ちくわブログ

ちくわの夜明け

山本直樹先生のインタビューに行ってきました。

2014-05-30 15:06:30 | 映画制作
なかなか完成しない赤軍のドキュメント映画ですが、ぼちぼちとやっています。


基本「当事者」のインタビューを続けているのですが、その周りに居る人々も取材していました。
特に支援者ではなく一見関係ないように見える人々、言ってみればわたしのような。
世代も考え方も違う人たち。能動的にならなければ、関わらない人たち。

以前取材させていただいた『赤いドリル』の那須さんもそうです。
他には『証言 連合赤軍』を出版した皓星社から、編集者の晴山さんという若い女性も。
この方はオッサンばかりが登場するこの映画において、非常にありがたい女性要素となっています。というかだから取材した。美人だから取材した。
悪いか。



さて、先日はその中でも今現在においてガッツリと関わり、これからも数年は関わっていくであろう漫画家の山本直樹先生を取材しました。
イブニングにて連載中の連合赤軍事件を題材とした漫画『レッド』の作者です。

山本直樹といえばわたしにとっては森山塔でありフランス書院でありました。
中学かそこらの頃、お世話になった覚えがある。

そのため「山本直樹」名義の作品は『レッド』まで読んだことがほぼありませんでした。
まず、数年前に『レッド』を読み、漫画として普通に面白かったので続けて『ビリーバーズ』を読んでハマる。そこからファンに。


というわけで『レッド』執筆の様子を撮影させていただきつつ、インタビューも行ってまいりました。

都内の小奇麗な一軒家の奥。
え、こんなところに部屋が?ってところに不思議な空間が。

ご本人は「コクピット」とおっしゃっておりました。
狭くて綺麗とはいえない空間に、それでもビッシリとどこか整然と資料や仕事道具、漫画が敷き詰められている。
積み重なったモノの連続がなんか心地いい。

漠然と「何かの職人さんの部屋っぽいな」と感じました。

それにしても今思ったんですが、この空間は寝れなくていいですね。

面白かったのは、「どうせだから使い倒す」ということで捨てずに使用している、壊れかけたブラウン管モニタ。
点け始めは何度も電源が落ち、いくらか時間が経つと落ちなくなるとのこと。
描いてはモニタが消え、点けて描いてはまた消え…

という手順を手馴れた様子で繰り返しており。

あ、吾妻だ!

たんたんと書いてますが、現場では内心、スゲー興奮してました。



インタビューの方は主に…

・なぜエロから連赤へ行ったのか
・描く上で心がけている事、難しい点
・主に誰視点で描いているのか

等々。

「誰視点」っていうのは読めば分かるのですが、取材されている様子も見たことがあり、それを分かって『レッド』を読むとまた面白かったので。



「失敗した人、間違った人の物語の方が面白い」という痛快な一言は、山本先生らしいなぁ、と山本直樹ニワカのわたしは思ったのでありました。



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分校の人たち(1) (Fx COMICS)
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東京タワー無酸素単独登攀

2014-05-24 14:28:06 | 
東京にアジトをかまえること16年のいまさら、改めて東京タワーに行ってきました。
以前行ってからかれこれ10年以上は経っていると思う。


今回は歩いて登ろうということで、気合を入れてかかります。

ムム!!
はとバスのお姉さん!!

かわいいなあ。

そうしていろいろ漲らせながら入場せんとしたその時

これがノッポンか。
ゆるキャラブームにうまく乗っかって、かなり早いうちから毒舌キャラで売ってたような人たち。

真下から内臓


中ではノッポン(兄)がお出迎え。

すごいなんか怪しい動きしてた。



そして商い。



たくましい。

LEGOの東京タワーがありました。これはすごい。


さてでは、徒歩で登ってみます。階段のある3階へ。
ここに出るまでが非常に分かり辛かった。





登るとすぐさま兄弟からの軽い脅迫。

景色はいいし、風は気持ちよい。なかなか快適です。

踊り場ごとにノッポン兄弟からクイズや一言があったり。

はとバスの群れ。

(弟)の方は優しい性格です。

東京タワー登ってる感が出てきました。




中学生男子が何人か登っていきましたが、修学旅行で東京タワー徒歩で登るとかものすごく嫌だな。


で。

わりとあっという間に登りきりました。

「ああ疲れた、もういいや」と思いかけた頃くらいにゴールだったので、ほんとに軽くいい運動という感覚でした。

認定証もろた。


展望台で登ってきた高さを確認。少々の達成感。











さて。
東京タワーといえば、あの独特の「東京という地方感」を感じさせてくれる、やや洗練されない空気が好きだったのですが、今はどうなっているのでしょう。

そうそうこういうタワーとぜんぜん関係ないいらない土産物が売ってたり。







にしてもこけしってのはなんなんだ。

日本刀とか…・・・

そしてなんといっても、東京タワーと言えば蝋人形館。
どこにあるんだっけと探してみましたが、ない。

どうやら去年閉館してしまったらしく。

えええええええええええ
蝋人形館の無い東京タワー・・・

というか、もう全体的に小奇麗になってるんですよね。
京都タワーもそうだけど、こういう観光地はどこか野暮ったいところがいいのに。

そんなふうに思うのは、自分が大人になったからなのか。ただの懐古なのか。
そう思ったこともあるんですが、そうじゃないんですよね。子供の頃でもちょっと古めかしいところとか、怪しい雰囲気の場所に行くとワクワクしていた。
そういうのがなくて整然としてちょっとスカスカになってしまった。
「新しくなった地方都市の駅」みたいな。



とかいいつつもノッポンシャーペンを買った。

すごくないですかこの存在感。
シャーペンとかいってこのナリ。いらないわー。



最後は、タワー下でハイボールガーデンというのをやっていたので軽く一杯。






以上。



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東京タワーのノッポン
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高崎中央銀座と焼きまんじゅう

2014-05-15 23:26:18 | 
この前用事があって群馬に行ってきたのですが、その際いつものように高崎で待ち合わせをしていました。

自宅の最寄り駅から高崎駅まで、だいたい3時間近くかかります。
こんなに時間をかけて行くわけだから、ちょっとした旅行気分、ブラリッ とした気分でも味わいたいところ。
なので今回は高崎駅周辺で何か楽しげなところは無いか、といろいろ調べておりました。

しかしない。


ひとつ、気になる商店街があるといえばありました。
それが高崎中央銀座。
古い商店街、アーケードが大好きなのでここに行ってみよう。
喫茶店もあるのか、いいじゃないか。



当日。
考えてみれば、高崎駅には何度も来ましたがじっくりと歩いたことがなかった。
なぜなら駅前がすでに微妙に開発されてて、味も素っ気もないからです。

しかし少し歩けば、なるほど古い町並みが残ってて面白い。

レディ!!!!

しデイ??

まあいいや。
駅から15分ほど歩き、高崎中央銀座に到着。


ああ。すごいワクワクする。

「元気です!中央ぎんざ」の旗がエレガントにお出迎え。

元気!

元気!!

元気!!!


うおおおお!!元気!!!
元気たくさんもらっちゃった!!


青果店の2階にあったラーメン屋。

今週とはいつだろう。
(追記:コメントにて「安くてうまい」といただきました。失礼しました!こちら中央軒というお店だそうです)

普通に元気な定食屋。時間の都合で入り損ねましたが、次はぜひ入りたい。

レコードを売るレコード屋。

本屋さん。そうだ、本屋って昔こんな感じだったよな。



入ろうと思っていた喫茶店は閉店しておりました…



さて。

この瀕死状態にある高崎中央銀座を一躍有名にしたのが、今年2月の大雪でした。

【高崎前橋経済新聞】大雪で崩落のアーケード、崩落部分の撤去完了-高崎市街地、中央銀座
http://takasaki.keizai.biz/headline/2143/

大雪でアーケード崩壊!高崎中央銀座商店街
http://twicolle.jp/user/printdaikou/1936d3628fab2a38c785

ツイッターでかなり話題になったようです。知らなかった。


その崩落したアーケードは、中央銀座全体の後半部分にありました。



これはこれでいい。
骨組みだけ残ってて、その風情がしみじみとした気持ちにさせてくれます。

すでに閉館した映画館。



『ボーン・アイデンティティー』の日本公開が2003年とありますので、かれこれ約10年は放置されたことになるのでしょうか。

こういった商店街にはゲーセンがありましたよね。
親戚のお兄ちゃんに連れてってもらって、自販機でグーテンバーガーやカップ焼きそば買ってもらったり。

最近まで営業していたと思われるバー。ふきっさらし感。


しかしまだ数店、営業されているので頑張ってほしいです。
また来ます。今度はめしでも食べに。


表通りに出ても、いくつか閉店されているお店を見かけました。





駅前に戻る途中、漫画『孤独のグルメ』でモデルとなった「焼きまんじゅう」屋さんがあったので、入ってみることにしました。

オリタ焼まんじゅう店

おばさんが注文を受け、ひとつひとつ丁寧に焼いてくれました。




焼き上がり、できたてホカホカのものを店内でいただきました。
上の2つが餡入り。

やはり高速のSAなどで食べるのとは違う、香ばしいたれ(ミソ)の味。

けっこうなボリュームと濃厚な味が楽しめて、一串160円。餡入りは170円。ややくどいと思われるが、すきっ腹にこれがちょうど良かった。
夜はまた別に食べる予定があったので、それまでの繋ぎとしてじゅうぶんでした。

おばさんも色々とお話してもてなしてくれました。

『孤独のグルメ』に出ていたお店は老朽化で移転、ご主人(お父さん)はお亡くなりになってしまったとのこと。
昔はアルバイトも雇ってやりくりしていたとか。
娘さんにあたるおばさんがお一人でやられていますが、それでも繁盛している様子で、滞在中だけでお客さんが2組ほどお持ち帰りをしていました。

うれしかったのが漫画の中でもご主人が言っていた「うちはミソが違う」という台詞。おばさんも言ってました。
「うちは他とはミソが違うからねえ…」

地元民に愛される自慢の味なんでしょうね。



というわけで高崎駅、わりと楽しめました。



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プラレール S-31 211系近郊電車
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JR東日本全線〈決定版〉鉄道地図帳 vol.7(高崎・長野支社管内―全駅・全配線・全廃線・全縦断面図 (Gakken Mook)
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パレスチナの週末・2「檜森孝雄 追悼集会」

2014-05-03 15:05:40 | 映画制作
パレスチナ・ランド・デー」の翌日。

2002年のこの日、一人の日本人がイスラエルに抗議し、焼身自殺を決行しました。
リッダの戦士である、檜森孝雄さんです。


詳しくは、【レバノン取材記・2 リッダの戦士達】に書いてある通りです。


ある方にインタビューした時、どうしても「共産主義革命」の果てにある社会の想像がつかなくて、こう質問しました。
「本当の共産主義社会っていうのは、人間そのものが今と変わらないといけないし、そうなるための人格が必要なんじゃないですか?」

するとその方は「そうだ」と。
分け隔てない、自由で平等な社会っていうのは、その社会に住む一人ひとりの性格、質が問われる問題で、漠然とした思想や政治の問題だけではないのではないか、と。

これはもう革命以上に難しいことで、『攻殻機動隊』で言うところの「上部構造へのシフト」に匹敵することなんじゃないかな…と思います。

一方でまたある方は、自分たちの敗北や過ちを認めた上でこう話していました。


「新左翼っていうのは、優しさに対する許容性」


それはやはり、とてつもなく難しく、かつ彼らの目指したものを端的に表現した一言だなあと感じました。

彼らの目指した「武装蜂起」と「優しさ」のどこに接点があるのか。
感覚的には分かるけど、言葉ではなかなか説明できない。
抑圧された人々、例えばベトナムの空爆にさらされている人々、パレスチナ避難民…
世界が無視するならその正義を自分たちが、武器をとり命をかけて…

ってこうやって説明していくとまた胡散臭くなってしらけるんですよね。

ただ一方で事実、赤軍派も、その後の連合赤軍も。「闘って死ぬつもりだった」という言葉はよく聞きます。
そしてそれを本当にやったのが、リッダ戦士たち。


檜森孝雄さんは作戦には加われず。
しかしその30年後、敵ではなく、自らに火を放って死んだ。




当日夕刻。
ついさっきまで降っていた雨も止みました。


例年のように、どこからともなく追悼する人々が日比谷公園の現場に集まり…






献杯。



焼身自殺当日の様子を語ってくれた足立正生監督。

松田政男さんによるスピーチ。


左から、松田政男さん、足立正生監督、長船青治さん。




檜森孝雄さんの遺稿より。
「26人が死に、72人が負傷した闘いの報に接した時、僕は歓喜してはいなかった。彼らは死に、僕は生きている、その瞬間が今なお続いているような気がする。」




若い頃、一時期を共に過ごしたHさんに「焼身自殺を知った時、どう思いましたか」と聞いたら

「ああ、『フランシーヌの場合』やなあ、と思った」

“フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。反戦歌「フランシーヌの場合」が出来た。”
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/48b242487e2d82ab97d721db7cb9ce72

フランシーヌ…?
あっけなくて、一瞬ぽかんとしてしまった。その死を完全にリッダと括り付けて考えていたわたしは、そういう話が聞けるだろうと思って聞いたのだけど。

しかし、考えさせられました。「リッダに殉じる」という大義、かっこいい言い方もあるかも知れない。でももっと、今の運動への絶望とか、個的な決意がその死にはあったんだろうな。

自分が死んで何かが変わるわけでもない。
しかし、何とかして意思という楔を打ちたかったのかなあ、と。

事実、檜森さんのことを何も知らないし、会ったこともないわたしは、ここ3年ほど追悼会に参加しています。



やはりまとまらない記事になってしまった…



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水平線の向こうに―ルポルタージュ桧森孝雄
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風塵社

パレスチナに献花を
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れんが書房新社
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