先日はご参加いただきありがとうございました。
このブログ読んでる方で参加された方がいるのか謎ですが…
満員御礼で150名強のお客さんのご参加をもってイベントを終えることができました。
3部構成で「戦後史」「映画」「作家」と、それぞれの切り口で語られる連合赤軍はやはり『よど号事件』や『日本赤軍』等の、赤軍派から派生した他の現象とは違うもの、興味への根本が別次元である「人間」そのものを扱う事象として再認識させてくれました。
詳しくは『連合赤軍事件の全体像を残す会』の公式ページからどうぞ。
まあただ時間がめちゃくちゃ少なかった。
これだけ豪華なゲストを呼んで、1部につき1時間は無茶もいいとこでした。
あと、
かんじんな俺の映画の予告編が間に合わなかったが「どうなってんの」という声は1名のお客様からしか聞かれず、悲しかった。金返せとか言ってほしかった。
印象的だったのはやはり自分が深く関わっているからでしょう『第2部 ≪映画がとらえた連合赤軍≫』で、足立正生監督大暴走で司会ハイジャックを敢行し、思いっきり自分のペースに持ち込んでました。
内容は主に若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の有名なセリフ「勇気がなかったんだよ!」を巡るやりとり。
この映画で最も議論に上がることが多いシーンなのですが、わたしもこのセリフが、この素晴らしい映画を一気にダメにしている部分だと思っています。
ひとつの事象を再検証する時、送り手である個人の感情を爆発させる事は、最もやってはいけないことだと考えているからです。
だってこの人達、まだ生きてるわけです。昔のこと、終わったことではありますが、まだ45年前の出来事なんです。
「勇気がなかった」というのは、そういうことを彼がもし本当に言ったとしても、ああいう演技でやらせては駄目でしょう… と。
例えて言うと、ドキュメント見てたらいきなり感傷的な音楽が流れてしらける、あの感じです。
だからこそ、はまる人にはぴたっとはまる演出だとは思いますが。
足立監督はこのシーンを「『勇気』が違う意味にされ、慙愧に堪えない」「革命をやろうとする中で、悩むこと、わからないこと、疑問に思うこと、それを認めて引き受けることが『勇気』だと思う」と語りました。
そこであることを思い出しました。
3年ほど前だったか、何かの帰りに足立監督が唐突に「これからの運動(自分たちがやってきたこと)はお前が担え」と言い出しました。ふざけて「俺に運動だとか活動なんてできるわけないじゃないですか!俺がそんなことやれるって思ってます?」と笑いながら言うと、「やれる。お前はできない事は『できない』と言う。だからやれる」と帰ってきました。
何を言ってるんだろう… と思いましたが、つまりこの『勇気』にまつわることを言っていたのかもしれません。
よど号も、連合赤軍も、日本赤軍も、彼らの運動・活動は失敗続きでした。
それは今という現状がなによりも物語っています。
だからこそ、その敗北の積み重ねと個人の姿勢を、足立監督は重要視しているのかもしれません。
闇を闇として、それでも前に進む。そういうことを何十何百と積み重ねることが、革命には必要なのでしょうか。
革命に敗北はあっても挫折はない。
ということで。
今、同じように「お前がやれ」と言われたら「嫌でございます」と即答しますが。
このブログ読んでる方で参加された方がいるのか謎ですが…
満員御礼で150名強のお客さんのご参加をもってイベントを終えることができました。
3部構成で「戦後史」「映画」「作家」と、それぞれの切り口で語られる連合赤軍はやはり『よど号事件』や『日本赤軍』等の、赤軍派から派生した他の現象とは違うもの、興味への根本が別次元である「人間」そのものを扱う事象として再認識させてくれました。
詳しくは『連合赤軍事件の全体像を残す会』の公式ページからどうぞ。
まあただ時間がめちゃくちゃ少なかった。
これだけ豪華なゲストを呼んで、1部につき1時間は無茶もいいとこでした。
あと、
かんじんな俺の映画の予告編が間に合わなかったが「どうなってんの」という声は1名のお客様からしか聞かれず、悲しかった。金返せとか言ってほしかった。
印象的だったのはやはり自分が深く関わっているからでしょう『第2部 ≪映画がとらえた連合赤軍≫』で、足立正生監督大暴走で司会ハイジャックを敢行し、思いっきり自分のペースに持ち込んでました。
内容は主に若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の有名なセリフ「勇気がなかったんだよ!」を巡るやりとり。
この映画で最も議論に上がることが多いシーンなのですが、わたしもこのセリフが、この素晴らしい映画を一気にダメにしている部分だと思っています。
ひとつの事象を再検証する時、送り手である個人の感情を爆発させる事は、最もやってはいけないことだと考えているからです。
だってこの人達、まだ生きてるわけです。昔のこと、終わったことではありますが、まだ45年前の出来事なんです。
「勇気がなかった」というのは、そういうことを彼がもし本当に言ったとしても、ああいう演技でやらせては駄目でしょう… と。
例えて言うと、ドキュメント見てたらいきなり感傷的な音楽が流れてしらける、あの感じです。
だからこそ、はまる人にはぴたっとはまる演出だとは思いますが。
足立監督はこのシーンを「『勇気』が違う意味にされ、慙愧に堪えない」「革命をやろうとする中で、悩むこと、わからないこと、疑問に思うこと、それを認めて引き受けることが『勇気』だと思う」と語りました。
そこであることを思い出しました。
3年ほど前だったか、何かの帰りに足立監督が唐突に「これからの運動(自分たちがやってきたこと)はお前が担え」と言い出しました。ふざけて「俺に運動だとか活動なんてできるわけないじゃないですか!俺がそんなことやれるって思ってます?」と笑いながら言うと、「やれる。お前はできない事は『できない』と言う。だからやれる」と帰ってきました。
何を言ってるんだろう… と思いましたが、つまりこの『勇気』にまつわることを言っていたのかもしれません。
よど号も、連合赤軍も、日本赤軍も、彼らの運動・活動は失敗続きでした。
それは今という現状がなによりも物語っています。
だからこそ、その敗北の積み重ねと個人の姿勢を、足立監督は重要視しているのかもしれません。
闇を闇として、それでも前に進む。そういうことを何十何百と積み重ねることが、革命には必要なのでしょうか。
革命に敗北はあっても挫折はない。
ということで。
今、同じように「お前がやれ」と言われたら「嫌でございます」と即答しますが。
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