ちくわブログ

ちくわの夜明け

2008総括

2008-12-30 02:08:45 | Weblog
ごぉーん・・・

テレビから流れる佐野厄除け大師のCM。
ああ、年末だなぁ。しみじみ。

と、このCMで年末年始を意識する関東地方の方々は多いのではないでしょうか。
音楽のない地味なCMは昔から変わっていず、ある意味のなごみを与えてくれるようです。

わたしの年末は、撮影が立て続けに入り、毎日千葉だの埼玉だの都内だのと、そこそこな忙しっぷりでした。
あとは久しぶりに大掃除をやったことくらいでしょうか。
それに伴ってPCモニタを新調し、デュアルにしました。
忘年会は社員総会があったのでそれでよしとし、部署の忘年会は行きませんでした。例によって西新宿で一人忘年会です。モツうめえ。
あとはコンソメさんと秋葉原でメイドを凝視し、そのまま居酒屋へ流れ、プチ忘年会としました。


さて。
近況は置いといて、早速恒例のひとり総括です。



RIFFILM総括

70年安保ドキュメントの進捗について。
年内はほぼ進まず、でした。しかしながら、取材対象に絞っていた方々と名刺交換まではたどり着くことができました。
それ以外では6.14デモを取材。

進捗が滞った大きな理由は、仕事に打ち込んだこと。
それは言い訳かもしれないが、実際にも「迷い」「ブレ」が生じて身動きがとれなくなった。
ある人の取材中にやはり「君になにが分かるの」的なことを言われた。
では、徹底的に勉強しなきゃいけないんだろうか?
でもやっぱりそれはおかしいだろう。初志を忘れるところだった。
分かる人間にだけ分かるっていうのはおかしい。戦争のように、歴史となって語られた時、いったい誰が何と言って後世に伝えるのだろう。



お仕事総括
自分の限界が見えてきた。
年の前半は某番組のロケで関西、四国各地を訪れる。役割はAD。
その他、AVの助監督もやった。

そこで思ったのが「ああ、もうやれないな、ADとかって」
雑務がしんどいのと、不条理な怒られ方をした時、普通にムカつくようになってしまった。
年だ。

30になって、いろいろな迷いや絶望にさいなまれた。
最近やっと出せた答は本当に基本的なこと。
「必要とされている場所で精一杯頑張ろう」

そしてその場所で「賞」というひとつの結果が残せた。
ここでは人に感謝することを、ずいぶんと教わりました。



しゅみ道総括

酒をたらふく飲みました。
仕事仲間と群馬へ温泉に行きました。
つげ漫画の痕跡を追って、千葉へ行きました。
その他、いろいろ旅しました。

フィギュアも相変わらず買ってます。
俺クロトル部隊は一応の完成が見え、他にリボルテックを数体購入しました。
特にプロテクト・ギアは涙モノでありました。
このたびやっと3体揃えました。がんばれ地獄の3人組。

映画は何と言っても『ノーカントリー』が最高でした。人生の10本に入るくらいの勢いです。
純粋な悪の恐ろしさを、淡々と描いています。最高のバイオレンス映画。
映画館では2回観に行きました。

漫画は、いましろたかし先生作品、『かむろば村へ』など。
いましろ先生の作品は、真の意味での癒しを得られます。
かむろば村は基本ギャグながらも、田舎の恐ろしさ、人と金についてを深く描いています。作者がどこへ行こうとしているのか分からないところも魅力。
連載は終了したとか。
あとはボチボチと同人誌『週間オオハシ』を買っています。



以上。
こんなんですが、20代最後の年であり、30代最初の年。書けないことも含めるとわりと激動の一年でありました。

新しい道が見え始めた今、なんとかそれを目標に結実させたいと思います。
自分が何をすべきかということを、もっとよく考えないと。
自分の周りをもっと見つめるべきだと思いました。


とりあえずは休憩休憩。明日、帰省します。
皆様、よいお年を・・・・
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すごい緊張の成果

2008-12-26 02:07:50 | お仕事
お世話になってる事務所の「社員総会」というものに参加しました。
なんかかたっくるしい感じですが、ようはそこで働いてる人全員が参加するパーチーのようなものです。

こういったものはたいへんに苦手であることはこのブログの読者のかたがたがたならだいたい察しがつくものと思われますが、その通りであり、苦痛に思っていました。

だいたい去年もどう行動したらいいかわからず、一人でしくりと飲んでいたものです。
もうベンチャー的な人たちのあの前のめりなノリ。
嫌。
社員総会ではそういったパワーが爆発するのでじつにけんのんといわざるをえない。

会は大きく分けて3つで構成されています。
○出し物
○各賞発表
○お食事タイム

その各賞発表で、フリーで外注扱いであるはずのわたくしが、ありがたく賞をいただけることになりました。
すごくうれしくて、そんな、賞だとかそういう類のものを一切もらったことのないわたくしは、びっくりしてものすごい勢いでキョドりました。

みんなの前に出て、盾、賞状、目録をいただき、一言言わなければならないのですが、手が震えてそのまま「て、手が震えて止まりません・・・」としか言えませんでしたほとんど。
みんなゲラリゲラリと笑ってたから良かったのですが、これでくそまじめにしーんとなっていたら死にたくなっていたに違いありません。
やがて次の一言に進めない自分に気付きました。


あれ息が。

その時分かりました。
『あ、これ過呼吸だ』



あふっあふっ て、鯉みたいになりました。
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大多喜町・西部田村の旅 2 寿恵比楼・夷隅川

2008-12-14 02:45:21 | Weblog
大屋旅館を出ると、ぽつぽつと雨が振りだしてきた。
こういった時には「絶対にそのうち止む」と気にしないに限ります。
いただいた缶コーヒーをすすりつつ、教えられた通りの道を歩く。

10分ほど歩くと、目印のバス停が。


そしてそのすぐ隣にありました。
旅館「寿恵比楼(すえひろ)」。


よかったー。まだあった。
看板もおそらく当時のままです。
ここは、かの白土三平先生(『カムイ伝』『サスケ』他)のアシスタントをしていたつげ先生が、その白土先生や他のアシスタントと利用した宿だったそうです。十日間ほどの、いわゆるカンヅメのために。
ちなみに漫画の世界で始めてプロダクション制(赤目プロ)を導入したのは、白土先生が初めてだとか。

旅館寿恵比楼は、もと隣のバス会社の社員がよく利用していたそうです。
つげ先生はこの滞在から、代表作と並べられる『紅い花』『沼』『初茸がり』の着想を得ました。
ちなみに当時いた旅館の娘さんはたいそう可愛くて、しかしながら喋ってみると方言丸出しでそのギャップがエロティックに感じた、とか。

ところでわたしは知りませんでした。
というか、後で知ることになるのですが、千葉にも方言ってあるんですね。それは漫画のとおり、だっぺサ口調でありました。

ちょっとお邪魔して、奥に進んでみると、庭はごみだらけでした。
雑草の手入れもされていない。ただ、車が停めてあり、ごみも最近のものらしい。
どうやら一応は使っているようです。
どう使っているんだろう。ちょっとした別荘にでもしているのかな。

そこからはさて、『沼』の元になったと思われる夷隅川が見えます。


川なんですが、色といい、たたずまいといい、なんとなく沼。
少々陰鬱な雰囲気です。これがつげ先生を惹きつけたのでしょうか。

じっくりと旅館を見、次に夷隅川に接近することに。雨はやはり、すっかり止んでいます。
ちょっと歩くと橋がありました。


ここから下へ行けるよう。


なんだか人が本当にいない。
歩いてる人も稀だし、川では釣り人ひとり見かけない。
寂しい場所。
いい。

近くまで行ってみると、どうもけっこう流れが速い。それに人の通る道らしきものがまるでない。こういう雑草の多い自然の道はちょっと足元が怖いです。
『紅い花』でシンデンのマサジが言った「マムシに気ぃつけろ。歯を抜くため人にかみつきおるから」という台詞が思い出される。

しかしせっかくなのでできるだけ川の近くまで進んでみる。
とても下まで降りられなかったが、それでも『沼』の風情はたのしむことができました。


眺めつつ、一服つける。
頭をぼーっとさせる。風が気持ちいい。


道をややもどり、すっかり腹がすいていたので遅めの昼食をとります。
ごくごく普通の定食屋にて、ごくごく普通のオムライスを食べました。これで500円。


味もいわゆる「あたりまえの味」で、ボリュームあり満足。



一服、休憩の後に店のおばちゃんに「西部田村」への道を聞く。
どうも近いようだ。
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治験病棟 1

2008-12-06 04:49:35 | シリーズ・治験病棟
何度もこのブログで書いてきたことですが、僕は自分の映画『延示』の制作資金調達のため、治験、いわゆる新薬臨床実験のボランティアに参加しました。

その前にも1回だったか2回だったか参加したのですが、いずれも日帰りや一泊程度のものでした。
過酷だったのは、15分に1度の採血を7回繰り返すというもの。

さて、最後に参加したものはもっと本格的で、約3週間。
ボランティアなので無償ですが、謝礼として50万ちょっともらえます。
不思議です。

当時は携帯電話の工場でせっせと夜勤労働し、帰って映画制作、休みに映画制作と、極めて多忙でありました。そして、何ヶ月に一度1~2ヶ月休んで撮影に挑む、といった塩梅。
こういった様子は、このブログの最初の方の日々にも書かれております。

そんな生活をする者にとって、治験は極めて魅力的でした。短期間高収入!ヤッタネ!!
しかし。
終わってみればどうということはないし、身体もこのとおり健康なのですが、やる前はさすがに勇気いりました。
「死」という言葉を真正面から考えたのもこのときが初めてです。
そんなダーティーな世界でもないので治験で死ぬとか、ないと思うんですけど、でもどうしても怖かったです。
でもいざ始まってみると、それは孤独との戦いでした。

今回、当時つけていた日記を不定期連載でアップしていこうと思います。
これはこの『ちくわブログ』開設当初から考えていたことでした。
今のタイミングにしたのは、ただなんとなくです。

ではどうぞ。第一回は入院前日から。



○某月某日(日)曇 前泊日
 治験前泊日。しかしまさか合格するとは思ってもみなかった。結果は同日に検診したメンバー中、二番目に良かった(!!)という。つまり健康で、この治験に適していた、とのことだった。この治験は血小板の働きを助ける薬剤の実験なので、ということは俺の血液はそれほどサラサラだった、ということになるのだろう。
 しかしそんなにいい食生活だったかな。最近サラダがやけにウマく感じるので、よく食うが、それが原因か。はたまた週に2~3缶食う鰯の缶詰のおかげか。
 ともあれ合格したのは非常にありがたい。これで50万は俺のもの!

 昨日からバイトも休み、入院のための準備をしていた。荷物のまとめ、HP更新、メール連絡、S君宅に行って、入院中の頼みごと・・・あと暇潰し用のDVD。友人二人の持つラインナップから良さげなモノをピックアップ。「ターミネーター3」等、全12本。他にTVドラマモノで「バンド・オブ・ブラザーズ」も借り、新作アニメ版の「鉄人28号」も頂いておく。
 あと、MAME(エミュレーター)の新しいロムももらえた。

 10月か。あの事故からもう一年たつのな・・・。
(注:「あの事故」とはこの映画の前身である映画のロケで、千葉からの撮影の帰り、俺が居眠り運転して大事故という・・・という)

 時間ギリギリまで準備していた。S君宅に長居しすぎた。旅行用バッグと、いつものリュックに生活用品とPC、文庫本等を詰め込む。このPCも来月12日まではスタンドアローンか。
 集合場所は前回の事前検診と同じ、S市の「グリー○ホテル」。ビジネスホテルとはいえ、ホテルなんかには滅多に泊まる事が出来ないので、正直ウレシイ。

 到着後、早速PCを前回同様の定位置にセットし、音楽をかけてくつろぐ。間もなくメシの時間。

 メシはこれまた前回と同じ、ホテル一階の中華レストラン。ざっと席を見渡してみると、以前のメンバーも何人か生き残っている模様。すきっ腹を抱えて待つと、意外なほど多くのおかずが運ばれてきた。
 メニューはご飯、葱スープ、豚肉と筍の八宝菜、麻婆豆腐、サラダ。
 食いきれなかった。同席したほかの二人も残していた。一人だけ一番若いと思われる青年がガツガツと、いの一番に平らげていた。
 食い終わると、その足でコンビニへ買物。24時から絶食なので、まだ食える。明日は朝飯抜きのため、今のうちにしっかりと食っておかねば。夕食を残しておいて何だが、寝る前に食わなければ明日の昼まで持たない。
 部屋に戻り、くつろぐ。湯を溜めて風呂にも入る。最高に気持ちよかった。ひりひりと全身に湯の熱さが沁みてゆく。
 風呂上り、「NHKアーカイブ」を見ながら買ってきておいたオヤツを食む。ヨーグルト、チョコレート菓子、いんげんスナック、烏龍茶。・・・ふう。おなかいっぱい。だが明日の昼前にはもう腹が鳴っているだろう。それに入院後は出されたものしか食うことが出来ない。今のうち存分に食べておかなきゃ。

 明日のためにもう寝よう。今日まで忙しくて、正直寝不足気味なのだ。消灯12時半。


つづく
コメント (2)
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