26歳くらいまでバリバリ家庭連合の2世信者だった女性が、40歳近くになって、「私は信仰を強制された!」と言って、
① 親がした献金を全額返せ! とか
② 私に慰謝料1000万円を払え! とか
おっしゃっている。親は「神に捧げた献金は返してほしくない」と言っているのに、、、
その女性が被害を訴える書面を見たら、「地獄に堕ちると言われたので、、」って金太郎飴的フレーズがたっくさん使われている。判で押したように、、
数えたら、1ページに1つくらい、数十個。
しかし。
26歳(信者同士で結婚して子供も産んだ)の大の大人になるまで、「地獄に堕ちると言われたので⚪︎⚪︎しました」って、幼稚すぎないか、、、 他責しすぎだろう。
そもそも「地獄に堕ちるから⚪︎⚪︎しろ」っていう「恐怖信仰」にはそんな効果はない。強力な効果はない。
って思って、調べてもらいました。家庭連合の教義で、「地獄」がどういう位置付け・使用頻度なのかを。
すると、、、
家庭連合の教義を書いた『原理講論』604ページで、「地獄」という言葉が使われたのは、「神」が使われた回数の、なんとわずか
71.3 分の1 !
家庭連合の教義では、「神」は連発して1ページに3度くらい登場するけど、「地獄」なんて数十ページに1回しか出てこない。。。
この「71.3分の1」って数字から見ても、「地獄に堕ちるから」なんて脅しが、家庭連合の考えとして一般的だとは、全く思わない。
これは創造原理という、神がどのような仕組みに世界を創造したのか、ということを顕わしたものに書かれており、私達が初っ端に学ぶものです。
そして神が永遠不変であるため、神の創造理想は永遠不変となり、その創造理想を実現させるために立てられた創造原理もまた永遠不変というのが、私達の基本中の基本の考えです。
従って、堕落ということが起こったとしても、この創造原理は全く変わらず、この創造原理に反しない形で、堕落状態から創造本然の姿に戻るための、復帰原理を立てられたというのが、私達の教義の骨子の一つになります。
では、相対基準と授受作用というのはどのような考えか?というと
神は多数の被造物を創造されたわけですが、それらはバラバラに存在するのではなく、それぞれが相和して相互作用して、調和と運動を織りなし、愛し合いながら世界を形成される姿を創造理想とされたと考えられます。
そのような創造理想を実現するために、相対基準と授受作用というものを創造されたわけですが、相対基準とは、あい対する相手とあい対するために内容を自らの裡に準備することを意味しています。
例えば、物理的相対基準であれば、引力を備えてなければなりません。また、その物理的相互作用を行うために、引力が相互作用できる範囲に近づかなければなりません。
人間関係で言えば、例えば、同じ趣味、同じ興味や、共通する価値観や認識、言語能力、もしくは人格面でタイプが同じなど、相手と相互作用ができる持たなければなりません。
そして、この相対基準が相互に備わる時、相互作用が始めることができるとされます。
この相互作用が授受作用という言葉で表現されています。
これが基本であり、霊界とは人の思いがダイレクトにむき出しで表現されるため、人はそれぞれ自分の相対基準に合った人の集団に集まっていく、というのが私達の教義になります。
つまり、善人は善人の集まりに、悪人は悪人の集まりに自分で集っていくのだと。
そして、創造本然の人間が集まった所が本質的な「天国」であり、悪人が集まった場所が本質的「地獄」と考えるのが私達の基本思想になります。
ここから、私達は天国とは自らが天国を作るのにふさわしい人間となれば、自らの周りに天国が形成されると考え、
天国とは行くものではなく、創り上げるものであると考えるわけです。
そこには、この世における功績・実績・行いはほぼ関係はありません。
ひたすらその人の人格・思いだけが決定する世界。
これが私たちの世界観の基本中の基本的な世界理解です。
尤も、これを外すことを言われる方も結構いるのですが、それはこの世界観をまだよく理解できていないのでしょう。
従って、私達は「地獄に落ちる」とかの発想は一切ありません。教義が判っていない方がそう言ってしまうことがあるやもしれませんが、それは私達の基本思想ではありません。
私達は、人が堕落してしまって、地獄を作ってしまったから、そこから脱出して天国を作りましょうというのが方針です。
これを言うと反対派の方達は、「お前たちの教義を信じなければ死んだら地獄に行くと言っているのと同じだ」などと強弁するのですが、
「私達の教義は、あの世はこの世の続きだから、この世が地獄なら、あの世も地獄になるから、そうならないように、この世で人格を磨きましょうと主張しているだけです。逆に、この世は天国だと思いますか?」
と聞くと一様に黙ります。
私達には、私達の教義を信じなければ地獄に行くという思想は一切ありません。
私達の教義は、みんな一緒に地獄を脱出して、天国を作り上げていきましょうという教義しかありません。
つまり、「地獄に堕ちる」などという思想は、全国弁連などが、私達の教義であると作り上げて流しているデマです。
先ほど、紹介するつもりでしたがうっかりしていました。
この私達の教義を顕わした聖歌があります。
「幸せって何だろう」
という歌ですが、文先生はこの歌が大好きでした。
私達が目指すものは、全てが相和して天国を形成すること。
それこそが、神と私達の願いであり、幸福であり、それを顕わしている歌です。
ttps://www.youtube.com/watch?v=yPU6NUztOAk