ちくわブログ

ちくわの夜明け

被災地のその後 2015 その2

2015-08-26 21:05:27 | 東日本大震災
石巻市立渡波小学校を後にし、引き続き南三陸へ向かう。


女川町に入り、前回も立ち寄ったマリンパル女川 おさかな市場で休憩。
【2015年の写真】


【2013年の写真】

にぎやか。

中も外もけっこうな人。地元メディアの取材も訪れていました。



商店街ひとつひとつのお店のポスターが貼られており、気に入ったものを投票する催しが行われておりました。

チンコ。


パチンコとかけたかったのだろう。分かってあげよう。


そしてこちらも、前回の訪問で訪れた女川街道と女川港を見下ろす風景。
これには少しショックを受けました。

【2015年の写真】


【2013年の写真】

江島共済会館、女川サプリメント、七十七銀行といった数々の震災遺構がすべて取り壊され、更地となっていました。
しかしこれもまた、復興の一端なんだろうと思います。






もはやどこに何があったのか、分からなくなってきます。
「昔ここに何があったのか分からなくなる」というのは切ないというか。普通に暮らしていてもそういうことってありますね。
この場合はちょっと違うかもしれませんが。

【2015年の写真】


【2013年の写真】


こうした慰霊碑等は以前と変わらず置かれていました。




こちらは新しく作られた石碑。「いのちの石碑プロジェクト」というものだそうです。


女川港の震災遺構前にあった数々の慰霊碑やお供えは、こちら側の高台に移し変えられていました。



そうした中で、女川交番は震災遺構としての「価値が認められ」保存が決まったそうです。


【2015年の写真】


【2013年の写真】

震災遺構有識者会議、旧女川交番など4遺構評価 宮城 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/141219/rgn1412190021-n1.html


続いて、ここからすぐ近くの女川駅へ。
女川駅は震災によりほぼ全てが損壊・流失し、2015年3月21日に200メートル内陸側に移して新しく建てられました。



今風というか、オシャレ。
地元のタクシー運転手が観光客へ話した内容を聞いたのですが「車椅子が使いにくいって話だ。いい声はあんまり聞かない」とのことでした。

石巻線全線が復旧 女川駅再開からはじまる「まちびらき」 〈dot.〉|朝日新聞出版
http://dot.asahi.com/dot/2015032200013.html

駅舎からの風景





震災前は駅に隣接していた町営温泉「ゆぽっぽ」が併設。

路線図


めしを食いに「きぼうのかね商店街」へ移動。

ここにも前回訪れました。休日だからか、活気があまりありませんでした。というかほとんどの店が閉まっていた。めし食えなかった。
【2015年の写真】




【2013年の写真】



とりあえず八百屋で饅頭を買って飢えをしのぐ。
人もあまりおらず、ここにいても仕方がないので次の目的地へ。

移動中「ああ、復興してるんだな」という風景がちらほら見えました。

そしてこの風景が持つ意味が分かった時、これらが今回の旅で一番突き刺さるものになりました。

いわゆる“かさ上げ”です。

震災4年、変わりゆく祈りの場 かさ上げで撤去や移転:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH3B5SQ8H3BUTIL03D.html

被災地で進む「かさ上げ事業」 廃れる街をよそに自治体は楽観的
http://news.livedoor.com/article/detail/9892193/

こういった風景がえんえんと続きます。
本当に途方もないくらい。
「え、これどうするの?」と思ってしまいます。

2年前、震災遺構を見たときに感じた「住んでいる人たちの気持ち」と「実行する側の思惑」を考えさせられました。


【2015年の写真】


【2013年の写真】
コメント (2)
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伝説のやさぐれ・百津美玲

2015-08-18 22:51:59 | 映画制作
先日、女優・百津美玲さんの写真を撮りました。



なんでこういうことになったかというと、そもそもの話が酒を飲んでいたためあまり覚えていません。
なるべくしてなったのだ。物事とはすべからくそのようなものなのだ。


百津さんとはある撮影がきっかけで知り合いました。
役に入った時の豹変っぷりがすごくて「うわっ こんな人いたっけ」と思いました。
すごく忙しい撮影だったのであんまり演者さんのことを見れてなくて、次々にカットこなしてったらファインダーの先に上写真のような目つきの百津さんがいたのです。

しみじみびっくりした。
お分かりいただけるだろうか。

それで百津さんが出演されてる舞台(主に月蝕歌劇団)なんかを観に行って「やっぱすごいなあ」と思った次第です。
こんな半分うそみたいなブログで書いてもあれなのでスゴイスゴイ言うのもやめておきますが、まあスゴイ。
若さや美しさってそれだけで武器だと思うけど、そういうんじゃないんです。彼女の演技や表情に、何かを欲求する禍々しさや雄々しさ、気高さを感じるんです。

カッコイイ~

という文章をわたしが書いてみたところでやっぱりうそっぽいので、あの時、ファインダーを覗いた時に思い出した『金閣寺』からの一文を引用します。


「不具者も、美貌の女も、見られることに疲れて、見られる存在であることに飽き果てて、追いつめられて、存在そのもので見返している。見たほうが勝なのだ。」
三島由紀夫『金閣寺』




そろそろお前うるさい、いいから写真見せろとの声が聞こえてきそうなので見せます。
すいませんでした。


ガンくれ百津


はしごと百津


アル中百津




みそ汁百津


居酒屋百津


撮影百津


のぞき見百津


ドラゴン百津




ペロペロ百津



ポートレートとか撮ったことないのですごい緊張した。
衣装も小道具も全部ご自身もちです。
ペロペロキャンディー舐めてる時に「もっと舌を出して!」と言ったときは嫌われるのを覚悟しました。

新宿を歩きながら撮ったのですが、途中迷って東新宿あたりのラブホ街に出てしまい「突っ切るしかねえ」とデリカシーのかけらもないことをしました。
この人がもうちょっと若かったら俺は連行されてるかもしれない、とか頭をよぎった。

こんな可愛くておへそを出して不思議なカバンを持った女性と15以上歳の離れているオッサンがいっしょに歩いてるのを外からはどう見えるんだろう。


まじめな話、彼女の表現する熱だとかそういったものに俺の写真技術は追いつけてるんだろうか、ということは思いました。
今でも思ってますが…

ちなみに「やさぐれ百津」とか適当なこと言ってますが、あくまで設定であってご本人は普段ニコニコしてる笑顔の可愛いものすごーいい子です。



応援しよう!!!



以上。
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被災地のその後 2015 その1

2015-08-02 22:31:40 | 東日本大震災
先日、2年ぶりに被災地のその後でご一緒したYさんと被災地を訪れました。
お仕事では去年仙台に来たのですが、こうして「観光客」として訪れるのは久しぶりです。


せっかく同じ場所に行くので、どうせならできるだけ同アングルで撮って比較してみようと思いました。
準備不足であまり同アングルじゃないのもありますが。


前日にレンタカーで仙台入り。SAに寄ると身元不明の方々のポスターが。

めしを食い、少し車中で寝る。

朝の濃い霧の中を海沿いに走りました。




復興した仙石線。


その後温泉に入りました。



とてもいい湯で寝不足脂ギトギトの中年男性二人はたいへん潤いました。
すごくいい雰囲気。








松島に到着。

【2015年の写真】


【2013年の写真】

変わらないですが、一応。

観光客も相変わらず多く、賑わっていました。
なんだかやたら腹が減っていたので穴子丼を食う。

南三陸に向かって進む。







石巻に到着。


避難所となっていた石巻市立渡波小学校。
【2015年の写真】




【2013年の写真】



校舎が塗り替えられ、鉄の柵が無くなり、開放された校庭で児童たちが遊んだり部活動に励んでいました。
ほっこりして嬉しくなるような光景。

復興は進んでないかもしれないけど、息づいているものの萌芽が確かにあるんだなぁと。

そして、今年全線復旧した石巻線。
【2015年の写真】


【2013年の写真】


現地に行き、訪れた場所について調べてみれば、リアルタイムでいろいろな復興がなされていることに気付きます。
その一方で、どうにもならないような虚無感に襲われる光景も目にしました。

やはり距離が離れていればそれだけ情報に対する鮮度も感覚も薄れていってしまう。
悲しいけど少なくとも自分の場合はそうなんだな、と思わせられました。

【2015年の写真】


【2013年の写真】
コメント (2)
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