ちくわブログ

ちくわの夜明け

海におちる

2008-06-29 09:56:12 | お仕事
こんにちは。
海に落ちた人のブログ、ちくわブログです。


海に落ちました。

技術さんにお借りしていたカメラと一緒に。
・・・・おおおーーーー・・・


某ロケで、インサートを撮影することになりまして。
他のスタッフさん達と別れて一人で取材先まで行ったんですね。
で、港から5分ほど離れた海へダイブ。

撮影に没頭して足場の悪いところに調子こいて行くから。
そんなことに。

ああ、もう思い出したくねえ。詳しく書きたくねえ。

その後、助け出されたわたしは、漁師さんの「風邪ひくからシャワー浴びな」という言葉に甘え、お家にお邪魔してシャワーを。パンツから上下、代えの服まで貸してくださいました。

全ての持ち物は潮水に濡れ。


潮!
潮がにくいっ!!

あらゆるものを腐蝕させる!
なぜ海原は真水でないのか!!
しょっぱいことの意味を語れ!!!
個性か!
トンガってるつもりか!
全ての母だからって!!
馬鹿か!



ディレクターさんのなぐさめが心に沁みました。
「いいものを撮ろうとしてなったことだから」

タレントさんは若い女優さんで、感覚に生きる人らしい妙ななぐさめを。
「携帯だめ?あーあ。まぁ、今までの人間関係を海に流せってことですよ!」
なんだ「海に流す」って。
ちなみにこの方は、僕の個人的な例の事件を知ってます。
そういういきさつから放った一言です。なにか、強烈なものが残りました。


さういえば、葛城ミサトさんも「風呂は命の洗濯」と言ってたなぁ。
少なくとも藻にまみれて、洗濯どころではなかったというか、逆に洗濯しなければならなくなったのですが。

ははは。
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6月15日

2008-06-15 09:05:03 | 映画制作
1960年6月15日、国会南通用門では安保批准阻止闘争のため、全学連主流派による7千人規模のデモが行われていました。
ここで、日本の学生運動史上初の死者が出ます。

東大生の樺美智子さん・22歳。

死因は今に至っても不明。
当時の機動隊員、ことにその時対峙した第四機動隊は、後年「鬼の四機」と恐れられるほどイケイケで、警棒をガンガンやってたので、それによる昏倒、その他諸々によって「権力に殺された」とされる見方が大半を占めるようです。

しかし一方で、作家の倉橋由美子のように「彼女は人知れず、微笑んでなどいない(樺さんの遺稿集『人しれず微笑まん』よりの引用)」と、集団的行為の中の個人責任、また、反権力が「死を利用する」ことに対して苦言を呈している場合もあります。

当時の報道写真集『ゆるせない日からの記録』には、血まみれになって路上に用意された毛布に倒れこんでいる学生、そしてその中には、恐らくもう息を引き取っている樺さんも写されています。


先日、国会南通用門前において、樺さんの遺影への献花が行われました。
その中に樺さんを、昏倒した現場から引きずり出したうちの一人であるという方がいました。
インタビューしたところによると、今まで本などでは伝わってこなかった生々しい言葉が聞け、ちょっと驚きました。その証言は、感傷的な新左翼的発想ではなく、現場を見た人間の「声」でした。
これに関しては内容が内容なので、ウラを取って本編に入れることにします。


その後、日比谷小音楽堂にてフェスタ。
そこでこの映画を作る、と決めたときからマークしていた人物の内の、二人に一気に会うことが出来ました。
挨拶をし、インタビューをお願いしたい旨伝える。ありがたいことに、お二人とも受けて下さいました。


やがてフェスタが終わると今度はデモへ。
デモの規模はかなり大きく、おまわりさんの数もものすごい。
最近は公安さん達も一目で分かるようになり、そういう人達にカメラを向けると、すぐに隠れてしまいます。
公安には主に2タイプいて、スーツを着て耳に小型インカム(?マトリックスのエージェントが着けてるアレです)つけてる人、まったくの私服の人。
いずれも、メモになにやら書き書きしていたり、用もないのにじっとデモ隊を見てたりするので、雰囲気で分かってしまいます。

逆に公安に間違われるといったハプニングも。

隊列には入っていなかったけど、左側と思われるお方が「うるせえこの税金ドロボーどもめ!!」などと、とにかくものすごい剣幕でおまわりさん達に喧嘩売ってます。
それをカメラに収めていると「おい!何撮ってんだよ!!」と怒られました。
「一般人です。撮影させてください」と返すと「なんだ公安じゃねえのか」と。
それでもずっと撮影していると「もういいよ!撮るんじゃねえ!!」と、こちらにもふっかけてきました。冗談じゃない。路上で撮られるとまずいようなことをやってるのか。がなり立てて、わあわあやっといて、一般人に向かって「撮るな」は、ない。

かなり口汚くののしっていたのですが、しかしながらこういう人は、デモの中に一人ぐらいいてもいいと思います。中途半端に挑発してる人はみっともないけど。

途中で右翼の方々も街宣車で対抗。
いちばんあせっていたのは、おまわりさん達。

デモが終わり、参加していたアメリカ人留学生の方にインタビューしてみました。彼は大学で、学生運動を研究しているとのこと。
「70年前後の日本は、世界的にもラディカルな存在だったです」
それで今、なぜこのデモに参加したんですか?
「まあ、ひとつの、国際連帯です」
へぇー!なんだか、外国人の方からこうした言葉を聞くとホントっぽいです。


デモのシュプレヒコールで印象的だったのが、「若者を生きさせろ」とのこと。
フリーター労組系(ていうのかな?)も連帯しているからかもしれないが、なんつうか、ロマンもへったくれもない、リアルな言葉だなぁ。しかも年寄り連中にこんなこと言われるなんて。今の若者って、そんなに社会に責任求めちゃってるのか?余計なお世話だと思うんだけど・・・
こんなこと叫んで、鼓舞するものがあるのかしらん。しかもこのデモって、9条改憲阻止が目的なのに。

樺さんがこのデモを見てどう思うかは分からないけど、まだ22歳のままなら微笑むというより、引くんじゃないでしょうか。
コメント (6)
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若者たち

2008-06-01 01:22:21 | Weblog
若者たちから、よくタメ口をきかれます。

東大休学中の馬鹿で有名なUからは「おめーはよー」とか「おい赤目」と素で。
新入社員の女子、Hさんは、本社に行くといつも声をかけてくれるいい子。「オッス!」とか「おつかれ!」と。
同様、いつもは敬語のAさんに「あれー?ねえ、Aさん、Mさんってどこ行った?」と聞くと「え?お昼ごはんだと思うよ・・・・・あ」と。

「あ」て。



うれしい。

敬遠されるよりいいじゃないか。
でもなんで敬遠されてないのにさしてコミュニケーションがとれてないんだろう。ただ単になめられてるだけなのかも知れん。でも別にいいです。彼ら彼女らはわたしの先輩後輩じゃないんだし。「オッス!」にはびびったけど。

さて。
先日、そんな若者が映像業界の先輩と飲む、という不思議な会に参加してきました。そこでわたしは酔って「てめえら世の中なめてんじゃねえぞ」的な発言を。いてえなコリャ。
そこで分かったことは「あ、もう俺は若者じゃないんだな」ということ。この前飲んだときもそうだったが、説教の機会を虎視眈々と狙っている自分がにくい。なんとか偉そうになろうとしている。俺がそうであるように、彼らだって尊敬してない奴に説教なんてされたくないよな。
なので、こういう会への参加は、今後慎もうかと思う。


或る日の新宿駅東南口。
ここらではよくストリートミュージシャンが夜陰に乗じ、若者パワーを発散していらっしゃる。
今日も4,5人の“観客”を相手に、ひとり、女の子が歌っていた。
別になんてことはなかったが、その時寂しさのただ中にいたわたしは、その人を見ていて、なんだか妙な感動をおぼえました。そして数年前のある出来事を思い出しました。

数年前、映画『延示』制作費捻出のため、約一ヶ月にわたって治験(新薬開発のための臨床実験)の入院に参加していたわたし。以下はその時つけていた日記から。


『 15時から1Fのホールで、音大の音楽療法とかなんとかの学科生たちが来て、コンサートをやるというので見にいった。
 1Fの一部を貸しきって行われ、そこそこ席は埋まっており、老若男女入院患者から来院者までいろんな人たちが見に来ていた。コンサートは約30分間にわたって行われ、内容はほとんどが歌だった。やはりサークルなどと違い、本格的な歌声で、なかなか聴き応えのあるものだった。曲目は「紅葉」、「栄光の架橋」、「見上げてごらん夜の星を」等、全6曲目。
 特に「栄光の架橋」は、アテネオリンピックのNHKテーマソングだったが、こんなに素晴らしい内容の詩とは知らなかった。若い歌声と、その詩が力強いハーモニーを奏でて、心にじんと染み込んだ。押し出るような涙を、抑えるのに必死だった。なんだかこの歌は、本当に、オリンピック選手たちの「知られざる努力」をよく表現しているなあ。それに、歌声の若さ。凛とした、清らかな響き。上手い下手ではなく、そんなのではなく、聴くものに問答無用に訴えかける深遠なもの。
 学生は、ほとんどが女の子だったが、みんなこの日のためにそれぞれ練習してきたんだな。どれだけか頑張ったか、あまり頑張らなかったのか、それは分からないが、この響きが生むものは、若さの力からくるものだな、と、そう思った。
 ああ、俺もやはり若くはないんだ。そうも思った。
 オナニーは毎日するのにねえ。へんだねえ。』


思い出してみると、この時も寂しくてしょうがなかった。
一緒に入院した人たちとなかなかなじめなく、さらに友達もいないので俺だけ面会者が来ない。差し入れもない。
「ひょっとしたら、俺って誰からも必要とされてないのか」という今考えると本当にアホみたいな被害妄想にとらわれていました。

そんな中、殺伐とした心に響く若者の歌声。
「いやー今日びの学生なんておセックスしまくっているに違いないんだぜ」という、いつもの嫉みにも似た何かは感じることもなく。
ただただ「聴いて欲しい」という思いが伝わってくるその声や緊張を伴ったその挙動に、なんとなく感動を覚えたのでした。

この東南口のミュージシャンも歌い終わると「これで最後です。ありがとうございました!」と満面の笑みで、ほとんど聴いているかどうかも分からないような数人のお客に対して、深々とお礼。
この人は、本当は何に向かってお礼をしているんだろう?

年をとると、ここまで謙虚にはなれない。そして、まわりの反応だって違ったものになる。
「これが若さか・・・」

あ!俺、クワトロの年齢超えてる!
コメント (4)
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