【社説②】:岩瀬投手引退 重圧を飼いならして
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②】:岩瀬投手引退 重圧を飼いならして
中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手(43)が先週末、二十年間の選手生活にピリオドを打った。千二試合登板や四百七セーブという大記録は、絶え間ないプレッシャーと闘い続けて作り上げた金字塔だ。
落合博満・元監督をして、「最後の砦(とりで)」と言わしめた抑えの切り札。岩瀬さんの千二試合登板と四百七セーブは、金田正一さんの四百勝や王貞治さんの八百六十八本塁打などと並び、当分破られる可能性は低い。
ほかにも十五季連続での五十試合以上登板やセーブ王五回の大記録を残した。鉄腕の称号がふさわしく、「胆力」も人並みではなかった。
登板は、試合最終盤で一点リード、二点リードの局面がほとんど。リードを守って勝ちにつなげることを求められ、ほぼ毎試合、岩瀬さんはベンチに入っていた。点を入れられたら、先発の勝ちを帳消しにしてしまうリスクとの闘い。重圧はいかばかりだったか。
引退試合と引退セレモニー直前の先週末、岩瀬さんを訪ねた。
岩瀬さんは、重圧をはね飛ばせた秘訣(ひけつ)や理由を「結果を出して当たり前と見られるようになってからは、実績をどう守っていくかを考えた。重圧を日常生活の一部にするようになった」と答えた。
球団のホームページにはファンから「岩瀬投手は当たり前のように(マウンドに)いて、当たり前のように抑える」との声が寄せられている。これに岩瀬さんは「当たり前ほど難しいことはありません。続けることはさらに難しかった」と話す。重圧を日常生活の一部にすることで、当たり前の苦しみに慣れていったという。
ゲーム終盤、ナゴヤドームのアナウンスで「ピッチャー、岩瀬」と流れるとスタンドは安心した。「これで勝った」と。だから歓声で迎えた。しかし、数年前、岩瀬さんが時折救援に失敗するようになると、アナウンスにファンがため息をもらすこともあった。「マウンドでため息は聞こえていました。これもプレッシャーでした」と岩瀬さん。重圧を一つずつのみ込み、投げ続けた。
誰であれ、生きる中で強いプレッシャーを感じることは、少なくない。岩瀬さんは「僕だって、現実から逃げたくなることはたくさんありました。でも、中途半端でやめたら、そこで終わり。とにかく続けると念じていました」。重圧をうまく飼いならしてきた大投手。座右の銘だという「継続は力なり」の言葉が、前人未到のキャリアの中で、この上ない光芒(こうぼう)を放つ。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2018年10月16日 06:10:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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