石巻市立渡波小学校を後にし、引き続き南三陸へ向かう。
女川町に入り、前回も立ち寄ったマリンパル女川 おさかな市場で休憩。
にぎやか。
中も外もけっこうな人。地元メディアの取材も訪れていました。
商店街ひとつひとつのお店のポスターが貼られており、気に入ったものを投票する催しが行われておりました。
チンコ。
パチンコとかけたかったのだろう。分かってあげよう。
そしてこちらも、前回の訪問で訪れた女川街道と女川港を見下ろす風景。
これには少しショックを受けました。
江島共済会館、女川サプリメント、七十七銀行といった数々の震災遺構がすべて取り壊され、更地となっていました。
しかしこれもまた、復興の一端なんだろうと思います。
もはやどこに何があったのか、分からなくなってきます。
「昔ここに何があったのか分からなくなる」というのは切ないというか。普通に暮らしていてもそういうことってありますね。
この場合はちょっと違うかもしれませんが。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
こうした慰霊碑等は以前と変わらず置かれていました。
こちらは新しく作られた石碑。「いのちの石碑プロジェクト」というものだそうです。
女川港の震災遺構前にあった数々の慰霊碑やお供えは、こちら側の高台に移し変えられていました。
そうした中で、女川交番は震災遺構としての「価値が認められ」保存が決まったそうです。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
震災遺構有識者会議、旧女川交番など4遺構評価 宮城 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/141219/rgn1412190021-n1.html
続いて、ここからすぐ近くの女川駅へ。
女川駅は震災によりほぼ全てが損壊・流失し、2015年3月21日に200メートル内陸側に移して新しく建てられました。
今風というか、オシャレ。
地元のタクシー運転手が観光客へ話した内容を聞いたのですが「車椅子が使いにくいって話だ。いい声はあんまり聞かない」とのことでした。
石巻線全線が復旧 女川駅再開からはじまる「まちびらき」 〈dot.〉|朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/dot/2015032200013.html
駅舎からの風景
震災前は駅に隣接していた町営温泉「ゆぽっぽ」が併設。
路線図
めしを食いに「きぼうのかね商店街」へ移動。
ここにも前回訪れました。休日だからか、活気があまりありませんでした。というかほとんどの店が閉まっていた。めし食えなかった。
とりあえず八百屋で饅頭を買って飢えをしのぐ。
人もあまりおらず、ここにいても仕方がないので次の目的地へ。
移動中「ああ、復興してるんだな」という風景がちらほら見えました。
そしてこの風景が持つ意味が分かった時、これらが今回の旅で一番突き刺さるものになりました。
いわゆる“かさ上げ”です。
震災4年、変わりゆく祈りの場 かさ上げで撤去や移転:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH3B5SQ8H3BUTIL03D.html
被災地で進む「かさ上げ事業」 廃れる街をよそに自治体は楽観的
http://news.livedoor.com/article/detail/9892193/
こういった風景がえんえんと続きます。
本当に途方もないくらい。
「え、これどうするの?」と思ってしまいます。
2年前、震災遺構を見たときに感じた「住んでいる人たちの気持ち」と「実行する側の思惑」を考えさせられました。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
女川町に入り、前回も立ち寄ったマリンパル女川 おさかな市場で休憩。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
【2013年の写真】
にぎやか。
中も外もけっこうな人。地元メディアの取材も訪れていました。
商店街ひとつひとつのお店のポスターが貼られており、気に入ったものを投票する催しが行われておりました。
チンコ。
パチンコとかけたかったのだろう。分かってあげよう。
そしてこちらも、前回の訪問で訪れた女川街道と女川港を見下ろす風景。
これには少しショックを受けました。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
【2013年の写真】
江島共済会館、女川サプリメント、七十七銀行といった数々の震災遺構がすべて取り壊され、更地となっていました。
しかしこれもまた、復興の一端なんだろうと思います。
もはやどこに何があったのか、分からなくなってきます。
「昔ここに何があったのか分からなくなる」というのは切ないというか。普通に暮らしていてもそういうことってありますね。
この場合はちょっと違うかもしれませんが。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
こうした慰霊碑等は以前と変わらず置かれていました。
こちらは新しく作られた石碑。「いのちの石碑プロジェクト」というものだそうです。
女川港の震災遺構前にあった数々の慰霊碑やお供えは、こちら側の高台に移し変えられていました。
そうした中で、女川交番は震災遺構としての「価値が認められ」保存が決まったそうです。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
震災遺構有識者会議、旧女川交番など4遺構評価 宮城 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/141219/rgn1412190021-n1.html
続いて、ここからすぐ近くの女川駅へ。
女川駅は震災によりほぼ全てが損壊・流失し、2015年3月21日に200メートル内陸側に移して新しく建てられました。
今風というか、オシャレ。
地元のタクシー運転手が観光客へ話した内容を聞いたのですが「車椅子が使いにくいって話だ。いい声はあんまり聞かない」とのことでした。
石巻線全線が復旧 女川駅再開からはじまる「まちびらき」 〈dot.〉|朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/dot/2015032200013.html
駅舎からの風景
震災前は駅に隣接していた町営温泉「ゆぽっぽ」が併設。
路線図
めしを食いに「きぼうのかね商店街」へ移動。
ここにも前回訪れました。休日だからか、活気があまりありませんでした。というかほとんどの店が閉まっていた。めし食えなかった。
【2015年の写真】
【2013年の写真】
【2013年の写真】
とりあえず八百屋で饅頭を買って飢えをしのぐ。
人もあまりおらず、ここにいても仕方がないので次の目的地へ。
移動中「ああ、復興してるんだな」という風景がちらほら見えました。
そしてこの風景が持つ意味が分かった時、これらが今回の旅で一番突き刺さるものになりました。
いわゆる“かさ上げ”です。
震災4年、変わりゆく祈りの場 かさ上げで撤去や移転:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH3B5SQ8H3BUTIL03D.html
被災地で進む「かさ上げ事業」 廃れる街をよそに自治体は楽観的
http://news.livedoor.com/article/detail/9892193/
こういった風景がえんえんと続きます。
本当に途方もないくらい。
「え、これどうするの?」と思ってしまいます。
2年前、震災遺構を見たときに感じた「住んでいる人たちの気持ち」と「実行する側の思惑」を考えさせられました。
【2015年の写真】
【2013年の写真】