天職は、 vocation とか calling とか言って、いずれも、天や神から「呼ばれる」もの。
「呼ばれる」人もいれば、呼ばれない人もいる。
神に出会って信心深くなる人もいれば、共産主義者みたいに、神に出会わない人もいる。
年と共に感謝をたくさんするようになって人格が成長する人もいれば、年食っても性格悪いままの人もいる。
造物主(天、神)は、かように、人を「完成されたもの」として与えていない。
「自分で見つける」ことができるように、「完成される可能性」のあるものとして人間を造った。
人は可能性の塊なんだよね。
可能性を、自分の力で切り開く、醍醐味と、喜びを、与え賜うた、ってことだろうか。
成長の余地をあえて残した、不完全な存在として、神は人をデザインした。
内田樹の本を読んで、そんなことをボルドーで考えています。
(20年近く食傷気味だったけど)やっぱり内田樹は、いい。
いい本、いい作家というのは、「知識を授けてくれる」のではなくて、「考えるヒント」「思考のきっかけ」を与えてくれるものなのだろう。
そんな題名の有名な本もありました。