ちくわブログ

ちくわの夜明け

乳首と和解せよ

2014-08-30 16:27:15 | Weblog
先日、ゲーセンのレゲーコーナーで、大昔の脱衣ブロック崩しを見つけました。




昔のゲーセンにはよく脱衣麻雀とかこういった脱衣ゲームがお店の奥にあったものです。
ドットで描かれたエロは妙にエロく、かえってなまめかしく感じられ、そういうコーナーをチラチラ横目で見つつダブルドラゴンとか源平討魔伝で少ない小遣いを散らしたものでした。



しかし今ならできる。
今なら彼女たちの8ビット乳首を拝むことができる!

そう思い立ち、そこそこコンティニュー覚悟で100円玉を用意し、乳首に挑戦することにしました。

今から俺は、この女の乳首を見る!!!

夢の世界へ100円玉挿入。


ステージクリア。最初はかんたん。
クリアの毎に、以下のような姿態を拝むことができます。

なんだか感じていらっしゃるので、タマがブロックを崩すと性感帯を刺激するのかもしれません。期待が高まります。
だがしかしまだ乳首には遠い。

どんどん難しくなりますが、まだ大丈夫。クリア。

この辺からコンティニューを数回。
なんだかじれったい。
クリアしてもクリアしても、あまり「消し」が減りません。

さあ次はどうだと数ステージクリア。

あ、
乳首まだなんですか。


なんか千円くらい使っちゃいそうだったのでこの辺でやめときました。



あの、昔歌舞伎町のヘルスで「コノ先3千円ヨ」「マダ脱ぐなら5千円ネ」とか言われて腹が立って
「もういい、そこでおっぱい(ブラ着用)見せてて。あとは自分でやる」
と言って中国人の風俗嬢の前でシコって帰ったこと思い出しました。



乳首くらい見せて。

ああでも、昔ってこんなんだったなー。
ネットはもちろん、攻略本なんかなかったので脱衣ゲームで乳首を拝むってことは、けっこうなスキルとマネーとストラテジーを必要としたのです。
そういう時代の。古きよきほのぼのとした「じらし」。

けなげで色っぽいじゃないか。



諸君。
乳首とは尊いものである。
そういった認識を今一度自ら再確認、点検することで新たなる飛躍をかちとろう!!!



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うち水っ娘大集合に行ってきた 2014

2014-08-24 19:55:09 | Weblog
今年もこりずに参加してきました。


周りのガチなカメコさんの会話から知ったのですが、去年からの淡白な、というかフラットな、いいのか悪いのか分からない変化はどうも警察かどこかからの指導が入ったようです。
ぜんぜんメイドさん現れないなーと思ってたら、こういうことだったのでした。あーーーあ。





以前は30分前に行けばけっこうな人だかりだったのですが、この通りガラーーっとしてました。
撮影のために付近に立ち止まることも堅く禁じられており、立ち止まるとカメコどころか一般人も殺されておりました。

もはや撮影できるスポットはUDXのペデストリアンデッキしかないのでこのように俯瞰。






どうでもいいけど野郎が多い。

メイドさんがメイド服の代わりに浴衣を着用、あと参加が少なくなったのか、どこかの代表とかそういった男性参加者も多かったです。
これ誰が得するんだ。


唯一正面から撮影する方法があって、それは打ち水にちゃんと参加することでした。

列に並んで打ち水に参加→余った時間は撮影に。
これは運営の方々も黙認してくれました。

これは素直にそうだなー、と思いました。一応でいいから参加しないとな。
参加資格は「家から使用済みの水を持ってくる」ことなので、わたしも持ってきていました。
でも参加時に桶に入った水をもらえます。

以下が参加した後に撮影したもの。










全体像はこんな感じです。

UDXペデストリアンデッキにカメコさんが群がってました。

確かに浴衣もいいものですね。でも秋葉原っぽい色が薄まった感じ。





昨年通り終ったらスッと解散。

参加者の中でも目を引いた「一日消防官」のこの女性は、有名なコスプレイヤーでタロット占い師(!?)の渚さんという方のようです。


参加者にはそれっぽいウチワが配布されました。



スタッフの皆さんお疲れ様でした。



ちなみに初参加の2010年はこんな感じ。

【うち水っ娘大集合に行ってきた】
http://blog.goo.ne.jp/akame_2005/e/122f372d8d1874af765e0e115f05a26e
その差にビックリ。



以上。



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パレスチナについて。サブラ・シャティーラキャンプに行った時のこと

2014-08-04 22:13:55 | 映画制作
連日のパレスチナ・ガザ地区に関する報道を目にすると、本当に滅入ってくるというか心が痛いです。
普通、外国のニュースって何か起きても「なんてひどい。けしからん」と他人事みたいに思ってしまうのですが、パレスチナの場合は彼らとの間に少しばかりの恩義、縁があるので。


わたしがパレスチナとの間になんらかの絆ができたのは、「リッダの戦士たち」を知ったことがきっかけでした。


かつて日本人の若者がパレスチナ、そしてアラブの大義を信じて決死作戦を敢行。
結果だけいえば、その作戦は間違い以外の何者でもないし、こういうことは決して繰り返されてはならないと思う。
しかし彼らが命を賭して訴えたかったことってなんなのか。
学生であり日本人の若者が、なぜ遠くアラブの地でいわゆる「銃乱射事件」と呼ばれることを起こしたのか。

制作している赤軍派のドキュメント映画撮影のために、3年前の2011年、レバノンを訪れました。

そのことは取材記としてまとめるつもりだったのですが、ややめんどくさいことが起こったので途中でやめにしてしまいました。

しかし当時書こうと思っていたことのひとつで、今あらためてこれだけは書いておかないと、と思った日のことがあります。

ある日、PFLP(当時日本赤軍が共闘したパレスチナの組織)の幹部がわたし達をサブラ・シャティーラキャンプに連れて行ってくれました。

いわゆる「パレスチナ難民キャンプ」に入るのは初めてだったため驚くことの連続でした。
サブラ・シャティーラキャンプは、有名な虐殺事件が起こった場所です。


サブラー・シャティーラ事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6


ジャン・ジュネの『シャティーラの四時間』について
http://midan.exblog.jp/15228034



マーケットをぬけ、露店の奥に入ると、そこだけぽっかりと空いたグラウンドが。







そこは、レバノンの民兵組織により虐殺されたパレスチナ人達が埋められた場所でした。








今起きているガザの虐殺とは違い、レバノン民兵によるものですが、もちろん背後にイスラエル軍がいました。
というか、物理的に背後にイスラエルの兵士がいました。


キャンプの中心地に入っていきます。












損壊した箇所はそのまま。上から重ねるようにして住居が建て増しされ、いびつな形になっている。
日差しの強さとは裏腹に、陰っている場所のところどころに湿り気と水溜りが。

パレスチナの人々は、何十年もこうした土地に暮らし、さまざまな権利が剥奪されています。
以下に、ベイルートで出会った日本人、JHさんが纏めて下さった資料を抜粋・転載します。


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パレスチナ人難民がレバノンで持つことができない権利

・国籍(レバノン生まれ、あるいは父親がパレスチナ人難民で母親がレバノン人の場合も国籍を持つことはできません)
・パスポート
・家や土地を買う権利
・遺産を自分の子供に譲る権利
・自由に働く権利
・レバノン国内を自由に移動する権利
・レバノン政府が提供する健康保険や年金サービスを受ける権利
・難民キャンプ(ベイルート市内、マール・エリアス難民キャンプを除く)における、電話、インターネット、電気(部分的)、水道等のレバノン政府が提供する公共サービスを受ける権利
・逮捕される際に、逮捕状及び逮捕の理由を求める権利


パレスチナ人がレバノンで就くことのできない仕事
・医師、看護士、弁護士、薬剤師、エンジニア等。

パレスチナ人がレバノンで働くにあたり、許可が必要な仕事
・銀行員、管理職、両替商、宝石商、会計士、秘書、電気技師、塗装業、メカニック、美容師、ドアマン、用務員、小中学校・高校の教師、等。
・服飾・靴製品の製造業、クリーニング業、印刷業、家具製造業、貿易業、建設業、車修理業、鋳造業、等のオーナー。


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やや歩くと、広場の奥にあるパレスチニアン・ユースセンターという建物に案内されました。






ここでスタッフの方がパネルを出してきました。
サブラ・シャティーラ大虐殺の写真。





わりとキツイ写真が多かったので、ここでの紹介はやめておきます。

ユースセンターを出ると、広場や路地、いたるところで子供たちが遊んでいるのが目につきました。
そうした明るい面も見ていると難民キャンプの風景は当初思っていた以上に陽気なものでした。
たしかに貧しいし、さまざまの過酷な歴史と現実がある。











一方で子供たちが笑顔で迎えてくれ、カメラの前で「マルハバ!(こんちは!)」とおどけて見せます。









難民キャンプの現実、大虐殺の写真、そして子供たちの笑顔。
色々なものを一度に見て、ちょっと疲れてしまいました。

それと同時にここに来ることで、彼ら(リッダの戦士)が何のために闘ったのか、疲れた頭の中で少しづつ分かってきたような気がしました。


「もう思い残すことは何もない。ただ一つ心残りなのは、裸足で走りまわっている子どもたちに、さよならのあいさつができなかったことだな」

「難民キャンプのあのきれいな瞳の裸足の子どもたちが、僕たちの後に銃を取ってつづくのがわかる」



リッダの戦士・奥平剛士さんと安田安之さんが決死作戦の前に語ったとされる言葉。


今、各地のパレスチナキャンプやガザで起きている現実をふまえると、これらのことは決して綺麗事では終らないばかりか、作戦そのものにも疑問を持たざるを得ません。
しかしそれは、時代というものもあっただろうし、徹底してパレスチナの人たちによりそった、類まれな行動であったと思います。


連日のガザに関する報道で、胸が痛むほどの動揺を覚えるのは、彼らがいたからこそだと勝手に思っています。
そしてこれは、もはや戦争というより大虐殺といえるので一刻も早く終らせなければならない。

何ができるのか、何もできない。ただ自分が見たことを伝えることだけはできるのでこの記事を書きました。
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