるランチョ・パロス・バーデスは高級住宅地として知られるが、本人は地元の“セレブ”というわけでもなく、表舞台に登場することもなかった。
「ロスの日本人社会はいま、バラバラなんです。日系人も1世の人は生きていれば100歳以上だし、もう3世でも年をとっている時代。こちらにいる日本人といっても、日本人商工会のような団体にでも入っている人のことでもなければ、情報が伝わってこない。売れない芸能人が増えている。野球選手では、長谷川さん(滋利投手=元エンゼルス、マリナーズ=42)が今度、講演に来ると聞いたけれど…」(ロス在住者)
ロスでは“ひっそり”と生活していた感のある伊良部さんだが、さすがにヤンキースで活躍した剛腕とあって、米メディアなどはその死に大きく反応した。
ロス在住のスポーツ報道関係者いわく「朝日新聞のニュースを転載しているサイトがあったり、メジャーリーグ(MLB)のサイトもやっている」。
MLBの公式サイトを見たら、すさまじい反響。
現地時間28日のニュース一覧で、寄せられたコメントは200件に迫り、この日トップ級の数だった。
この関係者によると、伊良部さんの近況については「うつ状態で、精神安定剤を服用していたのではないか」と話していたメディア関係者もいるという。本紙記事も「カネ、仕事の葛藤」などに触れている。
思うに、数々の問題行動とは裏腹に繊細な人だったのではないか。
これまた本紙に、投球練習中にカメラマンに向けて故意にボールを投げた時の写真が掲載されている。
ほかにも、報道陣を「田んぼに群がるイナゴ」に例える発言が物議をかもすなど、トラブルに事欠かなかった。
筆者の印象ではあるが、メディアとのあつれきが生じるスポーツ選手の多くは、内面に個人的な葛藤を抱えているように思える。
テニスのクルム伊達、サッカー中田英寿氏、イチロー、野茂英雄氏…。
イチローや野茂氏についてはまったく知らないが、伊達も中田氏も最初から報道陣と距離を置いていたわけではない。
報道量が増え、自身のキャリアが積み重なるにしたがって対応が変わっていく。
おそらく、その心中には“あるべきメディア像”みたいなイメージがあり、それにそぐわない取材に対しては拒絶反応が生じるのだろう。
中田氏もペルージャ入り当時は“暴言”が取りざたされたが、伊良部さんの言動も、そうした流れに位置づけられる。
数々の逸脱は繊細さの裏返し――。
という気がしてならない。
http://www.tokyo-sports.co.jp/writer.php?itemid=14857
2011.07.29
プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースで投手として活躍した伊良部秀輝さんが、米ロサンゼルス近郊の自宅で
死去していたことが28日、分かった。
42歳だった。首をつっていたことから、ロサンゼルス郡保安官事務所は自殺とみている。
持ち前の剛球で日米通算106勝をあげる一方で、私生活では暴行、飲酒運転など破天荒な行動で話題を提供してきた伊良部さん。
家族との別居、事業でのトラブル、燃え尽き症候群など、多くの悩みが浮かび上がってきた。
現地の情報を総合すると、伊良部さんの遺体は現地時間27日朝、ロサンゼルス郊外の自宅で発見された。
伊良部さんは草野球チームに所属しており、当日も野球をする予定だったが、姿を見せず、連絡もとれなかったことで心配したチームメートが
自宅を訪ねたところ、伊良部さんとみられる男性が首をつっていた。
すぐに救急車を呼んだが、すでに死亡していたという。
その後、ロサンゼルス郡保安官事務所が自宅を調べ、遺体を確認。
29日に遺体を解剖して死因を特定するが、状況から自殺とみている。
日本人選手最速158キロのストレートを武器に日米で通算106勝をあげ、マウンド上でのふてぶてしいまでの態度が
トレードマークでもあった伊良部さんの死。
現役引退後は、米国でうどん店を経営するなど一時は実業家に転身したものの、現在は無職で子供たちに野球を教えていたという。
友人らによると最近は「鬱病の気があったようだ」という声もある中、周辺の証言から「家族との別居」「事業のトラブル」「燃え尽き症候群」というキーワードが浮かび上がってきた。
伊良部さんが遺体で見つかった自宅には、友人やプロ野球阪神の有志からの献花がささげられ、訪れた人々は手を合わせて別れを告げた。
隣に住む米国人女性は、伊良部さんについて「とてもいい隣人で、奇妙な行動などはなかった」としたものの、「1カ月ぐらい前、落ち込んだ様子で歩く姿を見かけた。最後に本人を見たのは先週の金曜。それ以来、見かけなかったのでおかしいと思っていた。一緒に住んでいた家族は5月ぐらいから姿を見せなくなっていた」と話した。
伊良部さんは、ヤンキース移籍直前の1997年に5歳年下の京淑(きょんす)さんと結婚。
ロサンゼルス郊外のパルロス・デルベスという高級住宅街のプール付きの豪邸に2人の娘と暮らしていた。
しかし、5月から6月にかけて、理由は不明だが、夫人が2人の娘を連れて家を出たころから、様子がおかしくなったという。
さらに友人の日本人男性は、「事業などで人にだまされ、心のよりどころだった家族とも少し前に別居した。知らせを聞いた時、自殺だろうと思った」と涙を浮かべた。
伊良部さんは、阪神引退後の2005年から、ロサンゼルス郊外で「SUPER UDON」といううどん店を経営していた。
開店当初は、日本人客を中心ににぎわっていたものの、07年に閉店。
伊良部さんは、土地のリースの契約が切れたことを理由にしていたが、うどん店経営などをめぐってトラブルに巻き込まれていたようだ。
今年5月、ロサンゼルスで2日間にわたって伊良部さんにインタビューしたノンフィクションライター、田崎健太さんは伊良部さん死亡の一報を耳にした時点で「いやな予感がした」と話す。
取材中の伊良部さんは「とにかく元気がない、覇気がないという印象だった」という。
「大リーグで投げるという夢を果たして、暮らしていくお金にも困っていないが、燃え尽き症候群というか。本当に好きだった野球がケガでできなくなり、『何に対してもやる気が出ない』『次の将来が見えない』と何度も言っていた」野球指導者への興味についてただすと、伊良部さんは「イメージが悪いから。日本の野球界で僕を使うところはないですよ」と答えつつも、「英語も話せないし、日本に帰りたい。家族はこっちがいいと言っているけど…」と望郷の念を募らせていたという。
伊良部さんは、米国永住のため、1年ほど前までグリーンカード(米市民権)を得るための講習会にも通っていた。
しかし、英語が話せないということが大きな壁となった上に、事業でトラブル。
将来の目標がはっきり見えてこない中、家族とも別居。
しかも重度の右手首の腱鞘炎で好きな野球も満足にできない…。
現役時代からグラウンド外でも話題を振りまいてきた。
特に飲酒にまつわるトラブルが多く、引退後の08年8月には、大阪市北区のバーでカードの支払いをめぐって男性店長に暴行し、大阪府警に現行犯逮捕(その後不起訴処分)。
昨年5月にも、ロサンゼルス近郊で酒気帯び運転をして逮捕されている。
阪神時代に通っていた大阪・北新地のクラブママは、伊良部さんの素顔を明かす。
「焼酎を『狂い水じゃぁ』といってガブ飲みしては、高校の校歌を歌っていましたね。ホステスさんに自分のことを一生懸命しゃべって、『おれは背広の懐のところに散弾銃を入れている。いつでも撃てるんや』と強がってました」。
そんな“悪童”も最近は悩みが尽きなかったようだ。
まさに光と影のコントラストが際だっていた伊良部さんの42年間の人生。
個性あふれる剛球投手は、最期まで波乱に満ちていた。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110729/bbl1107291235006-n1.htm
伊良部氏波乱の“ジェットコースター人生”
2011.07.29
158キロの剛球、メジャーリーグのヤンキースで日本選手初のチャンピオンリング獲得…。42歳でこの世を去った伊良部秀輝さん。
死去の一報は瞬く間に世界を駆け巡り、ともに歩み、戦った球界関係者も衝撃を隠さない。
持ち前の剛球のように一気に駆け抜けた人生だった。
伊良部さんは兵庫県尼崎市出身。高校は尽誠学園(香川)に進み、86年、87年に夏の甲子園に出場した。
88年、ドラフト1位でロッテに入団。
150キロ台後半の速球を武器に先発投手として定着した。
93年5月、西武・清原和博との対決で当時日本最速となる球速158キロをマークし、その名が野球ファン以外にも浸透。
清原との力勝負は「平成の名勝負」とも呼ばれた。
96年には2年連続となる最優秀防御率、3年連続の2桁勝利を達成し、球界を代表する投手となった。
だが、そこは勝ち気な剛腕投手。
96年オフ、フロントとの確執などから突如、FA権のないままメジャー移籍を直訴し、パドレスを巻き込んだ三角トレードの末、97年5月、あこがれのヤンキース入りを果たした。
同球団オーナーのジョージ・スタインブレナー氏は当時、「和製・ノーラン・ライアン」と絶賛。
98年には13勝を挙げてチームの世界一に貢献し、日本人選手として初のチャンピオンリングを獲得した。
その一方で、成績が落ちるとオーナーから「太ったヒキガエル」と酷評され、観客から大ブーイングを受けた際にスタンドへ
向けてツバを吐くなど、米メディアには負の面が多く注目された。
ポサダ捕手のリードを批判し、温厚なトーリ監督を激怒させたこともある。
あるメジャー関係者は「先発投手が登板前に数錠飲んでいた興奮剤を大量に摂取し、精神が制御できないことも。全身に入れ墨をほどこし、ロッカールームのチームメートを仰天させたこともあった」と証言した。
6年間プレーしたメジャー生活を経て、03年に阪神で国内復帰を果たしたが、04年オフに戦力外となり、現役引退。
再びセ・パ両リーグへの復帰も描いていたようだが、残念ながら、かなえることはできなくなった。
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110729/bbl1107291236007-n1.htm
剛球投手として活躍した伊良部秀輝氏の死去に29日、阪神時代のチームメートらが死を惜しんだ。
兵庫県西宮市の鳴尾浜球場では、伊良部氏とともに2003年の阪神のリーグ優勝に貢献したメンバーが驚きの表情を見せた。
藪恵壹2軍投手コーチは「びっくりした。原因は分からないようだが、本当に残念の一言。超一流。本当に素晴らしい投手だった」と話し、八木裕2軍打撃コーチは「すごく繊細なところがあった」と振り返った。
米大リーグ、ロイヤルズなどでプレーし、関西独立リーグの神戸で投手兼任として活躍するマック鈴木監督も、ショックを隠せなかった。
大リーグ時代は、よく食事をともにした仲。
「先発する前の日は緊張して眠れないと言っていた。それで酒を飲むんだって」と豪快なイメージの裏に隠された繊細な一面が思い出されるという。
「何でなんですかね」と話した。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110729/mlb11072912090010-n1.htm
伊良部秀輝さんが遺体で見つかったロサンゼルス近郊の自宅には28日、友人やプロ野球阪神の有志からの献花がささげられ、
訪れた人々は手を合わせて別れを告げた。
隣に住む米国人女性は「きのうの夕方、(伊良部さんの)複数の友人がやってきて『家の中を調べたいから警察に連絡してほしい』と言うので、私が電話した」と振り返った。警察の捜査や遺体の搬出は、前日の暗くなる前に行われたという。
この女性は伊良部さんについて「とてもいい隣人で、奇妙な行動などはなかった」と話した。
最近の様子に関しては「1カ月ぐらい前、落ち込んだ様子で歩く姿を見かけた。最後に本人を見たのは先週の金曜。
それ以来、見かけなかったのでおかしいと思っていた。一緒に住んでいた家族は5月ぐらいから姿を見せなくなっていた」と言う。
友人の日本人男性は「(伊良部さんは)事業などで人にだまされ、心のよりどころだった家族とも少し前に別居した。
知らせを聞いた時、自殺だろうと思った」と涙を浮かべ、声を震わせた。
(ロサンゼルス時事)。
(2011/07/29-10:57)
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011072900333
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