ちくわブログ

ちくわの夜明け

RIFFILMのスタジオ

2005-06-30 14:26:31 | 映画 『延示』
某日、コンちきとアフレコテストを行うため市の録音施設へ。
そこは先日のブログにも書いた例の場所なのですが・・・。

さぁ、始めるよと機材をセットした直後。
ドンつくドンつく・・・・隣のスタジオから打楽器の音が漏れてくるではありませんか。

あきれたー。

何が録音室だよー!こんなんで録音しろってか!?ぜんぜん防音されてないじゃん!
もうがっくりです。探すのに2日もかかってやっと収録できそうな場所みつけたのに。結局俺の部屋でかよ。
そんなわけでここ数日お部屋の掃除に余念のない私です。

でもそんなことは実際どうでもよくて、収録に来る女優さん達がおたく耐性あるかどうかの方が心配です。壁が見えないほどのスター・ウォーズグッズその他に彼女達はどう反応するんだろうか。

もし誰かここを見てたらお願いだから黙らないで下さいね。何か反応して下さいね?ね?

沈黙は最も饒舌と知るべきです。
ごめんなさい。何か俺、偉そうなことを・・・・。
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スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐 鑑賞記

2005-06-26 20:43:34 | 鑑賞
劇場が暗くなり、20世紀FOXのファンファーレが鳴り響く。積年の思いは最高潮を向え、それは全身を這う痺れとなる。痺れは鳥肌となり、涙に収斂される。
タイトルが出て、おなじみのテーマが流れ、おなじみのスクロールが始まる。

あれから3年たったのか。たまらなく辛いこともあったけど、こうしてまた劇場で彼らと再会出来るのは何て幸せなことだろう。

とかいって。
でも思えば私の上京以後の生活は、常にスター・ウォーズ(以後SW)と共にありました。上京の翌年エピソード1が公開され、あれから早6年。ついにサーガの最終章が公開されました。と言ってもまだ先々行上映だけど。

ファンの一人である私は、すでにファンでありすぎてSWという映画を客観的に観ることが出来なくなってしまっています。一昨日のブログでも書きましたが、SWという映画は、ファンが観る場合とそうでない場合とでは、観方にかなりの差が生じる映画だと思うのです。
その乖離は今回のエピソード3で決定的なものになるような気がします。

主人公・アナキンの葛藤はそのまま『ジェダイの帰還』でのルークを彷彿とさせ、『運命の戦い』からダース・ヴェイダー誕生に至る経緯は、ヴェイダー(アナキン)というキャラクターをこれまでより何倍にも増して魅力的に描いており、旧三部作における彼の立ち位置まで変質させています。
また各媒体でアナウンスされている通り、エピソード3という作品は今までの中で最も暗いお話です。実際、「帝国の誕生」で終わる物語なので、そのことを覚悟はしていたのですが、実際観ると相当へこみました。
この暗さでもっとも救いようが無いのは、登場人物(各ジェダイ)の死のドラマ性の無さです。ルーカス監督は狙って撮ったのだと思いますが、ほんとに「何もない死」ほど胸を打つものはありません。

クライマックス後には様々なファンへの回答がなされており、この部分こそ我々ファンにとってのクライマックスなのではなかったか、と思います。

そして最後。
エピソード4で語られるとおり、ルークはアナキンの義兄弟、若き日のオウエン・ラーズとその妻ベルーに預けられます。
そのラストカット。詳細は書きませんが、あの構図、カメラに映し出されるもの、それを意味するところを知る人は、この作品が必ずしもバッドエンドではないことを承知するはずです。

ルーカス監督から我々に与えられたラストカットの「希望」は、見事なサーガの総括であり、回答でありました。
「環は完成した」
エピソード4でヴェイダー卿が老オビ=ワンに語る台詞です。
まさにサーガの環は完成しました。消化不良な部分も無くは無いですが、個人的にはこれ以上望むもののない作品だったと思います。

これでまた旧三部作が観たくなりました。
よくルーカスは金のために映画を撮っている、と言われますが、金のために撮られた映画がこれほどまでに面白いのだったらじゃんじゃん金のために撮ってくれ!と言いたいです。

とは言えもう最後。
二度とこれほどまでの興奮や感動を与えてくれる映画は現れないでしょう。残念とかそういう感情ではなく、ただただぷっつりとした感覚。「終わる」というのはこういうことか、と実感した次第です。

かつてルーカス監督はこう言いました。
「劇場で感じる痺れるような一体感。今の若者にもぜひそれを味わって欲しい」
ルーカス監督はこの痺れを、子供時代に見た連作映画『フラッシュ・ゴードン』なんかで感じたものとして発言していたのでしょう。
それを彼の作品で、本当に味あわせてもらいました。
終わってしまってもその感動だけは普遍的に心に残ります。この感動はルーカス監督から教えられたもので、何物にも変えがたい大切なものです。

月並みな言い方ですが、いつか自分も人にそう感じてもらえる作品を作ることが出来たら、と思います。

こうして感動が連鎖していくのってなんかいいですよね。
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生殺しスター・ウォーズ

2005-06-25 02:40:45 | 鑑賞
「我々は彼らの未来を知っている」
スター・ウォーズ新三部作の始まりであるエピソード1が公開された頃、ある人がこんなことを自らのコラムに記していました。

この言葉は新三部作、つまりプリークェル(前史の意)の意味するところを端的に表した言葉だと思います。

明日(実際には今日)、ついに待ちに待ったサーガ最終章、スター・ウォーズ エピソード3『シスの復讐』が先々行上映されます。
もう楽しみすぎて身悶える!って感じです。そんなわけで本日はプリークェル復習のため、エピソード1、2のDVDを鑑賞していました。
こうして改めて観ていると、やはりプリークェルというのはファンのための作品だったな、というのが正直な感想です。もちろん監督がおっしゃるとおり、ファンじゃなくても楽しめる映画ではあるのですが、旧三部作からの『繰り返し』によって得られる独特のカタルシスというのはやはりファンにのみ得られる感情だと思います。

しかしこれはしごく当然のことで、我々が彼らの未来を知っているからこそプリークェルという作品は成り立つのではないかと思うのです。
何の予備知識も持たない人が、いきなりエピソード1を観たところでわけがわからなくなるように・・・・。

特に今回楽しみなのは、ファンが心底待ち望んだ『運命の戦い』がついにこの目で観ることができる点でしょう。
『運命の戦い』とは、主人公アナキンとその師匠であるオビ=ワンとの一騎打ちの場面を指します。なぜ待ち望まれていたか。それはこの戦いが旧三部作公開時のかなり早い段階で具体的に公表されていたからです。

手元にあるもっとも古い文献だと、徳間書店から80年に発刊されたムック『TownMook増刊スター・ウォーズ帝国の逆襲』にそのことが書かれてあります。
エピソード3でルークとレイアの子供時代が描かれるだとか、もしかしたらチューバッカが登場するかも、といったかなり鋭く、込み入った内容が書かれています。古本屋で手に入れた94年当時、回りにスター・ウォーズに関する情報が全く無かった時代だったので、食い入る様にこの記事に見入ったものでした。
そこに件の『運命の戦い』に関する記述があったのです。ちなみにここでは「ダース・ヴェイダーがマスクを被るまでの話がある。(中略)ルークのお父さんとの決闘で火山に突き落とされちゃう」なんて書かれてあります。多少の違いはあっても、この時点で全貌は明かされていたわけですね。さらに83年になって『ジェダイの帰還』が公開されればアナキン=ヴェイダーが確定するわけですから、決闘するのはルークの父(つまり本人)ではなくオビ=ワンということが明かされるわけです。

こうして待たされた我々は、ついにその瞬間をこの眼にとどめる事が出来るのです。ファンになって約12年。明日、その時が訪れるのが信じられないくらいです。

このブログを読んで下さってる方々でスター・ウォーズファンはかなり少ないかと思われます。そんなファンでない方々からよく聞かれるのが「なんであんなに騒いでるの?」とか「なにがそんなに面白いわけ?」という質問です。

それに関してはつまるところ、我々は知っていたことを事実として確認し、その詳細を待ち望んでいたから、と答えることができると思います。

ようは我々ファンは、ルーカス卿によって生殺し状態に置かれていた、ということです。

ヒドイ人は約25年も。私なんかは12年だからまだいいほうです。
しかしまぁ。
これでひとつの時代が終焉を迎えるのは確かなこと。もうこのお祭騒ぎは体験できないんだな。そう思うとちょっとおセンチになったりもします。

いつかふり返る日が来たとき、生殺しの日々が実は一番幸せだったのではないかと、ふとそう感じる時が来るのかもしれません。
なんにしてもそうだけど、「終わる」ってのはさみしいもんですね。


ではみなさんお約束。
「フォースと共にあらんことを」
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東京アンテナコンテナ『下駄とチャペルとフォークギター』観劇

2005-06-24 03:22:20 | 鑑賞

『延示』で主人公、水葉の先輩である三枝役を演じてくださった吉丘くみさん。その吉丘さんが出演中の舞台『下駄とチャペルとフォークギター』を21日観に行ってまいりました。

場所はヤングと芸術の街、下北沢。
この街の雰囲気って、例えて言うなら夢見るヤングの過剰なやる気。
あの独特の食いつかれるような前に前にって感覚は、下北にたむる方々と猥雑な街の雰囲気によく現れていると思います。一緒にいると喰われちゃうよ、みたいな。

なのであまり自分から行くことは無いのですが、東京で自主映画を撮るということは、この街にいくばくかは関与することになる場合が往々にしてあるみたいです。
一度、自主映画作家のつどいみたいなのに行ったことがあって、なぜだか集合場所が下北沢でした。実質それは飲み会だったわけですが、飲み屋自体はそこそこ高いとこに行ったりして、下北でやる意味が無いような・・・・って感じでした。そういうのって何かしらじらしいですよね。

では本題に。
いろいろ個人的に難癖つけてみても、下北には芸術を謳歌するための施設がいっぱいあるんですね。その中に数々の劇場があるわけですが、今回行ったのは下北沢「劇」小劇場。
小さいながらも二階席まであったりします。

観劇した『下駄とチャペルとフォークギター』の内容は、70年代を舞台にした青春コメディー。
今回の観劇に関しては、まず心底「あ~プロの仕事だなぁ」と思わせられる部分が多々ありました。もうのっけから笑わせて持っていかれます。お客さんのノリもよく、舞台には欠かせない「客との一体感」ってのをかなり体現されてました。正直これには脱帽です。お客を楽しませようという真摯な姿勢がひしひしと伝わってきました。
正直なところ仕事帰りな上寝不足だったので、途中で寝るだろうなと思っていたのですが、爆笑するような部分もあったりして、寝れませんでした。

主演のひとり、イジリー岡田さんは下ネタ無しバージョンでしたが、かなり笑わせてくれました!ちょっとファンになったかもしれないです。特に終演後のフリートークでは笑いっぱなしでした。
友情出演の涼平さんは男の私でもほれぼれするくらいかっこよかったです。しかしあんなに足が長いのは異常としか言い様がねいです。またかっこいいくせにしっかりと笑いとってるところがニクイことこの上なしでしたよ。ああ、ニクイ。本当にニクイよ・・・・。
そして吉丘くみさんもダンサーとして出演。やっぱりすらっとしてるからダンスも映えてました。キャラ的にも面白かったし、踊ってるとこなんか普通にかっこよかったし。
こういう人が俺達の映画に出てくれたことを、ちょっと誇りに思います。またこれからも是非頑張って欲しいものです。そして芋ずる式に我々もいいとこまで連れてって下さい。他力本願。


そういえば今さっき思い出したんですが、なんで俺ってこんなに下北沢に怨みに似た感情を抱いてるのかな、と考えてみたら、前作った映画が下北の自主映画劇場の上映選考から落ちたからだ!という事実が判明しました。
これをかんがみるに、RIFFILMという団体の基本要素がいかにルサンチマンというエレメントで構成されているかということが分かります。「ちくしょーばかにしやがって」という感情が実は制作の際のモチベーションになってたり。

そろそろこの「ねたみ」や「そねみ」って感情を捨て去らないと、いつまでたってもダディークールになれないよ、と自己啓発。
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『怒りをうたえ』という映画

2005-06-21 03:19:14 | Weblog
『怒りをうたえ』という記録映画があります。

学生運動の激動の歴史を綴った全3部作からなるドキュメントで、歴史的にもフィルム的にも非常に価値のある内容のものです。

私達のちょうど親父の世代がこのフィルムの中に登場するいわゆる全共闘世代なのですが、こういった歴史がその息子である我々に引き継がれていないのは非常に惜しいことのように感じます。
それどころか我々の受けた教育って、彼らの気概とはかけ離れた、恐ろしいほどに偏向した教育だったように思われます。
なんでだ?

彼らの最も罪な点は、敗北したことなんかより(というより敗北を前提とした戦いだったと思われ)敗北した後、何も残さず「総括できてないから」という詭弁によって自身を埋没させてしまった点です。なんていうか、若気の至りだったとのたまってるように聞こえます。

結局生きていくために、かつての敵(?)である企業に与し、挙句今ではその重たい椅子に鎮座しています。ばかちん!
鎮座してるのはまだ良いですが、そこから何もしないのは罪です。そういった人たちは一刻も早く糾弾の俎上に引きずり上げ、デコピンの一発でもかましてやらなくてはなりません。

とりあえず分かりやすい『権力』という敵がいなくなった今、当時と比べて正義ってのはかなり曖昧になったと思います。日常ですら、それを行使する機会は与えられていません。こんな世の中を作ったのは彼らであります。

でも彼らを責めることに執着していると、自分たちの事がおろそかになります。私達の子供にあたる世代に、同じような事を思われないようにちっとは考えるのも必要です。

そんな考えの手助けにさせていただいているのが『怒りをうたえ』上映実行委員会のお手伝いです。昨日も行ってきました。
委員会といっても実質おひとりでやってらっしゃるので何か手伝えることがあれば、と。
主催の方はかつての活動家であり、敗北を認めた上で逃げずに語ってくださる数少ない当事者のひとりです。このような方は、本当に貴重で有り難い存在だと思います。

私は市民活動に与するのも、デモに参加するのも嫌いだしイヤです。でも住み良い世の中にはしたい。そんな自分が社会に(大げさですが)関連した行動を起こすことが出来るとすれば、この上映会のお手伝いぐらいだと思います。

こんな偉そうなことを語る私は、しかし新聞なんぞ全く読んでいません。たまにこのことを話すと一般参加者の方から唖然とされるほどです。
でも、あらゆることの判断や社会的な正義には、知識より大義より饒舌に思想を語ることより、もっと大切なことがあると思うのです。
普段、こうして新聞も読まず、映画製作、仕事、趣味にといっぱいいっぱいの私ですが、それでも社会に参加して、より『自分的に』住みやすい世の中にするための発言を堂々とすることは出来ると思います。デモに参加してる人や市民活動をしてる人、小難しい本をいっぱい読んでる人たちが社会を憂える頼もしい人間だとか偉くて良い子だとか、そんなことはぜっっっっってーにありえません。断言できます。
では、普段ふつうの生活者である私達が、何を糧にものごとの判断や正義を行使するべきかと言うと、それは権威への猜疑と常識的な道徳観念です。

こうした中から生まれる考えがまさに、どこの誰にも帰依することのない自前の正義だと思います。

かつてあの時代に戦った人々は、何を考えて行動していたのか。それを知ろうとすることもまた自前の正義を醸成するために大切なことだと思います。
と言ってもこれもまた趣味の範疇なので、是非にというものでもありません。もし興味をもたれた方は検索するなりしてみていただけるとうれしいです。HPのアドレスはあえて晒さないことにしておきます。

夏あたり、また本編を上映するとのことっす。
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愛情爆弾『がらくた』鑑賞

2005-06-18 02:28:32 | 鑑賞
昨日『延示』出演者の田中しげ美さん、吉田卓弥さんの所属する愛情爆弾の公演『がらくた』を観てきました。

内容はいじめやリストカット、ドメスティック・バイオレンスなんかに関するもの。
テーマがすごく重たくて、胸にくるものがあるのですが、テーマそのものを劇中劇にすることによって客観性がいい具合に保たれていたと思います(←なにをエラソーに)。
こういうテーマってあんまり主観的に描くと、みだりに心に入りこまれるようで不快になることもよくあるのですが。


いじめと言えばその昔(今もか?)「いじめられる方も悪い」なんて言葉が流行りましたが、いったい「悪い」なんてどこのどいつが決めるんでしょうか?クラス?センセー?もしかして世間?
もちろんいじめられる方も悪いなんてことざらにあるんでしょうが、そんなことわざわざ口に出して大のオトナが言うことかよと・・・・。

中学生の頃、担任がいじめを受けて泣いている女生徒に向かって「あんたね、いじめられる方も悪いんだよ」と例の台詞を吐いているのを目撃したことがあります。
私は彼女のことを小学生の頃から知っていて、知ったその時にはすでにいじめられていたといういじめられのエリートでした。同じクラスになったある学年では、あまりの苦痛に教室から逃亡を図るという事件まで起こしたほどです。
この時期の体験って、それからの人生の殆どに影響を及ぼすものだと思います。『環境』といえるような時期を他人から蔑まされ続けて生きなければならなかった彼女は、あの後立派に成人したのでしょうか?気になる。

その担任は赴任してきたばかりの若い女教師だったのですが、とにかくこの人のおかげで「大人でも信用ならない奴はたくさんいる」と知らされました。ほんと態度がひどくてなぜこのような大人が先生になれたのかと、不思議に思っていました。

で、そんな先生も学校を離れる時がやってきました。音楽教師だったので、全校生徒の前で泣きながらピアノを弾いて別離を惜しんでいました。
私は「なんてハデな演出だよ」と眉をひそめていましたが、何と!釣られて泣いてる生徒が何人か見受けられるではないですか!
「なんだそれ・・・・」
成績表でオール1をとり損なったばかりの私は、その時「いや、でもこいつらよりは頭いいような気がする」と思いました。

私はまぁその後、体だけは立派に成人し、なんとか一人で食ってもいけるようにはなったのですが、今かのセンセーさんが目の前に現れたら思わずいじめたくなってしまうことでしょう。ガチで。なぜならあの頃と違い、体格的にも立場的にも引けをとっていないので(←他人をいじめるための絶対条件)。

そしてさんざいじめたあと例の台詞を放ってやることにしましょう。これ以上ないほど清らかな瞳をたたえて
「きみ、だがいじめられる方も悪いんだよ」
と。

でもしたり顔でこういう台詞を吐く人は、きっと自分の発言に責任を持てない人ばかりだと思うので、自分が同じこと言ったってのは絶対忘れてるだろうな。
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『ムショミノヤシロ』本編及び『延示』予告編の放送

2005-06-15 02:19:16 | Weblog
先日茨城のとあるケーブルTV会社から、ウチの作品を放送させて欲しいとの有り難いご依頼メールをいただきました。

とりあえず今のところウチの作品と言ったら『ムショミノヤシロ』しか無いので、それを放送してもらうことになります。

で、本命はこちら。『延示』の予告編も放送していただけることになりました!
とりあえずまた詳細決まり次第随時お知らせいたします。

地方のケーブルなので放送区域はかなり限られていますが、みなさんに観てもらえるチャンスをこうしていただけるのは、大変有り難いことです。

ちなみに作品を送付するにあたって今回、本当に久しぶりに『ムショミノヤシロ』を観かえしたのですが、今観るともう・・・・なんか地獄の業火に焼かれる思いでした。

何で昔の作品ってこんなにはずいのか。
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金がないとき食べるもの

2005-06-14 01:24:19 | Weblog
私がまだ愛らしいお子様だった頃、『リトルグルメ』ってのがはやりました。

けっこうなムーブメントだったので、知ってる方は多いと思われますが、その内容はとても常食としては耐えられない酔狂なレシピばかりだったと記憶しています。


○カップラーメンにマシュマロを入れる。
○溶けかかったキャラメルにポテトチップスをまぶす。
○カップヌードルにパンを入れ、海苔巻きにする。スープはそのままスープとして飲む。
○ヨーグルトとサイダーをまぜまぜする。

だいたいこんな感じだったと思います。
子供心に「いや、そりゃないだろ・・・」と思ったものです。こんなものをグルメと呼ぼうものなら、海原雄山先生に撲殺されること必至です。

しかしそんなリトルグルメの中にも、常食として耐えうる傑作レシピがごく稀に存在しました。
そのひとつが今回紹介しますこの料理(写真)です。

料理名は忘れましたがこの料理、かなり簡単で美味しいんです。
レシピを紹介しますと、
1)丼1杯強のご飯を大きめの容器に入れる。
2)卵二個ほど、塩、コショウ、化学調味料、醤油適量を入れ、まぜまぜする。
3)卵かけご飯が出来たら、温めたフライパンにこれを入れる。
4)お好み焼きの要領で両面焼く。
5)お好みで、おたふくソース、マヨネーズ、鰹節、青海苔なんかをかける。
出来上がり♪
非常に安上がりで腹持ちもします。私はだいたい金がなくなるとこの料理で腹をごまかします。そもそもお好み焼きが大好きなので、こういった料理には目がありません。

ちなみにこの料理を、私は勝手に『米のみ焼き』と呼んでいます。

ビール(発泡酒)のお供にもばっちし。カロリーを摂取することに徹する貧乏人の皆さんは是非おためしあれ。
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『延示』出演者のその後

2005-06-12 03:01:26 | Weblog
せっかくブログ立ち上げたんだから、今まで出来なかったインタラクティブな恩返しを少々。

『延示』に出演して下さった方々の活動について、このブログで紹介していこうと思っています。もちろんその活動にも出来るだけ私自身も出向き、こちらでまたその様子をアップさせていただこうかと思っています。
では日にち順に。

秋津列島解放戦団教育官・穂積役のこうこうすけさん
その独特の存在感で『延示』の世界観を脇から引き立てて下さったこうさん。とある友人にAパートの予告編を見せたら「うーん、別に観たくないけど、この人(こうさん)はいい」という非常に形容しがたい屈辱的な批評をいただきました。
劇団サードクォーターにて『オルガン帝国』というお芝居をやられています。
しかし申し訳ないことに!明日(つまり今日)が最終日だったんです!東京芸術劇場小ホール1にて。池袋に行かれる方は是非!
劇団サードクォーター公式HP
 http://tqtqtq.cside.com/

延示の世界において、唯一軟派な男である谷川を演じた吉田卓弥さん。
劇中の色男っぷりを一足早くお芝居で確認されて下さい。いわゆるひとつのイケメンです。
劇団愛情爆弾『がらくた』を6月16日~19日・新宿シアターモリエールにて。
愛情爆弾公式HP
 http://homepage.mac.com/aijyoubakudan/
と言うか、愛情爆弾って劇団は色男率が高いような気がする。主人公・祠木役の田中しげ美さんも愛情爆弾なんです。今回は出演されないそうで残念。

水葉の頼れる先輩、三枝役の吉丘くみさん。
女優であり、ダンサーでもあります。撮影の際にはお部屋まで貸していただいて、たいへんお世話になりました。手足がすらっとしていたので舞台で映えることでしょう。
東京アンテナコンテナ『下駄とチャペルとフォークギター』を6月21日~26日・下北沢「劇」小劇場にて。
東京アンテナコンテナ公式HP
 http://www.ajasun.com/tac/
イジリー岡田さんが在籍していらっしゃいますね。中学時代、この人の顔面UPに何度泣かされたことか・・・・。
あと仮面ライダーゾルダの涼平さんも出演されるみたいです。かっこいいですねぇ。

最後に主人公・水葉役の長谷川恵美さん。
ここを見てるファンの方なら今さらって感じかもしれませんが、一応紹介。
『IDOL ROOM』ライブチャット・6月23日(木)20:00~23:00
チャット出来る人ってすごいっす。タイミングとか結構ムズイですよね。
イメージDVD『Traveling Alone』が7月25日 GPミュージアムより発売。
それに関するイベントを7月30日(土) 13:00~大阪信長書店日本橋店、7月31日(日) 13:00~秋葉原ロケット本店、15:00~秋葉原ヤマギワソフト館にて開催するもようです。
長谷川恵美さんの公式HP
 http://haseemi.hp.infoseek.co.jp/index.html
ちなみに・・・・
 http://d.hatena.ne.jp/haseemi/20050610
だそうです。

    _  ∩
  ( ゜∀゜)彡 ワンピ!ワンピ!
  (  ⊂彡


以上。
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録音室でもんもんと

2005-06-11 01:20:18 | 映画 『延示』
『延示』Bパートのアフレコ準備のため、市の施設を回ってきました。

最初に訪れた施設では、職員の方と技術の方二名、計三名に案内されました。「え?なぜそんなに」と思ったのですが、三名とも若い女性であったため、とても気分が良かったです。市の施設でこんないい塩梅になれるなんて思ってもみなかった。妙に得した気分です。
楽しいことなんぞほとんど無い「自主制作映画の制作」という役割の中で、たまにこのような役得が訪れる事もごく稀にあります。しかしこんなことで幸せを見出すことが出来るのは私ぐらいのものでしょうか。

さて、次に訪れた施設が本命だったのですが、ここでは二部屋の録音室があって、隣の部屋との区切りがパーティションのみでした。そのため隣室の声やら何やらがモロに聞こえました。これでは本番は二部屋借りることになりそうです。
ところでその隣室では、さらに運が悪いことに歌の練習をやっておられたため、部屋にいるあいだ中その歌声を聴く羽目になりました。美空ひばりとか、10ccとか、聴きなれないソウルとか。曲に脈絡が見られないけど、いったい何のサークルだったのでしょう?人数が少なくて女の子ばかりでしたが。

そんな歌声に多少イラつきながら自分の声を収録してテスト。
自分の声って何度聞いてもへんだ。本当にこんな声なのだろうか?なんかすごくじっとりしてる気がする・・・・。
あいだあいだにも(←あいだももに非ず)隣室の歌声は鳴り止まず、やむなく途中で収録を中止することも。「うるせーなーもー」と漏らしつつ、コンビニで買っておいたチロルチョコで気を紛らわせます。

何とかテスト収録も終りました。ここにはモニターも有るし、マイクスタンドだって有ります。こういった都合のいい施設がなかなか無かったので、本当に助かりました。

アフレコについては私の部屋でやるのが一番手っ取り早いのですが、今回は全て女優さんであるため、部屋を見た時、少なからず「引く」人が出てくると思われます。前回、Aパート収録の時でさえ「ああ、この人引いてるわ」ってことがありました。
あちらもそうだろうし、こちらも個人的にややへこむので、やはり施設を借りた方がいいだろう、という事になりました。それに部屋では完全防音とはいきませんしね。

ちなみに何に引いてるかというと、それは私の部屋の大部分を占領しているスター・ウォーズグッズ他、様々な「モノ」にです。このようなモノによって壁がほとんど見えないため、音が反響しません。そのため私の部屋は前の映画でもそうでしたが、RIFFILMアフレコスタジオとなったわけです。

理由が原因なワケで今回は施設での収録ということに。でも実はあの「部屋に入ってきた時のリアクション」を私もコンちきも少し楽しみにしていたのは事実です。「最初になんて言うと思う?」って賭けたりもしてました。

で、いちばん困るのが「・・・・・・」ってリアクションですわ。
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日常に潜む凶器

2005-06-10 05:15:05 | 映画 『延示』
かっこいい人はいい。
だってモテるもの。
美人な人はいい。
みんなにチヤホヤされちゃってさ・・・・。

朝、起きぬけの顔を鏡に晒した時、そのあまりの不細工さ加減にリアルに引いたりしませんか?
私はよくあります。「よよ・・・・」とよろめき、少しばかりくらっとする程です。

『延示』の編集中、よくこの「くらっ」が私を襲います。
別に自分を見て引いたわけではなく、出演しているかっこいい人や、ビジンダーを見て「俺って何でこんなにイケてないのさ」と悩まされるのです。

相対化という言葉がどんな時に使われるものなのか私にはよく分かりませんが、私自身もし使うようなことがあるとすればこのような時でしょう。
例えば、街中で見るかっこいい人。別に通りすがりであれば「ふぅん。かっこいい。だからどうした」で済みますが、編集してると何度も何度も同じ顔を見ることになるばかりか、撮影現場を思い出す事になるので、その度に「ふぅん。かっこいい。だから・・・・うぅ」と呻く羽目に陥ります。
相対化できない・・・・。

編集作業は楽しい部分もある反面、このように自らを辱める凶器を内在させた大変ハードな作業でもあります。

ちなみに主演の三人の方々については、こんな風に思いました。
祠木紘一役の田中しげ美さん(写真)。
渋くてセクスィーです。歳のわりには(失礼)お肌がとってもすべすべで、私が女の子だったら(´З`)ムチュッといっていたかもしれません。また、ややマニアックであるところがRIFFILM的には好感度大。
恵想剛久役の久保利健介さん。
すらっとしていてスタイルいい!アクションが映える体型です。この前の舞台で上半身ハダカになっておられましたが、もうびっくりした。ブルース・リーみたいな引き締まった体してます。今度会った時には是非パイ筋を揉ませていただきたく思います。覚悟してください。
水葉唯役の長谷川恵美さん。
同じ人間とは思えない・・・。くどいようですが、私が女の子だったら、相対化どころか多摩川へ決死のダイブを敢行していたやもしれません。撮影ラストのワンピース姿はそのものが凶器。あと、近付くといい匂いがしたことを追記しておきます。

よく「自分は自分、他人は他人」と言いますが、そんな簡単に割り切れるもんでもありません。しかしただひとつ、相対化ってワケではありませんが、ある程度の諦めはつける事ができます。それは彼らが諸々を維持するために、それなりの努力をはらっている点についてです。
彼らのそういった「ただ、維持するためだけの厖大な努力」話を聞く度に私はこう思います。
「えッそうなの。・・・だったら俺このままでもいいや」

日常の凶器とはつまり、自分自身の容姿へのやるせなさだったりします。
でもそれすら包みこんで前に進んで生きていけるのは、うんざりするくらい諦めているから。もっとよりよく、すんなりと諦められるように頑張りたいと思います。

そのうち、「諦める=カッコイイ」と思えるようなダンディー男になりたい。
しかし・・・・しかし今はなれねぇ!うぅー・・・な、何で俺ってこんなにカッコ悪いんだ!orz
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しがない労働者の一日

2005-06-08 01:10:41 | Weblog
今日から仕事に復帰しました。
以前いたところとは同じ工場でも別のセクションでの仕事。
さらに夜勤から日勤へ。
日勤はイヤです。同じ時間働いてても給料安いので。いいところと言ったら、帰りにスーパーが開いてることぐらいでしょうか。

久々の労働というのは体にも精神にもくるものがあります。
毎回、映画製作→労働復帰を繰り返すたびに思うのですが、「俺、このまま歳とって死ぬのかな」と、こんな鬱な考えが去来します。
そこへもう一人の俺が来て言うわけです。「お前のいるべき場所はここだ」と。
。・゜・(ノ∀`)σ・゜・。いーひっひっひっひ カッコイイ!

今回の仕事は夜勤に本復帰するまでに充てられた食いつなぎ。
二週間の短期で、60人ほどが雇われていました。仕事も超簡単の単純作業で、まさに我々は一山ナンボの労働者であることを実感させられます。自分の小さすぎる存在を無理矢理見せられているような、そんな不快感。
『あ、そうだ、おれは監督じゃなくて労働者だったんだ』
こんな当たり前すぎる事実も、受け入れるのに今日一日かかりました。

そして帰るころにはそんなことアホのように忘れ、スーパーに寄って嬉々としていちごヨーグルトを購入する始末。

別に「明日からも頑張るぞ!」とは思わないけど、明日働きに行くことが今日ほど辛くないことに危機感を覚えたりはします。
ぬるま湯~。
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刻の涙を見ちゃいました。

2005-06-06 20:44:30 | 鑑賞
今日の話はちょっとマニアックなのでついていけない方はご勘弁を(汗。

やっと楽しみにしていた劇場版『機動戦士Zガンダム A New Translation (新訳って意味らしいです)-星を継ぐ者-』を観てきました。

ちょうどこの映画のクライマックスにあたるアムロとシャアの再会までをDVDで見直したのが、つい2~3週間前だったので、なんだか新作映画を観に来てるような感じはしませんでした。損したって気はしないけど、それにしたってこうも堂々と古い作品を大画面に映されると、ちょい厳しいものがあります。新カットが思っていたより少なかったんです。

でも好きなものは好き。やっぱり面白かったです。
しかし、実尺はかなり長くなるであろう内容の話を、よくこれだけまとめられたな、と感心しました。主人公達の感情の機微を編集によって分かりやすくしてあるのはさすがです。うまいことはしょってました。
音楽に関してはTV版でもオーケストラ(?)で十分に重厚なサウンドだったので、使いまわしであっても全く遜色無しでした。新たに録り直したり、新曲も入っていたのかもしれませんが。本当にZの音楽はカッコイイですよ。

さて、第二部の「恋人たち」は10月公開らしいです。
ここらへんのエピソード、Zという物語の中でかなりのウェイトを占める、主人公・カミーユのフォウとの邂逅、そして恋愛が描かれるわけですが、正直個人的には面白いとは思わなかったので、あまり楽しみにはしていません。なんのかんの言って観には行きますけどね。
TV版でもそうでしたが、基本的に群像劇であるため、「悲劇」がしっかりとした悲劇として描かれてなかったような気がします。複雑でかなり忙しいストーリー構成なので、主人公の深い心情には迫れなかったのだと思いますが。映画版ではぜひそこらへん見せていただきたいです。そういう意味では期待。

私的なZのクライマックスは、キリマンジャロ降下~ダカールの日です。
この辺りのアムロとシャアとの共闘関係は、鳥肌立つほどシビれます!ゆくゆくは再び殺しあうことになる運命の二人だからこそ、余計にグッと来るものがあります。

ちなみにタイトルの意味が分からないあたなはオールドタイプ。~~━t(・∀・)z

すいません、何か自滅しました。
コメント (4)
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優しさの経済

2005-06-05 03:02:41 | Weblog
今日は映画製作の用事で、ある住宅街を訪れました。

自転車とモノレールを乗り継いで一時間弱。到着して印刷しておいた目的地までの地図を見ます。
いきなり方向が分からなくなりました。
HPのプロフにも書かれてあるとおり、私は地図というものが大変苦手です。人はなぜあのような暗号に近い図から、目の前に広がる3次元の世界に咀嚼し、歩むべき道を解読することが出来るのでしょうか。

仕方なくそれらしい場所を徘徊してみます。表通りに面していると思ったら、なにやら住宅街に入ってしまいました。
「本当にこっちで合ってるのだろうか・・・」
そんな不安を抱きつつ雨の中、他人の住宅街を歩き回ります。

見知らぬ住宅街というのは、歩くとなぜか心がだんだん寂しくなってきます。知らない人たちの居場所。知らない人たちの空間、その雰囲気。
こういったものにたまに触れてみるのもいいものかもしれません。ただ歩くことで得られる寂しさ。

歩きつかれたので人に聞くことにしました。近くにクリーニング屋さんがあったのでそこで。
店主のご主人は丁寧に道を教えてくれました。
おかげさまで目的地に間もなく到着しました。

ただ道を聞いて、親切に対応されただけの話ですが、他人の親切や優しさというのは、時として人の心を謙虚にします。
生活していてふと見失いがちな、ちょっとした優しさというのは、こういった場面で回復されていくのでしょうね。

親切だったか優しさだったかの定義を、道徳の時間では『見返りを求めないもの』としていましたが、大人のみなさんならご存知の通り、それは大きな嘘ですよね。
私は優しさや親切というのは、「自分ならこうされたい」というエゴの発露だと思っています。

だからこそ、この輪廻が円滑な状態が「好ましい社会」なのでしょう。
優しさも経済と同じ、使ってナンボですね。何か似てるような気がします。


そういうわけなんで、金持ちの皆さんは金を使いまくって、きちんと金を野に放って下さい。じゃないと我々は万年貧乏です。
そのうち「階級闘争」って言葉が復活しますぜ・・・・。
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灼熱の視線

2005-06-03 18:42:40 | Weblog
先日、友人のK氏と久々に会って、下町のあたりに行ってきました。
ぶらっと散策でもするか、と。

私に言わせれば、下町と言えば甘味処。朝飯も抜きにしてきたので、まずは嫌がるK氏を強引に押し込み、以前にも訪れたことのある甘味処に入りました。
私が頼んだのは白玉ぜんざい。白玉の歯ごたえといい、小豆の程よい甘さといい、申し分のないものでした。小豆の照りが美しく、それだけでも納得させられてしまう一品。見るだけで楽しめる食い物というのは、食の時間を満ち足りたものにしてくれます。

自分は本当に舌が肥えてなくて良かったと思います。これが世に言う「素晴らしい一品」なのかどうかはともかくとして、わたくし的には満足のいく味でした。
ところで、やたらと身にそわないような食い物や店を好む人たちがいますが、そこまでいくと趣味の世界であり、少なくとも他人は巻き添えを食らいたくないものです。なので飯食い行っか、という段になって「どこがいい」と聞いたら「どこでもいい」と言われ、「なら○○」と、某チェーン店の名を出したら「いや、チェーンはちょっと・・・」とか言われると、ほんとくらっときます。つぅか、チェーンで何が悪いんだコンチキショー!!ブルジョア気取ってんじゃないわさ!


甘味処を出て、近くを散歩。しばらく歩くとピンク映画の上映館が目に止まりました。

「おい、これ観てかね?」
突如流れはそっちの方へ。彼とは以前にも『男のたしなみ』シリーズと称してストリップ劇場へ共に足を運んだ縁であります。第二弾として以前から行こうとは言っていたのですが、まさか今日になろうとは。

入場料は500円。しかし、ここで私達を待ち受けていたものは想像を絶する光景でした。
入ってすぐ、暗がりの中からちゅっちゅちゅっちゅと音がします。「はて?小鳥かな?」と思っていたら(思うわけない)、60代と思われる男性カップル二名が濃厚なキッスを交わしているではありませんか。
『あれ?・・・・あれ?なんだろ。なんだろう、これは』
とりあえず私はK氏と喫煙所へ。「なぁ、今の・・・・」「オウ・・・・」会話が続きません。すると目の前に座っていたおばさんかと思ってた人が声をかけてきました。思ってたというのは、実際おばさんではなく女装したおじさんだったからです。ずるんと取れそうなヅラ、濃いい化粧、体型を隠すかのようなふんわりとした服装。
彼(彼女?)は「こういうとこにはよく来るの?」とか「どこから来たの?」とかしきりに話しかけてきます。私達は「はぁ・・・・」とか「まぁ・・・・」とか適当な相槌を打って場をやり過ごすことにしました。しかしこの後、彼女の口からやり過ごせない一言が。
「ねぇ、私って男だって分かるでしょう」

・・・・・うー・・・何というかその・・・何といえば良いのだろう。しかし返答というのは、しないとそれはそれで非常に気まずいものです。苦笑いもそう長くは続きません。私は頑張りましたが、ただただ普通に「・・・え?ああ、まあ・・・」としか答えられませんでした。だってどう見たって野郎にしか見えないもの!

その時、喫煙所には我々三人だけでした。「あぁ、ここから出たい」そう思っていたところ、これまた60代と思われる、作務衣をまとった男性が喫煙所に入ってきました。
その男性は「やぁ、今日は暑いね暑いね」といいながら我々の前でおもむろに作務衣を脱ぎ始めました。そしてそのまま上半身裸に。「しょうがねぇおじさんだな」と思っていたら隣の女装さんがもじもじし始めました。
あー、そういうことか・・・・

チャンスとばかりに私とK氏は喫煙所を出て、スクリーンの前へ。ちょうど前回の上映が終わったところです。さぁ、みんな席から立つのかな、と思っていたら一向に立つ気配がない。?・・・・なんでだ?
しょうがなく私とK氏は立見をすることに決めました。
上映が始まると、観客達は(私とK氏以外、100%おじさま)何だかそわそわ落着きがありません。普通に映画を観たいのにこれでは集中できない。
上映されていたフィルムの内容は韓国から輸入されたもので、いわゆる人妻ものでした。普通につまりません。ぴくりともせず。

やがてそわそわしていた観客の視線は我々の方にも向けられることに。なんだか視線がもの凄く熱い。かぁー!アイドルになったみたいだ!もしや俺達って・・・・

やがて5分を過ぎたあたりでK氏がこう耳打ちしてきました。
「おい、どうする?俺もううんざりだ。出るからな」
まぁ、分からんでもなかったので私は「分かった。じゃ、俺もう少し観てくから出たら電話する」と言い、とりあえず分かれました。

せっかく来たんだもの!一通りは観てくぜ。
相も変わらずそわそわしている店内。すると先ほどの作務衣さんが私の真横に密着。むふーっという熱い吐息と共に耳元で囁いてきます。「友達はもう、帰っちゃったの?」・・・生あたかい。あと、すえた匂いがする。
足が震えている。俺、もしかしてびびってる?「や、何か外で待ってるって」
彼は続けざま「そう」と答えると、スリのように狡猾かつ迅速な手つきで、私の身体に驚くべき接触を。


チポン(゜∀゜)


「ぇあ」
無意識の声。
心の中に、小学生のころ国語の時間に習った「こころよい羽音一番」という一文が浮かびました。『大造じいさんとがん』、か。
あのとき私は、世の中にがんという恐ろし気な名前を持つ鳥がいることを初めて知りました。
漢字にすると「雁」。雁といえば芦屋雁乃介。雁乃介といえば裸の大将。

隣の人も坊主だし上半身裸になるし、ある意味裸の大将だ。まさかこんなアンダーグラウンドで雁乃介さんの幻影を見るとは。

心を遥か宇宙に飛ばしながら、劇場を後にしました。
待っていたK氏と再会。「どうだった?」
「・・・・・ティポン触られた」

ここからは彼の話。
K氏は上映開始間もなく作務衣さんにおいたされたらしく、それから「やばい」と思って出ることにしたらしいです。そして作務衣さんが俺の隣に密着せんとしているのを見届けながら「俺は出る」と。その後私は一人劇場に残り、例のカタストロフに遭遇するわけです。

なるほどね。道理でいきなり出るとか言い出したわけだ。たしかになー。いきなり触られたら誰だってびっくりしちゃうよね!しょうがないしょうがない。



でもさ、なんで教えてくれなかったんだyoooooooooooooo!!
ばかー―!!!

あ、なんか俺、女子高生の気持ちが分かったような気がする。
本人はそう思ってなくても周りから食べごろと思われる不愉快さ。若さやミニスカはそのためにあるんじゃないのに。
でもね、こういう場合あんなところにそうとは知らずと言え、入ってしまった私達が悪いのです。つまり今回の話で私が言いたかったのは「見せたくないならミニスカはくな」と、そういうことです。

ウソです。ごめんなさい。どんどんはいて下さい。
コメント (3)
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