家庭連合問題と、北朝鮮拉致は、関連する。
今までもある程度知っていましたが、初めて書きます。
コミンテルン。世界共産化。ゾルゲ。
※ ちなみに、プーチンがゾルゲを尊敬していると最近知った。
要するに、世界を共産化するために、コミンテルン(世界共産本部)は、世界中にスパイを派遣していた。平成5年まで生きた野坂参三もスパイだった。
スパイは、我々の、身近にいたんですね。
だから、北朝鮮拉致が起こった。どういうわけか、北朝鮮の拉致の文脈ではスパイと呼ばずに「工作員」というけど
こちら 、要するに、工作員って、スパイのこと。
スパイがいるから拉致が起きたんです。スパイが拉致したんです。その北朝鮮拉致は、昭和49~58年。1974年~83年。
こちら
その北朝鮮拉致が行われている真っ最中(やや後期)の1979(昭和54)年に、国際勝共連合は、自民党とともに、「スパイ防止法制定促進国民会議」を制定。
こちら
スパイがいるから拉致されたんだ! だから北朝鮮の拉致を食い止める、という動機も強かった(はず。今度、勝共連合の方に改めて聞いておきます)。
1985年に法案提出するも、頓挫。
翌1986年7月、中曽根首相が、衆参同日選挙をして、300議席超えの大勝利。アラフィフ以上のみなさんはなんとなく覚えているはず。私は6年生でした。
その300議席超えの勢いを借りて、自民党は、改めて反スパイ法の制定に乗り出した。勝共連合と自民党の、蜜月の時代。
しかし、健闘むなしく、多くの新聞が反スパイ防止法のキャンペーンを行ったため、またもや、制定できず。朝日新聞など大新聞が、人権保護の美名を使ってスパイ法に反対していた。
これが、翌1987年の霊感弁連設立につながる「反スパイ防止法」キャンペーンです。
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たられば」ですが、国際勝共連合がスパイ防止法制定に乗り出した1979年に、すぐスパイ防止法ができていれば…
スパイ及び工作員があぶり出され、原敕晁さんとかの後期の拉致は起きなかったかも。
つまり、スパイ防止=北朝鮮の拉致防止、なんですね。これに反対したのが、霊感弁連とか、共産党。
実際、左がかった土井たか子さんは、北朝鮮の拉致について「存在しない」という立場を取っていらっしゃったそうです。 ←ググっても出てこないけど、Twitterでそう指摘する人は多い。
北朝鮮の拉致のことを聞いて、憤慨しない日本人はいない。
そうであれば、北朝鮮拉致を食い止めるべく、スパイ(工作員)防止法を制定しようと思っていた、国際勝共連合は、あっぱれではないか。
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以上のストーリーが、国際勝共連合とか、家庭連合とかを知る一端になれば。